2015年12月31日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨(目指す)・・・新50

2015.12.31木 曇り 午前8:00
 水戸弁で・・・今年の最終日の散歩に出た、暗いうちに出て細浦に降り、真砂山に登り
三社に参り、関係する皆様の健康と発展を祈願してきましたので、ホッとしたよ。
 第50回でアメリカ彷徨記を終了しますが、次からは中国彷徨記を記す予定です。但し、
中国の旅は浪漫が少ないので、長続きはしないかもしれないと思っていますが、出来る
だけ頑張ります。
 さて、アメリカ彷徨記は書き足らないところが一杯ありますから、気が充実したら再掲載
をします。それとアメリカ大統領選を観戦予定をしています。多分に9月か10月のヒート
アップしている頃を推測をして訪米します。10年前にクリントン元大統領を水戸市に
招請講演をいただいて関係からヒラリークリントンを応援しています。民主党か共和党か
実に今までになく興味深く観察をしています。
 アメリカの旅も17年に及んでいますので、興味深い話を原稿なく記載できるようになっ
ていますし、中国の旅も27年間で200回は訪中していると思いますので、原稿なく記せ
ます。
 来年の彷徨の始まりは27年前の上海上陸から記す予定です。俺も楽しんで記します
のでよろしくお願いいたします。
 来年の皆様の年が良い年でありますように祈念しております。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月28日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(R66の出会い)・・・49

2015.12.29月 晴 午前7:00
 水戸弁で・・・今日は非常に寒い朝であったけど、思うところあり、俺は早朝散歩に出たんだ。
 R66を走っていると、ハーレー集団やクラシックカー集団、それに特車集団と出くわす。
アメリカ文化を見ているようで楽しい。老夫婦か老アベックが仲良く派手派手の特車に
乗り走っている。陽気なヤンキーというわけである。俺は彼らに近づきたくなり、駐車場に屯
している彼らに近づいた。右手を挙げて近づく、彼らの目と俺の目が合う。俺は笑顔で合図を
する、彼らも笑顔で頷く。俺は「どこまで行くの」と聞く、彼らは「走っているだけ」と答える。
俺は親指を立てて特車を褒めると、「サンキュー」のアメリカン的な挨拶が返ってきた。年の
ころは70歳前後と見える。ヨーロッパから大西洋を渡り、アメリカ大陸まで来た末裔である。
アメリカ大陸を数百km走ったところで、なんの疲れも感じないのだと思った。島国の日本で
住んでいる我々からすると測り知れないパワーを持っているアメリカ人であると感じた。
大陸に住んでいる人は体が大きい、島国に住んでいる人は比較的に小柄である。住んで
いる土地の面積に体が比例するのかと思えた。次回は第50回目の掲載であるから、
舞台を30年前の中国大陸に移して掲載します。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月23日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(R66)・・・新48

2015.12.23水 晴れ 午前7:40
  R66が右前方に見えてきた。左右1車線の道路でどこまでも真っ直ぐに伸びている。
俺はしめたと思い高速の出口から出てR66に向かった。子供の頃テレビで見た懐かしい
R66の標識が高い電柱にも張り付けられていた。いつしか走ってみようと思っていたが、
こんなに簡単に乗れるとは思ってもいなかった。幸い田舎の鄙びた道路のように見える
ので、急いでいる人は来ないし、有名な箇所でもないので忘れられた道路になっている。
俺は映画の場面を思い出し飛ばした。ここまでは夢のようである。少年の頃に見た数々
のシーンを思い出して更に飛ばした。気が付くとメーターが100マイル辺りを指していた。
100マイルは日本でいうと160km程度になる。どうりでエンジンが唸っているはずだ。
周りの景色も見ないで神風になっていた。俺は呆れた。一人旅はいつも自分自身を
客観的に見ることを忘れる。小一時間ほど走ったろうか、道路の幾層の坂の頂上に
バイクのハーレーの集団が見えてきた。20人ほどが隊列を組んで走ってくる。大柄な
人ばかりだ。髭、派手な革ジャン、皮ブーツ、そっつり返ってハンドルを握っている。
ハーレーの乗り方は同じようなスタイルをする。俺は先頭の親玉に窓を開けて親指を立て、
ハイウエー独特の仁義を切った。脅されるか、応答をしてくれるか、心配であった。
  アメリカの道路上でのルールは俺は分からないが、よその土地ではどんな集団でも
頭を低くして入ればいちゃもんはつかないだろうと考えたのである。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
















2015年12月21日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(どこに行くか)・・・新47

2015.12.21月 曇り 午前8:00
 モーテルに戻りどこに行くかを決めあぐねていた。体調は良好、夢はしぼんでいないので
良い発案ができた。近くにオールドR66がある。そこに乗って、日本人の誰も走ったことが
無い道路を走ろうと決めた。R66はシカゴからサンタモニカ海岸まで通じているが、有名
の箇所は誰でも知っている。無名の箇所を走ってみようと考えた。いつだったか、偶然に
シカゴの始点に行ったことがある。偶然にみたR66の始点は何の変哲もなかったが、俺の
心に深く刻まれていた。R66の終点までにいくつのか州を走り抜けるのだが、今回はテキサ
ス州の名もない一部の所に行ってみようと考えた。乗るまでに200KMはあるから、9時に
スタートすると、11時頃にはR66の上に立てるだろうと考え、エンジンキーを回した。
「ブルールーン」幸先が良いエンジン音が轟いた。市道から国道へ、そしてIN4へ乗り換え、
快適に走った。小さな町を横目に見て、森を見て、川を見て、大放牧地を突っ切り、ひたすら
オールドR66へ向かった。遠くに牛の群れやサイロが見える。テキサスの北部は牧畜業が
中心のようだ。牛がのんびりした動作で動く、草が強い風でなびいている。俺は疾風のごとく
IN4の入り口を後にした。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月19日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(超早朝の繁華街)・・・新46

2015.12.19土 晴れ 午前7:00
 しばらく載せないでいましたが元気です。載せない理由は他のことで早朝時間を費やして
いました。
 さて、アメリカでの早朝散歩を記していましたので続けます。町のメーンストリートを外れて
繁華街に入りました時の様相を記してみます。広い道路から中に二本ほど入った時の話です。
どうやらそこは夜の街のようでした。レストランやバー類などの店が犇めき合っていましたが、
昨夜の蝉噪が嘘のように静まっていました。飲食店から出た食べ物や飲み物の残骸が散ら
ばっていました。好奇心旺盛な俺はゴミ箱の酒のボトル類を覗き込みました。ウイスキー、
ワイン、バーボン等の空き瓶が散乱し、食べ残しの肉類も無残に捨てられています。ここは
アメリカ中西部の町ですが、食べ物の残骸を見るとなかなかの経済自力がありそうです。
夜の繁華街は世界中のどこでも同じような光景です。「バタン」と音がして一軒の店から黒人
の大男が出てきました。足元がふらついていますので、昨夜から飲んでいた男のようです。
目は虚ろ、口の周りは唾液がべったりです。俺に向かって「カモン」といいました。俺は聞かな
ないふりをしてその場を去りました。彼は大声で「カモーン」とまた言っていました。俺は笑顔
で手を挙げて立ち去ったのです。その大男はもっと大声で「カモーン」と言いました。なんだ
か昔見た映画の「シェーン」の場面のようでしたが、酔っぱらいバージョンと言える場面を
朝の散歩中に味わったという話になりました。笑笑笑
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月10日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(早朝暗闇散歩)・・・新45

2015.12.10木 曇り 午前7:10
 水戸弁で・・・午前6:00散歩に出た、霜が真っ白に月明りで輝いていたな・・・。
アメリカのダラスから800km離れた町に泊まり、早朝の散歩に出てみた。暗闇を1人で
歩いたら、向こうから大男が歩いてきた。目を凝らしよく見ると、黒人の大男である。俺は
気勢を制し「グッドモーニング」と元気良く朝の挨拶をした。相手も安心したのか元気良く
「・・・・・・・」と言ってくれた。未だ住宅街は眠っているようだが、朝のざわめきが徐々に聞こ
えてくる。但し、住宅街を歩いているので生活音しか聞こえてこない。アメリカでは中級の
住宅街のようだ。止まっている車や庭先が通常のものだ。アメリカの住宅には塀がないの
が普通である。住宅街といっても道路も広く、交差点を渡るのが大変である。アメリカの
交差点は日本と違うので四方八方を良く見て渡らなくてはならない。それに道路の渡る
距離が日本の2倍はゆうにあるのが普通である。約30分歩いだのでUターンをして
モーテルに戻る準備をしたが、同じ道では面白くないので、住宅街の二つブロックを
横切り、方向を見定めて戻り始めた。歩きながらアメリカ人の生活ぶりを観察するのが
楽しいのである。どうやら繁華街のようだから、その模様を次回に記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝

2015年11月30日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(更に西部へ)・・・新44

2015.11.30月 曇り 午前5:40
 水戸弁で・・・外はまだ暗れい、散歩にでられねーな、ブログでもやっぺ。
 西部の知らない町で朝を迎えたが、何時に出て、何時にどこに行くか、決めてない。
ぼんやりとした朝を迎えた。暗いうちの早朝散歩をしようと決めたので、準備を始めた。
運動着、運動靴、手袋、護身用具、防止、少量の水等を身に着けて外に出た。東の空が
赤みを帯びてきているが、・・・・・とりあえず終わり

2015年11月28日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(夜半)・・・新43

2015.11.28土 晴れ 午前7:50
 水戸弁で・・・お日様が出ていて気持ち良いから歩いで来たんだ、今夜は飲み会だっぺ。
 テキサスのダラスから700kmの地点で泊まったが、夜半に目が覚めて寝られなくなった。
冷たいベットの上で胡坐をかいて座った。そーっと電気を点け、テレビをつけた。南部訛りの
英語がテレビから流れてきたが、意味が分からないので消した。そうだ、どうせ寝られないな
ら、アメリカ西部の真夜中の音を聞いてみようかと思い立ち、電気を消して耳を澄ました。
外は風があるらしい、ロッキー麓の風音が聞けた。更に、鉄道音も聞こえてきた。線路と
車輪が擦りあう音のようだ。真夜中の静かな鉄道音は北から南へ抜けていった。
もっと耳を澄ますと秋の虫の音色が聞こえてきた。泊まっているモーテルの周辺は草原で
あるので虫が大量にいるようだ。テキサスの田舎の夜半は虫が制覇しているようだ。虫の
音色に耳を澄ますと、風の音も鉄道音も聞こえなくなってしまった。暫く虫のオーケストラを
楽しもうと考え、音色を聴いていると、センチメンタルになってしまったのか、またもや日本
を思い出してしまった。日本のことを思うとキリが無くなるので、今日の楽しい計画に
切り替え、眠りについた。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月26日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(月明り)・・・新42

2015.11.26木 雨 午前6:30
 水戸弁で・・・冷めてい雨が降ってんな、まだ外は暗いな、カーテンを開けても暗いよ。
 町はずれに向かって歩いたら、家の無い地域に出てしまった。弱弱しい街灯が頑張って
辺りを照らしていた。ときおり家畜の雄叫びが聞こえてくる。暗闇の中に田舎の一本道は
消えていく。目を凝らしてずーっと先を見たが、何も目玉に入ってこない。思わず立ち止まり
更に先を見ようと目を凝らす。何も見えない暗闇を睨んで立ちすくんだ。暗闇に危険
が待ち受けているように思えたのである。思わず、後ろを振り返ると誰もいないが、背筋が
寒くなり、このへんで引き返そうと思った。街の明かりまで数百メートルもあった。乾いた
道路と秋の月が俺の足元を保護してくれている。乾いた道路と月明りが有難く感じた夜で
あった。無事に町に入り、古びたかび臭いアメリカの飯屋で、先ほどの見えない道は
どこまで行くのかなと考えながら、寒々と夕食を摂った月明りの晩であった。夕食を終え、
モーテルの部屋で、淋しく首をうなだれて食後の晩酌をやりながら、日本の故郷を思い出
してしまった。明日は明るい日にしようと考えながらいつしか寝てしまったのであった。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月23日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(知らない町の夜)・・・新41

2015.11.23月 雨 午前7:00
 水戸弁で・・・今日雨だー、氷雨が田んぼや畑に冷たい水を飲ませていんだ。
 俺は知らない町で夕食を探している。食欲が増すような肉汁の匂いが街角に澱んで
いた。レストランを窓越しに除いてみた。幾人かの人々がテーブルについて夕食を
楽しんでいる、。スーツ姿やカーボーイ姿、寛いだアメリカ人が見受けられた。俺は
中に入らないで通り過ぎた。次に見たものはコンビニで食事をしているグループで
あった。中に入ると、日本と同じような形であったが、違う部分は商品が盛りだくさん
である。食品、衣料品、生活器具、車両器具等を揃えた小型のスーパーと言っても
良いほどの店の広さである。小型のテーブルが置いてあり、そこで簡単な食事ができ
る。食べているアメリカ人は忙しいようなひとであった。一通り眺めて店を出た。
 腹が空いてきたので、そろそろ妥協しなくてはならないと思いながら決めた。一番
貧弱なところで食べてみようと決めた。町はずれのレストランンを歩いて探した。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月19日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(やっとモーテルに)・・・新40

2015.11.19木 雨 午前6:40
 水戸弁で・・・雨が降るので朝の運動を二日休んでいるべ、おもしくねーな。
 夕方になって辺りが暗くなってきた。俺は焦って宿探しを始めた。超田舎のモーテル
はあったが、あまりにも不自然な車が止まっていたので止めた。次に、男女のモーテル
が専門のようなところも止めた。高そうなところも止めて、やっと健康的なモーテルが
見つかり、車を入れた。カウンターに行って、メキシコ女性に泊まれるかを聞くと、ある
と言われたので、パスポートとカードを出して部屋を取った。とても大きいモーテルで
自分の部屋に行くのが車で行くような所でした。俺はイライラしながら部屋をさがした。
ツキの悪い時はそれが続くものである。部屋は三階であり、重い旅行バッグを担ぎ上
げヒーヒー言いながら昇った。部屋はマーマーであり、綺麗なシーツとベッドが心地良
い眠りを約束してくれているようである。夕食は外に食べに行こう思い外に出た。
田舎の町は独特な雰囲気を醸し出している。コンビニや食堂類が立ち並ぶストリート
をぶらぶらして俺の餌を探し始めた。町にはカーボーイハットの紳士や地元レディが
夕方のデートを楽しんでいるようだ。肉を焼く匂いが届いてきたので、そっちに向かう。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月17日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(名も知れないところ)・・・新39

2015.11.17火 曇天 午前7:00
 水戸弁で・・・朝靄で何も見えねー田圃と山間を歩いてきたが早朝思考は出ねなー。
とにかく北西に車を走らせた。アビリーンとかいう町を通り、田舎ハイウエーを通り、
オールド66を目指して走った。遠くに家畜のサイロが見えてきた。町は近いなと思い
ながら夜と昼の間の時間を走っている。丁度昼頃にビリーザキッドが死んだ町を通過
したが、記念館や墓を訪れないで走った。今でも記憶が鮮明に残っている十字路を右
に曲がり、線路下のガードをくぐり、直ぐに左に曲がると、後は一直線に進めば、IN
44号線に乗れるはづであるが、そのIN44号線まで400kmほどあるのだ。俺はハ~
と溜息をつきながら向かった。俺が今走っている、このテキサスの北西部は集中豪雨
に昨夜前から見舞われた地域であった。大きな水溜りが所々に出来ていたが、道路は
冠水していなかったので、フルスピードで走ることができた。今走っている草原や荒れ地
は自然そのままである。開拓や牧場の址は微塵も見受けられなかった。1時間で出会った
車は一二台である。緊張感が全くない道路を3時間ほど120kmで走った。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月13日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(どこに行くか)・・・新38

2015.11.13金 晴 午前7:00
 ダラスのモーテルでユッタリ朝食を楽しんだ。パンを食べ、野菜を食べ、肉も食べた。
いつもの安モーテルではこうはいかない。パンがあれば良い方で、無いのが当たり前
のモーテル泊りが普通である。朝食時のユッタリは何ものにも代えられない。そんな
わけでモーテルを出るのが遅くなり、ガラガラの駐車場を出た。西へ向かえばニューメ
キシコ、北西に向かえばR66のオールドハイウエイーに乗れる。ニューメキシコから
サンディエゴに行くか、R66を味わいながらサンタモニカに出るか、一寸悩んだが
R66を味わうことにした。目指すはIN40号線だ、進路を北西に決めた。昔の映画で
見たビリーザキッドの墓を見られるかもしれない。大草原を一日で突っ切り、サンタフェ
方面に向かった。暫く人家の無いところを走った。夕方になり遠くに人家が見えてきた
のでホッとした。草原の向こうに塔が立っているのが微かに見えてきた。美味しい
温かい食事とスープが頭をよぎった。明日はアメリカの田舎町に泊まったを記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月11日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(一流モーテルの朝食風景)・・・新37

2015.11.11水 快晴 午前7:00
 水戸弁で・・・今朝の散歩はいがった、誰もはつらつと歩いていたな、天気のせいだっぺ。
 ダラス空港の早朝の風景を見てきた後は朝食場所に行った。スーツを着たビジネスマン
らしきジェントルマンや良家のご子息や奥様方で一杯だった。俺は誰にこだわらずでもなく
笑顔を振りまいた。「グッドモーニング」いかにも東洋アメリカ人らしく周りに挨拶をした。
ジュース類ふんだん、果物類ふんだん、ハムソーセージ類ふんだん、生野菜ふんだん、
パン類ふんだん、その他食材ふんだん、であった。東洋人よりアメリカ人は朝食を楽しむ
のか、でかい体に必要な栄養をとらねばならないのか、どちらか分からないが、俺は欲張
りなほど取って食べ物に嚙り付いた。周りのアメリカ人の皿を密かに見た。一番体の小さい
俺の皿が大盛りででかいアメリカ人の皿が小盛や中盛である。俺は体が熱くなるのを感じ
た。腹空かした乞食のように欲張って皿に盛ったのだ。気のせいか俺をジロジロ見ている
目線を感じたので、日本人は・・・欲も、食欲も旺盛なのだと言わんばかりに、パクパク
食べてやった。俺の腹は超満杯となり、コーヒーも入らないほどの胃袋を抱えて、食堂を
早々にでる羽目になった。思うに、アメリカ人の朝食はでかい体を動かすための食事で
あり、日本人の朝食はその日のスタートを切るための食事だと思った。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月8日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大空港)・・・新36

2015.11.8日 ☁ 午前7:00
 ダラス空港は広すぎてどこに行って良いか分からなくなった。車は流れに沿って走って
いるので急に方向変更や停止は危険なのだ。俺は流れに沿って行くところまで行った。
そうしたら、車は送迎所の前の駐車場に停められた。そこは裏口にあたるところで空いて
いたので、無断駐車をして近くを散策をした。ハーツレンタカーやダラーのカウンターが
あった。ロビーを奥に進み、ダラスの町の案内所のあるところまで進んだ。ここまでで感じ
たのは、日本の二倍以上の広さと重量感が全てにある飛行場である。朝方の飛行場は
周りが忙しく見えて、早々にホテルに戻ろうと考えた。帰り道で飛び立つ飛行機を見た。
滑走路が数本ほどあるらしく数機の飛行機がクロスするように飛び立って行く。日本だと
一定方向にだけ飛び立ったり、着陸していく風景だが、ダラス飛行場は豪快で爽快感を
味わえる飛行場であった。広ーい原っぱの中にある飛行場だが、一つの町の感があっ
た。帰りにガソリンを入れようとしてコンビ二に寄ったところ、黒人の店員が出てきて、
外国カードは50ドルまでと言われ、俺はしぶしぶいうことを聞いて油を入れた。そこは
下町そのものの所であった。給油後に空を見上げると、大型飛行機がグングン青空に
上がっていった。あの飛行機が抱いている油の量と俺の車の油の量を比較したら、
笑いたくなった。ドラム缶とお猪口一杯の量ほどに差がある出来事でした。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月7日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ダラス空港)・・・新34

2015.11.7土 晴 午前7:10
 その日は高級モーテルのマリオットに泊まった。選んで泊まったわけではなく、探しても
無いのでそうなった。昼食付きで一部屋120ドルだったと記憶をしている。部屋が綺麗で
バスタオルもぺっとボトルも二人分ついていた。俺は相変わらず食料と酒を部屋に持ち込
んで夕食を取ったが、買いに行くのが面倒なので、車にあったあまりものを食べた。ブログ
を記しているうちに眠くなったので、いつの間にか寝てしまった。午前4時半に起きてしまい
今日はどこに行こうか考えた。有名公園か有名施設を考えていたが、大空港のフォート
ワースの空港機能を見学しようと思い立った。方向感覚と獣感覚と太陽を頼りに行ってみ
ようと計画を立てた。先ず、地図を見てフォートワースの位置を定め、モーテルからの距離
を計り、現在の太陽の位置を定め、太陽が移動する空のラインを想定し、太陽を中心とし
て目的地に向かうのである。空港まで60kmと分かり、その所要時間は約1時間と計算
した。往復2時間で見学1時間であるから、朝食の締め切りまでに帰れる。午前5:00
に出発をしたが、無事に帰えれるか否か絶えず不安が付きまとったドライブとなった。
とにかくアメリカの車は早い、慣れた道だからそうなるのだろうが、そのスピードに慣れる
までが危険なのだ。俺はそろりそろりとアクセルを踏んで一般道に出た。誰も頼れない、
自分だけが頼りだ、という大陸横断精神を奮い起こし、一般道から高速に出た。市街地か
ら西の方にダラスフォートワース空港がある。太陽を左窓に見ながら、そこに向かった。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月6日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(暗殺場所で)・・・新34

2015.11.6金 快晴 午前6:50
 その場所に立った。俺はケネディと夫人が乗ったオープンカーでの惨劇を忘れもしない。
ケネディがのけ反り、ジャクリーンがオープンカーの後部座敷で膝をついてオロオロして
いた光景を思い出した。そして、その後にオズワルドが護送される瞬間、至近距離から
射殺された光景までを思い出していた。その当時少年だった俺は、世界は崩れていくの
は当然と考えた。それから、50年の現地では多くの観光客が、憂いの表情で眺めている
人やにこやかに観光を楽しんでいる人々で一杯だった。俺は教科書倉庫からヘヤピン
カーブまで歩いてみた。80mくらいので距離であった。銃を扱った人間ならば余裕のある
射程内である。考えられない惨事が大陸では起こるのだということを実感した瞬間であった。
俺は周りをそーっと見回した。どうやら、何事も起こらない空気が漂っている。安心をして
更に周りを観察した。道路の真ん中辺りに三個の赤マークが埋め込まれていた。それは
ケネディが被弾した場所のようである。その赤いマークが私の脳裏に刻まれてしまった。
俺はそれをいつの瞬間でも思い出せる光景となっている。次回はダラスフォートワース
空港に行ってみたを記します。
                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月2日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(その場所に到達)・・・新33

2015.11.2月 雨 午前7:20
 水戸弁・・・カッパ着て雨中散歩を4km楽しんだよ、東が明るくなる時間も楽しんだ。
 一路ダラスのテキサス教科書倉庫を目指して車を進めた。街を抜け、時には場所を
尋ねて進んだ。あったので駐車場を見つけるために、周囲を一巡して、駐車場に車を
停めた。一時間2ドルの私営駐車場である。車を停めて、ぞろぞろ観光客が歩くほう
へ歩いた。3分でテキサス教科書倉庫の見えるところに記念碑が立っている。俺は
ケネディが射殺された時からの過ぎ去った年月を数えてしまった。正確に計算すると
51年が経っていた。よもや、その場面に立てると考えたことはなかったが、巡り合わ
せにより、この地点に立てた。アメリカ横断、縦断、V字横断、太平洋側縦断、大西洋
側縦断等を繰り返しやっていたおかげである。考えてみると俺の冒険心は小さい、
それも私的冒険心であった。社会の為になる冒険心でない。様々な反省心を抱きな
がら、前進をした。そして、記念碑の前に立った。右横にテキサス教科書倉庫、
そのやや右前方にヘヤピンカーブ、ヘヤピンカーブの中間でケネディが撃たれた
地点を見つけた。数十年ぶりで俺の16歳の時の驚きに出会った。鳥肌が立った。
俺は静止して、その場所を数分睨んでいる。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月1日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(教科書倉庫)・・・新32

2015.11.1日 快晴 午前6:40
  中国出張とアメリカ客との商談で忙しく、自宅に戻ったのは昨日だったが疲れはない。
さて、ダラスまで100kmと近くなり、俺はリラックスして運転をしていた。周囲の景色の
木や草を眺め、時には空に目を移しアメリカらしい大きな鳥を眺めた。ハンドルから手を
上に伸ばせば、その手が真っ青に染まるような青空をフロントガラスから楽しんだ。時折、
戦闘機が無言で白いジェッツ雲を出しながら上空を横切っている。そのようなダラスへの
平和な道のりでのあった。
  俺は道路に陽炎がいくつも立ち、大竜巻の子供が真茶色の小竜巻を数個誕生させよう
としているように見える場面を見ながら、大平原の中を突っ走してダラスに向かっている。
目指すは、ケネデイ大統領とジャクリーヌ夫人が乗った車を待ち伏せたテキサス教科書
倉庫の建物である。遠くに高層ビル群が一粒の点から長方形が林立する形になって見え
てきた。ダラスは大きな町だと聞いているので、どこから侵入するか悩んだが、IN20号線
を西に向かって走ってきたのは間違いでなかった。もうすぐだ、ケネデイに挨拶ができる、
あれから50年が経った。ダラスまで50kmの地点を過ぎる。まるで級友に会えるような
感覚でウキウキして前に進んだ。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝 

2015年10月23日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ダラスへ)・・・新31

2015.10.23金 ☁ 午前7:00
 ニューオリンズの深夜を運よく切り抜けハッピーな気分でダラスに向かった。IN55号線
からジャクソンでIN20号線に乗り換え、ダラスまでまっしぐらに行けることになっている。
俺はIN55号線を気分良く走った。ミシシッピーを眺めながら跨ぎり、草木地帯をビュン
ビュン警官を注意しながら飛ばした。アメリカハイウエーでは殆どスピード違反で走って
いるが、いまだに警官のお世話になったことはない。55号線を200kmほど走ると、
ダラスに向かう道路に分かれる。子供の頃に見た映画場面に相応しい地点を数十回
ほど過ぎた頃、ダラスに向かう分岐点に達した。まるで人生の分かれ道のようなスケー
ルの大きい交差点である。アメリカの運転で難しいのは、すごいスピードで走りながら
方向を移動する運転である。だから常に行く先の方角を頭にインプットしておかなけ
ればならない。咄嗟の方向転換は一番危険であると思っている。何故なら、アメリカ人
の運転気質と日本人の運転気質は違うのだ。島国の狭いところを走る日本人、途轍も
無く広い大陸を走る大陸人とは、根本的に運転感情が違う俺は思っている。いよいよ、
ダラスまで600kmを残す地点に入った。ダラスではケネディ大統領が暗殺された
地転に向かおうと思った。俺の16歳の時に、ダラスの町のヘアピーンカーブのところで
暗殺されたことを思い出したのである。先人に敬意を表しなくてはならないのだ。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月18日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(危険と対峙中)・・・新30

2015.10.18日 快晴 午前7:00
 午前2:00過ぎ、その捕り物劇は開始した。俺は一部始終をカーテンの隙間から眺める
ことができた。先ず、パトカーが一台二台と押し寄せ、合計8台が犯人たちを取り囲んだ。
黒人4名を別々にパトカーの屋根に手を載せさせて、各々に一人づつの警官が拳銃を向け、
もう一人の警官が身体をま探っている。それは靴を脱がさせズボンの折り目から、
帽子の隅々まで検査をしていた。残る警官は隣の駐車場の空き地に何か証拠物が捨てら
れていないか、懐中電灯をつけて地面を横一列に検証していた。犯人たちに追われていた
参考人もパトカーの後部座席で警官から事情聴取されている。参考人の参考人も別の警官
から事情を聴かれている。午前2時、3時と時間が過ぎていく。俺はカーテンの隙間から
飽きずにその捕り物劇を観察した。ニューオリンズのパトカーには、後部座席に檻がついて
いた。犯人たちは各々手錠をかけられ、パトカーの後部座席の檻に押し込まれている。
 事情聴取や証拠物の収集とか、警官が手際よく犯人たちを檻に入れ、捕り物劇が終了
した。その開始から終了まで2時間はかかったようだった。犯人たち4人はパトカーの
後ろの檻で喚いていたが、そのうちおとなしくなり、パトカーに連れ去られた。
 思うに、深夜のモーテルのドアを叩く音で、俺はドアを本能的に開けてしまったが、
アメリカでの間違った動作であった。アメリカでは絶対に、相手を確認してからでないと
ドアを開けてはいけないのだ。運が良かったというほかない出来事であった。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月15日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(危険にあった)・・・新29

2015.10.15木 快晴 午前6:50
 大変な長い旅行をしていると、時には危険な目に会うことがある。俺もニューオリンズの
町はずれの安モーテルに泊まっていた時であった。深夜3時ころに突然ドアを激しく叩く
音がした。咄嗟の時に敏捷な動きをする俺は、日本にいるつもりでドアを開けてしまった。
大柄の黒人が俺を見て、違うというようなことを喚きながら、次々にドアを叩いて部屋を
開けさせている。俺は日本の自宅にいるつもりでドアを開けってしまったのである。真黒
な若者であり、一人でなく仲間が数人いた。拳銃を突き付けられたら、俺は持ち金全部を
奪われてしまったであろう。金だけなら良いが、命まで取られたかもしれない。部屋数が
100室以上あるモーテルでの出来事であった。黒人達は傍若無人な態度で、部屋を開け
させている。開けない部屋では、イラついた態度でドアを叩きながら、誰かを探していた。
二階の通路から、下に小便もする始末である。全く手が付けられない態度で、喚いて
深夜の泊り客の緊張感を高めている。誰も止めには入れない暴れ方である。俺は
アメリカバイオレンス映画を見ているような気分になった。幸いに被害の無い俺は、ドア
横のカーテンを少し開けて、暗闇の部屋からその場面を観察する良いチャンスと思い、
一部始終を見られることになり、半分ワクワクしながら観察を始めた。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月13日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(南国の夜に気が付いた)・・・新28

2015.10.13火 ☀ 午前5:10
 水戸弁で・・・外は暗いな、所在なくキーを打つも、まとまんねなー、出るか否かだ。
ニューオリンズの危険なストリートを歩くうちに、警察官の吊るしてある小道具の異変に
気づいた。それは右腰に拳銃と左腰に電気銃が吊り下がり、手錠は二丁、その他のプロ
テクターが鎧兜のように警官の体に連なっていた。まるでロボコップであり、スキのない
攻めるに躊躇する形をした警官の姿であった。その警官が20mおきに立ち、刺すような
鋭い目で通行人を観察している。俺は何食わぬ顔をして、その警官を観察しながら、
危険なストリートを歩き、ニューオリンズの夜を楽しんで散歩した。メキシコ湾を望んで
いる地帯の夜の熱気は、朝方まで冷めそうになかった。
 俺は歩き続けるうちに、へとへとになる一歩前で、俺は何をやっているのだろうかと、
考えてしまった。日本から1万kmも離れているニューオリンズの夜更けと朝方を彷徨
っているのだ。多大な費用と時間をかけて、何かを求めて歩いているのだ。それは何か
を求める旅か、何かを忘れる旅か、双方が混在していて分からなくなってしまった旅に
なってしまっている。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月11日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(危ないストリートの奥)・・・新27

2015.10.11日 ☔ 午前7:20
俺は危ないものに興味があるのかもしれません。ニューオリンズ最大の危ないストリート
を奥へ奥へ進んだ。客引きのカリブ系のアメリカ女やアフリカ系アメリカ女が手ぐすねを
引いて待っていた。幅5mくらいの小道を進んで奥に入ると、凄まじいカリブ系音楽や
アフリカ系音楽が大音響で流れていた。パブ系やレストラン系の店の前に女が並んで
客引きをやっているのだ。俺は二十歳代に新宿歌舞伎町一番街でアルバイトをやって
いたので蝉噪や暗い景色は見慣れているから、そうは驚かない心臓を持っているが、
ニューオリンズ最大の危ないストリートは、いやでも緊張感を抱いてしまった。女は裸に
近い衣装で強引に客引きをやっている。「ヘイー.ユウー.カモン」という呼び込みの声
があちこちから聞こえてきた。俺は女と目が合っても、シカとして悠々とストリートを歩い
た。奇妙に彼女たちと価値観を共有できた雰囲気になった。なぜだろと考えてたら、
一生懸命に過酷な心理で生きているところであった。俺は何事でも、流れに乗って
一生懸命にやる、ということに共感を持ったのかなーと思った。ストリートを白人の
一団が酔って大騒ぎをしてこちらに向かってきた。白人の一団と有色アメリカの一団が
一緒になって大騒ぎをしていた。とにかく酔っての大騒ぎだが、それを冷ややかに見て
いる一団は皆無であった。そんなふざけ方がアメリカ的で俺も一緒に大騒ぎをしたく
なった。明日は危ないストリートの警察官の様相を記します。
                  アメリカ・中大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月10日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューオリンズだ~)・・・新26

2015.10.10土 快晴 午前7:40
 水戸弁で・・・俺は朝の運動から帰ったど~。
 川草の合間からビル群が見えてきた。ビルはどんどん高くなり、町の匂いもしてきたよう
に感じた。太陽は相変わらず中天にあり、暑さと湿気を非常に感じる。数年前に巨大な
台風で全滅に近い被害を受けた町がニューオリンズであった。車は郊外から町の中心に
進んだ。窓を開けたら、ジャズとジャズがぶつかり合い、独特の賑やかさを醸し出している
町と感じた。通りを行く人は、先祖をカリブ諸国やアフリカ諸国に持つ人が多いようだ。俺
は通りを一本入り、駐車場を探した。通りを一本入ると、オフィス街で駐車場も多くあり、
楽に駐車できた。車を置いてメーンストリートに出ると、そこは大半が白人と黒人で、黄色
人は見かけなかった。そういう意味で、ジロジロと見られているような気がするが、気にな
るほどではない。町中にジャズが流れている町がニューオリンズである。音楽に詳しくない
俺でも知っている曲が流れていた。メーンストリートからこの町最大の歓楽街に入った。
子供の楽団がジャズを賑やかに奏でていた。チップを受ける器が置いてあり、中を見ると
少額のドル札がたくさん入っていた。活動費に充てているらしい、資金の集め方がアメリカ
的であった。寄付集めのようだが、日本みたいに悲壮感がないので、寄付する人も気楽の
ようだ。このストリートには警官が10mおきに立っていた。その意味は危険だからであり、
なんでもありのストリートのようだが、何でもありでも、それなりのルールがあるようだ。
俺はそのストリートを地元民のような顔をしてさらに奥に進んで行った。
 奥の奥に何があったか、次掲載へ
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
安心できる星条旗








2015年10月8日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューオリンズへ)・・・新25

2015.10.8木 ☀ 午前7:00
 水戸弁で・・・早くも木枯らしが吹いだような朝だっぺ、俺は気持ちよく歩いだよ。
キーウエストを朝に出て、ニューオリンズに向かった。メキシコ湾沿いのIN75号線から
IN10号に変わり、ニューオリンズにひたすら向けて走った。湿地地帯の中の高速を
走った。オーランド~タンパを抜けてニューオリンズ迄の約800kmを走った。途中の
食事は高速沿いにあるマックのようなもので済ませ、ひたすら走った。車内のお音楽
は耳に入らなかった。理由はあまりにも周りの景色に見とれていたからであった。
乾燥地から湿地地帯に景色が変わっていった。湿地帯の川は真茶色で、日本の
ような綺麗な川は無かった。ワニが出そうな川であったり、大魚が我物顔で泳いだり
していそうな川をいくつも跨ぎ、湿地帯を車は船のような感じで進んだ。遠くに高層
ビル群が微かに見えてきた、小さな点から徐々に湿地地帯の遠くの垂直線になって
きた。空には大きな雲がゆっくり流れ、太陽が嫌おうなしに照らし、湿地地帯の
水や水草に巨大なエネルギーを与え、そこに住む人々には虐待というほどの熱の
エネルギーを放射し続ける地が、メキシコ湾を望む地のニューオリンズであると
考えた。いよいよその町に入ることになる。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月6日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューオリンズ迄)・・・新24

2015.10.6火 ☀ 午前7:00
 水戸弁で・・・朝の4km散歩から帰ったよ、窓から見える朝日が生き生きとしている。
 俺はキーウエストで一泊した、夕陽の見学から帰る途中で冷たいビールを買って、
部屋で飲んだ。1人酔ってベッドに転がり込んだまま、朝を迎えてしまったので、南国の
夜の散歩ができなかったので、昨夜のことは記することができません。そこで、朝の
様子を記します。起床したのは午前6時でしたが、昨夜の駐車していた車は殆ど旅だち
したようである。広い駐車場に止まっていた車は、ほとんどなくなってしまっていた。
モーテルの通路側のデッキに立って、下を見下ろしたが、車は無いので特に面白く
なく、高くそびえたつヤシの木を仰いだ。ヤシの木の天辺が南国の青空に映えた。
ヤシの木はどうして高いのかなと考えながら俺は、外の空気を腹いっぱい吸った。
 旨い、旨い、独り言を言いながら、遠くの海に目をやった。カリブ海独特の匂いが
肺に入ってくる。ここはアメリカ南部のキーウエストであり、日本人の俺がカリブ海を
望み、キューバまで300km位の位置にいられる。次はニューオリンズに向かおう
と考え、気持ちは早くも次の町へ向かった。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 

2015年10月5日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(超多忙)・・・新23

2015.10.5月 快晴 午後7:30
 水戸弁で・・・しばらく超多忙でブログを書けませんでした、大変すんませんね、
フロリダのキ-ウエストの岸壁に佇んで落日を1人で楽しんだ。周りはアメリカ人だけ、
沖を数艘のヨットが夕陽を追うように北から南へ移動していた。夕陽を追っての船旅を
仲間や家族で楽しんでいるようだった、丁度、夕陽とヨットが交差してヨットの帆を照ら
していた。俺は腕を組んで太陽を睨んだ、今から50年前のヘミングウエーが見た夕陽
を睨んでいる。睨んでいる理由は、アメリカV字横断中であり、最終地のサンフランシス
コまであと10日の旅を残しているのであるからである。ニューヨーク、ワシントン、オーラ
ンド、フロリダを通過し、ダラスを経てロスに向かう途中だからであった。太陽の頭だけが
残り、夕陽は風前の灯である。岸壁にいる俺は背伸びをして夕陽の入りを惜しんだ。
沖の水平線のギザギザの波の上に太陽の頭を残した夕日は、「明日も会おう」とでも
言うように、波の波間に入っていった。辺りが暗くなった途端、今日の太陽を最後に
見れたのは俺だと言う人の声が背後から聞こえた。後ろを見上げると、岸壁のホテル
の3階から大声を出していたのは、アメリカ人の白人であった。周りからやんやの拍手
が鳴った。「さよーなら、夕陽よ」と言って、俺はその場を後にした。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝





2015年9月23日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(廉くして)・・・新22

2015.9.23水 晴れ 午後6:00
 水戸弁で・・・俺が畑に掘っている井戸が三日目に出たっぺ、真水が地下16mから滾々
と出てきたっぺ、井戸掘り屋が三日目に当てた水脈だ。自分自身で掘った初めての地下
水だ。今夜はその水で焼酎を割って乾杯をやっぺだねーか。
 アメリカ最南端のキーウエストのモーテルに泊まろうとしたが、高い泊り代を言われたの
で、思わず「高ーい」と言ってしまい、日本語で「まけろー」と言ってしまった。アメリカ人の
受付係は、「ワット」と言ったようなので、俺は慌てて「チープ・プリーズ」と叫んだ。アメリカ
人は「オーケー、150ドル」と言ったので宿泊することにした。アメリカでも有名なキーウエ
ストの町で泊り代をまけろと言う羽目になったが、容易くまけてくれたので、気を良くして
泊まることにした。高級モーテルなので洒落たプールが付いていたので、覗いたら5組の
アメリカヤングがキャキャと騒いで泳いでいた。その頭上に高かーいヤシの木が南
風に当てられて撓り、南国ムードを高めていた。部屋に入らず夕食の準備にハンドルを
握った。太陽が入るまでにまだ時間があったが、島の南へ南へ向かったところ、夕日の
沈む時間まで30分あることが分かったので、夕日がおがめる最良の地を選び、車を停
めて徒歩で最良のポイントに着いた。夕日は水平線から1mのところに落ちていた。
 俺は最南端の岸壁の上に立ち、いっぱしの東洋アメリカ人を気取り、アメリカ人のロマン
の熱気を浴びて、沈もうとする太陽を睨んだ。そーっと周りを観察し始めた。面白い風景
を見ることができた。それは明日に記す。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
メキシコ湾のレッドスナッパー(赤魚)

2015年9月19日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(キーウエストの町)・・・新21

2015.9.19土 ☁ 午前7:00
 キーウエストの町に難なく入れたのは、一本道のお蔭であった。町が遠くに最初に見えた
時は、町そのものが海の上に浮かんで見えた。近づくにしたがって感じたのは、蜃気楼で
見えるような感じであった。更に近くなると、海が遠のき、この世の町には見えず、海に
作った人口の町に見えたが、実はそうではなく、自然にできた人間が岩礁に住ませてもら
っているような所であった。南の植物がふんだんに生息し、空は青く、空気は塩分を含ん
だ南の島そのものである。それでもアメリカらしく豪華なヨットやクルザーが所々の浜に
係留され、主人の上船を待ち遠しく待っているようである。南の浜風に係留されたヨットの
ロープがピチンピチンと船体を打っている。まるで競争前の馬がパドックから今にも飛び
だしそうな雰囲気を感じた。街行く人の足はサンダルで靴を厳めしく履いている足は無か
った。カラフルなシャッツを着て、幅広い側道を闊歩しているアメリカ人は陽気そのもの
に見えた。アメリカ風情を横目に見て、車を一軒のモーテルに入れたが、どう見ても旅用
のモーテルでなく、観光用のモーテルである。夕方であったので、フロントが混んでいたの
で値段表を何気なく見たら、200ドル~と表示されている。驚きびっくり桃の助の日本人に
なった俺は、恐怖の声で「200ドル」と叫んでしまった。幸い日本語で言ったので、フロント
に気づかれずに終わったが、戻ろうか、部屋を取ろうか、迷ったが俺の受付の番がきて
しまった。ここ一番に発した言葉は次の言葉であった。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年9月13日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(一路最南端へ)・・・新20

2015.9.14日 晴れ 午前6:50
 ハイウエーを南へ、南へ走ったが、どこまでも水ブッシュの湿った道路を走った。やっと、海
の上を走る道路に出た。キーウエストという島は東西5.5km、なんぽく2.5kmという島だ。
そこまで行くと、フロリダよりハバナに近いところである。昔は軍事上の島であったようだが、
今はリゾートの島となっている。物事にこだわらないアメリカ人の大好きな地でもある。
 老人と海、武器よさらば、誰がために鐘は鳴る等のヘミングウエーが住んでいたことでも
有名である。葉巻をもって犬を連れ、大きめのTシャッツを着て闊歩したい島であるので、
そこにひたすら向かっているのだ。こんな道路が地球上にあるのかと思いながら、海の上に
浮かぶ町を目指して走った。不思議な気持ちで走った。大海原の中に浮かぶ道路を周りの
礁を見ながら走った。道路幅は数メートルのところもあれば、数十メートルのところもあり、
何とも不思議な光景であった。空の青さに負けない紺碧の海面、ところどころのビーチは
真っ白な砂地、その横を昔の鉄道跡が走っていた。子供の頃の映画で見た場面を思いだ
しながら、南へ南へ走った。いい加減海の景色が飽きてきたころ、遠くの海に浮かぶ町が
見えてきた。やった、夢にまで見たキーウエストであり、キューバも近い距離である。
  今夜の宿探しに頭がいったので、モーテルの看板探しが始まった。次はキーウエストの
庶民生活とレジャーの様相を記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年9月11日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(最南端に向かう)・・・新19

2015.9.12金 台風行く 午前7:00
 俺はオーランドのモーテルを心地良く出て、アメリカ最南端のキーウエストに向かった。
エンジン快調、窓を少し開けてフロリダの海風を取り入れ、IN95を南西に走った。途中の
景色は、抹茶色の沼や河と南国の植物が混ざった景色である。突然鰐が出そうな景色で
ある。そこを抜けると、湿原が果てしなくあった。人間ほどの身の丈の分からない大草が
伸びていた。よく見ると、その大草は水の上に生えていた。既に、モーテルを出て数時間
は経っているが、景色はあまり変わらない。アメリカは広い、地の果てまで走らないと景色
は変わらないようだ。日本は数時間で太平洋と日本海を拝めるが、アメリカは違う。大西洋
と太平洋を拝むのに、経験では10日かかった。朝に出て、昼を高速の上でいただき、夕日
が去りゆくまで走って,まだフロリダを抜けないのだ。そんなわけで、俺はやっと午後の三時
頃に、海の上を走るキーウエスト行きのハイウエーに乗れたのであった。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
カリブ海の色

2015年9月5日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(フロリダの素晴らしい朝)・・・新18

2015.9.10木 時々晴 午前6:40
 台風が来て日本列島は水の災害が起きている。幸い私は海抜20mにいるので被害なし。
時は3月下旬、アメリカの最南端に向かう途中であった。フロリダオーランドの朝の空は
群青色で私を迎えてくれた。窓から見える空と町並みは大変素晴らしく、ヤシの木が微風に
そよぎ、朝の太陽は優しく輝き、抜けるような青空も周りの景色と足並みを揃えてくれていた。
 ベッドから潔く離れ、朝の洗面を終わらせ、もう一度、アメリカ南国の景色を窓から再確認
をしたくなり、覗き込んだ。満足だった、アメリカフロリダの景色を予想してきたが、その通り
であった。太陽が大西洋の海から上り、カリブ海の風も同時に運んできている。潮の匂いが
した。太平洋の海岸育ちの俺は、潮の匂いに敏感である。太平洋と大西洋とカリブ海の匂い
が、どう違うかも感じたかった旅でもあるので、クンクンンと犬みたいに鼻を鳴らして海の匂い
を嗅いだ。大平洋の匂いは果てしない匂い、大西洋の匂いは夢と希望の匂い、カリブ海の
匂いは冒険とロマンの匂いであると思った。そのような詩人的な思いは、いつまでも続かな
く、今日のスケジュールが頭に浮かんできてしまった。今日はオーランドを離れて、キーウエ
ストに向かうのだ。約300km先でアメリカの最南端で夕日を拝みたくなった。今日は素晴ら
しい朝日を拝み、夕日を見送る旅が出来そうだ。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年9月3日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(分離飲食)・・・新17

2015.9.3木 ☁午前6:30
 俺はレストランで食べて、外に出て車の中でビールを飲んでの繰り返しを一二回くり
かえしたら、途中で馬鹿らしくなったり、ビールを飲みたくなくなったりして、それを止め
てしまった。腹も一杯なり、ビールも慌ただしく飲んだので、酔っぱらってしまい、自分
自身が呆れてしまったのであった。レジで感情を済ませて外に出た。大きな窓なので
中が見えたが、同じようなことをやっている人がいるかなと思い、観察をしたがいなか
った。やはり、この方法は日本人でも考え付かないだろうなと思い、一人得意がった。
何を言いたいかというと、どんな国、どんな場所でも臨機応変、工夫、必ずゲット、
目的達成できた喜びを得たことである。何と馬鹿らしい物語でした。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年9月1日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ビールは車の中、料理はレストラン内)・・・新16

2015.9.1火 ☁ 午前6:10
 料理はレストラン内でビールは駐車場の車の中でやる、という食しかたを初めて経験した。
先ず、アメリカにはアルコールは売ってないレストランが数多くあります。日本人みたいに
晩酌等が習慣としてあまりないようです。但し、アルコールのあるレストランは高級のよう
です。俺がアメリカで多く行ったレストランは殆どアルコールを売っていませんでした。
それだけ中級以下のレストランが多かったというわけです。数少ないが高級レストランに
は数度は行っていますが、どちらか言うと、俺は高級が似合わないのです。そんなことで
オーランドのレストランは、中級以下の食べ放題のレストランに入りました。当然にアル
コールは売っていませんが、中華料理と寿司の食べ放題ですから、俺の胃袋の美食感
と満腹感を満たすには十分です。足りないのはアルコールとなるわけです。店員の目を盗
んで持ち込みをやると面倒くさいことになります。そこで店の駐車場の近いところに車を
移動しました。車内には買い置きの温いビールが数十本あります。俺は次のように考え
行動を起こしました。先ず店内で好きなものを運び、好きなだけ口に頬張り、店外に出て
アルコールは車内で飲んで店に戻る。これを繰り返せば、咀嚼感と喉越し感を味わえ、
貧乏旅行でも満足感が得られると思い、それを実行しました。忙しいが無いよりは良い
ことになります。明日は実行記録を記します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ローハイド時代・・・見たかった俺は

2015年8月31日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(目的地変更)・・・新15

2105.8.31月 ☁ 午前6:40
 フロリダを離れ、ひたすらキーウエストに向かおうと思ったが、ディズニー等の色々な
施設がオーランドにあることを思い出し、寄り道のうえ1泊して見学をすることにした。
ユニバーサル・オーランド・リゾート、ユニバーサル・スタジオ・フロリダ、アイランズ・オブ・
アドベンチャー、ウオルト・デズニー・ワールド等があるから、後学のため楽しんでみようと
考えた結果、寄り道策を取った。1泊2日で行けるのは、ユニバーサルとディズニーだと
思い、先ずディズニー、次にユニバーサルと決めて、ディズニーに向かうことにした。
 モーテルに宿を取り、夕食を取ろうと町にでたら、チケットの安売り屋(ダフ屋)が闇で
暗躍していたのを見たので、声をかけてみた。俺「ディズニー、OK」と声をかけたら、
ダフ屋「明日、8時に来い」という。俺「いくらだ」と聞くと、ダフ屋「30%引だ」という。
俺の名前を適当に言ってメモを書いて渡した。俺の名前を日本語で「寿司」と言ったら、
怪訝な表情をしたが、名前を漢字で書いたので分からないようだった。ダフ屋は「OK」
と言いながら、次の相手に対応していったので、俺は夕食探しにそこを辞した。大丈夫か
な思いながら、夕暮れのオーランドの町を夕食を求めて彷徨した。食べ放題の中華料理
と日本食屋があったのでそこに入った。働いているウーエトレスは中南米の女性のようだ、
客筋はアメリカの平均所得層の有色人種が殆どに見えたので、値段は高くないなと
判断できたが、飲み物にアルコール類は無かったので、淋しい夕食になると思った。
 明日はアルコール持ち込み対策です。
                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカの都市風景

2015年8月30日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(フロリダを横目にして)・・・新14

2015.8.30日 ☁ 午前7:40
 サウスカロライナを過ぎるとフロリダに入る。暫く走ってから気が付いた。何となく熱くなり、
湿原が多くみられるようになったので分かった。ワニが出そうな湿原を数時間走って気が
ついたのである。夕日がに西の空に傾き、太陽は赤色に輝いて鳥が群れで巣に向かう様相
を見て、やっと夕方まで走っていたのかと気が付いた。遠くにフロリダのビル群が見えてきた。
フロリダの町で一杯やるのも悪くないなと考えながら、車ラッシュの群れに混じった。俺は
車を西南方面に向け、夕方の事故を起こさないように気を付け郊外に向かった。アメリカの
高速での進路変更には特に気を付けなければならない。日本人と違う運転心理があるので
慎重に走った。フロリダの町が背中に見えるようになってきた。アーこれでフロリダ中心地で
の晩酌は無くなった、と思いながらハンドルを更に西南に向けた。ビル群がどんどん背中に
なった。ミラー越しにフロリダビル群が小さくなり、やがて点となり、ビル群は失せ、何かを
失くしたような気分になった。
 フロリダ中心地の晩酌は諦めたが、次に郊外の洒落たレストランでの夕食も悪くないなと
考えたが、それも言語の問題で諦めた。次に定番のモーテルでの鍋料理に決めることに
し、近くのスーパーに車を入れて食品を買った。フロリダの町の散策は出来ずに残念と
思いながら、モーテル探しを始めた。郊外に安めのモーテル8があったので泊まること
にした。モーテル6やモーテル8は安いが無難なモーテルであるので無条件で入ることに
している。ニューヨークを出てから4日目であった。明日はフロリダからアメリカ最南端の
キーウエストに行きます。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・照沼重輝

2015年8月27日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サウスカロライナの昼食)・・・新13

2015.8.27木 ☁ 午前7:40
 真っ直ぐな高速を4時間走った。走行距離は約500kmで、昼食時なので腹が減ってきた。
休憩所に車を入れて食事をすることにした。バイキングのような食べ方であり、前の人になら
び大皿を手にした。値段は何とか書いてあったが、あまり見ないでやたらと美味しそうなもの
を次々に皿に盛り、前に進んだら、会計カウンターの前に来た。何とか書いてあるので、良く
眺めたら、重さで料金をとるシステムである。しめて日本円で1,500円くらいを払ったような
記憶があります。要するに、重さで料金を取られるシステムでした。好きなものをドンドン
取ればそれだけ高くなります。それでも、アメリカハイウエーでの昼食を楽しめました。
 明日はフロリダ周辺を記します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                     メキシコ湾の漁港に赤魚を探す

2015年8月22日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(南部へ)・・・新12

2015.8.22土 曇り 午前6:45
 俺はワシントンを出てただ南部に向かった。その前にガスを入れたが、やり方を黒人に
教わった。ところ変われば品変わるでないが、給油方法と代金支払い方法が変わるので
ある。その時は、隣で給油をしている人か、支払カウンターで教えてもらうのが一番である。
 さて、車はIN95号線に乗り、南へ南へ向かうことにした。アメリカ南部の土地と自然や
人々の営みを覗こうと興味津々なので疲れは全くない。思い出したが、モーテルの無料
朝食は良かった。御馳走ではないがアメリカ朝食を味わえたにである。オレンジジュース
、ミルク、コーヒー、果物数種、パン数種、コーン、ゆで卵、生野菜、ベーコン、ハム等を
好きなものを、好きなだけ、食べられるのであった。さすがアメリカ上級モーテルであった。
この瞬間からモーテルの値段はあまり気にしなくなってしまったのであった。
 車は時速80マイル(日本ならば120km)で南に向かっている。9時に出たので3時間
走ったから360kmはワシントンンを離れたはずであると考え、休憩所に寄った。そこは
ノースカロライナの休憩所であった。南らしくトイレの周辺の緑は素晴らしく、花も咲き
木々が生き生きとしていた。看板が立っていたので目をやると、毒蛇が多いから気を付け
ろと書いてあり、毒蛇の種類も記されていた。日本では無い看板であり、写真を写し記念
とした。早々とトイレを済まし、往来する人々を観察した。アメリカは車での移動が多い、
あらゆる人種が移動している。働く人、引退した人、レジャーに向かう人、気色満面の
若者アベック、憂いを秘めた美人等を観察できた。
  明日はサウスカロライナの休憩所で昼食となります。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月21日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(高いモーテルと食事)・・・新11

2015.8.21金 曇り 午前6:20
 俺はあてもなくワシントンの夜を疾走していた。目的は安モーテルを探している。この
街は綺麗であった。アジアに見られるごった煮のような街はどこにも無かった。俺には
合わないので、躍起になってモーテルを探したが、所詮無理で徒労になりそうになって
いる。夜半になり、とうとう一流ホテルチエーンのモーテルになってしまった。車を停め
てカウンターに向かい、値段を聞いた。今夜は安くするよと言われたが、しめて190ド
ルを取られる羽目になった。日本ならば地方都市の一流ホテルの値段である。車に寝
るより良いかと思い、カードを出してサインをして、カード鍵をもらい部屋に向かった。
空調や水、それにテレビ等の電気を使い放題にして割り安感を調整するほかないと
考えたが、浅ましい考えなので止めた。それならば、夜景を楽しもうと窓を開けたが、
それらしい夜景は見えず、どこまでもついていない夜になってしまいそうになった。
 部屋で持参したビールを氷の中に入れて急速冷蔵にして冷やしたが、とても急に
冷えるものでもなく、温かめのビールを飲んで神経を癒すほかなかった。日本の町で
は考えられないが、アメリカでは数歩で飲食店には行けないである。良くてもワンブロ
ック先や車で数分先になり、食べる欲か休む欲かが喧嘩をしてしまうのである。俺の
場合は休む欲が勝って、持参したもので我慢をして寝てしまうのであった。でも時には
食べる欲が勝つ場合があり、車で飲食店探しに躍起になることがあったが、動物が
餌探しで彷徨しているようであり、食べた後でも満足感が湧かなかった。この夜は
休む欲が勝ち、モーテル代は高かったなと考えながら、持参したもので我慢をした。
  明日はワシントンを出てアメリカ南部へを記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月20日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(物価高)・・・新10

2015.8.20 木 曇り 午前6:40
 ワシントン市内を彷徨ってみた。さすがにきれいな街である。道路や住宅がやたらと
整備されている。働いている役人もさすがに洗練されているようである。アメリカは
ジョッギングしている人が多い。夕刻になり役人の帰宅時になったので、大きな繁華街
に車を止めて散策をした。地方からの観光客も多く、繁華街は人人であった。お土産
屋さんや飲食店がひしめき合い、夕方の飲食客で一杯である。俺は真っ直ぐな道路の
歩道をアメリカ人と一緒に歩いた。何となく商店や飲食店までが整備されているようで
あった。商店街はポトマック河に沿ってあるようである。夕日がポトマック河を照らし、
帰宅者の足を急がせ、鳥は自分の巣に戻る時刻である。何かを焼いている匂いが
俺の腹をより空かせたので、モーテル探しを始めるために車に戻った。ポトマック河
を渡り、ホテル街に向かったが、高級ホテルばかりであり、泊まる気になれない。
どの道か分からない道を南に進んだら、モーテルが林立してきた。ヒルトンやウエス
チン等の有名モーテルばかりである。二人なら200ドルでも安く感じるが、一人で
は高く感じる。またもや泊まるところが無くなるかもしれない不安が生じてきた。経験
からこんな夜は高くつくのであった。ワシントンでの車泊はいただけないので、眼を
開いてモーテルの看板を探した。終いに30kmもワシントンを離れてしまった。
明日はモーテルがやっと見つかったが、高いモーテルを記します。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月19日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ホワイトハウス)・・・新9

2015.8.19水 曇り 午前7:00
 水戸弁で・・・昨夜は大洗であづまりだったぺ、会場は山口楼だったよ、グッドだった。
 真っ直ぐにホワイトハウスに向かった。広大な良く見える敷地内にホワイトハウスは
立っていた。周りをSSサービスが固め、絶対無比な安全警備の様相を帯びている
ように見える。俺は格子の塀から中を覗き込んでみた。今にもオバマ大統領が手を
挙げて出てきそうである。俺は暫く無言で覗き込んでいたが、周りを観察してみた。
田舎から出てきたような老夫婦、若い子供連れの夫婦それから学生グループ等の
様々な人々が羨望の眼でホワイトハウスを眺めている。俺はオバマ氏が大統領に
なるまでの軌跡を頭でなぞった。恵まれた環境というよりも、恵まれない環境で
育った彼は、柔らかいスプリングのような精神力と体力で弁護士になり、政治家にな
り、大統領まで昇りつめたのである。お見事しか言いようが無い、見本や目標になり
過ぎる人物である。俺は天が世界の平和の為にくれた人物であると結論づけるほか
無かった。ホワイトハウスから力を注入された俺はそこをさりげなく後にしたが、心の
中には物凄い巨大な前進力をホワイトハウスから頂いたのであった。
  近くに日本政府が寄贈した桜並木があり、周囲を散策していたら国会議事堂
を見学できたので、更に足を伸ばし、国会議事堂の職員と写真を取り合うチャンスに
も恵まれた。そろそろ飽きてきたので、ここを去ることにしたが、思い直し、ワシントン
市内を一巡することにした。今夜はワシントン市内に泊まることにし、安めのモーテル
を探し始めた。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月17日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ワシントンへ)・・・新8

2015.8.17月 雨 午前6:10
 水戸弁で・・・小雨だったぺが歩いできたっぺ、湿度が多くて気持ち悪い散歩だー。
 ニューヨークの友人と奥さんと子供に別れを告げて一人旅に出た。子供にナビを
セットしてもらい、皆さんに別れを告げて家を後にし、坂を下った。俺は1人になる
と思うと緊張感が全身に走った。とにかく南に行けと友人に言われていたので、
言われるまま走った。ハドソン川の橋を渡り、ニュージャージ州に入り、IN95に乗り
アクセルを踏み込んだ。ワシントン迄まで約350kmはあるから、使用時間は5時間
とみた。出発時間は午前10時だから、午後2時半頃に着くと思い、スピードを緩めて
走った。高速道から見える景色は、森有り畑有り、工場なども見える。ニューヨーク
郊外を抜けると、一面の大平野であった。おかしいなと感じたのは、横断の景色と
縦断の景色がどこか違うのだ。横断は太平洋に向かい、縦断は大西洋を左に抱え
走るのである。縦断は走っていると大西洋の汐の匂いを感じるが、横断は海と離れ
ているので、汐の匂いは全く感じないのだ。どことなく海の匂いを感じながら走るの
は縦断で山の匂いを感じて走るのが横断かなと思う。縦断は海際の町をいくつも
走りぬける。3時間も走ると、ワシントンに近くなるので、どこかが毅然としている
雰囲気である。ホワイトハウスと国会議事堂を訪れて、世界の政治の中心を見て
やろうと考えながら走っていた。遠くにビル群が見えてきた。オバマやヒラリーが
世界の為に働いている町かなと思うと、俺も一種の勇気が湧いてくるのであった。
 下衆の俺は、 今夜はどこで一杯やろうかなと考え、車をホワイトハウス周辺に
向けた。明日はホワイトハウスと議事堂と下衆の宿泊地を記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月14日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(染髪剤と枕カバー)・・・新7

2015.8.14 金 午前5:00
   水戸弁で・・・昨日はジョイ本から家まで歩いて帰ってきたっぺ、1時間40分かかった。
朝起きたら、窓から見えるニューヨーク湾の朝日が美しく見とれていた。昨夜汗をかいた
ので粗相が無いかベッドを見渡したら、枕カバーが黒い洗髪剤で染まってしまった。
これは困った、よわったであった。安い洗髪料なのか、洗髪剤を吟味しなかったのを
反省した。真っ白い木綿の素敵な枕カバーが見事に俺の汗で黒茶色に染まっていた。
    処置は洗面所で直ぐ洗うか、クリーニング店に持ち込むか、友人に素直に詫びるか、
日本に持ち帰り日本の技術に頼るか、いろいろなことを考えたが、一つを残し、すべて
現実的でなかった。ここはニューヨークの大富豪宅に泊まっているのだ。枕カバーの一
枚や二枚はケチらないだろうが、思い出の品か特別記念品だったら、いくら謝っても
元には帰らない、どうしようの感で俺は極まった。俺は人生を長くやってきた身だ、
日本人でもある、枕カバーを裏返したり、下にしたりしても、この事実は隠せない。
こんな時は謝るほかない。その手しかない場面だと考えたら、早めに謝るの一番
と決めた。俺は身支度を整え、主人の朝食を取る部屋に行った。「すみません、
俺の白髪染で枕カバーを汚してしまった、日本で買って返します」と言うのが
背一杯であった。主人と奥さんは思いのほか執着せず、「ノー、プロブレム」と言った。
大陸人の本心を見たようであった。島国人の狭い礼儀と大陸国の広い礼儀が接触
した場面であった。そのあとの食事の会話でも、おれの羞恥心は解除できなかった。
大陸人の広い友愛心を見習うべき日本人と思えた朝であった。明日はワシントンに
向かうを記します。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月13日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタンで散歩)・・・新6

2015.8.13木 雨 午前6:20
  水戸弁で・・・雨が強いなー、散歩はでねーべ、暫くの雨降りを楽しむべ・・・・。
   車を置いたまま、エンパイヤーステートビルに行き、実物を見て、次にロックフェラー
センターの若者のスケートを見て、明日からの旅に備えて帰宅を彼に申し出た。実は
俺は既にマンハッタンは3回の訪問歴があるので、再度の見学はしたくなかったので
ある。それよりも、ニューヨーク湾が一望に見える彼の家のデッキで下界を眺めた方
が良かったのである。マンハッタンの夜の風情を後にしてキャデラックミニバンは
彼の家に向かった。窓から見えるマンハッタンの夜景が、友よ早く帰るなよと言ってい
るようであった。家に着くと、自宅内の案内をしてくれた。玄関、駐車場、プール、食堂、
応接間、客間、寝室、子供用寝室、トイレは5個、調理室は2個、寝室は全部で10個
あった。呆れてお世辞を言う気は無くなり、俺は笑顔だけでお世辞を言った。一通りの
案内が終わると、奥さんがワインを皿にのせて持ってきたので、再びデッキに出て、
ニューヨーク湾とマンハッタンの夜景を見ながら、彼と英語、中国語、日本語のミックス
会話を楽しんだ。日本には無い時間の過ごし方をした。心地よい春の風が私たちを
時には取り巻くき、しばらくするとマンハッタン方面に去っていったような気がした。
    時差の関係で眠気が押し寄せてきたので、彼に失礼を詫びながら、自分の寝室に
戻り、お姫様風のベッドに潜り込んだ。次の朝に大変なことが起きているなんて想像が
出来なかった。
                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月12日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタンでのデナ~)・・・新5

2015.8.12水 曇り 午前6:40
   水戸弁で・・・朝から曇りだー、調子が出ねべー、天気には負けちゃなー。
    キャデラックミニバンでマンハッタンに行った。彼も慣れたもので駐車場はすぐ見つか
った。俺と奥さんと子供は人気がある日本料理、中華料理、西洋料理のバイキング出来
る店に入った。中は超満員であり、人が食べる時に出る声で満帆になっていた。彼が
戻り、好きなものを取って来いと言う。俺は寿司店に行き中皿をもらい、寿司を鋏み
皿に入れ、次に生野菜を盛り、ポテトサラダを最後に盛った。箸を取り席に戻り、奥さん
が取りに行くのと交代をした。彼女の娘は慣れたもので好きな物ばかり皿に盛っていた。
奥さんと彼が戻り、バイキング料理を食べ始めた。彼らの取ってきたものを見ると、
中華料理が主人、和食料理と中華料理は奥さん、娘さんはアメリカ料理が中心であった。
俺は和食とアメリカ料理を中心に皿に盛っている。俺は周りから食べたり話したり、笑った
り興奮したりするアメリカ式食べ方を観察できた。人は何様でも食べる時は喜ぶのだなと
思った。外国人とは食べながらの商談も有効であると思ったので、アメリカにいる間に
食べながら商談をやってみようと思った。今回は華僑の彼と商談が入る旅でもあるから、
明日からが楽しみになると思った。食事が終わるころを未計り俺はやにわに伝票を
持ってチックカウンターで支払いを済ませてしまった。彼らは慌てて俺を制止しようと
したが、俺は分からない言葉を使い勘定を済ませた。分からない言葉とは「ジャパニー
ズ・スタイル」と言ったのである。俺は日本式接待と言いたかったのであった。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月11日火曜日

2015年のアメリカ彷徨記(見たものは)・・・新4

  2015.8.11火快晴 午前6:30
    水戸弁で・・・墓掃除を午前5時からやってきた、誰もいない墓で先祖に今を報告をした。
    ニューヨーク富豪の華僑の家に泊まった。数多い部屋のゲスト室をあてがわれたので、
部屋のつくりを観察をした。ドアのノブと水道の蛇口は金で覆われており、壁と床はイタリー
の豪華な大理石を使用されていた。ベッドは今までに見たことの無い装飾が着いていて、
ふんわり感が十分に伝わるものだ。おまけにお姫様か王女様が寝ても不思議でない装飾
がもういいと言うほど着いていた。豪華な綿で出来ているベッドカバーと枕カバーの白さが
目に痛い、俺はこの部屋が豪華すぎてたじろいでしまう。金が余っている家はこのようなの
かとあらためて感じた。それでも不思議とプレッシャーは感じなかった。アジア人同士なの
かもしれないが、親近感が湧いてくる家なのだ。金の蛇口を回し、水を出して顔を洗い
主人の待つ部屋に行った。
    ピアノを始め、家族のための楽器が取り揃えてある部屋で主人はくつろいいでいた。
青色系の大理石を使った部屋だが、廻りのカーテンの色や茶器の色までが大理石の
青色とマッチしている。家族生活を楽しんだことの無い俺は多少の反省の心がうづいた。
思うに、アメリカの家族での行動は日本と違う目的や価値があるのでなかろうかと
瞬間的に思った。俺は出された茶器の豪華な器で茶をさりげなく飲んだが、
壊れたら大変と思い、強い力で茶器を握っていたのであった。主人とアジアの
貿易の話と日本の政府の価値観について語り合った。主人は浙江大学からアメリカの
大学に留学し、中国に帰らずにアメリカで貿易業を立ち上げた男であり話は面白い。
     しばらくの語り合いの後に、マンハッタンへ食事に出る。明日はマンハッタでの食事を
記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月10日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューヨークの大邸宅)・・・新3

2015.8.10月 曇り 午前8:00
   水戸弁で・・・だいぶ涼しくなっている、俺は4Kmの旅をしてきたっぺよ、元気を意地で維持。
大邸宅に招き入れられた俺は恐縮して家に入った。フロアがイタリーの見たことの無い模様
の大理石で被われていた。ニューヨーク湾が眼下に見える廊下を通り、友人の待つ応接室
に入った。見たことのない世界が目に入った。30人が座れる応接室で調理室もついていた。
俺はゆっくり部屋を見渡したら、小さな子供がにっこりし、こちらを向いていた。俺は軽く右手
を上げ、目と目を交わして笑顔でそれに応じた。この瞬間で無言ながら彼女とは友人になれ
た。友人がこちらを向いて「夜はマンハッタンに繰り出そう」と言われたので「OK,サンキュー」
の短い英語で返事を返した。それから彼は、この家を買った時期と理由をせつめいしてくれが、
早い英語なので理解が良くできなかったが、要するに、輸出入ビジネスで成功をしたので
買ったそうだ。高台の崖っぷちの家なので、その崖を利用してニューヨーク眺望デッキを
作り、プールを大改造したうえで住んだと言う。俺の部屋に荷物を運び入れするように言われ
たので、荷物を持ち奥さんの案内に従った。部屋は3階の客室であり、俺の好奇心の固まりの
胸がドキドキしてきた。客室はホテルの部屋に負けないと言われていたので、ドアを開けるの
がもどかしかった。部屋を開けた、そこに見たものは明日から記します。
                                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月9日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(V字横断)・・・新2

2015.8.9日 曇天 午前7:00
   水戸弁で・・・昨日は自宅の目の前で村の花火大会だったっぺ、家にいられなかった。
俺は大陸を彷徨する快感に憑りつかれたのか。前回のニューヨークからサンフランシス
コへの横断時に、横横断が終わったのだから、次回は縦横断をしようとゴールデンゲート
上で考えた。今回はその旅の思い出から記します。
    春遅い三月に飛び立ちました。着いたところはまたしてもニューヨークとなり、慣れた
レンタカー会社でキャデラックミニバンを調達し、ニューヨーク華僑が待っているマンハ
ッタンに向かった。ところが道を誤り、JFKケネデイ空港の裏側に行ってしまい、右往左往
を繰り返しながら、待ち合わせの場所に行き、彼と合流ができた。彼は浙江省出身の
ニューヨーク華僑で、奥さんは中国の革命作家郁達夫の直系であり、気品溢れる奥様
である。彼のビジネスは輸出入業である。カザフスタンとその周辺国家の鉱物資源を
中国内陸に輸入したり、中国の糸編製品をアメリカまで輸入したりする会社を経営して
いる。その彼が、アメリカの富豪の一員であるセンチュリー21という不動産会社の会長の
自宅を譲り受けた家に住んでいるという。そこに私を今回は招待してくれたのである。
    しばらくぶりの再会の眩しさを強い握手でかわし、お互いの無事と発展を喜びあい、
彼の先導で高級住宅に向かった。くねくねと曲がった道を上り、数分でマンハッタンとは
およそかけ離れた空気の美味しい高台に彼の住宅があった。マンハッタンが一望できる
最良の場所にその邸宅はあった。奥様や子供さんが俺を迎えてくれている。凄い門、
数百人いても目だた無い広い庭、大きいプール、家族や友人と寛ぐ庭のスーペース等、
日本の家とはかけ離れた雰囲気である。アメリカも日本も成功者が演じる家庭の雰囲気
がそこにあった。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月8日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(新大陸縦断の旅)・・・新1

2015.8.8土  快晴 午前6:10
    水戸弁で・・・そろそろ島が飽きたな、どこの大陸に行くべか悩んでいるんだ。
 初めての大陸横断から2年が経った年であった。ニューヨーク富豪の友人宅に泊まらない
かと華僑に誘われ、のこのこニューヨークに出かけた。その富豪はアメリカの不動産界の雄
とのことであり、知る人ぞ知る家である。俺の目論見はニューヨークを振り出しに、ワシント
ン、リッチモンド、チャールストン、オーランド、マイアミ、キーウエスト、ニューオリンズ、ダラス
を廻り、時間があれば、アルバカーキ、フラッグスタッフ、セドナ、ロサンジェルス、サンタモニ
カ、ぺブルビーチ、サンフランシスコまで到達するアメリカ大陸V字ドライブ旅行を考えていた。
よって、ニューヨークの富豪宅の一泊は付録みたいに考えていた。
    春遅い三月、日本からの全日空機はニューヨークJFKケネデイ空港に午前10時に着陸し
ところから、始めますので楽しみにしていてください。今回はアメリカV字縦断の旅となります。

                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月7日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(終着点で乾杯)・・・82

2015.8.7金 快晴 午前6:20
   水戸弁で・・・10年の朝の散歩で会う人は同じだな・・・、新しい発見を望んでだよ。
   ニューヨークを出て、10日目でゴールデンブリッジの上に達した。俺の心は満足感と
達成感で一杯になった。今まで来た東の方面を望み、目礼をして東の果ての神に感謝
した。日本の方面に目をやると太平洋が微笑んでくれた。この感動は60歳の時であっ
た。俺は自分の体の節々を検査してみた。頭異常なし、目異常なし、鼻異常なし、口
異常なし、首異常なし、肺異常なし、関節異常なし、筋肉異常なし、これ以上の検証
は面倒くさいほどであった。信じられないほどの異常なしであった。日本を出る時に
東海村の大神宮で旅の安全と武運長久の参拝祈願をした結果である。
     橋の上で日本から持って行った焼酎で一人高らかに乾杯をした。隣のアメリカ人が
不思議そうに俺を見ていたが、お構いなしの日本語で「乾杯」と叫んだ。大神宮様と
空と海と大地に感謝の意を唱えた。
     思えば2週間の休暇を取って出た旅であった。未知から始まった旅だだったが、旅の
途中で旅のコツを知り、後半は楽旅となった。そこに入るとそこの現地人になれた。食べ
物やそこの空気と水にはすぐ慣れた。だから疲れなかった。疲れなければ、次の旅を
計画したくなる。早くも次の旅は、ここだと決めていた。明日からは、次の旅を記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月6日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴールデンゲートの上)・・・81

2015.8.6木 快晴 午前6:30
   水戸弁で・・・散歩から帰り、自宅周辺の雑草剤散布をした、もっと燃えよと天にほざいた。
間もなく10分でゴールデンゲート上になる地点にいた。サンフランシスコ湾の西側の道路
から上がるのだ。カポネが収容されていたアルカトラズ刑務所が右に見えた。これでサン
フランシスコ湾は5回目であったので、迷いなくゴールデンゲートに行ける。意外と細い道路
沿いを進む。危なっかしい道路であるから、注意深く進んだ。見えてきた、巨大な赤い色の
橋が右前方上空に見える。橋の後ろの山は結構高い,その上に青空が悠然と見える。
    俺はアクセルを踏んで橋の入口に入った。前後左右にアクセスした車がびっしり並んだ。
料金所が無かったので、調子が狂う。思うに、アメリカの道路や橋などで料金を摂られたこ
とが無い。日本や中国と違う社会事情だ。橋の奥まった所に休憩所があるので、更に前に
進んだ。広い休憩所の駐車場に車を入れた。ぐるぐる回って見晴らしの良い場所に駐車し
た。そこは休憩所と見晴地のようになっていて、数十台の車が止まっていた。車を降りて
トイレに行ってから、見晴地の外柵の縁に手を下ろし、フィシャーマンやアルカトラズを
見下ろした。ヨットやレジャー船が悠々と湾内を遊覧していた。出来れば、遊覧船に乗って
湾内に遊んでみたいと考えた。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月4日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(次の町はサンフランシスコ)・・・80

2015.8.4火 快晴 午前6:〇〇
   水戸弁で・・・早く起きっちまったぺ、午前4:30に散歩に出た、汗が出て気持ちがいい。
   朝はサクラメントで迎えた。午前8:〇〇で太陽が既に高く昇っている。透き通るような
青空を見上げ、車に乗り込んだ。サンフランシスコまで約200Kmあり、午前10時過ぎに
は金門橋に到達するはずである。アメリカ大陸横断の旅で既に10日以上走っている
ので、頭の中で到達時間が計算できるようになっていた。到達したら金門橋の上で、日本
の焼酎で大乾杯をする予定である。心がはやる、このような時が危ないのだ。今日も慎重
に行こうと決め、エンジンをかけた。モーテルの出口からIN80の入口に入り、高速に乗っ
た。加速をしながら、周囲を見渡した。ニューヨークを出たばかりの景色は、トウモロコシ畑
と林が続き、シカゴ周辺では工場やポテト畑が多く、ロッキーの麓は牧場であったが、ネバ
だでは砂地が多く、カルフォルニアに入ったら背の高い山林が多くなった。左が崖、右が
高い丘に挟まれた高速を走り、サンフランシスコに向かった。太陽を背に受けて走ったの
で景色がよく見える。潮の匂いがしてきたので、海が近くなったことが分かった。何処かの
岬が靄にかすんで見えてきた。思えば、ニューヨーク州を出て、ペンシルバニア州、オハイ
オ州、イリノイ州、アイオワ州、ネブラスカ州、ワイオミング州、ユタ州、ネバダ州、カルフォル
ニア州、カルフォルニア州まで来たのである。無事故無違反で今日まで来られたが、運が
良いと言うほかない俺の運転である。自分ながら強運だと思えた。この運を大事にしなくて
はならない。アメリカからそーっと持って帰る一番大事な土産と確信をした。
   まもなく金門橋に上がれるはずだ、俺はアクセルを軽く踏み込み、遠くに見える金門橋に
まっしぐらに向かった。
                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝

2015年8月3日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サクラメントの安宿)・・・79

2015.8.3月 快晴 午前5:15
   水戸弁で・・・昨日の行動は、午前5:00庭草の焼却2時間、散歩30分、床屋1時間、
 村松浜で海水浴2時間、昼食をはさみ、自宅の戻り庭木剪定1時間、庭木伐採1時間
結構な運動になった。朝までぐっすり、体を絞れたので満足の日曜日であった。笑
    安宿、安宿と唱えながら車を走らせた。高いモーテルは特徴がある。庭木の手入れ
が良く、プールも綺麗であり、建物の色も爽やか風である。一方の安宿の特徴は、庭木
は殆ど無く、殺風景であり、プールは防火用かしか思えなく建物の色も悪い。そんな
安モーテルに入った。カウンターはインド人かアジア人が多く、俺が入ったのはインド
人のカウンターであった。パスーポートとカードを出して鍵をもらい、自分で荷物を持ち
部屋に向かう。部屋に入ると何かが匂う、途端にキャンセルをしたくなるが、俺はこれが
アメリカ大地の匂いと思い、諦めてブログと夕食の準備をする。PCのラインを繋ぎ、
ヤフージャパンを取り出し、日本のニュースを見る。日本文字を眺めながら、簡単な
つまみを取り出し、ゴミ箱のような容器に氷をいっぱいもらい、ビールの冷えるのを待つ。
その間にシャワーを浴びるが、安宿はシャワー室もいただけないのだ。大きな音の
ファン、小さすぎる石鹸、シャンプーだかリンスだか分からない容器の洗剤、色あせた
タオルセット等、初めての旅行者なら愕然とするだろうが、俺は全然平気なのだから
始末が悪い。時々、旅の同行者は思い出として、いつまでもそれを世間に言う時がある。
それで俺は世間的に何でも構わない人になっているが、実はそうでもないのだ。
結構、神経質でもあるのだと言うと友人は腹を抱えて笑う。この話は終わりとするが、
旅はまた続いているから、面白かった事件を記す。
                                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月1日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サクラメント)・・・78

2015.8.1土 快晴 午前6:40
  水戸弁で・・・今朝は5時に出発、畑を通過、山を下り、畦道を抜け、山裾を通り、階段を
昇り、三社に参り、阿漕ヶ浦を横目に見て、ベンチで腹筋運動を兼ね青空に微笑み、
水飲み場でヒンズースクワット、桜並木で友人と挨拶、自宅に戻り、アイスコーヒーを
片手にブログ掲載中です。散歩時間は約一時間で忙しく一週間ぶりの散歩だった。
良かった、体力は落ちていなかったよ。来週も水戸市で頑張れるな。先週は飲み会が
四回ほどあり、胃腸が疲れていたのが分かったよ。昨夜は飲みたくなく、本屋で時間つぶ
しをしていた。
   さて、アメリカの話に戻るが、車はIN80号線をサクラメントに向かっている。カルフォル
ニアの首都であるから、町は大きく人口も多い。市庁舎はホワイトハウスと同じような
建物であった。町中を人通り回ってみたが、昔に栄えた町の様相である。とにかく、町
作りの広さが、日本に比べて大きく、スケールが違うのである。いつも考えるのだが、
土地が大きい所に住んでいる人は歩幅が大きく、小さな所に住んでいる人の歩幅は
小さいのである。我々日本人も歩幅が小さく、何をしてもワンパターンになりやすいので
あるから、常に心掛けて歩幅に気を付けるべきであると思っています。
    町の中心地の商店街で少々遊んでみた。パンダエクスプレスで昼食を摂り、商店街を
ブラブラした。マーシイデパートで5,000円くらいの半袖シャッツを買い、夕方まで遊ん
だ。そろそろ彷徨が飽きてきたので、今夜の宿探しに向かったが、町の中は値段が高い
ので市街地に出ようと思い、車を西に向けた。
    明日は首都近郊の宿を記します。
                              アメリカ ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月26日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(すがすがしい朝)・・・77

2015.7.26日 快晴 午前6:00
    水戸弁で・・・昨日は叔母の見舞いで横浜に行ったぺ、運転は俺だが疲れねーな。
    侘しい夕食であったが、腹立つこともなく眠りに入れた。翌日は清々しく起きたので、
窓を開けて周囲の景色を楽しめた。東に見えるロッキーの景色は朝日を浴びて光り
輝いていた。ロッキーの峰から朝日が昇り始め、太陽がやっと山を越して昇ってくる。
反対の西のところどころの部分が太陽の光で輝き始めた。南の温暖の景色は、
自分の出番を待つように悠々としている。北の景色は、他の方向の朝のウキウキ
気分を冷ややかに眺めているような険しい景色で俺を迎えた。俺は四方を眺め、穏や
かな気分を維持し、朝のスタートを切ろうとしていた。カウンターに行って、コーヒーを
もらい、自分の部屋に戻り、足をテーブルに投げだして、窓から見える青空を眺めて
コーヒーをちびりちびり飲んだ。いつまでも青空を眺めていたいので、コーヒーが
惜しくてのちびりちびりではなかった。雲一つない青空にジェット戦闘機が一筋の
飛行雲を作って音も無く飛んでいた。
   ふっと我に返り、アメリカ横断のお供をしてくれているシボレーミニバンを見たら、
「早くしろ」と言われているように感じ、俺は荷物を肩に担いで車に向かった。車内は
秋でも熱く、ハードではあるが楽しい一日の始まりを迎えたのである。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
    

2015年7月25日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(チョコだけの夕食)・・・76

2015.7.25土 曇  午前6:30
   水戸弁で・・・4Kmを歩いてきたっぺ、汗もかいたが気持ちも良かったな・・・。
モーテルがあった町はど田舎、牛の匂いが漂っている町だ、飯も無ければシャワーも
チョロチョロしか出ないところに泊まってしまった。先ずは、夕食をどうするか考えている
が、この街のコンビニは閉まってしまったようだし、レストランも無いようだし、鞄に残して
あるチョコとウイスキーや焼酎で夕食にするかと決めるほかなかった。
    チョコ数個、二日前に食べ残したピーナツと柿の種で夕食にすることにした。PCを立ち
上げ画面を出し、日本のニュースを見られるようにしたうえで、ウイスキーを薄く割り、
ピーナツとチョコを出して、一粒一粒をゆっくりほおばりながら、ウイスキーで胃袋に
流し込んだ。途中、胃袋に詫びを入れながら、ピーナツや柿の種、飽きるとチョコを
食べ、薄いウイスキーで流し込んだ。何時もなら胃袋にどしどし入る食べ物が、ゆっくり
入ってくるので、胃袋は満腹感を騙されたようだ。妙に腹が一杯になり、不思議な満足感
がおきてきた。
                                             リカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月24日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(やっとモーテルに入れたが)・・・75

2015.7.24金 晴 午前6:45
  水戸弁で・・・雨が止んだので運動散歩に出たっぺ、そしたら朝の散歩者が少なかったな。
   山から下りて、暗い夜道を走り、やっと数件のモーテルが見つかった。大きな町ならば
モーテルは数多くあるが、田舎の小さな町だとこじんまりしたモーテルが一二軒あるだけ
である。おまけに夜の9時ころになってしまい、食堂やバーガー屋は一軒も見えなかった。
あーあ、夕飯抜きで泊まるのかなと思ったら、途端に力が抜けて、やっとの思いでモーテル
のフロントにたどり着いた。カウンターに向かい、呼び鈴を鳴らした。その途端、背後から
忍び寄る大きな影が目に入った。しまった熊に襲われると感じ、後ろを振り返った。
その影は熊ではなく、アメリカらしい吠えないでいる大きい狩猟犬であった。
その犬を連れている人は白人の牧童のようであり、猟銃を2丁を小脇に抱え、宿泊希望者
かと思ったら、モーテルの経営者であった。私を驚かせたことを、しきりに謝っているようだ
った。宿泊手続きを終えて部屋に入り、バスタブに湯を入れ始め、夕食の取り方を考えた。
食堂レストランの類は無し、コンビニも無し、携帯食料は尽きている。腹を減ったままで朝ま
で過ごすか、隣町まで食品を買いに行くか、どちらにも決心できないままで旅行鞄をまさぐ
り始めた。
                                              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  

2015年7月21日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(山また山その奥にまた山)・・・74

2015.7.21火 快晴 午前7:00
  水戸弁で・・・休み明けの散歩運動は疲れっぺ、だが、俺は散歩に出たんだ。
   山の中のガスステーションで油を満タンにして、カードで金を払おうとしたら、現金に
しろと言われ、現金で払った。彼らはカードをやっていたので、現金が欲しかったのかな
と思ったが、どうでも良いので「サンキュー」と言って山を降り始めた。
   くねくねとした道路を降りながら、時折、駐車ペースに車を止めて、遠くの景色を眺めた。
目の前の山の後ろに山、そのまた奥に山が見えた。アメリカ大陸の高いところからの眺
めは最高だ。高いところからの眺望を見ていると、鳥になって空を飛べるような気がして
きた。思い切りジャンプ、一気に上昇気流に乗り、青空に泳げればいいなと思った。
ハッと気を取り直して元の道に戻り、山を降り進んだ。バックミラーに山の上が写る、
その景色がどんどん遠くなり、小さくなって行く。それに従って、山の裾が近くなってくる。
ガスは満タン、今度は俺の腹のガソリンが乏しくなってきた。夕暮れから夜の間に写った。
窓を開けると、と遠くから牛の鳴き声が聞こえてきた。「モー、モー」沢山の牛の鳴き声が
聞こえてくる。暗闇に目を見張ると、大木の下に沢山の牛がいる。あと少しで、宿と夕食
にありつけると思うと元気が出てきた。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月20日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(給油所の狩猟者)・・・73

2015.7.20月 快晴 午前6:00
  水戸弁で・・・朝の散歩運動は中止にした、理由は、気が進まなかっただけだよ。
  オレゴン州の片田舎の工事現場で黒人にガスステーションを教わったので、その
方向に一目散に山を下りた。ガスが無いので、アクセルは殆ど踏まないで山を下
った。40Kmは降りただろうか、ガスステーションとは言えないような店があった。
ジーゼル油とガスの計器が2台だけある店である。その店の背景は高い山で店の
前の道路は砂利道、左右の空き地は深い蛇でも出そうな草むらである。何とも頼り
にならないようなガスステーションであった。誰もいない、計器のガラス窓は割れて
いた。本当に油が入っているのだろうか。背筋がゾーッとし、悪い予感がした。
良い予感は当たらないが、悪い予感は当たることを思い出した。そのガスステーシ
ョンには店舗が後ろにあった。店舗内に入る前に大声で「ハロー、ハロー」を繰り返
した。相手に人が入ってきたことを知らせるシグナルである。
   「カムイン」とだみ声が聞こえた。安全を確かめ中に入った途端、六つの大男の青い
目がこちらを向いた。ウイスキー瓶が立ち、その傍らに熊が2匹、鹿が数匹横たわっ
ていた。彼等は狩猟を終えて、互いの獲物を見せあっているようだ。俺は獲物に近づ
いて親指を立てて、彼らの獲物に称賛を唱えた。獲物に称賛を唱えるのは、ハンター
のマナーかなと考えたからである。すかさず、狩猟者達から「サンキュー」の言葉が
返ってきたのであった。彼らの顔はウイスキーで赤くなっていたが、こちらの顔は
若干の恐怖で青くなっていたと思う。なぜなら、狩猟者、数丁の猟銃、ウイスキー瓶、
いたずらがなんぼでも出来る場面だったからである。
                                       アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月19日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(なんと遠い山)・・・72

2015.7.19日 快晴 午前6:10
  水戸弁で・・・4Kmの散歩で最初に出会った人は犬を連れていた、最後は太った奥様。
  遠くに見えた筑波山のような山に里心を出して向かったが、途中で道を迷い、その山は
どんどん遠くになってしまった。二股道路で右に行くべきを左に向かってしまったのが、
ミスでした。ここで日本的に考えて近いと思ったのが間違いであった。車はオレゴン州と
ネバダ州の州境の峰を横切り、オレゴン州の人家の無い田舎道を北上していた。遠くに
見えるは、オレゴン州の一寸した山脈、近くに見えるは人がいない原野だけである。
山間の夕暮れは早い、あっという間に太陽がおちてきた。心細くなってきた、ガソリンは
ないが食べ物はあるので極度の心配までは至らない。ガソリンの残量と走行可能距離を
計算した。あと50Kmは走れるが、ここはアメリカだ。100Kmは何もないのが普通だ
から、運が悪かったらガス欠で野宿になり、運が良かったら車に鱈腹油を食べさせられる。
くねくねの坂を登ったら、人家が一軒あったので、一寸安心した。何やら大工工事をしてい
る黒人がいた。車を降りて尋ねる。「ガスステイションはあるかね」彼は指をさして「バック
しろ」と叫んだ。「距離は」と再質問をした。「30マイル」と答えてくれた。やや安心するも
ガソリン残量と走行可能距離が等しい。「ゴールドラン」の町名を急に思い出した。
もしかすると、ラッキー又はアンラッキーどっちに出るかを試したくなった。坂を下ろう、
いま来た道を戻ろうと決心してUターンをして、坂を下り始めた。ぎりぎりの選択だから
スリルがある。それに、下りはガスをあまり使わないで走行できる。ためらいのない決心
は、鬼神も排除できる思い出した。それにしても、筑波山の山にお目にかかれないばか
りか、とんでもないオレゴン州の山に迷い込んでしまった。人家が懐かしくなり始めた
心境で坂を降り始めている。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月17日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(筑波山のような山)・・・71

2915.7.17金 快晴 午前6:50
  水戸弁で・・・台風が四国に上陸したようだっぺ、こっちにはこねーな、いつもだっぺ。
   ハンドルを左に切ったのが間違いで、右に切らなくてはならなかった。この二分の一
のミスが一日の無駄無謀な時間になってしまった。道路が舗装されていたので安心
して進んだ。とにかく真っすぐで山間に消えていく道路であったから、いつかはどこか
の町に行くんだろうと安心して進んだ。道路の周りの景色は、西部劇で見たブッシュと
砂と岩石の地面である。インディアンやバッファローが砂埃を立てて突進してきそうな
景色である。10月でも道路から陽炎が立っているので外は熱いようだ。
   半日も進んだ頃、やっと一台の郵便車と出会った。そういえば、しばらく他の車と出会
っていない、それほど過疎地域に入ってしまったのかなと気がついた。そして、俺はのん
き者だなとも気がついた。日本で半日も車と会わないと何だろうと思うが、アメリカでは
あまり不思議に思わないで、大陸的な気持ちになってしまうのだ。思わず我に返り、
ガソリンメーターを見た。残量が極めて少なくなっていた。ナビでガソリンスタンドを
探したが、アメリカのレンタカーの旧式ナビは、そんなに親切でなかった。俺は脂汗を
浮かべて、ガソリンの節約走行をしながら登り坂や下り坂を進んだ。メーターは赤ランプ
が点く直前のようだ。益々そわそわびくびく心になってきた。周囲を観察すると、右側が
登れないような崖が切り立った高い山、左が深い崖下であり、とても安らげる地点では
ない。益々淋しいところに入り込んでしまったようだ。今までにガス欠は一回だけある。
若い頃、国道6号線の石名坂でガス欠にあった。友人たちと夜遊びの帰りである。
悪いことを思い出してしまった。地図とナビと西日を照らし合わせ、位置を確かめながら
前に進むほかなかった。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月16日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(リオはギャンブルの町)・・・70

2015.7.16水 台風 午前6:15
     水戸弁で・・・台風雨の中を歩いてきたっぺ、人無く、自然鳥の天下だったな。
    IN80号線を西へ西へと走っていた。次の町はリオでギャンブルの町だ。昼食前
だったので、安めに上げようとして、スーパーに入った。昼食用の食べ物を買って、
出ようとしたら、スロットマシンが置いてあった。さすがギャンブルの町だ。スーパー
のレジの出たところにまでスロットがおいてあった。思わず、1ドルコインを投入口
に入れて、ハンドルを引いた。ガーと画面が回り、如何にも思わせぶりに、絵が
揃うような感じで三つの絵が止まった。バラバラで外れた。俺はポケットに手を入れ
再挑戦をしようとしたが、コインがないので再挑戦が出来なかった。昼用の食べ物を
抱えて駐車場に出た。昼の太陽が眩しく光り、俺を笑っているように感じられた。
うまいことはないな、とアメリカ大陸の上でも思い知った。スパーを出て太平洋側に
向かうか、遠くに見えた美しい山の方に迂回するか、筑波山と似たような山を見た
ので里心がついたのか知らないが、自然にその山の方にハンドルを切った。
それがスリルある冒険になるなんて想像だに出来なかった。太平洋に向かって
右に入り、しばらく山に向かって走ったが、道路が二手に分かれた地点で迷った。
右に行けば距離が多くなるような気がし、左に行けば短距離になるような気がした
ので、ハンドルを左に切った。そしたら・・・・・・明日に
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 

2015年7月14日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大陸の旅の醍醐味)・・・69

2015.7.14火 快晴 午前7:00
  水戸弁で・・・熱くなったぺ、これが夏だ、今日も歩いた4Kmで1時間の道だ。
  ゴールドランを後にして、IN80号線戻った。次の町はサクラメント、カルフォルニア州
の州都だ。片道4車線の反対車線が混んできた。土曜日だから、町から郊外に脱出す
る人々だ。アメリカ人は土曜日曜と家族ぐるみで大いに遊ぶ。各車両にはモーターボ
ートやバイクが牽引されている。太平洋と反対のほうに向かっているのであり、大きな
湖に遊ぶのだろうと推測をした。日本と違って大きな湖は数えきれないほどある。その
湖は海に並ぶほどダイナミックであるから、海で遊ぶように遊べる。しばらく走ると、
ハーレーの集団と出会った。映画で見たような服装のリーダーを先頭に20台ほどの
集団がダダダーと走ってきた。親指を立てて挨拶をしたら、リーダーが同じようなしぐさ
で挨拶をしてくれた。白人だから分からないが、年の頃は50代前後かもしれない。
愛嬌のある髭を蓄え、刺青を彫った腕を出して、足を大股に広げ、IN80号線を支配し
ているかのような姿勢で走ってきた。ハーレー集団が小さくなると、クラシックカーの
集団が走ってきた。ピンクや派手な色のクラシックカーが数台で走ってきた。乗っている
のは俺と同じような年齢の人である。日本にも同じような集団がいる、カーライフを楽し
んでいるグループである。
アメリカ大陸を走っていると、実に面白い集団に出くわす。それを鋭く分析をする気には
ならないのが大陸の光景である。俺も実に気ままに、いつしかなっているのである。
 気ままな旅、時間に縛られない旅、どこに泊まる予定もない旅、食べ物は手の届くとこ
ろのものを食べる旅、誰にも注意や指示をされない旅、それが大陸の旅の醍醐味で
ある。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月13日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(町名はゴールド・ラン)・・・68

2015.7.13 月 曇り 午前6:30
  水戸弁で・・・土曜日はおもしかったな、高級料亭で俺が主役で、支払いも主役だった。
ハンドルを左に切り降車ラインに入った。スピードが落ち、道路の地名標識が遠くに
見えてきた。心がドキドキしてきた。標識まで距離は約300m、もどかしかった、なか
なか見えてこない、300、200、100m、見えてきたRの頭文字が見えた、次の文字も
見えてきた、全体が読めた「GOLD RUN」と読めた。やったー、と一人叫んでしまった。
俺は勝手に意味を理解した。金が来る、もしくは金に向かうと理解をした。反対の意味は
大変だ。金が逃げていくとも理解できる。怖くて辞書を引く気になれない。二つの相反す
る意味がありそうだ。そうだ、何も今に正確な意味を調べなくてもよい、調べたうえで
悪い意味が出たら損失だ、帰りの飛行機の中まで意味を棚上げしようと考えた。俺は
良い運勢を取ったと考えるべきだと決めた。自然にウキウキしてきた、ゴールドラン
の標識の下で写真を写し、一生の宝を作った。ラッキーを誘い込みたい友人がいれば、
連れてきてもやりたくなった。標識を有り余るほど写真を撮った。標識に投げキスを送り、
高速道に戻った。標識の上の青空が何時までも脳裏に残った。その年末、水戸の
友人が年末の県議会選挙に当選をした。ゴールド・ランが来た、この地はラッキーに
なれる地と、あらためてその地に感謝をした。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月10日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(6000Kmで降りた)・・・67

2015.7.12土 快晴 午前7:00
水戸弁で・・・晴はいいな、青空が堂々と横たわっているよ、空をみっぺ、前を見れる。
60歳の時にアメリカ横断を開始したから大陸の横断中に6000Kmの地点で下りて、
その町の名前の意味で俺の人生の将来を占ってみようと考えていた。5800Kmの
地点辺りで俺はそわそわしてきた。例えば「死の谷とか、墓場」を意味する町の名前
であったら、お先が暗くなるであろうし、「発展とか財宝」とかを意味する町であったら
ウキウキ感が起きる。200Km手前から道路標識に出てくる町の名前は、瞬間的に
読んでも意味が分からないので、ドキドキすることは辞めた。200Km先までに高速
を出る出口は無数にあったので、ほど良い出口を選ぶことはできない。すべて運命に
任せるやり方で良いと考えた。150Km、100Km、50Kmと距離が近づいている。
人生60年が過ぎた先の人生の占いがバカみたいな方法で決まるのだと思うと、
多少の緊張感が出てきてしまった。途中で辞めよかなと思ったり、悪い名前が出たら
そこから良い方向に導く理屈を考えるのも悪くはないとも思ったりした。俺って全てが
このように考えたりしてしまうのだとも、反省をしながら前に進んだ。20Km地点まで
進んだ。10Km地点で、悪い名前が出ないように神に祈願するようになってしまった。
人は何の手もなくなると、神頼みしかないことに気がついた。7Km、3Km、1Km
出口が見えてきた。何と言う町があるのだろうか。弱気から強気に気持ちが変わった。
良し、良い町に突進だ、心に気合を入れてハンドルを切る準備をした。
                                                 アメリカ・大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月4日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大陸横断鉄道と併走)・・・66

2015.7.4土  雨のち曇り 午前6:45
   水戸弁で・・・霧が深く、細浦水田は山水画の雰囲気だったが、誰にも会えなかった。 小高いところに車を停めて列車を待った。ラジオを入れてアメリカ音楽を流し、ムードを 高めた。しばらくすると東の地平線から龍のように長い列車が見えてきた。俺が待って いる地点とクロスするのは5分後と予測した。カーラジオのボリュウムをいっぱいに上げ、 アクセルを確かめ、何時でもスタート出来る体制を整えた。5分間を待ち、クロスする間際 にスタートし、IN 80号線に乗った。「やった、併走できる」と俺は叫んだ。カーラジオは アメリカ音楽を最大のボリュウムで流し続けていた。「やったど、併走できた」俺は西へ 大陸横断鉄道と併走しながら、昔見た西部劇映画の場面を思い出した。列車に金髪美人 それを追う馬上の男、併走しながら列車に飛び乗り、金髪美人と再会をする。しかし、今 の俺の姿は、レンタカーで大陸を一人旅をするわけの分からない日本人だ。周囲に存在 するのは俺の影だけであり、とてもロマンッチックという場面は得られない。ハッと我に返り アクセルを踏んだ。列車はくねくねと走り、坂道になりスピードを落とし、西へなお走ってい る。列車から手を振っている人が見えたので、俺も手を振り答えた。しばらく、併走する 列車は谷間に入ったり、丘に出てきたり繰り返しながら、トンネルに入ってしまった。俺は 一寸がっかりしていたが、数分後、突然左側の谷から出てきたので再会を喜べた。     先ほどのことを数回繰り返しながら、今度は本当の別れになってしまった。車は荒れた 地から木々の多い地帯に入った。ネバダ州からカルフォルニア州に入りつつあった。 目的の6,000kmの地点は間もなくだ。運勢はどう出るかワクワクしてきた。 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月3日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大陸横断鉄道と昼寝)・・・65

2015.7.3金 小雨 午前6:30
    水戸弁で・・・無し
    IN80号をしばらく走り、眠くなったので下に降りて田舎道の昼寝場所を探した。手頃
な大木が見えたので、その下に太陽を背にして車を停めた。私有地か分からなかったが
眠くてしようが無いので、そこを昼寝の場所にした。大木も無く、周りに手頃な場所が無か
ったのでしようがなかった。靴と靴下を脱いで、リクライニングを倒し横たわった。フロント
ガラスからネバダ州の青空が目に飛び込んできた。大きな青空で白雲はどこにもない
空であったが、眺めていると寝られないので目を閉じた。瞼の後ろに懐かしい日本の
景色が浮かんできた。田舎の畦道の脇の小川でアメリカザリガニを取っている風景だ。
突然、蛇が出てきた。少年の頃に経験した場面である。蛇は錦模様を持ったヤマカカシ
であった。目が覚めた、戦闘態勢の蛇と対峙した少年の頃の唯一の場面であった。蛇は
インドコプラみたいに立ちあがる場面であった。鮮烈に憶えている場面である。俺は蛇の
夢を見ると、すこぶる良いことがあるので、どこで寝ても蛇の夢を期待している。
    目を覚まし、リクライニングを戻し、フロントから前方をぼんやり眺めた。俺は丘陵地に
寝ていたのか再確認をした。下の方にIN80号が見え、さらにその下に、大陸横断鉄道
が走っていたことに気が付いた。テレビや映画で見た鉄道である。豪壮で勇ましい形を
した鉄道であり、鉄道マニヤの憧れである。俺は運が良いと思った。上手くすれば、
しばらく併走できるチャンスがあるかもと思った。何しろ、俺は面白いもの、珍しい物、
初経験を目指して大陸を横断しているのだから、大陸横断鉄道と併走が出来たら、
何よりの経験になる。と考え列車が着たら何時でも飛び出せるように小高い陣地に
車を停めて待機した。
                                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


2015年7月2日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(交通標識の銃痕)・・・64

2015.7.2木 曇天 午前7:00
   水戸弁で・・・晴れると思ったが晴れねーな、気持ちは快晴にすっぺよ、おめーらな。
   帰りはソルトレイクのアメリカ軍爆弾演習地を通り、一直線にIN80号線に戻った。そ
の途中の殆どの道路標識には、大中小の銃弾の貫通穴があった。大げさであるが、
アメリカ人の銃に対する感覚はマヒしているかもしれない。あらためてアメリカ社会は
超身近に銃があるのだと思えた。考えた、俺の車の中には自分を守る武器は何もない。
殆どのアメリカ人の車には銃が保管されている筈だ。横断中にもめ事があったら、銃を
撃たれるかもしれないのだ。その時の俺はどうやって身を守るか考えてみたら、何も
持っていない俺は背筋が寒くなったが、問題未然に防ぐほか無いと腹をくくるほかなか
った。
   そんなことは忘れて交通事故を起こさないように神経を戻し、青空の彼方に消え
るハイウエーを西に目指した。ハイウエーの一直線の先は一筋の糸のようにどこまで
も伸び、やがて青空と一体になり、消えて行ってしまった。あとサンフランシスコまで
1000kmもある地点であった。
  明日は大陸横断鉄道と併走したを記します。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月29日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(白の世界で誓う)・・・63

2015.6.29月 曇り 午前6:00
  水戸弁で・・・昨日の日曜は木を伐り、草を取り、トラクターで畑の除草、庭木の伐採だ。
  イラク派遣軍の演習地を抜け、荒れ地の轍を抜け、ソルトレイクの淵に立った。そこは
白の世界であった。湖の見えるものは全部が白で他の色は、湖の周囲の土地のいろだ
けであった。数キロ先までが白であり、何とも異様な感じである。これだけの白を見ると
寒いはずであるが寒く無く、風が強いはずであるが風無く、着込んだ人がいるどころか
誰も見えない。車から降りたって外に出た。白い個体を舐めてみたところ、しょっぱい
のでやはり塩だ。俺には経験の無い白世界と遭遇できたのである。俺には経験の無い
世界であるから興奮を覚えた。俺は経験をしたことが無い世界を旅のお陰で経験でき
た。旅の有難さと偉大さを改めて感じた。この辺に住む人にとっては、当たり前のことで
あるが、遠い日本から来た俺には貴重な経験である。今度の大陸横断では幾多の未経
験を制覇できると思うとワクワクする。未経験をメモしておこうと思った。東洋人の俺には
数々の未経験がある。生きているうちに出来るだけの未経験を制覇してみようと思った。
    思えば、ニューヨークからサンフランシスコまでレンタカーで走破する旅は数々の冒険
ができる旅である。俺はそれを今やっているのだから、「少年のような心を持ち続けよう」
とソルトレイクの淵で誓った。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月28日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(爆発前、爆発後)・・・62

2015.6.28 日  曇天  午後4:30
   水戸弁で・・・日曜日は草取りに追われるのだ、一週間で生えてくるんだ。
   俺はアメリカ陸軍軍用トラックの後ろで前方を睨んで待機した。カメラは何時でも取り
出せるようにしていた。時折、通行止めをしている兵隊が後ろを睨んで、俺を牽制して
くる。俺はポケットから日本の黒飴を出して監視兵に差し出した。「日本のキャンディ」
と言ってみたら、「サンキュー」と言い受け取った。「ボン、スモール」と監視兵ははにか
んだ。3Km先で爆発させるから、車の陰にいろという。そのうちに、大きな音がして
黒煙が垂直に起った。俺は初めて爆弾の地響きと音と立ち煙を見た。戦争なら少なく
とも数十人か数百人が犠牲になる場面だ。あんな物が近くに落ちるか、爆発した
直ちに委縮して、何も出来なくなるだろうと思った。それでもボンスモールとはにかんだ
白人兵の顔がいやに遠慮した顔であったのが気にかかった。俺は彼が軍人としては
小さな爆弾を相手に監視兵を命令されたことを恥ずかしがったのだろうと思った。
そこで、俺は大げさに親指を立てて、監視兵にゴマをすった。終わったから通過して
良いと指示が出たので、車に乗り込んで先に進んだ。ソルトレイクの淵に到達するの
が近くなったことが、周囲の風景から感じられてきた。サボテンみたいない植物と荒れ
た砂地、ペットボトルの残骸などは一本もない荒れ地へ侵入した。先ほどの爆弾の
興奮が覚めてきた時、塩湖の淵に着いた。まるで雪の湖に見えたので、頭の中が北国
にいるような気分になってしまった。明日は塩湖の淵で白を観察したを記載します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月27日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(銃撃された車と爆弾演習中)・・・61

2015.6.27土 小雨 午前6:45
   水戸弁で・・・雨の中をカッパで歩いだ、誰もいなかった、黙々と歩いたら爽快だった。
ソルトレイクシティを明け方に出た。月の砂漠のような土地を走っていた。所々に筑波山
くらいの山が見えた。その山々に行きたいなと思って走っていた。高速からそれた細い
道がそれらの山々に続いていた。ふと道路の標識を見ると、その標識は銃弾で穴が多数
あいていた。日本のテレビ見たことがある穴のあいた道路標識である。アメリカ人は走っ
ている車から標識に向かって射撃練習をするらしい。俄然、冒険心が出てきた。気がつく
と、高速を外れ、その荒れた細道に入っていた。何と、細道を2マイル走っただけで穴の
あいた標識を無数に見た。冒険心が更に疼き、どんどん荒れ地を前に進んだ。宇宙の
月や火星の表面のような土地である。この荒れ地の向こうにソルトレイクの湖があるはず
である。やがて前面に💀マークのある看板が経っていた。車を停め、看板に近づくと何や
ら書いてあった。それは「危険、入るな」更に、但し「演習中は」と訳せた。演習中は入らな
ければ良いのだなと理解した。爆発音や銃撃の音が聞こえないので、俺は大丈夫と思い
更に進んだ。延焼した赤茶色の鉄板になった車が捨てられていた。走っている車を銃撃
する訓練用の車のようだ。数台の赤茶色の車が無造作によ横たわっていた。空の薬きょ
うが散乱していた。道路を軍用トラックが封鎖をしている地点まで入ってしまったようだ。
軍用トラックが道路を封鎖し、数人の軍人が俺を停めた。「どこに行く、目的は」と言われ
た。俺は「ソルトレイク観光、日本人」と答えた。軍人の顔は白やブルーの戦争用化粧
がほどこされ怖かった。「ここにろ、間もなく爆弾を破裂させる」と言われた。俺は好奇心
の塊りとなり、カメラを隠し出した。軍人たちは爆弾の破裂する前方を見ている。その隙
に、シャターチャンスが生じると判断をし、日本人としては大陸横断中の最大のチャンス
と思えた。写真を写して良いのか、軍機密でダメか、俺を捕獲するのか、迷いながら
カメラを後ろに隠して前方を軍人になったつもりで睨んだのである。明日は爆発前から
爆発後までを記します。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月26日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(侘しい夜)・・・60

2015.6.26金 雲り 午前6:50
   水戸弁で・・・1時間歩いだ、数人の馴染と会い挨拶を元気良くした、相手も元気だった。
ソルトレイクシティの夜の食卓は侘しかった。アメリカビスケット類食品で晩酌をやった。頭で
想像したツマミは何もなく、テレビをかけるのも忘れて黙々とビスケット類を口に運んだ。窓か
ら外を見ると、借りたレンタカーまでが悲しそうに俺を見ている。ヘッドライトの二つ目で俺を
慰めているようだ。遠く目をやるとロッキーの山までが俺を慰めているようだ。「糖尿病のお前
は食わなくてラッキーと思え」と言っているように山が見えた。そうだ、食わないのは体に良い
考えるとのだと、病気と闘っているようで小気味良い気分になった。不味いものを食っていて
も楽しくなった。もっと不味いものは無いかと考えたら、爽快な気分の夜になった。ものは
考えようである。どのような環境でも、良い方に考えるべきである。次の世界が広がってくる
のである。淋しい考えに、良い場面は現れないのだ。これからは「どんな不味い環境でも
良い舞台にするために、バカみたいに希望・楽観的になるべきだ」と思った夜だった。
侘しい夜から学べた最高の夜になった。と考え、「グッドナイ、ソルトレイクシティ、
サンキュウソルトナイトシティ」と言葉を変え、眠りについた。
   明日はイラク軍へ派兵している留守部隊の基地へ侵入を記します。
                                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月25日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ソルトレイクの夜)・・・59

2015.6.25木 雲り 午前5:40
   水戸弁で・・・昨夜はあづまりで一寸遅くなったぺ、夕飯が食べられたのは9:00だー。
モーテルから徒歩で明かりが点いている方に歩いたら、コンビニがあったので中に入
った。しめしめ、美味いものが食えるかなと一瞬喜んだ。大柄の店員が大きな手で品物
を並べていた。その手に優雅さは全く無く、どちらかと言えば、食欲を落とすような手に
見えた。俺はその店員が触ったと思うような品物は避け、店員から離れた場所で食べ物
を物色した。アメリカらしく、サンドイッチ、チーズ、乾パンみたいな菓子、要するに俺から
見たら非常食売り場のようなコンビニであった。がっかりだ、と思った瞬間、店員が「ハロー
」と声をかけてきた。俺も元気良く「ハロー」と返した。俺はその後の英語が不明だから、
愛想良く笑顔を向けた。心の中はがっかりしている。美味いつまみが無い、俺が持ってい
る酒は日本製の焼酎がメーンであるから、チーズや乾パン等には合わないのだ。俺の
好きなツマミは、イワシなどの小魚を干した物やスルメ等である。これらが無いと分かった
瞬間、飲酒や食欲のかたまりが萎えてしまった。チーズや乾パンを買って、肩を落として
代金を払い店を出た。乾パンを抱え、とぼとぼとモーテルに向かった。途中の人家の明か
りを見て、部屋の中の食卓が嫌でも頭に浮かんでくる。この家の食卓の上には、ジュージュ
ーと油が浮かんでいる肉や魚が溢れているかもしれない。余り物でも良いから恵んでくれ
ないかと考えながら部屋に戻った。何も無いとなると、余計に惨めな考えが浮かんでくる。
力無く夕食の準備を始めた。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月22日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロッキーを降りた町)・・・58

2015.6.22月 雲の切れ間から日差し 午前6:00
   水戸弁で・・・歩いだっぺがいつものクオターしか歩かなかったな、昨日は5km歩いだ。
ロッキーを一目散に降りたが、着いた町はソルトレイクシティであった。塩の町やモルモン
教徒で有名な町である。ユタ州の州都の町であるから大きな町である。人口は18万人、
この町の雪質は世界一と言われ、冬季オリンピックも2002年に開催されている。
私にとってこの町は世界一住みにくい町となる。私はこの町では酒を飲んではいけない
と知らされていたので、大変不満な土地を通り過ぎることになってしまった。しかし、
トランクの中にビールとウイスキーが貯蔵されているので、夜半に一人で酒を飲んで
見ようと考えていたので、苦痛の夜にはならないだろうとたかをくくっていた。
    町の中のモーテルは高いので郊外に探したが、宗教色の強い町なので上品なモーテ
ルしか無かった。やむを得ず、マリオットホテルが経営しているモーテルに宿をとった。
カウンターで何食わぬ顔をして酒をバッグに忍ばせて部屋に入った。さて、つまみが無い、
私はつまみが無いと飲めないのだ。買いに出る他ないときめて、歩いて店探しを始めた。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月20日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(頂上から降りる)・・・57

2015.6.20土 快晴 午前8:00
   水戸弁で・・・しばらくぶりに晴れだ、今日は何か良いことがあっかな、みどに行くべ。
ロッキーの頂上でひとしきり物思いに耽ってみたが、素晴らしいアイデアは出なかった。
凡人の淋しさを味わいながら、坂を下り始めた。降りる途中の景色はなぜかあまり憶えて
いない。遠くの青空と山の岩肌を交互に見ながら一気に降りた。日本の山間だと数分で
降りてしまうが、さすがロッキーの山は数時間がかかった。人は登る時と降りる時は、
どちらが爽快か考えながら降りた。人は登る時は目標があり、その目標を達成する強い
意思を抱いて登り、達成した時は嬉しい気分になるが、降りる時はその意志の半分程度
の力で降りるようになる。楽々のエネルギーだけしか使わないで降りるから、使ったエネ
ルギーと比例するので、降りる時は爽快感がないのだと思った。要は山の爽快感は使っ
たエネルギーと比例すると思った。そんなことを考えながらロッキー山脈を一気に降りた。
山を下り着いた町はソルトレイクであった。塩の町と言われ白銀の湖を抱いている町
である。何か面白いことを探しに行こうと思った。坂はまだ続いているが、なだらかに
なってきた。もう町は近い、夕飯は美味いものにありつけるかな。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月14日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(山の頂上)・・・56

2015.6.14日 曇天 午前7:40
   水戸弁で・・・気持ちが良くねーなー、この天気は人を愁殺する、早く終われよ。
ロッキーの麓は緑多く、遠くに見えた頂上も美しく、青空を目指して登ってきたが、中腹で
冷たい風に見舞われ、荒涼とした人をよせつけない山肌を見て、更に、頂上を意地になっ
て目指した。頂上近くで見る下界は、豆粒の世界であるが、目を上空にやると入道雲が忙し
く動いていた。あと頂上までは10分の位置になった。頂上で何を思うか、何をやろか、思案
しながら上に向かった。僅かな10分の間に頭が忙しく活動をした。
   頂上が見えてきた。頂上はわずかな土地であった。一息つこうと車を空き地に入れる。
車から出て回りを見渡した。ローッキーは北の端てから西の端てまで延々と続いていた。
アメリカ大陸を代表できるロッキー山脈である。頂上では宇宙、地球、海、大陸、原野、川、
砂漠、草原、平野、湖沼、小川、里山、田圃、畑、自宅前と敷地を連想していた。大きなもの
から小さなものを次々に頭に浮かべた。地球の峰の天辺で思いにふけってしまった。我に
返って現実が頭と心に侵入してきてしまったので、車に戻り次の地点を目指した。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
   

2015年6月12日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロッキーの青空に)・・・55

2015.6.12 金 雲り 午前4:30
   水戸弁・・・しばらく休んだっぺな、今朝の水田風景は霧で回りがめーねーな。
   ロッキーの中腹で冷たい風に当たったら、疲れと眠気が一気に吹っ飛んだ。体力気力
が回復して、更に上に進む。私はいそいそと運転席に戻り、エンジンをかけて
青空に浮かぶ雲の方面を目指した。遠くに見える谷は果てしなく遠くに見え、ロッキーの
頂上に見える入道雲は手にとれるように見えた。一寸窓を開けてみる。ヒューヒュー、
ゴーゴーと風の音がやたらに淋しく聞こえた途端、限りない淋しさが私の心を襲って
きた。何故だろうと考えながら、頂上を目指す。思うに、日本を出てから数日目が経った
が日本語を全然話していない。周囲に知った人がいない、荒涼とした山道を走っている、
西部劇映画の一場面を思い出してしまった。映画シェーンの場面である。遠くにロッキ
ーが見え、少年が見送り、シェーンが去っていく場面である。願っていた最高の大陸横断
中であるにも拘らず、淋しい感情が湧き上がってきた。淋しい感情は払拭して、楽しい思い
出に切り替えた。頂上の大きな入道雲が肥大化し、雨模様になってきた。ロッキーの山越
えが雨になるかもと思った。ポツリ、ポツリと小粒の雨がフロントに落ちてきた。淋しい感情
を忘れかけたら、またロッキーの雨で淋しさが襲ってきた。気を取り直し、周囲の景色を
楽しむように心がけた。雨雲の切れ間から、時折青空が望めるようになった。青空の素晴
らしさに気付いた。雨雲の色と青空の色の大差を気付いたロッキー越えの一コマであった。
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

  

2015年6月6日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロッキーを越えて)・・・54

2015.6.6土 朝方雨 午前6:50
  水戸弁で・・・朝方は雨が降っていだな、カッパを着て4Kmを歩いて頑張った。
  モーテルを出たら前方遠くに日本では見たこともない巨大なロッキー山脈が見えた。
その山脈の右端は遠く霞んで見えなくなり、左端は遠い地平線に沈んで見えなくなって
しまう山脈と私は対峙した。おまけに、インターステイト80号線の最先端は一筋の糸みた
いになり、天空に昇っていける道路のように見えた。レンタカーをIN80号線に乗せ、ロッ
キー越えに向かう。ガスは満タン、タイヤ圧も大丈夫、車内の各メーターに目を移す。
警告メーターは出ていない、安心してアクセルを踏み込む。メーターは直ぐ80マイルを
指し、快音が聞こえ、私の心を平和にさせた。既に太陽が昇り、私の背中を照らしている
ので、私はソーラーのモジュールを背負ったような形で先に進む。平らな道はやがて
なだらかな昇り勾配になり、ロッキーの裾野を走っている感じが出てきた。既に昇り勾配
を2時間走っている。太陽の陽がロッキーの裾野から中腹を照らし出した。昔の西部劇に
出てくるような突出した真っ赤な山や同じく石だらけの荒れ地が見える。その荒れ地の中
にもか細い道路や川があるようだ。その中に行ってみたくなったが、車のエンジンを停め
るのが惜しく、その中に入るのを我慢して更に坂道を進む。高所に来たので道路の中腹
の空き地に車を停めて、下界を覗き込んだ。遥か遠方に私が来た道が一髪の髪のように
見えた。天を仰ぐと、雲が忙しく流れ、ロッキー風の冷たさを感じたので我に返った。
   数分と寒くてそこにいられなかった。車に戻り更に天辺を目指しアクセルを踏んだ。明日
は更に上にを記します。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

                                                  上に、上に、ロッキー頂上があるんだ

2015年6月4日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(夕べのホタル)・・・53

2015.6.4木 快晴 午前5:30
   水戸弁で・・・昨夜はホタルに会いに行ったら、細浦の山間の畦道に3匹が待っていた。
   昨日の続きは、酔いつぶれたようなかたちで寝たベッドから朝起きて、辺りを見回すと
無残な部屋となっています。昨夜の至福と今朝の超労働は帳尻が合うので、あきらめて
部屋の掃除になります。コップの中はアルコールと氷が溶けてしまった形容できないぐに
ゃぐにゃの水、紙皿の上にはアフリカの獰猛な動物がしゃぶりついた後のような肉片骨片、
何百回も口の中に入り噛み砕かれた箸、箸さえ手を付けなかった分からない野菜、口か
手を拭いたテッシュ、おまけにアルコール臭い部屋の中で一人片づけをやります。水類は
部屋の流しへ、肉片骨片はゴミ箱の中へ、箸やテッシュも同じゴミ箱へほおり込みます。
そして、アメリカ人からクレームがつかないように部屋を見回してから、カウンターにさよ
ならのあいさつと鍵を返しに行きます。「サンキュウー・サー」と言い鍵を返します。ゴミ
が凄い件は触れずに、心の中で謝ってからカウンターを離れます。ごみの件で追いかけ
られないうちにエンジンをかけてモーテルを離脱します。モーテルから高速の乗り口は
近い所に必ず有ります。乗り口に乗って高速上の上になったら私の心はホッとした気分
になれます。ここまでは来ないだろうなどとは考えませんが。日本人は小心ですが、近く
の東洋人は平気な場合が多いです。その差は島国か大陸かの差で無いでしょうか。
    明日は中西部から雄大なロッキー山麓からロッキー山脈を越えるを場面を記します。
 
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月3日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(オマハの休日)・・・52

2015.6.3水 曇天 午前6:50
   水戸弁で・・・雲りだっぺ、気持ちが晴れねーな、控えめに行くほかねーな。
スーパーで買い物をした。先ず入口から入って右回りに食品を見ていく。果物や乳製品
が並んでいるが、スパーによっては左回りの所もある。アメリカ人らしく右回りをする人や
左回りをする人がいて自由だ。日本のスーパーの原形はアメリカにあることは間違いな
い。アメリカ最大のスーパーに入ったので、あらゆる食品が並んでいる。私は野菜の
ネギと肉を小量買い、あとは鍋に合うものを適当に買った。油揚げもどきや豆腐もどき
の物も籠にぶち込み、レジでカード支払いをした。アメリカはカード社会であり、小銭も
考えたら断然便利である。レジで働いている人に若い人は少なかった。奥様のパート
を多く見かけた。
   モーテルに戻り鍋料理の準備を始めた。洗面所でネギと肉を適当に刻み、油揚げ
もどきと豆腐を紙皿に盛った。部屋の小テーブルと椅子をテレビの前に移動し、鍋の
電線をテレビの後ろのコンセント口に差し込む。水が沸騰するのを垂涎が溜るのを
我慢して待つ。我慢しきれなくなって冷蔵庫の冷やしたビールを取りに行き、紙コップに
注ぐ、取りあえずの一杯だけと自己確認をして一気に口に流し込む。この瞬間が私の
大陸横断中の休日の始まりです。その一杯から終わりの杯までが、私の大陸旅行から
宇宙旅行までの夢をみることが出来る至福の時間となります。良い気分になったら、
戸外に出て夜空の星や月に明日の旅の安全を祈願します。体が冷えたら部屋に戻り、
思うままにベッドに横たわり、楽しい夢を見るお願いを天に頼んで休みます。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月2日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(オマハで骨休め)・・・51

2015.6.2火 快晴 午前7:00
    ニューヨークを出てから5日が経った。初日の夜はクリーブランド近くの超田舎に泊っ
たので村の名前は忘れた。2日目の夜もシカゴの相当手前の田舎に泊った。2日目は
慣れたので中華料理店で夕食とした。幸いに歩いて行かれたので中国の青島ビールと
中華料理のつまみで喉と胃袋を癒した。そこの中国人の主人や奥さんとと話が弾み、
ふらふらになってモーテルに戻った。3日目はシカゴを目指していたので、シカゴの
一寸手前の町に入ったが、コンーボーイ野郎が多く泊っていたので、朝立ちの車の
音で早朝が煩かった。シカゴまで行って町を彷徨った。大型の駅や鉄路がアメリカら
しくて驚愕した。町に入ったら歴史観のある超高層ビルと縦横無尽の道路に見惚れ
我が国の狭い土地の貧相を思い出した。町の中の駐車場で係の少年の10ドルチップ
をやって町の中に徒歩で向かった。背の高い白人の女性が、カバンを小脇に抱え、
凄いスピードでビルに入っていたが、そのビルの外壁の色と彼女の服装の色が絶妙
に合致していた。亡くなったイギリス王女のような雰囲気を道路に残していた。次に
思い出にあるのは、シカゴのビジネスマンの昼食風景であった。私はシカゴの駅ビルに
入り、昼食の場所を探したところ、立ち食いをしているビジネスマンを多く見た。
食べたり飲んだりする時はマナーを重んじるアメリカかなと思ったが、そうでもなかった
場面を見たので安心した。この時以来、アメリカでの私の食事は行儀悪くなったので
あった。4日目はどこに泊った忘れたが、平凡な思い出の無い町であったと思うので、
書くことは出来ない。
    その町を出て、5日目の朝にアメリカ中央のオマハに向かった。そうだ、オマハで
骨休めと一人での反省会をやろうと考え、夕方にスーパーに鍋料理の材料の買い
出しに行った。明日はオマハでの一人の飲み会の思い出を記します。
                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  

2015年6月1日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストハウス探検)・・・50

2015.6.1月 快晴 午前6:40
  水戸弁で・・・今日は歩いだなー、天気も好いし、体調も良かったなー、前に前にいぐ。
   部屋の窓は破れ、ドアは壊れ、天井の一部から青空が覗き、埃が積もり、時折風で
ドアがバタンバタンと悲鳴を発するゴーストハウスに二階があった。階段が目の前に
あり、上がってみようとした。理由は、今までに見たことの無い景色があるかもしれない
と考えた。二階上がる危険性を予測する。放置された死体があるかもしれない、
無法者のアジトになっているかもしれない、毒虫や毒蛇の巣になってるかもしれない、
病原菌の巣かもしれない等と考えた。これらが現実になった時に、防御する武器も
無ければ医薬品もない。アメリカ大陸の横断が目的で危険を楽しむ旅ではない。躊躇
わず階段を上がるのをやめてバックした。外に出たら白人が何かの作業をしていた。
こちらを不思議そうに見ていた白人が、手を休めて手を挙げてくれた。敵対意識は無い
との表示である。こちらも手を挙げて車に乗り、そこをゆっくり立ち去った。こういう場合
はゆっくりが原則である。考えてみれば、ゆっくりの動作は、緊張感を和らげるのかも
しれない。ちょこちょこやスピーデイな動きは、相手の警戒心を高めるかもしれない
と気付いた出来事でした。ゆっくりとした動作で何かの難を逃れたのは、確かな事で
した。そこから平原の荒れ地を走り、インターステイト80に戻ってサンフランシスコに
向かった。あとサンフランシスコまでは2500kmもある。今回の教訓は「深追いは
禁物」でした。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  

2015年5月29日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストハウス侵入)・・・49

2015.5.29金 曇天 午前4:50
  水戸弁・・・風邪が治んねーだ、くしゃみが連続で出てんだ、大人しくしてっぺ。
   突入した、開いたままのドアから「ハロー、ハロー」と言って中に入った。物音一つ
しないハウスのなかは、静まり返っていた。時々風が屋根を伝わる音がするだけで
ある。ハウスの一部は店になっていたようだ。古い店の機材が散乱していた。ドアの
右手が事務所になっているので、意を決して事務所に入った。事務テーブルの上に
は、吸いかけの煙草が灰皿に横たわり、メモ用紙が散乱し、筆記具なども散らばって
いた。危ない、何かを集中して見ている後ろから、暴漢が来る場合も考えて壁を背に
して全体を見るようにした。今まで事務を執っていた形跡もあるが、誰かが住んでい
るような人の気配は無かった。シーンとした部屋から聞こえる音は無し、人の気配は
全く無し、私はそれでも警戒心を解除しないで、店の部分に移動した。古い冷蔵庫や
埃だらけのテーブル等が散乱していたが、砂漠の中で売っていた冷たいアイスクリー
ムの宣伝が、壁に書き込まれている箇所に目を奪われたのである。その壁に書かれ
たアイスクリームの文字は、熱い砂漠の中で一番の清凉感があったものでした。
思わず暑さを忘れ、更に奥に進んだ。アメリカ大陸の西部を渡る旅人の姿を連想
しながら進んだ。窓のガラスは悪戯か、風で破れたのか分からないがところどころ
が破れている。破れたガラス窓から雲一つない青空が見える。思わず、しばしの間
青空を眺めてしまった。青空に軍用ジエット機が飛行雲を描いて飛んでいた。
上空を忘れ、緊張感を戻して更に中へ進んだ。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月25日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストハウス)・・・48

2015.5.25月 快晴 午前6:45
  水戸弁・・・昨日はよー、風で午前中は寝ていたっぺが、夕方から調子が戻ったよ。
  インターステイト80をオマハからシャイアンに向かって走っていた時に砂漠の中に
一軒家が見えた。ハイウエーは高所だったので、そのゴーストハウスは低所に見え
た。私は次の降り口まで車を走らせて、Uターンして反対側の路線にのり、一区間
を戻った。ゴーストハウスが遠くに見える降り口を降りて、その一軒家に向かった。
そこに行く道路は壊れていたので、注意深く小道あるいはブッシュを進んだ。遠巻き
に這うようにしてそこにたどり着き、周囲を念入りに観察しながらドアに向かった。
馬を繋ぐ馬先棒が庭先に立っている。周囲の庭を動物の糞が無いかを見た。建物
はところどころガラスが割れ、入口のドアは開いたまま、時々風で動いている。
庭の草木は何年も手を入れてない、それは砂漠の中のいわくつきの異様な建物に
見え始めた。砂漠の中なので凶悪犯罪に襲われたか、砂漠のなかで病気になり
逃げ出したか、色々な想像力を援用たが、当然にゴーストハウスになった意味は
分からない。
   私の冒険心も高まり、中に入ることを決意した。予想できる危険は住人がいて
侵入者ということで撃たれるか、砂漠の毒蛇の巣になっていて蛇が押し寄せるか、
既にゴーストハウスに死者が横たわっているか、伝染病の菌が蔓延しているか
等々を考えてみた。それでも侵入することにした。生まれて初めて見たゴースト
ハウスを体験したくなったのである。恐怖より興味が優先した私の心理は、ワク
ワク感が入道雲のように満ち溢れてきた。進め、進めと言い聞かせてドアを
押した。明日はそこで見たものを記します。
                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月24日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストタウン)・・・47

2015.5.24日 曇天 午前7:00
  水戸弁・・・風邪をひいてんだよ、散歩もブログものっていねんだよ、もう止めべ。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月23日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ガソリンの入れ方)・・・46

2015.5.23土 快晴 午前6:00
  水戸弁で・・・寝すぎてしまったな、散歩には出ないでコーヒーでも飲んでべ。
  アメリカでガソリンを入れるにも何かと日本と違う。スタンドの給油口に車を停め
てから、スタンド事務所に向かう。この時は鍵をかけることを忘れないこと。とんでも
無い事が起きることがある。事務所のレジ前に立つが、レジ係の殆どが女性かアフリカ系
アメリカ人であった。まれに白人がいたが、高齢の人が多かった。レジ前に立ち、自分の
給油口の番号を言う。そして、カードを出し満タンか数量か入れる金額を言う。外国の
カードだと50ドルまでしか入れてくれない場合が多かった。レジ係の女性がカードに
サインを求めてくるので、サインが終わったら車に戻り、給油機を外して、車の給油口
に差し込む。この時に給油機が外れない場合があり、難儀をしたことがある。力を出して
引っ張ても外れないのだ。有りだけの力を出してもダメだった。ソーッと給油をしている
他人のやり方を見てみたりしたがダメだったので、レジ係のメキシコ女性に応援を求めた。
彼女が給油機の給油ノズルが置いてある下の台座を上に上げると、ガスがスルスルと
流れ、ガスタンクが満タンになった。
   私はペコペコしながら10ドル札を出してしまったのであった。チップとしては多すぎたが、
彼女は涼しい顔をしてポケットに10ドル札をしまい込んだ。後で思ったが高かったのか
安かったのか半然と出来なかった事件でした。この10ドルのお陰でそれからのアメリカ
での給油はどこでもスマートにやれたのである。それに、二度とガソリンスタンドでの
チップは払わないで済んでいます。
   明日は砂漠で見つけたゴーストタウンを記します。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝
   

2015年5月22日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(モーテルを出たら)・・・45

2015.5.22金 快晴 午前7:10
  水戸弁で・・・今朝の散歩は調子が良いから長距離コースにしたら爽快だよ。
  モーテルを出たらガソリンの心配をする。毎日目一杯走るから夕方にはガス
が無くなる。朝に満タンにしたガスは午後の3時ごろに無くなり、ランプが点く
ようになる。アメリカでは50マイルごとにガソリンスタンドがあるから、心配は
無用だが、給油しておいたほうが無難である。IN80号線をサンフランシスコに
向けて走っている時に、右遠方に筑波山のような山が見えたので迂回をしなが
らすそ野を廻ろうとしてブッシュ平原にハンドルを向けた。砂漠の中を半日走っ
たが一台の車も会わないで午後になった時があった。起伏の激しいコンクリート
道路を走った。山あり谷あり池あり森林ありのコースとなった。先ず山は日本で
は見られない雄大で峻険な山であった。それを超えてホッとした間もなく、深い
下が見えないというような谷を見ながらの走行をしていると思ったら、大きな池
というより湖の淵を三時間くらい走ったりして、清々しい森林にたどり着いたと
いう走行であった。この時であるガソリンが無くなりメーターと睨めっこしながら
の旅をした。冷や汗と何とも言えない不安感を抱いて数時間走った。太陽は
山間に沈み、鳥は帰巣を急ぎ、山野の動物までが夕暮れを知らせてくる、
不安感の真っただ中になった。頭が混乱してくると、冷静な判断は出来なく
なってくる。この時のガス欠感を二度と繰り返さないようにモーテルを出たら
先ずガスを入れ続けているアメリカ大陸ドライブ旅行である。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月21日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(食後のあれこれ)・・・44

2015.5.21木 雷雨 午前6:20
  水戸弁・・・雷だな、天が人間を怒っているのかな、雷鳴が地上を震わせたっぺ。
  およそ後片付けで面白いものはない。一人でアメリカ横断中の食後は後片付け
を避けて通れない。粗食にすれば後片付けは簡単で豪華にすれば反対である。
私の旅行中は粗食でもなく、豪華でも無いのであったが、後片付けは大変でした。
それはコップを洗面所に運び飲み残したものを流すから始まり、次に食べ残した
ものをゴミ箱に入れるが、生ごみも一緒にどんどん捨てる。部屋の注意書きには
書いてないのでアメリカ式は楽であった。モーテルの管理人は嫌がったか、怒った
と思うが捨てる他ないやり方であった。それまでに私はゴミの収集車の中身を
街頭で観察をしていたので罪悪感はあまり起きないで済んだ。朝になっても部屋
の中は昨夜のアルコールの匂いが充満している。窓を開けて外気を入れる。
一斉にアメリカの大地の空気が部屋に雪崩れ込んでくる。昨夜に見た夜の景色
と朝の景色の違いを確認する。遥か遠くに雪を抱いたロッキーがあり、近くには
砂漠独特の砂の光が眩しく目に入る。外に出てその景色を再確認して体を簡単
に動かしてみる。都会で疲れた体でない何かが、もっと動かせと指令を出すので
更に外に出て体を動かすのであった。つまり、大陸横断中は後片付けが済んだら
体の疲れの整理もやる他ないのであった。私は部屋のゴミ箱に残した食べ物の
ゴミのことを案じながら、何かを係員に言われる前にそそくさにモーテルを出る
ようにしてた。
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月20日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(一番の晩酌)・・・43

2015.5.20水 雲り 午前6:20
  水戸弁・・・歩るいだ、緑の下を、散歩者は少ないほうだっぺな、空気を独り占めしたよ。
   一番の晩酌はアジア系スーパーで野菜、肉、蒟蒻、油揚げ、その他の寄せ鍋材料と冷え
たビール、氷のブロックを買い、二人用の電熱式鍋で寄せ鍋をやることであった。だだし、
アジア系スーパーは大都市にしか無く、小さな町には無いので代用寄せ鍋材料使用の
鍋となる。部屋の戻ったら、コンセントの近くにテーブル椅子を引き寄せ、テレビも見える
範囲内に鍋陣地を作る。コンセントを繋げ、鍋に水を入れて載せる。洗面所で材料一式
を洗い、サランラップか紙皿に盛り、鍋陣地に運ぶ。そして、日本から持参のポン酢を
紙器に入れ、鍋に放り込んだ材料が煮えるのを待つ。冷蔵庫に入れたビールをいつでも
取り出せる体制にしておく。次はブロックアイスを適当に砕き、ウイスキーに転じた時に
すぐさまコップに入れられるようにする準備をして鍋を待つ。鍋が煮えたら、七味唐辛子
か豆板醤というのかわからないが、アジア系の辛い唐辛子を用意する。それから割りばし
も用意する。割りばしでないと鍋のムードが高まらないのだ。既に口の中は垂涎で一杯
であり、目も垂れ目になり、気色満面の表情になっているはずである。今度はこの瞬間を
鏡で見て、写真を取ってみようと思っている。喜色満面の表情を写せるはずだ。
   さて、鍋を突っつき、ビールをあおり、ウイスキーを飲むころになると、頭の中は今日の
反省と明日の期待が交錯してくる。アジア文明と英米文明の違いを探し始めるのも、
酔いが回り始めるこの頃である。明日は晩酌のやりたくない後片付けを記します。
                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
クリントン大統領の実家の玄関にくつろぐ

2015年5月19日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(アメリカ式晩酌)・・・42

2015.5.19火 雨 午前7:30
  水戸弁で・・・昨夜は宴会があったぺよ、代行で帰ったんだ、でも早く帰れたんだ。
  アメリカ式晩酌は、スーパーで買いこんだ物によって違う。簡単晩酌の1は袋詰め
のつまみにならないものをつまみとして冷えていないビールかアメリカウイスキー
をペットボトルの水で割って飲る。2はスーパーのカラフルなサラダと暖かい何の肉
分からない肉類と半冷えのビールと半冷えのペットボトルの水でウイスキーを割っ
て飲る。3は町で中華弁当を何種類か買って冷えたビールとウイスキーを冷えた
水で割って飲る。4は持ちこんだ電熱式鍋に買いこんだ野菜や肉類を投げ込んで
フーフー言いながら冷たいビールと日本のウイスキーに氷を入れて飲る。思い
でとしては4の方法が一番であった。一番楽しくなかった晩酌を明日記します。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月18日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(モーテルの部屋で)・・・41

2015.5.18月 快晴 午前6:00
   水戸弁・・・早朝ベンチに寝て青空を観だら、青空に抱かれた白雲がオホーツクへ・・・。
モーテルの部屋に入ったら、部屋の機能を確かめてから椅子に座りゆっくりする。バスに
湯を溜めて入浴の準備をする。その間に、旅行スーツケースから着替えを取り出し、入浴
後の準備をする。窓を開けて周囲を観察する。強盗が来るとしたらこの窓から、火事にな
ったら二か所の退避口を定める。更に、ドアの鍵の堅牢性を確かめ、強盗に襲われたら差
し出す囮の財布とキャッシュ、カード等を見えるところに置き、実際の物を隠す場所を探し、
一先ずの安心をする。ジーっと耳を澄まし、ここは都会音や田舎音かを見極める。外の
音により、睡眠不足になるか否かを予測できる。経験であるが、ダラス近郊に泊った時
に、深夜に列車音が一定の区切りで聞こえ寝不足になった時があった。列車音が聞こえ
たために、列車を想像したり、乗客を考えたり、列車の行先まで考えていたら寝られなく
なった時があったので、深夜音に神経質になったのである。都会音は寝易く、田舎音は
妙に心が詩的になり寝られなくなるのである。
    バスルームに入り、一日の疲れを癒し、明日の計画を湯船で考える。毎日毎日汚れる
わけでないので、お湯に浸るのが目的の入浴であるから、入念に洗わずにバスルーム
は退却する。その後はふき取りもそそくさに晩酌の準備をすることになる。
   明日はアメリカ式晩酌の作法を記します。
                                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月17日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(彷徨者の夕食)・・・40

2105.5.17日 曇天 午前4:45
   水戸弁・・・おがしいな、風が治んねーだ、花粉症でねーかと言われてんだ。
アメリカでの彷徨中は殆ど美味しいものは食べてない。昨日の記したのは2種類
と書いた。その一はスーパー等で買い込んだ食料を一寸加工した食べ方と、近くの
弁当屋で買ってきたもの食べる方法である。
   スーパでの買い方は、ウオル・マートが買い易く、品揃えが多くて便利でした。
駐車場に車を入れて、玄関口からカートを押して入ります。左回り型と右回り型
があったような気がしますが、食料品や衣服まで揃えた大型店がですから、身の
回り品は何でも揃います。私は果物から始まってつまみ類、ビール、主食品等を
カートに投げ込み、そそくさにモーテルに戻り、夕飯の準備をします。冷たいビー
ルを早く飲みたくて、缶を開け乍らの夕食準備が多かったです。飲みに入ると
主食を食べたくなくなり、翌朝に残してしまうのが多かったです。
   一方、近くの弁当屋で買った夕食は中華弁当が多かったです。中華は醤油
味ですから、疲れたり日本食が恋しかったりした時に頼もしくもあり、美味しかっ
たです。やはり、日本から持参した焼酎をアメリカのど真ん中の所で飲むのは、
大陸彷徨の醍醐味です。「我、西部の砂漠で焼酎を飲っている、明日はどこで
飲るかを想像しながら」の心境は行かなければ分からないです。
    「中高年のみなさん、旅に出ようよ、日本を変えることになるかも」は私の
テーマです。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月16日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(部屋に入ったら)・・・39

2015.5.16土 雨 午前6:30
   水戸弁で・・・昨日のゴルフはごじゃっぺ、ドライバー良く、アイアンがだめっ。
モーテルのカウンターでキーを渡されたら、先ず部屋の位置を確認することが大事
である。理由は広ーいので歩いたら大変になる場合があった。端から端まで200m
四方の敷地内であったこともある。車で自分の部屋まで移動となったこともある。
   それで部屋に入った時に先ず何をするかを記します。ドアを開けて荷物を持ち込
みひとまず部屋を観察します。タオル枚数、洗面具、空調システムとオンの場合の
機械音、テレビ、コンセント、トイレの水の出具合、トイレットペーパー、冷蔵庫、
床の清潔感、荷物を置く場所(イザ言う時のため)、テーブルとその移動の可能性、
内鍵の安全性、貴重品を隠す場所、天井の隅々に動物穴が出来ているか、部屋
全体の安らぎ感、ビールを緊急に冷やす器、ゴミ箱の数、煙草の匂いはどうか、
簡単な食器類、スプーンとフォーク、その他を思い付きでチックします。一先ずの
チックが終わったら、テーブルに座り一息を入れます。今日の旅の思い出を頭で
描きながらニヤニヤします。このニヤニヤが疲れをとり、ビールを美味しく飲ん
だり、寝つきやすくするためのコツとなります。この間の検証作業時間は約10分
くらいでやります。
    次に、夕食の準備をすることになります。夕食には二通りがありますので、
明日に記します。
                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
入念に観察しても正体不明の寿司と鯖みりん干し

2015年5月15日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(宿泊記帳)・・・38

2015.5.15金 快晴 午前6:00
    水戸弁で・・・今日はゴルフだっぺ、早朝ウォーキングを40分で終わりにしたよ。
    高速上からお気に入りのモーテルを見つけ、一般道に降りる。右側通行なので
注意深く進む。右に右に進むと、モーテルの入り口にぶつかる。モーテルは数店舗
がまとまってある。一般道からモーテルの玄関口に車を横付けする。荷物を降ろさ
ないで中に入り、部屋が有るかを問う。今までに無いと言われたことがなかったが、
一度だけ、満員でサンタモニカで断られらことがあった。つまり、午後の明るいうち
に入れば部屋があるということである。カウンターでの私の英語では「キャン、ナイ、
ゲット、ア、ルーム、トナイト」となる。ほとんどのアメリカ人は分かってくれた。
相手は頷くか「イエス」又は「OK」と答えてくれる。パスポートとカードを出し、無言
でいると、相手は何やら話をしてくる。私は「ソッリー、アイ、カント、イングリシュ」
と言う。相手はまた「OK」と言う。相手はパスポートをコピーし、支払いのカードに
サインを求めてくる。私は「ハウ、マッチ」と聞く、相手は「・・・・」と値段を言ってくる。
分からない場合は、数字を書いて貰う。これで一応の宿泊記帳が終われる。
次に、相手は部屋番号を示し、キーを渡してくれる。当然だが、荷物は運んでくれ
ない。モーテルと言ってもエレベーターまである場合もあるので、荷物運びは楽であ
るが、自分の部屋まで行く距離が長いのが多いので大変だったことがあった。
   明日は部屋に入ったら、することを記します。
                                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月14日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(モーテルイン)・・・37

2015.5.14木 快晴 午前7:00
   水戸弁・・・咳が出て止まんねーだー、咳が一か月ぐらいでーでんだ。
   高速を走り夕方になると、西の空が茜色に輝いてくる。鳥たちもねぐらに帰り
始めてくる。夕日の中に鳥の飛ぶ姿がシルエットになって落ちてくる。私はそわ
そわしてモーテルの看板を探し始める。高級、中級、その下と値段が違うので
中級以下の看板を見つけようと、目を皿のようにして見つけ始めた。
   森の木より高い看板が見えた。モーテル8、モーテル6、クオリテイ・イン、思い
出すだけでも色々なモーテルに泊った。全て中級以下であったが、素晴らしく
綺麗で心地良かった。思うに、アメリカのモーテルの歴史は長いので洗練され
たのであろうと考えた。今日はモーテルの見つけ方と泊り方について記します。
    高速道から見てモーテルが林立していれば大きな町とクロスしている道路が
有り、林立していなければ小さな町と細い道路しかないのである。大きな町の
モーテルは値段が高く、小さな町のモーテルは値段が安いのが通常である。
私はあまり大きな町には泊らない。理由は高い部屋料金を取られるからである。
だが、大きな町には安くて美味しい食べ物が有るが、小さな町では不味くて
程々の値段を取られる食べ物になる場合がある。私は中級の町に良く泊まった
ので、明日は高速を降りてモーテルの宿泊記帳をするまでを記します。
                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月13日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(農耕地と夕日)・・・36

2015.5.13水 曇り 午前5:40
  水戸弁・・・台風はどこに行ったっぺか、風無し、雨無し、鉛色雲低いが凪になった。
アメリカではどこかの町の外に出ると、先ず目に入る光景は、林か農耕地であった。
農耕地にはジャガイモかトウモロコシが植えられていたのが多かった。畑と地平線
はお揃いであり、地平線の彼方には夕焼けが似合う。東から西へ向かう場合には
夕日を見るようになり、反対に向かう場合は朝日を見ることになります。大平原を
西に西に向かった時であるが、行けども、行けども農耕地の景色と出会った。窓を
閉めて走っているが、窓から土の匂いと作物の匂いが入り込んできた。植物を観察
すると、トウモロコシのようである。長方形の土地にビッシリとトウモロコシが植えつけ
られていた。背丈の低いトウモロコシであるが、幹が太く、実も育っていた。不思議に
これを狙うカラスが見えなかった。日本ならば実の柔らかい時は、鳥類の最高の餌
になるはずであるが、アメリカのカラスには、トウモロコシは大した餌にならないの
だろうと思った。朝9時に出て、午後の3時ごろまでトウモロコシを見続けた。出来る
なら、畑に降りて茎や実を手にとって見たいが、高速を120Km以上のスピードで
走っているので無理だった。緑の水平線を終日走ってから、夕方に宿に入る。気が
付くと、私は鳥と似ている生活を大陸横断中は送るのであった。明日はモーテルに
入るを記します。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                                   夕暮れ時

2015年5月11日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(旅の途中で)・・・35

2015.5.11月 快晴 午前6:20
  水戸弁・・・いい天気だあー、誰もが、いつも朝のように天記や心が晴れていたらなー。
  駐車場で目が覚めたら、顔を洗い、一寸運動をして、またハンドルを握る。東から西に
向かっているので、太陽はやや背に受ける。フロントガラスから見えるアメリカの景色は
朝日に輝いて、とても爽やかだ。午前9時発、ガソリンは満タン、1リッターで約7Km
は走る車だ。午後5時ごろまでにガスは無くなり、モーテル探しをするようになる予想
を立てる。エンジン始動、ギヤを入れる、アクセルをふかし乍ら、左を見る。車は来な
い、スーッと本線に入る。徐々にスピードをあげていく。程なくして、トウモロコシ畑を
眺め続けるようになった。大きな農家の庭先にトレラー、ブルドーザー、ユンボ等
建設会社のような機械が揃っている農家がポツンぽつんと見えた。日本の農家と
規模が違うので見ていても農家独特の淋しさと悲壮感が見えない。土地は資本で
あり、その土地から財物を取りだせば良いのだ。これがアメリカ式農業である。大き
倉庫も備わっているらしい。北海道版農業を更に大型化したような規模である。
畑家の隅を見ると、日本式と違うのは、隅等に構っていられない農業であった。
隅は機械が進入するための土地であり、大型機械に向かない矮小の部分の土地は
見捨てられていた。
   旅の途中で感じたことを記していますが、明日はトウモロコシ畑から放牧地の事を
記します。
                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
緑の巨大財宝

2015年5月9日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(車内で目が覚めたら)・・・34

2015.5.9金 曇り 午前7:30
   水戸弁・・・習志野周辺の街に泊ったんだよ。敬愛する先輩の通夜に来てんだ。
車内で目が覚めた。午前5時頃だった。いち早くフロントガラスから外を観察した。
昨夜はあった車が無くなっていた。それも、既に数台しか残っていなかった。公共
水道で洗面をしている人がいる。大きい黒人であり、私が車を降りて行ったら、
ジロッと睨みつけられた。私は目線をずらし、横に立って朝の挨拶を丁重にした。
図太い声が返ってきた。素早い英語で何かを言っている。私は「ごめんなさい、
英語ができません」と答えた。黒人は優位に立った姿勢で「オーケー」と言ったよう
だ。洗面所で顔を洗い、目を覚まし、五感を戻した。目が覚めてから、数十分過ぎた。
さらに、辺りを観察した。遠くにロッキーが見え、頂上に雪を抱いていた。超フレッシュ
な空気を胸一杯吸い込んだ。遠いロッキーの頂の空気を吸い込めるほどの力で
吸い込んだ。美味い、美味い、まだ口の中にロッキーの空気が残っているようだっ
た。軽く歩きながら、小散策をしながら休憩所の裏に周ってみた。ゴミは散らかって
いないので、心地よい散歩ができる。また遠くを眺めると、ロッキーの反対側なの
で東方面であった。広ーい平原らしき台地が望めた。東からは野草の匂いが漂って
くる。西のロッキーからは雪の匂いが漂ってきたのである。雪の匂いとは、ひんやり
とした何ものも寄せ付けてもらいえない厳しい匂いと形容しておきます。
   朝起きたら、小散歩をして、その土地の感動を心に刻み、感受性を鍛えたり養生し
たりしての彷徨い旅は更に続きます。明日は旅の途中でを記します。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月8日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(眠るまで)・・・33

2015.5.8金 快晴 午前6:00
  水戸弁・・・桜がどこかに行っちゃったが、あたり一面に新緑がやってきったっぺな。
  高速道の駐車場の隅で車内泊となり、リクライニングを倒して靴下を脱ぎ、私の疲れを
取るスタイルで横たわった。すぐには寝付けないので、そーっとあたりを見渡した。旅の
彷徨者のような車が反対側にそーっと停まり、大木の下にはミニバンがカーテンンを閉め
て停まり、駐車場の暗闇のあちこちにそーっと停まっている車が数台いた。どの車にも
人間の顔が見えないので、寝ていると思えた。車での野宿にもアメリカ的な個人主義
の形が覗えた。私は仰向けになって、フロントガラスから満天の星空を眺めた。磁石を
取り出し、日本の方向を定めて関係各位の平和を願い軽く寝たままで拝礼をした。
   この夜空の彼方の果てに日本がある。今頃日本では稲刈りかと考えた。遠い祖国を
思い出した時に、真っ先に稲刈りを考えるなんて農耕民族の血が流れているのだと
再認識をさせられてしまった。フロントガラスから夜空を眺めていると、あまり良いこと
は考えずに、淋しいことを考えるようになった。これはイケナイと思い、明日の楽しい
ことを考えるようにしているうちに眠くなってきた。明日はどうなっているのだろうか、
何か良いことが待っているかもしれない、星空に柄にもなくおセンチになるなと言われ
たかな、と考えているうちにと寝むりについてしまった。
   明日は車内泊で目を覚ました時にを記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
風の強い日であった高速道