2015年6月29日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(白の世界で誓う)・・・63

2015.6.29月 曇り 午前6:00
  水戸弁で・・・昨日の日曜は木を伐り、草を取り、トラクターで畑の除草、庭木の伐採だ。
  イラク派遣軍の演習地を抜け、荒れ地の轍を抜け、ソルトレイクの淵に立った。そこは
白の世界であった。湖の見えるものは全部が白で他の色は、湖の周囲の土地のいろだ
けであった。数キロ先までが白であり、何とも異様な感じである。これだけの白を見ると
寒いはずであるが寒く無く、風が強いはずであるが風無く、着込んだ人がいるどころか
誰も見えない。車から降りたって外に出た。白い個体を舐めてみたところ、しょっぱい
のでやはり塩だ。俺には経験の無い白世界と遭遇できたのである。俺には経験の無い
世界であるから興奮を覚えた。俺は経験をしたことが無い世界を旅のお陰で経験でき
た。旅の有難さと偉大さを改めて感じた。この辺に住む人にとっては、当たり前のことで
あるが、遠い日本から来た俺には貴重な経験である。今度の大陸横断では幾多の未経
験を制覇できると思うとワクワクする。未経験をメモしておこうと思った。東洋人の俺には
数々の未経験がある。生きているうちに出来るだけの未経験を制覇してみようと思った。
    思えば、ニューヨークからサンフランシスコまでレンタカーで走破する旅は数々の冒険
ができる旅である。俺はそれを今やっているのだから、「少年のような心を持ち続けよう」
とソルトレイクの淵で誓った。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月28日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(爆発前、爆発後)・・・62

2015.6.28 日  曇天  午後4:30
   水戸弁で・・・日曜日は草取りに追われるのだ、一週間で生えてくるんだ。
   俺はアメリカ陸軍軍用トラックの後ろで前方を睨んで待機した。カメラは何時でも取り
出せるようにしていた。時折、通行止めをしている兵隊が後ろを睨んで、俺を牽制して
くる。俺はポケットから日本の黒飴を出して監視兵に差し出した。「日本のキャンディ」
と言ってみたら、「サンキュー」と言い受け取った。「ボン、スモール」と監視兵ははにか
んだ。3Km先で爆発させるから、車の陰にいろという。そのうちに、大きな音がして
黒煙が垂直に起った。俺は初めて爆弾の地響きと音と立ち煙を見た。戦争なら少なく
とも数十人か数百人が犠牲になる場面だ。あんな物が近くに落ちるか、爆発した
直ちに委縮して、何も出来なくなるだろうと思った。それでもボンスモールとはにかんだ
白人兵の顔がいやに遠慮した顔であったのが気にかかった。俺は彼が軍人としては
小さな爆弾を相手に監視兵を命令されたことを恥ずかしがったのだろうと思った。
そこで、俺は大げさに親指を立てて、監視兵にゴマをすった。終わったから通過して
良いと指示が出たので、車に乗り込んで先に進んだ。ソルトレイクの淵に到達するの
が近くなったことが、周囲の風景から感じられてきた。サボテンみたいない植物と荒れ
た砂地、ペットボトルの残骸などは一本もない荒れ地へ侵入した。先ほどの爆弾の
興奮が覚めてきた時、塩湖の淵に着いた。まるで雪の湖に見えたので、頭の中が北国
にいるような気分になってしまった。明日は塩湖の淵で白を観察したを記載します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月27日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(銃撃された車と爆弾演習中)・・・61

2015.6.27土 小雨 午前6:45
   水戸弁で・・・雨の中をカッパで歩いだ、誰もいなかった、黙々と歩いたら爽快だった。
ソルトレイクシティを明け方に出た。月の砂漠のような土地を走っていた。所々に筑波山
くらいの山が見えた。その山々に行きたいなと思って走っていた。高速からそれた細い
道がそれらの山々に続いていた。ふと道路の標識を見ると、その標識は銃弾で穴が多数
あいていた。日本のテレビ見たことがある穴のあいた道路標識である。アメリカ人は走っ
ている車から標識に向かって射撃練習をするらしい。俄然、冒険心が出てきた。気がつく
と、高速を外れ、その荒れた細道に入っていた。何と、細道を2マイル走っただけで穴の
あいた標識を無数に見た。冒険心が更に疼き、どんどん荒れ地を前に進んだ。宇宙の
月や火星の表面のような土地である。この荒れ地の向こうにソルトレイクの湖があるはず
である。やがて前面に💀マークのある看板が経っていた。車を停め、看板に近づくと何や
ら書いてあった。それは「危険、入るな」更に、但し「演習中は」と訳せた。演習中は入らな
ければ良いのだなと理解した。爆発音や銃撃の音が聞こえないので、俺は大丈夫と思い
更に進んだ。延焼した赤茶色の鉄板になった車が捨てられていた。走っている車を銃撃
する訓練用の車のようだ。数台の赤茶色の車が無造作によ横たわっていた。空の薬きょ
うが散乱していた。道路を軍用トラックが封鎖をしている地点まで入ってしまったようだ。
軍用トラックが道路を封鎖し、数人の軍人が俺を停めた。「どこに行く、目的は」と言われ
た。俺は「ソルトレイク観光、日本人」と答えた。軍人の顔は白やブルーの戦争用化粧
がほどこされ怖かった。「ここにろ、間もなく爆弾を破裂させる」と言われた。俺は好奇心
の塊りとなり、カメラを隠し出した。軍人たちは爆弾の破裂する前方を見ている。その隙
に、シャターチャンスが生じると判断をし、日本人としては大陸横断中の最大のチャンス
と思えた。写真を写して良いのか、軍機密でダメか、俺を捕獲するのか、迷いながら
カメラを後ろに隠して前方を軍人になったつもりで睨んだのである。明日は爆発前から
爆発後までを記します。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月26日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(侘しい夜)・・・60

2015.6.26金 雲り 午前6:50
   水戸弁で・・・1時間歩いだ、数人の馴染と会い挨拶を元気良くした、相手も元気だった。
ソルトレイクシティの夜の食卓は侘しかった。アメリカビスケット類食品で晩酌をやった。頭で
想像したツマミは何もなく、テレビをかけるのも忘れて黙々とビスケット類を口に運んだ。窓か
ら外を見ると、借りたレンタカーまでが悲しそうに俺を見ている。ヘッドライトの二つ目で俺を
慰めているようだ。遠く目をやるとロッキーの山までが俺を慰めているようだ。「糖尿病のお前
は食わなくてラッキーと思え」と言っているように山が見えた。そうだ、食わないのは体に良い
考えるとのだと、病気と闘っているようで小気味良い気分になった。不味いものを食っていて
も楽しくなった。もっと不味いものは無いかと考えたら、爽快な気分の夜になった。ものは
考えようである。どのような環境でも、良い方に考えるべきである。次の世界が広がってくる
のである。淋しい考えに、良い場面は現れないのだ。これからは「どんな不味い環境でも
良い舞台にするために、バカみたいに希望・楽観的になるべきだ」と思った夜だった。
侘しい夜から学べた最高の夜になった。と考え、「グッドナイ、ソルトレイクシティ、
サンキュウソルトナイトシティ」と言葉を変え、眠りについた。
   明日はイラク軍へ派兵している留守部隊の基地へ侵入を記します。
                                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月25日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ソルトレイクの夜)・・・59

2015.6.25木 雲り 午前5:40
   水戸弁で・・・昨夜はあづまりで一寸遅くなったぺ、夕飯が食べられたのは9:00だー。
モーテルから徒歩で明かりが点いている方に歩いたら、コンビニがあったので中に入
った。しめしめ、美味いものが食えるかなと一瞬喜んだ。大柄の店員が大きな手で品物
を並べていた。その手に優雅さは全く無く、どちらかと言えば、食欲を落とすような手に
見えた。俺はその店員が触ったと思うような品物は避け、店員から離れた場所で食べ物
を物色した。アメリカらしく、サンドイッチ、チーズ、乾パンみたいな菓子、要するに俺から
見たら非常食売り場のようなコンビニであった。がっかりだ、と思った瞬間、店員が「ハロー
」と声をかけてきた。俺も元気良く「ハロー」と返した。俺はその後の英語が不明だから、
愛想良く笑顔を向けた。心の中はがっかりしている。美味いつまみが無い、俺が持ってい
る酒は日本製の焼酎がメーンであるから、チーズや乾パン等には合わないのだ。俺の
好きなツマミは、イワシなどの小魚を干した物やスルメ等である。これらが無いと分かった
瞬間、飲酒や食欲のかたまりが萎えてしまった。チーズや乾パンを買って、肩を落として
代金を払い店を出た。乾パンを抱え、とぼとぼとモーテルに向かった。途中の人家の明か
りを見て、部屋の中の食卓が嫌でも頭に浮かんでくる。この家の食卓の上には、ジュージュ
ーと油が浮かんでいる肉や魚が溢れているかもしれない。余り物でも良いから恵んでくれ
ないかと考えながら部屋に戻った。何も無いとなると、余計に惨めな考えが浮かんでくる。
力無く夕食の準備を始めた。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月22日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロッキーを降りた町)・・・58

2015.6.22月 雲の切れ間から日差し 午前6:00
   水戸弁で・・・歩いだっぺがいつものクオターしか歩かなかったな、昨日は5km歩いだ。
ロッキーを一目散に降りたが、着いた町はソルトレイクシティであった。塩の町やモルモン
教徒で有名な町である。ユタ州の州都の町であるから大きな町である。人口は18万人、
この町の雪質は世界一と言われ、冬季オリンピックも2002年に開催されている。
私にとってこの町は世界一住みにくい町となる。私はこの町では酒を飲んではいけない
と知らされていたので、大変不満な土地を通り過ぎることになってしまった。しかし、
トランクの中にビールとウイスキーが貯蔵されているので、夜半に一人で酒を飲んで
見ようと考えていたので、苦痛の夜にはならないだろうとたかをくくっていた。
    町の中のモーテルは高いので郊外に探したが、宗教色の強い町なので上品なモーテ
ルしか無かった。やむを得ず、マリオットホテルが経営しているモーテルに宿をとった。
カウンターで何食わぬ顔をして酒をバッグに忍ばせて部屋に入った。さて、つまみが無い、
私はつまみが無いと飲めないのだ。買いに出る他ないときめて、歩いて店探しを始めた。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月20日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(頂上から降りる)・・・57

2015.6.20土 快晴 午前8:00
   水戸弁で・・・しばらくぶりに晴れだ、今日は何か良いことがあっかな、みどに行くべ。
ロッキーの頂上でひとしきり物思いに耽ってみたが、素晴らしいアイデアは出なかった。
凡人の淋しさを味わいながら、坂を下り始めた。降りる途中の景色はなぜかあまり憶えて
いない。遠くの青空と山の岩肌を交互に見ながら一気に降りた。日本の山間だと数分で
降りてしまうが、さすがロッキーの山は数時間がかかった。人は登る時と降りる時は、
どちらが爽快か考えながら降りた。人は登る時は目標があり、その目標を達成する強い
意思を抱いて登り、達成した時は嬉しい気分になるが、降りる時はその意志の半分程度
の力で降りるようになる。楽々のエネルギーだけしか使わないで降りるから、使ったエネ
ルギーと比例するので、降りる時は爽快感がないのだと思った。要は山の爽快感は使っ
たエネルギーと比例すると思った。そんなことを考えながらロッキー山脈を一気に降りた。
山を下り着いた町はソルトレイクであった。塩の町と言われ白銀の湖を抱いている町
である。何か面白いことを探しに行こうと思った。坂はまだ続いているが、なだらかに
なってきた。もう町は近い、夕飯は美味いものにありつけるかな。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月14日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(山の頂上)・・・56

2015.6.14日 曇天 午前7:40
   水戸弁で・・・気持ちが良くねーなー、この天気は人を愁殺する、早く終われよ。
ロッキーの麓は緑多く、遠くに見えた頂上も美しく、青空を目指して登ってきたが、中腹で
冷たい風に見舞われ、荒涼とした人をよせつけない山肌を見て、更に、頂上を意地になっ
て目指した。頂上近くで見る下界は、豆粒の世界であるが、目を上空にやると入道雲が忙し
く動いていた。あと頂上までは10分の位置になった。頂上で何を思うか、何をやろか、思案
しながら上に向かった。僅かな10分の間に頭が忙しく活動をした。
   頂上が見えてきた。頂上はわずかな土地であった。一息つこうと車を空き地に入れる。
車から出て回りを見渡した。ローッキーは北の端てから西の端てまで延々と続いていた。
アメリカ大陸を代表できるロッキー山脈である。頂上では宇宙、地球、海、大陸、原野、川、
砂漠、草原、平野、湖沼、小川、里山、田圃、畑、自宅前と敷地を連想していた。大きなもの
から小さなものを次々に頭に浮かべた。地球の峰の天辺で思いにふけってしまった。我に
返って現実が頭と心に侵入してきてしまったので、車に戻り次の地点を目指した。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
   

2015年6月12日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロッキーの青空に)・・・55

2015.6.12 金 雲り 午前4:30
   水戸弁・・・しばらく休んだっぺな、今朝の水田風景は霧で回りがめーねーな。
   ロッキーの中腹で冷たい風に当たったら、疲れと眠気が一気に吹っ飛んだ。体力気力
が回復して、更に上に進む。私はいそいそと運転席に戻り、エンジンをかけて
青空に浮かぶ雲の方面を目指した。遠くに見える谷は果てしなく遠くに見え、ロッキーの
頂上に見える入道雲は手にとれるように見えた。一寸窓を開けてみる。ヒューヒュー、
ゴーゴーと風の音がやたらに淋しく聞こえた途端、限りない淋しさが私の心を襲って
きた。何故だろうと考えながら、頂上を目指す。思うに、日本を出てから数日目が経った
が日本語を全然話していない。周囲に知った人がいない、荒涼とした山道を走っている、
西部劇映画の一場面を思い出してしまった。映画シェーンの場面である。遠くにロッキ
ーが見え、少年が見送り、シェーンが去っていく場面である。願っていた最高の大陸横断
中であるにも拘らず、淋しい感情が湧き上がってきた。淋しい感情は払拭して、楽しい思い
出に切り替えた。頂上の大きな入道雲が肥大化し、雨模様になってきた。ロッキーの山越
えが雨になるかもと思った。ポツリ、ポツリと小粒の雨がフロントに落ちてきた。淋しい感情
を忘れかけたら、またロッキーの雨で淋しさが襲ってきた。気を取り直し、周囲の景色を
楽しむように心がけた。雨雲の切れ間から、時折青空が望めるようになった。青空の素晴
らしさに気付いた。雨雲の色と青空の色の大差を気付いたロッキー越えの一コマであった。
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

  

2015年6月6日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロッキーを越えて)・・・54

2015.6.6土 朝方雨 午前6:50
  水戸弁で・・・朝方は雨が降っていだな、カッパを着て4Kmを歩いて頑張った。
  モーテルを出たら前方遠くに日本では見たこともない巨大なロッキー山脈が見えた。
その山脈の右端は遠く霞んで見えなくなり、左端は遠い地平線に沈んで見えなくなって
しまう山脈と私は対峙した。おまけに、インターステイト80号線の最先端は一筋の糸みた
いになり、天空に昇っていける道路のように見えた。レンタカーをIN80号線に乗せ、ロッ
キー越えに向かう。ガスは満タン、タイヤ圧も大丈夫、車内の各メーターに目を移す。
警告メーターは出ていない、安心してアクセルを踏み込む。メーターは直ぐ80マイルを
指し、快音が聞こえ、私の心を平和にさせた。既に太陽が昇り、私の背中を照らしている
ので、私はソーラーのモジュールを背負ったような形で先に進む。平らな道はやがて
なだらかな昇り勾配になり、ロッキーの裾野を走っている感じが出てきた。既に昇り勾配
を2時間走っている。太陽の陽がロッキーの裾野から中腹を照らし出した。昔の西部劇に
出てくるような突出した真っ赤な山や同じく石だらけの荒れ地が見える。その荒れ地の中
にもか細い道路や川があるようだ。その中に行ってみたくなったが、車のエンジンを停め
るのが惜しく、その中に入るのを我慢して更に坂道を進む。高所に来たので道路の中腹
の空き地に車を停めて、下界を覗き込んだ。遥か遠方に私が来た道が一髪の髪のように
見えた。天を仰ぐと、雲が忙しく流れ、ロッキー風の冷たさを感じたので我に返った。
   数分と寒くてそこにいられなかった。車に戻り更に天辺を目指しアクセルを踏んだ。明日
は更に上にを記します。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

                                                  上に、上に、ロッキー頂上があるんだ

2015年6月4日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(夕べのホタル)・・・53

2015.6.4木 快晴 午前5:30
   水戸弁で・・・昨夜はホタルに会いに行ったら、細浦の山間の畦道に3匹が待っていた。
   昨日の続きは、酔いつぶれたようなかたちで寝たベッドから朝起きて、辺りを見回すと
無残な部屋となっています。昨夜の至福と今朝の超労働は帳尻が合うので、あきらめて
部屋の掃除になります。コップの中はアルコールと氷が溶けてしまった形容できないぐに
ゃぐにゃの水、紙皿の上にはアフリカの獰猛な動物がしゃぶりついた後のような肉片骨片、
何百回も口の中に入り噛み砕かれた箸、箸さえ手を付けなかった分からない野菜、口か
手を拭いたテッシュ、おまけにアルコール臭い部屋の中で一人片づけをやります。水類は
部屋の流しへ、肉片骨片はゴミ箱の中へ、箸やテッシュも同じゴミ箱へほおり込みます。
そして、アメリカ人からクレームがつかないように部屋を見回してから、カウンターにさよ
ならのあいさつと鍵を返しに行きます。「サンキュウー・サー」と言い鍵を返します。ゴミ
が凄い件は触れずに、心の中で謝ってからカウンターを離れます。ごみの件で追いかけ
られないうちにエンジンをかけてモーテルを離脱します。モーテルから高速の乗り口は
近い所に必ず有ります。乗り口に乗って高速上の上になったら私の心はホッとした気分
になれます。ここまでは来ないだろうなどとは考えませんが。日本人は小心ですが、近く
の東洋人は平気な場合が多いです。その差は島国か大陸かの差で無いでしょうか。
    明日は中西部から雄大なロッキー山麓からロッキー山脈を越えるを場面を記します。
 
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月3日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(オマハの休日)・・・52

2015.6.3水 曇天 午前6:50
   水戸弁で・・・雲りだっぺ、気持ちが晴れねーな、控えめに行くほかねーな。
スーパーで買い物をした。先ず入口から入って右回りに食品を見ていく。果物や乳製品
が並んでいるが、スパーによっては左回りの所もある。アメリカ人らしく右回りをする人や
左回りをする人がいて自由だ。日本のスーパーの原形はアメリカにあることは間違いな
い。アメリカ最大のスーパーに入ったので、あらゆる食品が並んでいる。私は野菜の
ネギと肉を小量買い、あとは鍋に合うものを適当に買った。油揚げもどきや豆腐もどき
の物も籠にぶち込み、レジでカード支払いをした。アメリカはカード社会であり、小銭も
考えたら断然便利である。レジで働いている人に若い人は少なかった。奥様のパート
を多く見かけた。
   モーテルに戻り鍋料理の準備を始めた。洗面所でネギと肉を適当に刻み、油揚げ
もどきと豆腐を紙皿に盛った。部屋の小テーブルと椅子をテレビの前に移動し、鍋の
電線をテレビの後ろのコンセント口に差し込む。水が沸騰するのを垂涎が溜るのを
我慢して待つ。我慢しきれなくなって冷蔵庫の冷やしたビールを取りに行き、紙コップに
注ぐ、取りあえずの一杯だけと自己確認をして一気に口に流し込む。この瞬間が私の
大陸横断中の休日の始まりです。その一杯から終わりの杯までが、私の大陸旅行から
宇宙旅行までの夢をみることが出来る至福の時間となります。良い気分になったら、
戸外に出て夜空の星や月に明日の旅の安全を祈願します。体が冷えたら部屋に戻り、
思うままにベッドに横たわり、楽しい夢を見るお願いを天に頼んで休みます。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年6月2日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(オマハで骨休め)・・・51

2015.6.2火 快晴 午前7:00
    ニューヨークを出てから5日が経った。初日の夜はクリーブランド近くの超田舎に泊っ
たので村の名前は忘れた。2日目の夜もシカゴの相当手前の田舎に泊った。2日目は
慣れたので中華料理店で夕食とした。幸いに歩いて行かれたので中国の青島ビールと
中華料理のつまみで喉と胃袋を癒した。そこの中国人の主人や奥さんとと話が弾み、
ふらふらになってモーテルに戻った。3日目はシカゴを目指していたので、シカゴの
一寸手前の町に入ったが、コンーボーイ野郎が多く泊っていたので、朝立ちの車の
音で早朝が煩かった。シカゴまで行って町を彷徨った。大型の駅や鉄路がアメリカら
しくて驚愕した。町に入ったら歴史観のある超高層ビルと縦横無尽の道路に見惚れ
我が国の狭い土地の貧相を思い出した。町の中の駐車場で係の少年の10ドルチップ
をやって町の中に徒歩で向かった。背の高い白人の女性が、カバンを小脇に抱え、
凄いスピードでビルに入っていたが、そのビルの外壁の色と彼女の服装の色が絶妙
に合致していた。亡くなったイギリス王女のような雰囲気を道路に残していた。次に
思い出にあるのは、シカゴのビジネスマンの昼食風景であった。私はシカゴの駅ビルに
入り、昼食の場所を探したところ、立ち食いをしているビジネスマンを多く見た。
食べたり飲んだりする時はマナーを重んじるアメリカかなと思ったが、そうでもなかった
場面を見たので安心した。この時以来、アメリカでの私の食事は行儀悪くなったので
あった。4日目はどこに泊った忘れたが、平凡な思い出の無い町であったと思うので、
書くことは出来ない。
    その町を出て、5日目の朝にアメリカ中央のオマハに向かった。そうだ、オマハで
骨休めと一人での反省会をやろうと考え、夕方にスーパーに鍋料理の材料の買い
出しに行った。明日はオマハでの一人の飲み会の思い出を記します。
                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  

2015年6月1日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストハウス探検)・・・50

2015.6.1月 快晴 午前6:40
  水戸弁で・・・今日は歩いだなー、天気も好いし、体調も良かったなー、前に前にいぐ。
   部屋の窓は破れ、ドアは壊れ、天井の一部から青空が覗き、埃が積もり、時折風で
ドアがバタンバタンと悲鳴を発するゴーストハウスに二階があった。階段が目の前に
あり、上がってみようとした。理由は、今までに見たことの無い景色があるかもしれない
と考えた。二階上がる危険性を予測する。放置された死体があるかもしれない、
無法者のアジトになっているかもしれない、毒虫や毒蛇の巣になってるかもしれない、
病原菌の巣かもしれない等と考えた。これらが現実になった時に、防御する武器も
無ければ医薬品もない。アメリカ大陸の横断が目的で危険を楽しむ旅ではない。躊躇
わず階段を上がるのをやめてバックした。外に出たら白人が何かの作業をしていた。
こちらを不思議そうに見ていた白人が、手を休めて手を挙げてくれた。敵対意識は無い
との表示である。こちらも手を挙げて車に乗り、そこをゆっくり立ち去った。こういう場合
はゆっくりが原則である。考えてみれば、ゆっくりの動作は、緊張感を和らげるのかも
しれない。ちょこちょこやスピーデイな動きは、相手の警戒心を高めるかもしれない
と気付いた出来事でした。ゆっくりとした動作で何かの難を逃れたのは、確かな事で
した。そこから平原の荒れ地を走り、インターステイト80に戻ってサンフランシスコに
向かった。あとサンフランシスコまでは2500kmもある。今回の教訓は「深追いは
禁物」でした。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝