2016年9月29日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(レンタカー契約)・・・10

2016.9.29木 雨 午前6:38
 エアートレインに乗りレンタカー会社に向かう。その間数分間であるが、
ひどく心細いのである。何処にレンタカー会社の営業所があるのか分から
ない。何処で降りたら良いのか、どのように借用契約をするのか、不明のま
までエアートレインの中にいるのである。大きな旅行鞄を抱え、やっと分かっ
た降車口で降りると、真正面にアメリカ最大のハーツレンタカー会社のニュー
ヨークJFK営業所があった。カウンターに数名の受付嬢がいて、カモンカモン
というアメリカ的仕草で俺を待っていた。こちらから受付嬢を選べないので
呼ばれたままそこへ進む。レンタカー申込み書の控え、パス―ポート、
国際免許証、日本国内免許証、アメックスカードを持ってカウンターの前に
立った。アメリカ嬢が何かを言うが、理解できないので「フロムジャパン」と
だけ言って、受付嬢の推理能力に頼ると「・・・」と何かを言われる。俺はただ
黙って受付嬢の事務手続を眺めるのである。しかし、費用がかさむことが
多い保険加入は心配であるから「インシュランス・・・」と言う時はやたらと
イエスとノーを言った覚えがある。レンタカーの保険について勉強をしておい
たのが役に立った。黙っているとすべてがカバーできる保険に加入させられ
高額の保険になりかねないのである。あれやこれやの手続きが終わると、
受付嬢はレンタカーの鍵と何かの書類を手渡し、レンタカーの駐車場所を
書いた紙をくれるが、そのナンバーを書いた紙はただのメモ用紙である。
そこで間違いが起きる場合がある。そのナンバーは駐車場の路面に書かれた
レンタカーの駐車場所のナンバーであり、車のナンバーでない。これを勘違いし
てとにかく広い駐車場をウロウロしてしまったことがあった。とにかく広いアメリカ
では駐車場から出るのも一苦労であった。次回はレンタカーの操作練習です。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝



 

2016年9月26日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(エアートレイン)・・・9

2016.9.26月 晴れ 午前5:58
 ニューヨークJFK空港を出るとエレベーターが有り、三階にエアトレインが走っている。
無料であるから荷物を引きずったままで乗る。レンタカー会社の営業所に向かう。高いところ
からJFK空港を眺める。ターミナルが71~9まであり、巨大空港といえる。ターミナル1はJAL
が使い、ターミナル7はANAが使っている。右回りに回るエアトレインは静かで快適であるが、
どこで降りれば良いかを心配しながらハーツレンタカーJFK営業所に向かう。色々な国の人々
の男女が大きな荷物を引きずって乗っている。俺は何時でも飛び降りられるように、椅子には
座らず出口の近くで降りる待機をしている。正に田舎の者が電車や汽車に乗っている姿である。
子供の頃に常磐線に乗って出口近くに待機をしていた頃を思い出し、自嘲気味になる瞬間
である。数分間乗ればハーツレンタカー会社に着くが心配は絶えず付きまとってしまう。俺は
生涯にわたり田舎者であるが、その田舎者を楽しんで都会で生きている。これも一種の
・・・・・感であると感じている。高いところを走るエアートレインなのでわけなくハーツレンタカー
会社が見つかる。エアートレインを下り、ドアをくぐるとそこに営業所がある。お出迎えは
黒人の大柄な受付嬢が待っていてくれる。大柄な女性は小柄の俺をいつも親切に迎えてくれ
るのである。俺はいつも「ヤー」と声を出して挨拶をしている。でもそれは俺のニューヨークへ
の第一歩の気合であることは彼女は分からないのだ。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月25日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(アメリカの匂い)・・・8

2016.9.25木 雨 午前4:56
 機体は滑走路の端から乗り降りする桟橋のあるところに進んでいく。俺は
無事に着陸をしたことを神に感謝をして降りる心の準備をする。機体の出口
が開いて、乗客が外に出始める。俺の番になりそそくさと外に出る。瞬間、
アメリカニューヨークの匂いを感じる。ニューヨークの外気に触れて、俺は
気合が入る。背筋がちゃんとして、足腰の筋肉が緊張する。機体から出る
桟橋のスロープが坂になっていて、ここち良く筋肉を稼働させる。俺は五感
が目覚めていくのが心地良く感じ始める。桟橋を渡り切る頃は、いつものよう
な観察力が戻ってくるから、空港のスタッフや並んでいる飛行機を観察し始め
る。やがて、入国管理局に並ぶ頃は適度な警戒心を持ち、パスポートを出し
て入国審査の準備をする。順番が来て審査を受けるが、質問がある場合が
ある。大概「何をしに、どこに行く、いくらドルを持っているか」等である。いつ
もの答えは、「観光、ヒルトンホテル、2000ドル」である。ダラス等の土地では
「ここに観光できるところは無いよ」等の答えが返るが、ニューヨークでは
そのような答えでは無く、「行ってらしゃい、幸運を」等の答えが多かった気が
する。荷物を受取り、空港の外に出るが、モノレールでレンタカーの会社まで
行くのもなれないと大変である。次回はモノレールでレンタカーの会社に行く
を記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月21日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューヨーク湾の東から)・・・7

2016.9.21水 曇天 午前5:48
 飛行機は暫く数々の湖の上空を飛んでからニューヨーク湾上空にでる。
俺は窓から海面を眺めて、海面の形を見て楽しむ。同じような海面の波
は一つもない。空の雲を飲み込んで映している海面は無限の広がりを
示している。でもこの海は大西洋であることをふっと思い出し、日本の
太平洋とどこが違うのか等とたわいもないことを考えてしまいながら、
空中散歩をする。機は左45度の角度で滑走路に向い、機を立て直し
て着陸態勢に入る。眼下には空港周辺のゴルフを楽しむ人やジョッギン
グ等をする人の姿が見える。道路が直線に伸びて、周囲の家が白を
基調としたカラフルな色で染まっている。正にアメリカに着いたと思い、
ホッとする瞬間に機はガタガタと音を立てる。これが着陸の瞬間であり、
やれやれ無事に着陸をした。この瞬間に着陸の心配からアメリカ大陸
への大きな希望に変わる。
         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月20日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(明け方)・・・6

2016.9.20火 雨 午前5:40
 アメリカ大陸の中心のオマハを過ぎて1時間も過ぎると朝日が東から
微かに出てくる。何というのか、神々しい光である。日本人は朝日は海
から出てくるように思う。アメリカの東海岸の住民も同じく思う筈である。
機内から見る朝日は、地上で見る朝日よりもっともっと光輝くのでる。
思わず心の中で手を合わせてしまう雰囲気となる。ボストンかポート
ランドのあたりであろうか。とにかく太陽が海から出てくる瞬間を機内の
窓から眺めるのでる。眼下の無数にある池や湖の水面までが朝日に
合わせて輝きだす。何度行っても新地に向かう気分となる。もしかする
と朝の太陽には、特別なパワーを抱いているのかもしれない。俺はその
朝日を機内の窓から眼下に見て、間もなくニューヨーク空港だと思いを
抱き、日本人らしく靴を履きなおしたり、身支度を整えてしまうのである。
だが着陸するまで約1時間以上あることを思い、長い旅路であったこと
を再認識するのである。そして、疲れを感じながらも次の地点の環境に
対応すべく心身の整理をするのである。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月19日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大陸中心上空)・・・5

2016.9.19月 台風有り 午前6:08
 飛行機はアメリカ大陸のワシントン州周辺から大陸に入るようです。俺は
入る瞬間は寝ていることが多かったので、大陸に入る瞬間は経験したこと
は無い。シアトルかポートランドから入るようである。入ると間もなくロッキー
の上空を超える。冬は雪で真っ白、春は残雪で寒々、夏は地肌を直視
するほかなく、秋はなんともいえないもの淋しさの孤高を感じてしまう
山脈である。但し、上空から見る場合の表現であり、近くに行けば別な
表現になるはづである。窓際に座れれば暫く上空からの景色を楽しめる
が、アメリカ行きの飛行機はアメリカ大陸上空にさしかかる時は明け方
であるから、春先の陽の長い時に入ればこの雰囲気を楽しめる。
 やがて、ロッキーを超えた飛行機は二時間も過ぎるとアメリカ大陸の
真ん中に差しかかる。眼下は大陸の真ん中のオマハ辺りであろうか。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月16日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(アメリカ上空)・・・4

2016.9.16金 曇天 午前6:03
 アリューシャン列島のやや上空からアラスカ沖を経てアメリカ大陸のカナダ
側から大陸に入ります。5月だとカナダの雪原が見えるが9月では雪原がな
く、緑の平原を見ることになります。カナダ大陸も素晴らしい眺めがあるが、
アメリカ大陸から放射されるエネルギーとその人々のパワーは、日本人の
俺には眩しいほどである。機の上からアメリカ大陸の生活の営みをあれや
これや想像しながら、俺は機内で目を閉じて休んでいるが、本当は気合が
入り、諸々の行く先々の楽しみを考えていることが多い。窓際に座っている
場合は、ずーっと下界を眺めている。目を凝らし、想像力を高め、五感を
働かせて下界を眺める。俺はこれからの旅路の楽しさを想像してしまう。
心は既に、ニューヨーク、ワシントン、フロリダ、テキサス、ニューメキシコ
ヘミングウエーのキーウエスト、ニューオリンズ等等、何日でもアメリカに
居続けたい夢をみてしまうのがアメリカ大陸である。不思議にアメリカで
の美味しい食事は考えたことはない。食事等よりは目と心の要求が勝る
のが大陸のムードである。多分に俺は、死ぬまで大陸旅人で終わること
になるであろうと考えている。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月14日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(飛行航路)・・・3

2016.9.14水 曇天 午前6:37
 アメリカのニューヨーク飛行時間は約13時間である。どのような航路で
飛ぶのかを思い出してみた。成田を離陸したJALは太平洋上を右上がり
に飛び、アリューシャン列島沿いに地球の北極に向かって上がっていきま
すから、地球が丸いことを五感で感じることができます。6時間が経過して
も、まだ太平洋上を飛んでいます。6時間×飛行速度800km=4,800
kmしか飛んでいません。機内の食事をとり、アルコールの力を借りて
うとうとした後に目を覚まして時計を見ます。機内のナビを見ると、アラスカ
沖の遥か彼方を飛んでいます。「未だかー」と独り言をつぶやいてしまい、
疲れが増します。そこで、靴を抜いて足の疲れを取り、周囲を見渡します
が、知人友人は当然いませんので、話し相手を探したくなります。両隣に
英語圏の人では話し相手には困難ですが、日本人だと話し相手になるの
で安心します。映画を見ようと思い、画面を出してみますが、気が散漫に
なっているので映画の内容の把握はいまいちになってしまいます。どう
にもこうにもならない時間とは、このような時間をいうのかと思ってしまう
のです。そこで、次に考えることは着陸後の楽しいことを思い出し、更に
諦めの境地に入ります。やがて飛行機はアラスカ沖を境に地球を右下が
りに飛んでいきます。機体はニューヨーク迄約6時間の位置に来ました。
もう一度、寝ようと考える時間帯となりました。次回は、アメリカ大陸の
上空を記します。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月13日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(機内へ)・・・2

2016.9.13火 雨 午前6:35
 アメリカ大統領選挙を観戦しようと思い行く準備をしている。今朝は日程表
作りをしたが、完成は明後日くらいになると思っている。そこで、行くまでを
仮想して記してみようと考えた。その理由は、友人を連れて行くので慎重な
計画をしなくてはならないからである。昨日は友人を迎えに行って飛行場ま
で行って機内に乗り込むまでを記した。そこから次に記してみます。
 機内の持ち込みを許されたものだけをもって機内に入ります。右通路か
左通路かを確認し、安いチケットなので後ろの方まで行くことになります。
後ろの洗面所近くの席が我々の席となる予定です。窓際か通路側か、
それとも三席の中央か、場所によっては快適か、遠慮しなくてはならない
席か、運不運が付きまとうのが、席の位置です。窓際はトイレに立つときが
不便であり、中央は左右に知らない人が座るから、人見知りする人は
窮屈な席となり、通路側は下界が見えないので退屈な席となります。
初めて乗る飛行なら機内の食事や図書類でけっこう楽しめるが、何度も
乗っている人は窮屈退屈の双方を味わうことになります。そこで、それらの
防止のために何を持ち込み、何をして時間を過ごすかを経験値から
記します。機内に持ち込むと退屈しない一番の物は、①図書(小説、雑誌
の2冊程度)②PC(旅日記をつける)③好きなツマミ類等(酒のツマミ等)
と思います。NYまで13時間の飛行だから、寝るか、読むか、聞くか、
見るか、動くか等の組み合わせで時間を過ごすことになりますから、
要は各自にあった方法で疲れないように過ごすことが第一と思われます。
次回はNYまでの飛行航路を探ってみます。
         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月12日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(仮想日本発)・・・1

2016.9.12月 曇天 午前6:24
 10月4日からアメリカ大統領選挙の観戦に友人と二人で行くことになった。
そこで、本計画のために渡米10回歴を思い出しながら予定に基づいて記して
みます。今や、俺の経験は資料を一切を用いずアメリカを記すことができるまで
になっている。当日、10月4日午前7時に友人の自宅に迎えに行きます。成田
までまっしぐらの2時間は、友人と雑談や予定を話しながら、ウキウキ気分で行
きます。いつもの駐車場に車を預けて第二ターミナルに入り、JALカウンターで
搭乗手続きをします。二人とも20kg未満の大きな荷物になり、68歳の俺は
大変ですが、大統領観戦に行けることを考えたら苦になりません。9時頃に
搭乗手続きを終わり出国ゲートを抜けて入出管理局の検査を受けて待ち合い
ゲートの前に行きます。約2時間をゲートの前のベンチに座り待つのですが、
俺はここで自分の体力を消費するために待ち合い室内をウォーキングをして
待ちます。何故、体力を消費するのかといえば、飛行機の中で熟睡するため
です。2時間弱をその辺中を歩き、体力を消耗して13時間のフライトを睡眠
で費やせるように考えているためです。出発時間の11時までひたすら歩き
まわります。走行距離にして3kmは歩きます。これが長時間のフライトを
有意義に過ごせる俺流のやり方です。そろそろ11時近いので搭乗をします
が、パスポートを手にして搭乗口に向かいます。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月11日日曜日

照沼重輝の中国彷徨記(中国を終了)・・・14

2016.9.11日 快晴 午前10:54
 中国を記してきたが、一先ず終わりにします。理由は10月4日からアメリカ
の大統領選挙を観戦に行きます。中国を数十回にわたり記してきましたが、
解放、改革、改正、修正、進化、突出と変わった中国は超資本の大国になっ
てしまい、昔の中国を追いかけていても面白くなくなってしまった。30年前に
政府高官と食事をした時に、彼曰く「今や我が国は衣食住のうち衣食は到達
出来た、これからは住の問題だ」と言った記憶を思い出した。多分にその通り
になったと思う。地方に行くと地方高官が日本人をチヤホヤしてくれたが、
今や説教を日本人にする時代となった。これは微笑む出来事である。うぬぼ
れた日本人が目を覚ます良い現象である。昔は日本の父ちゃん母ちゃんまで
が、中国に行ってうぬぼれた時があった。優越感を味わえた日本人は多かっ
た筈である。これからのアジア人同志は全世界の白人に肩を並べる努力をす
るべきである。白人の価値観を勉強しようではありませんか?そして、アジア
から世界の人々に貢献できる青年を輩出しましょうよ。アジア人同志が喧嘩を
している時代ではなくなったのである。
次回からヒラリーの大統領選観戦に向かって記します。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

 

2016年9月9日金曜日

照沼重輝の中国彷徨記(上海蟹)・・・13

2016.9.9金 曇天 午前7:07
 縁起の良い時間に記すことになった。ハッピータイムである。
中国滞在中に陽橙湖のある昆山市に仕事で行くことになった。上海蟹を
食べる良いチャンスである。俺たちは仕事を早く切り上げ、陽橙湖の蟹
揚げ漁港に向かった。湖特有のくすんだ船が多数終結していた。丁度
水揚げの時であったので、取れた蟹を見ることができた。もぞもぞと
蠢ている蟹が船倉にいた。上海蟹の色は全体が泥色で腹の一部が
黄色じみた白色である。両手のハサミに多量の毛が生え、力強く閉じた
り開いたりしている。蟹の腹の蓋みたいなものが丸いのがメスで三角形
で尖っているものがオスである。漁民がヤニで真っ黒くなった歯を出して
買人と値段の交渉をしている。買人を観察するとやり手の都会人のよう
である。値段交渉が終わり、漁民と買人が握手をして別れていった。
その漁民は俺に蟹を買っていけと言っている。町の一流料亭で食べたら
眼をむくような料金を取られる上海蟹である。上海人は上海蟹を食べ始ま
ると言葉が無くなり、沈黙の食事風景になる。俺はその場面が滑稽で
面白く見える。日本でいえば上海蟹は河に生息する毛蟹である。日本人
はあまり食べない。俺も子供の頃、河で取ったことがあるが、食べたことは
無かった。しかし、中国では上海蟹と言えば高級中の高級である。毎年
秋風が吹くころになると、上海市内では上海蟹の水揚げ具合を心配し始め
る。身の付き具合や成長等の有無を風の便りで情報入手をする。そして、
いつ頃に買って家庭内で食できるかをそれぞれ判断するのである。
俺は今頃になると、そんな秋の上海風情を肌で感じたくなってしまう。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月8日木曜日

照沼重輝の中国彷徨記(蘇州と杭州)・・・12

2016.9.8木 曇天 午前6:22
 昨夜中国から戻ったら、テレビで杭州のことがもちきりで放映されていた。
何度も蘇州杭州に行った。この町に特別の感情は湧き上がっていないが、
観光地としては面白いので記してみます。昔の蘇州は呉の国で杭州は越
の国であった。「呉越同舟」「臥薪嘗胆」等の言葉を思いだされる。
蘇州には20回以上、杭州にも20回以上は行っているはずであるが、いず
れもビジネス絡みで行っているので大した観光はしていない。それでも
記憶に残ることを記します。
 蘇州は揚子江沿いの発展している町である。上海駅から電車に乗ると
約1時間30分で着く。蘇州城や斜塔が有名であるので、登ってみると
確かに城跡のような台地があり、中腹に1,000人は座れるという岩板
平地があり、そこを過ぎると闔閭が名剣を池に埋めたとする場所があり、
更に登ると台地の頂上に着いてしまい、あっという間に降りなくてはなら
ないくらいの見るものしかなかった観光地であった。
 杭州には水戸の千波湖のモデルとなった大きな西湖がある。杭州の
東方100kmのあたりに紹興市が、昔の越の国の都である。西湖を
周遊すると徒歩ならば二日はかかり、車ならば半日はかかると思う。
有名人の岳飛や秋瑾の記念物を見て廻り、毛沢東の別荘を改築した
ホテルに泊まるのも歴史を思いだす旅になれる。俺は毛沢東の別荘に
数回は泊まれたチャンスに恵まれた。昔の政府要人の外交官が手配を
してくれたのであった。軍隊の歩哨が24時間にわたり周囲を警戒してい
る迎賓館であった。このようなことを比べると、蘇州と杭州の地域の差は
明白である。蘇州は昔の観光地で杭州は昔より現在の観光地である
が政府の重要拠点が数多くある。呉と越の名所旧跡の戦いも越が勝利
を維持しているのでないだろうか。
         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 


2016年9月4日日曜日

照沼重輝の中国彷徨記(一泊の南通市)・・・11

2016.9.4日 曇り 午前5:43
 台風が来ているから外は薄暗いが、台風余波は無い。
上海から中国の原子力関連の先生に連れられて南通市まで日帰り旅行をした時の話だ。
1993年代、その先生が発達している町が上海近くにあると言い、俺を連れて行くと迎え
にホテルに来た。ヒルトンのハイヤーに乗り、フェリーで揚子江を渡り、その町に入った。
中国経済の黎明期の頃であったが、沿道筋には粗野な食堂が出来始まっていた。先ず、
南通市に入ったら、日本の大企業が既に工場建築を始まっていた。町はその建築業者
や建築作業員達で賑わっていた。ホテルもマーマーのホテルが有り、いきなり行っても
泊まれたのである。中国的なホテルに泊まったので何処となく西洋式を演出しているが
チグハグである。このチグハグさを楽しもうと、ホテルのバーに行った。年齢不等いの女性
がホステスとしていた。給料はチップ制のようで自ら稼ぐためにガボガボ飲み物をせがむ、
俺は好きなだけ飲めよと頷くと飲む回数が少なくなった。帰る時に明細を見ると、目が飛び
でるほどの料金ではなかった。未だ良心のある経営ぶりのバーである。今の中国の高級
バーは違うと思う。目が飛び出るくらいなら良いが、身の毛がよだち、逃げようかと出口
を探すが、自信のない脚力に逃走を止められる羽目になる店もあるようだ。夜の金銭
支払いは熟慮の上に為さないと思わぬポカが生じることになる。黎明期の南通市では
幸か不幸か何もなく、目の保養だけで一泊で上海に戻れたのであった。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月3日土曜日

照沼重輝の中国彷徨記(青島ビール)・・・10

2016.9.3土 曇天 午前6:39
 中国の青島に行った時の話である。親類の工場が青島に魚加工場を作ったらしいと
いう話を聞いたので行ってみた。上海から約1時間半の距離である。上海虹橋飛行場
から飛び立ったボーイングは1時間一寸で青島に着いた。降り立つと飛行機の中から
「青島」と崩された赤文字の大きな看板が目に入った。荷物を受取り市内のホテルに
タクシーで入った。四つ星の豪華なホテルである。入り口の一等場所に焼肉屋があり、
チマチョゴリの受付嬢が笑みを浮かべて立っていた。部屋に案内をされ、荷物を置い
てカーテンを開けて外を見た。ホテルが気を利かして東シナ海の海が一望できる部屋
にしてくれた。水平線の彼方を商船が横切っていき、近くには漁船が忙しく動いている
。海岸線の砂浜の近くに青島ビールの本社ビルが建っている。口の中が唾液で一杯
になった。青島ビールはドイツの遺産であり、日本軍が接収した時もあることを思い出し
た。夜になれば青島ビールをたらふく飲もうと考え、昼酒はやめることにした。海岸線
をタクシーで歩こうと思い、フロントに出てタクシーを呼んでもらった。美しい海岸線を
あてもなく彷徨った。毛沢東の専用海水浴場、青島ビールの本社ビル、市内の有名な
建物、浜から小舟をチャーターして湾内を遊覧もした。一先ずの観光を終わり、夕方
になったので焼肉屋に出向いた。さすが朝鮮半島と近い場所なので、朝鮮族が多い
ようで焼肉屋がいたるとこにある。焼肉屋で青島生ビールをたらふく飲み込んだ俺の
腹は鱈の腹のようになり、ホテルに重くなった腹とともにやっと戻れた。美しい夢と
明日も楽しいことを祈願して寝込んだ。 
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月2日金曜日

照沼重輝の中国彷徨記(烟台の浦島太郎物語)・・・9

2016.9.2金 快晴 午前9:02
 この町は日本人にはあまり知られていない。俺は朝鮮半島の向かい側のこの町に行った。
半分は物見遊山で半分は輸入品の開拓であった。産直品はリンゴとトウモロコシであり、
観光は海が売り物であった。産直品は輸出できる代物が無かったので、観光ルートの開発
を探す羽目になった。海際を歩いて潮の匂いをかぎ分けてみた。海洋国日本の塩と同じよ
うな匂いがした。浜辺に転がっている海藻を拾い、俺は鼻に押し当ててみた。日本の海藻
と同じ種類であったが、匂いは微妙に違った。浜辺の沖を見ると大小さまざまな島がニョキ
ニョキ立ち、遠くの海を遮っている風景である。暫く、浜辺を歩き、様々な海の光景を思い
出して、昔の海での経験を思い出した。子供の頃の村松海岸、青春時代のほろ苦い浜辺、
大人になってから悩む時や苦しい時に一人立った浜辺、アメリカのサンタモニカの海岸、
スンフランシスコでのゴールデンゲートから見た海岸等等、色々思い出して歩いた。看板
が目に入り立ち止まって眺めたら、日本の竜宮城伝説の看板が立っていた。日本のコピー
かと思いよくよく読んでみると中国独自の竜宮城物語であった。竜宮城物語は中国の伝説
であったのかと考えたが、その後に調べていないので謎のままである。俺は子供の頃に
親に読んでもらった浦島太郎を本当の話と思っていたので、海の中を見てみたい願望が
中学生のころまで続いていたことも思い出した。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年9月1日木曜日

照沼重輝の中国彷徨記(大連の満州鉄道)・・・8

2016.9.1木 快晴 午前6:44
 大連に仕事で行った時の話、水産物加工会社に納める資材会社から頼まれたので
大連に行った。しかし、その数年前にも訪中団で行ったことがあるので大連の経験は
十回ほどある。戦争前は多くの日本人が大連港から揚がり満州の奥地に向かったが、
その大連港の真ん前に昔の満州鉄道の本社があるので見学をしたことがある。その
近くに大連駅がある。満州の玄関である大連駅は日本の昔の駅の名残を残し、風情が
ある建物である。昔の新アジア号の機関車を見学したが、どう見ても戦艦のような形を
している。小銃などでは貫通しないような運転席と普通の数倍ある大きさの機関車で
あった。次に昔の日本が建てた大和ホテルに行くと、戦争時代の日本の意気込みが
感じられた建物である。ヨーロピアン風でもあるが、日本の力と先進性をアピールした
建物である。この建物の中で軍人や特務機関が暗躍したのかと思うとスリリングな
出来事が数多くあったのかと勝手に想像をしてしまう。どうやら大連は坂が多く、アメリカ
のサンフランシスコと似ているなと思った。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝