2016年10月30日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(西からNYへ)・・・17

2016.10.30土 曇天 午前6:46
 NYから350km離れたペンステートで農産物を発掘し、更に100km離れた
ハリスバーグで新種のレジャーを発掘、そしてNYの戻るためにIN80号線に
乗り、高速を飛ばした。40トントレラーを次々に追い抜き、オハイオ州に入り
NYに戻るために、マンハッタンから50km手前の知らない町に泊まった。
そこは何と偶然に8日前に泊まった同じモーテルであった。カウンターの
インド人から「このモーテルが好きなのか」と言われたので、面倒くさいので
「イエス」と言ったら喜んでいた。このモーテルは凡そ客室が100以上もあり
出来たばかりのようであった。客のために中華料理店があり、夕食は中華で
済ませた。中国人の男が2名、中国女性がママも含めて4人の家族経営の
ような店であった。青島ビールを飲み、麺類と一寸したツマミの夕食であった
が、アメリカでの醤油系の食事は、東洋人にとっては貴重な食事である。
何と言っても醤油系食事はアジア人にとって元気が出るのである。
  翌朝、早朝にモーテルを出た。既にマンハッタンに勤めに出る人の車で
ラッシュ状態であり、潜り抜けるような運転でジョージワシントン橋を渡り、
マンハッタンの北側を抜けて、国内方面の飛行場であるラガーデア空港に
向かった。同飛行場のレンタカー会社に車を戻し、そこからバスで発着場
に行った。安売り航空便なので、搭乗手続きの全てが機械によるセルフ
サービスである。ここでは手続きで大変な苦労をした。機械の操作は
英語によるコンピューターであり、いちいち辞書を引かなくてはならない
が、そんなことをしていたら後続に叱られることになる。絵や英語が出てく
るが慌てるとミスを生じ、初めからやり直しとなる。一応全ての手続きが
終わったので、一寸観察を試みた。アメリカ人はコンピューター慣れをして
いると思えた。理由は老若男女が、この操作を自然にやっていた。日本国民
も何らかの方法で、追いつくべきであると考えた。間もなく、搭乗時間がやっ
てくるのでゲートをくぐった。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
戦闘意欲旺盛にならないと大陸を縦横無尽に出来ないのだ


 
 

2016年10月29日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(NYから移動)・・・16

2016.10.29土 雨 午前5:00
 今日は午前4時に起きてしまった。天気雨、外はまだ暗闇であり外気寒し。
アメリカの二週間は別次元で生活をしていたような気分であったが、特にNY
からペンシルバニアに抜ける昼過ぎから夕餉の時間帯が素晴らしかったの
で投稿します。
 NYJFK空港で日本に帰る友人を見送り、新農産物の発掘のためにペンシ
ルバニア州のペンステーに向かう時の模様です。IN80号線で西に向かって
走ると、先ずは綺麗な紅葉に出会います。紅葉の高さと太さは日本の
倍以上、赤は人工色より赤く、アメリカ大陸の青空にピタリとマッチし
ていた。そんな風景を車の窓越しに期限なく見られたのである。5時間
400kmの運転であったが、ずーっと見られ、夕餉の暗い時間で紅葉と
さよならをさせられた。今でも、その紅葉の色が忘れられません。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                          北に向かうIN80号線の紅葉

2016年10月24日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(5番街)・・・15

2016.10.24月 天気不明 午前5:33
 アメリカから帰って1週間が過ぎた。そろそろ毎日の生活が順調になって
来る頃だ。頭もすっきりしてきたのでいろいろなことを思い出せる。今日は
NYマンハッタン五番街の実感を記します。
 5番街には10回程行きましたが、殆どが通過をしただけでした。今回は
その5番街の高級ホテルに泊まり、食事と散策をしました。5番街
は世界からの観光客で溢れていました。その中でもアジア人を多く見かけ
ました。中国、韓国人が多く、日本人の若者よどうしたんだ、と思いながら
歩きました。その後、夕食を有名な店で食べることにしてその店に入りま
した。世界中の若者が楽しそうに食事をしていました。あらゆる言葉が行き
来し、若者のエネルギーが満ち溢れていました。
 すごいスーツや宝石、対比的に1ドル7前後の雑貨店などの店は、どこも
一杯で、地球上のあらゆる物品が溢れているような気がしました。
 ホテルは通常は1泊が6万円ですが、日曜日の夜なので半額以下で泊
まれました。しばらくぶりに豪華なホテルに泊まりましたが、ただ寝るだけで
もったいなく思いました。
 不思議な大都市ニューヨーク、しばらくするとまたニコチンが切れたように
また行きたくなる街です。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年10月23日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(想い出)・・・14

2016.10.23日 曇り 午前5:51
 アメリカの二週間の旅を終えて帰ってきた。今はとにかく忙しいのでブロ
グは休みがちになっています。今日も仕事の遅れを戻すのに午前5時に
起床、間もなく仕事場に向かいます。
 そこで、想い出の一つを記してみます。12時間以上のフライトが間もなく
終わるアメリカ東部時間の午前7時頃飛行機からの見える眼下の景色は、
無数の湖とキラキラ輝く東の空でした。あと少しでニューヨークと思うと
胸が高まり、気合が入ってきます。体に力が沸き上がり、眼は若人のよう
に引き締まります。数分ごとについ眼下を眺めて、期待や希望を膨らませ
てしまいます。一時間後には大西洋が目に入ってきて、より期待が膨らん
できます。反面、心配事事も思い浮かんできてしまいます。それは、
入国時の審査官の現地英語による質問に英語で答えなくてはならない
ことと日本の土産が通関検査で通るかどうかの心配です。過去の審査の
状況を思い出しながらも期待や希望の方が優先して思い出します。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
飛行機の中に表示されるお知らせ

2016年10月20日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(新事業)・・・13

2016.10.20木 午前5:11
 アメリカ大陸での新ビジネスの発見はあったが、今の時点での発表は
困難である。理由は、企画研究中であるからであり、第三者等の利益を
損なう心配があるからである。
 そこで、今日はアメリカ彷徨の写真を二枚掲載します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ハーバード大学入門

2016年10月19日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(帰国報告)・・・12

2016.10.19水 天気不明 午前4:46
 昨日に帰国はしましたが、夕食を食べて7:30頃に寝てしまいました。
今日は昨日までの時差の影響で午前3:30頃に目が覚めてしまいました。
昨夜片づけられなかった土産や洗濯物の片づけをやり、今からいつもの
運動に出かけようと思っています。しかし、忘れないうちに昨日までの
行動の概要を記しておきます。10月4日午前NY着NY泊、5日ヒラリー
事務所へ訪問、6日ボストンに向い途中の町に泊、7日ハーバード大学の
訪問、8日NYへ戻る途中でニューヘブンのイエール大学訪問、9日ニュ
ージャージのNY周辺の町に宿泊、10日NYマンハッタン5番街に泊、
11日JFK空港に友人を送る、ペンシルバニア州ペンステート泊、12日
周辺農家の見学、13日同州のアイリスバーグのウオターゴルフを見学、
アイリスバーグ泊、14日移動のためにNYに戻る、ニュージャージ州泊、
15日NYラガディア空港からダラスに飛行機で3時間で移動、ダラス泊、
16日ゴルフ場に一人で行きプレイをする、後半白人3人と同じ組でプレイ
45:47をやっと維持したのでゴルフの形が崩れていなかったので安心、
17日ダラスフォートワース空港から13時間で帰国、18日日付変更線
を経て東海村に帰宅。
 今回の旅行の目的は①ヒラリーの選挙支援②ニュ―ビジネスとの発掘
であった。どちらの目的も今後の行動次第で完成度は増すと考えていま
す。来春の雪解け前後の頃に再度の訪問をして完成度を増したいと
思っています。
 関係者の皆様の絶大な支援があってこそ実行できると肝に銘じていま
す。皆さん、大変ありがとうございました。
    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝 68歳になりました。

2016年10月17日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(PC故障)・・・11

2016.10.17ダラスは月曜日 快晴 午前6:15
 10月14日〜今日の朝までPCが不通であった。諦めて携帯電話でヤフーを見ていた。
だが突然回復したので、ブログを掲載していますが、なかなかまとまりません。そこで
行程経路を記します。
 NYラガディア空港~ダラスフォート空港~寿司店スタッフの激励~夜は飲み会~
1人でのゴルフプレイ(後半は白人3人とプレイ)~輸入品発掘回り~夜は彷徨~
これらの繰り返しを経て今日の午前10:40発のJAL便で帰国します。
 今度の旅を総括すると、①ヒラリー事務所の訪問は出来ましたが完成度は50%だけ
でした。②討論会の観戦はラスベガスへの参加依頼はあったが時間都合により行けま
せん。③ヒラリースタッフとラインができたので今後の何かに役に立つでしょう。
 輸入品の発掘ですが、①ウオターゴルフの設計施工等の企画を研究してみようと思い
ます。
 以上、出発の時間になってきました。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年10月14日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(移動する)・・・10

2016.10.13木 雨 午後5:16
 ペンシルバニアから400km離れたニューヨークに戻りつつあります。
雨の中をただ事故のないように走ってきました。運転中に考えたことは
ウォーターゴルフの言葉を登録しなくてはならないと思いました。定年後
の軽い運動の手段として、このゴルフを楽しむ人が多く出てくるのでない
かと思っています。そこで、この言語を登録すれば何らかの権利を確保
出来るのでないかと思いついたわけです。ネットで調べてみても出てきま
せんでした。運営母体やその管理システムを官公庁に売り込めると思っ
ています。帰るまでにその管理システムのあらましを記述してみようと思
っています。
 このゴルフ場のあった町はH市といいますが、チャンスがあれば政治家
を連れて来ようと思っています。全て帰国後に報告や発表をします。経済
人や建築設計家や政治家でグループを作り、営利団体として活動をして
みようと思います。
 明日はNYラガーデア空港からダラスに入ります。ダラスでは郁氏の鮨店
のチエーン店と新しいお店のグル―プ化の会議と相手方の中国人との折衝
に臨みます。今から12時間後にはダラスに空路で入りますが、飛行機がロ
ーカルなので30人くらいしか乗れないそうです。日本人としてゼロ戦に乗っ
たつもりで、ダラスを空爆に行きますから、その支援や声援を宜しくお願い
いたします。事務所の皆さんの成長と幸運を祈っています。事務所の長い
仲間や新人の皆さん、ありがとうございます。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
カップまでの障害物はロックです



2016年10月13日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ウオターゴルフ)・・・9

2016.10.13木 快晴 午前5:30
 アメリカの新ゴルフを見た。農産物を探しに行った時に、偶然の大きな川の公園に立ち
寄った時に目にした。1ホールから9ホールまであり、4人一組でゴルフのようにパターだ
けで競技をする。パターで打つ1打から2打だけのホールであるが、カップまではアンジュ
レーションがあったり、ウオターハザードやレンガのウオールとかバンカーなどが備わっ
ていてまるで普通のゴルフを縮小しただけである。以前に日本にあった観光地のホテル
のミニゴルフをより複雑化しスリリング化したようなものである。使用面積は約500㎡程
度である。プレイをしていた人々は白人黒人の老若男女であった。アメリカ人らしく、大
声でキャキャやっていた。ゴルフを経験した人ならば簡単にできるが、コースは本物と
同じで簡単ではない。フェアーウエーの真中に岩があったり、サイドはレンガで仕切られ
ているが、所々に空間があり、そこからボールが出てしまうとOBとなる。あるコースでは
断崖絶壁にホールがあり、一寸でもボールが反れると崖下の川にボールが転落をして
しまう。ショートの一打コースではホールインワンが出やすくなっていて、一打で入ると
ホールインワンとなり、誠にハッピー感を味わえたりする。山あり、川あり、谷あり、
バンカーあり、OBあり、本物のゴルフと全く同じようにゴルフを味わえてしまう遊びで
ある。このウオターゴルフを老若男女の健康増進のために、公園などに設置したらど
うかと考えています。日本に戻ったら、私の土地か公的土地に設置する提案を町など
にしてみたいと思いました。諸々の資料を写真で収集したので仲間で計画をしてみよう
と考えました。
 農産物の探索は興味あるものは発見できませんでした。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                    二打コースト一打コースの併設

2016年10月12日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷(写真掲載)・・・8

2016.10.12木 快晴 午前9:00
 農産物の探訪へ

ペンシルバニア州での選挙雑誌と州の絵画

照沼重輝のアメリカ彷徨記(今までの経過)・・・7

2016.10.11木 天気不明 午前6:34
 今までの移動歴と経過を思い出しながら記します。1日目NY到着後マンハッタン近く
の町で寛ぐ、2日目NYのヒラリー事務所訪問、3日目ボストンのハバード大学を見学、
4日目NYに戻る途中でイエール大学を参観、5日間NY5番街に宿泊、6日目ペンシル
バニアの新農業の見学、7日目新農業の見学、8日目NYを経てダラスに移動する準備
中です。
 大統領の直接討論会には行けませんでしたが、NYの5番街のホテルでテレビ観戦に
なってしまいました。ヒラリー事務所の2カ所に行きましたが、ヒラリーはいるはずもなく、
選挙の事務所スタッフに訪問理由を聞かれました。「必勝祈願のお札を届けること、
ヒラリーを励ましに来た」というようなことを言いました。スタッフが「贈り物は郵便局止め」
にしてくださいと言われました。後で考えると、厳重なテロ対策と一定以上の物は
収賄になってしまうからとのことが分かりました。そして、スタッフ曰く「会いたい人がい
ればメールで申し込むことを言われました。その晩にメールで選挙事務所に訪問願いを
出しました。今はその許可をNY周辺を徘徊(ニュービジネス探し)しながら待っています。
  アメリカニューヨークの5番街は人種の坩堝でした。あらゆる人種が集まっていました
が、俺がアジア人だから同種族の人間が気になってしまいます。中国や韓国人が多く
見受けました。5番街の韓国語の看板が目だったし、中華街の漢字も目立ちました。
日本人の影は殆んど見られません。若者が国を出て勉強や将来のために働いている
姿が中国人や韓国人より極端に少なかったです。未来の日本を憂いるのは、俺が
年寄りになったからでしょうか。若者が海外に出る支援などをやろうかななどとも
考えています。日本が恋しくなったからではありません。
 今日は農業事情を求めて周辺を徘徊します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・照沼重輝

2016年10月11日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(お札をヒラリー事務所へ)・・・6

2016.10.10月 快晴 午前7:00
 ニューヨーク市内からヒラリー事務所にお札を郵送できた。郵送の理由は、ニューヨー
クの爆弾事件があったばかりで非常に警戒厳重であり、選挙中の物品の贈与を厳しく戒
められているからである。郵便局の私書箱宛てに送ると、爆弾探知機やX線検査で検査
を受けた後に本に手渡されるからである。今回の受け取る側は、いやしくもアメリカ大統
領に立候補しているヒラリーであるから、数々の厳重な検査をパスしてから受け取るはず
である。大統領の直接討論会が終わったばかりであるから、今は相手方から何らかの連
絡メール入るはずであると思い待っています。
 そこで、俺は思いきりアメリカの田舎に行って、そのメールを待つことと輸出品探しを
やろうと思い、NYから520km離れたNY州の隣りの州のペンシルバニアの町に来てい
ます。この町の名前はまだ分かりませんが、そのようなことは不思議と大陸に来ると気に
ならないのです。周りは畑だらけ、牛だらけ、草だらけで人はあまり見られません。ペンシ
ルバニア州は農業州のようです。輸出できる農産品が無いかを探索してみます。
 そこで今日のブログはハーバード大学とイエール大学に行った時の写真を掲載します。
                  ハーバード大学の正面門に茂木さんと立つ
イエール大学ロースクールに茂木さんと立つ
アメリカ・中国大陸馬賊隊

2016年10月9日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(NYに戻り待機)・・・5

2016.10.9土 天気不明 午前5:00
 昨日はボストンの帰りにニューヘブンに泊まった。ジョン万次郎が住んでいた町だと
思ったが違うのであきらめて、ヒラリーやクリントンが卒業したイエール大学に行ってみ
た。Mさんがロースクールの校舎を探し当てたので行ってみることにした。イーエル大
学もロースクールの雰囲気も貫禄十分であると表現できる。小豆色の石を使い、形良
く積み上げ、所々に彫刻を施した建物は華麗でもあるが、豪壮であり、学生の心を落ち
着けさせる雰囲気をもっていた。Mさんの知識と探求力にすがったイエール大学での
ひとときでした。
 ニューヘブンを後にしてNY5番街での用事を足すのに2時間がかかり、雨模様天気
の中をハドソン河のジョージワシントン橋を横切り、ニュージャージ州に入り、宿探しを
始めたが、辺りは暗くなり、モーテルがあるかな無いかなの心配をしたが、クイントイン
というモーテルに泊まれた。
 これまでの行動記録を時間的に記してみます。8:00食パンコーヒだけの朝食➡9:
00出発➡9:40イエール大学入門➡11:40大学を出発➡13:00高速を降りてマン
ハッタンへ➡13:40番街の駐車場➡14:00アレンエドモンド靴店入店➡15:30駐
車場へ戻る1.5時間料金約3000円➡16:00出発IN80号線を西へ西へ➡18:00
モーテルクイントインに宿泊できた➡19:00モーテル内の中華店に酒を持ち込み夕食
をとる➡20:00パタンキュー翌日5:00目覚めたのでこれを記しています。
 Mさんも私も元気に旅をしています。今夜はMさんとNYの近くで飛び込みのゴルフを
しようと思っています。夜はヒラリーとトランプの討論会をNYマンハッタンでテレビ観戦を
することになりました。ちなみに土曜日のマンハッタンのホテル料金は安めで5万前後、
日曜日の今夜は安いところで1.5万円前後なのでマンハッタンに泊まります。尊敬する
Mさんの良い思い出を作らねばなりませんから。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝



 

2016年10月8日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ハーバード大学入門)・・・4

2016.10.8土 天気不明 午前5:56
 やっとハーバード大学の門をくぐった。アメリカの大学は校庭が広く、一つの町を
乗っとたように広い。正門から入ろうとして探したが不明なのでやむを得ず、大学を
創った創始者の銅像がある横の入口から入門した。そこに見たものは、全世界や全米
からハーバード大学を一目見ようとしたり、何かにあやかろうとしている一団であった。
俺とMさんはその一団に混じって歩いた。ハーバードの図書館を一目見てから、創始
者の銅像があるところまで歩いた。創始者の銅像の左足が記念写真を撮る人の手で
頻繁に触られるためピカピカに光っている。俺もあやかろうとして記念写真を並んで
取った。アメリカの大学は一つの企業集団でなかろうかと考えながら歩き、ハーバード
の正門の一つと思われるところから出た。車が心配で急ぎ足で戻ったところ、やはり
駐車違反のシールがピタリと貼ってあった。しかし、駐車違反は過去にもやっている
ので、今回はたいして驚かずに、そのシールをカバンの一角に入れた。
 ハーバード大学からNYに戻ろうとして5時間の道程を急いだ。夕方にNYに戻れるが
80Km手前のイエール大学のある町のニューヘブンという町に泊まっている。一度は
停まろうとして受付に立ったモーテルは、何やら変な男や女がいるので危険を感じ
辞退をして別なモーテルに泊まっている。チエーン店のモーテル8である。予算より20
%ほど高いが泊っています。夕食は歩いて行けるので裏手の藪を突き抜け、野良道
のような坂を上がってイタリヤ料理店に入り、食事を済ませた帰ろうとしたら大きな
音が聞こえたので、その音を探って行ったら地元の歌手のような人がテント小屋で
歌っていました。急遽、私たちは帰らずにその野外パーテイに参加をしましたが、
観客がノリノリで私たちもノリノリ気分になり、白人と日本人の乱稚気パーテイのように
なってしまいました。踊り出す白人、お囃子を出す日本人、まるで白人のパーテイを
横取りしてしまったようでした。時に時間は午後の10時頃でした。部屋に無事に戻り、
そのままパタンキューとなりました。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
大学の創始者
                     


2016年10月7日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(メール通信)・・・3

2016.10.7木 天気不明 午前5:44 外は暗い
  明け方に目が覚めた。時差のため連日の睡眠不足で約10時間ぐっすり寝られた。
今日はハーバード大学に入れる日である。入れると言っても正門をくぐるだけであり、
入学するわけではない。老人一歩手前年で入れる学部があれば入ろうと思っている。
俺は事務局又は教授に近づいて、「この大学に入りたいがどうすれば良いですか」と
聞いて、その返事が「試験等がある」と言われたら俺は「試験があるなら、面倒くさいか
ら俺は辞める」と言い、更に「試験を学校に出したいのは俺の方だ」と言って教授方に
ジョークを飛ばしてみたい等と考えています。
 さてバカな話は辞めて、一昨日の顛末を記します。ヒラリーの二カ所の事務所には
行けました。しかし、ニューヨークのゴミ箱爆発事件等により、警戒レベルが非常に
高くなりました。大統領候補やそのスタッフに近づくことは困難です。全て予約制と
言われました。それに日本から持っていった村松大神宮の必勝祈願のお札はヒラリー
の事務所郵送してくださいと事務所の担当者から言われてしまいました。郵便局に
よる爆発物の検査を受けてから頂く方法だそうです。それでも俺は次のユニークな手
渡し方法を考えています。日本では考えられないほどの警戒が行われているのが
アメリカ大統領選挙でした。
 第二回目の大統領の直接の討論会は10月9日のミズリー州のワシントン大学で
開催されます。その討論会に参加できないかをメールで事務所に申し込んでみまし
た。その討論会のヒラリー事務所の責任者はMOOKという人物です。その人物から
昨夜メールが届きました。現在、その準備で忙しいから少々お待ちくださいというよ
うな内容のメールですが、英語力Cクラスの俺には意味不十分の状態です。
そのメールの解読をアメリカ在住の華僑のケン氏にお願いをしました。何れ正確な
内容が分かることになります。
 昨日はニューヨークからハーバード大学への移動で6時間を費やしました。今は
大学まで30分手前の分からない町に泊まっています。偶然に見つけた町の公共
迎賓館のようなところです。広すぎる敷地と数百人が泊まれる宿泊施設が立なら
んでいます。如何にも古き良きアメリカの雰囲気を醸し出しています。Mさんと
その施設のレストランで夕食を取りましたが、全員白人ばかりの社交クラブのよう
なところでした。西部劇時代の銃や用具が飾ってありました。珍しいのか我々に対
する視線を強く感じました。また眠気が襲ってきましたので終わります。
 因みに、そのレストランの料金は地ビールを飲むだけ飲み、食べるだけ食べて
1万円くらいでした。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
Hillary事務所

2016年10月6日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ヒラリー事務所内)・・・2の②

2016.10.6木 天気不明 午前5:15
 寝られずにまたPCを迎えた。続き、ヒラリー本拠地の選対事務所に入ろうとしたらメー
ルでの予約を請求された。そこで何時でも入れる事務所を教わり、そこに向かった。クリ
ントン通りからスリーブロック先の住所を教わり、そのビルに歩いて行った。同じような
格式あるビルの受付嬢に自由入室できる階を教わり、その階で降りるとそこはヒラリー
一色のフロアであった。廊下のコーナーごとにヒラリーの選挙用のシールが貼ってある。
俺は再度、忠臣蔵の討ち入り時のような気分でどんどん前に進んだ。部屋をノックして
中に飛び込んだ。受付ボランティアの男に用事を聞かれた。俺は「ヒラリー選対事務
所のB氏に会いたい」それに「日本から持ってきた選挙の必勝祈願のお札を渡したい」
というと彼に「重要人物に会うためにはメール予約は必要である」と言われた。予想して
いた返事である。それで二の矢として俺は「重要人物のメールアドレス」を教えてくれと
ねばった。彼は一片のメモ用紙にアドレスを書いてくれたのである。これで次のチャンス
を掴んだと考えて引き下がった。ボランティアのルームを見渡すと多数の女性参加者が
PCの前で何やらキーを叩いている。今度の大統領選挙でニューヨークか国内や世界
に情報を発信しているのである。
途中にして寝る。
                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

照沼重輝のアメリカ彷徨(ヒラリー事務預所へ行けた)・・・2

2016.10.6水 晴 午後20:30
 天気快晴、北風やや吹く、ラッシュ時を避けて、ブルックリンのヒラリー事務所に向か
う。頭の中は、居ない時の対処や居る時の会話等を描きながらハンドルを握っていた。
ブルックリンにクリントン通りがあり、その一角に伝説の一族が持つビルがあり、ビルの
中の24階にオフィスがあるという。あれやこれやを考えながら1時間程を走ったら目標
のビルの屋根が視界に飛び込んできた。おもわず「あれだー」と叫んでしまった。それ
は緑色の屋根を持つニューヨーク特有の形をしていた。少年の頃に山野に遊んでメジ
ロ捕りの遊びをしていた頃、早朝に林の中に潜んでメジロが天空のどの方角から飛ん
でくるかをジーッと睨んでいた心地を思い出した。それは獲物を狙う野生の目となり、
音を立てないで呼吸を止め、獲物に近寄る神経が甦ったようであった。俺はハンター
気分でそのビルに車ごと近づいて行き、駐車場を探した。大都会の駐車場はなかなか
無く、ビル周囲を一周し、駐車場を探し当てて駐車した。何と駐車料が1時間2,500
円の聞いたことも経験したことも無い駐車場に入ったのである。今から超ターゲットが
いる場所に行くのに値段など構ってはいられない。車に鍵をかけるのもそそくさに駐車
場を出た。作戦は先ず、①ビルの周囲を一周する。②出口がいくつあるかを確認する
。③ビルの周囲に屯する人々を観察する。④看板を見つける。⑤ガードマンがどこにい
るかの確認。⑥警護員からどのようにヒラリー事務所に入る許可をもらうか。⑦贈り物
の手渡し理由をどう述べるか。諸々の心配を重ねながらビルの中に入った。しかし、
そこはまるで別世界の雰囲気をもった受付カウンターと黒人の大男数人が待ち構えてい
た。ニューヨークは爆弾騒ぎがあったばかりで日本では考えられない警備状況である。
俺は非常に強い決意を持って忠臣蔵で吉良邸に討ち入る赤穂浪士のような意気込みで
前にどんどん進み、カウンターの前に立った。計画半ばですが、これ以後は次の時間に
記します。現地時間午前3:15ですが、今日のためにまたベッドに入ります。
今は700km先のハーバード大学に向かっている途中です。
Mさんも元気で一定のペースを保ち前進していますから、関係者の皆様ご安心ください。
夕食はスーパーで買ったチンスイッチ料理とメキソコの冷えたビールでどうにかとれま
した。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝



 

2016年10月5日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(出発)・・・1

2016.10.5水 快晴 午前8:45
 マンハッタンに朝日が注いでいます。俺はホテルの窓から眺めています。頭がぼんや
りしているので、あ、そうか、ここはニューヨークなのだという気分です。ホテルの窓から
下を眺めています。今からマンハッタンのヒラリー事務所に直訴に参上します。30分後
に出発します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューヨーク到着)・・・2

2016.10.4火 晴 午後11:05
 成田を午前10:50発のJAL006便で出発した。同日の午前10:50にJFK空港に無事
についた。空港を出てからエアートレインでハーツレンタカー会社に行き、スムースに車を
借りることができ、マンハッタンから10km離れたフラッシングという町のプラダホテルに宿
を取れた。現在は真夜中の午前1時であるが、寝付けなくキーを叩いています。マンハッタ
ンの賑わいの音が枕元まで聞こえてくるような距離感のところにいます。
 別な話であるが、PCの調子が良くなく心配をしています。キーのところの証明がつかなく
なりました。明かりを近くに持ってきてキーを叩いています。どうにかなるまで使用します。
 同行者のMさんも寝不足で調子が今一のようですが、熱心にメモを取り執筆の資料を
収集しています。次は早朝に記します。
今夜は早く寝ましょう。眠いなー。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝  (マンハッタン近くで)





2016年10月4日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(アメリカへ出発)・・・1

2016.10.4火 天気不明 午前4:11
 今日はアメリカニューヨークに出る日である。興奮して早く眼が覚めてしまった。
友人と2人なので全行程の無事を祈る。さー出発だ。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年10月2日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(レンタカー操作)・・・11

2016.10.2日 天気不明 午前4:43
 レンタカー受付嬢から鍵と何かの書類を渡され出口の指をさされた。言われ
るままに出口に向い、数百台が並んでいる駐車場に入る。鍵についている
番号を探すが、なかなか見つからないので黄色い服を着た作業員に聞く。
この番号は車のナンバーでないのである。駐車場所のナンバーであるから、
間違わないようにした方が良い。駐車場にある車の程度は新車に近く、ピカ
ピカ車が多く、正に車天国のアメリカと言える。車を見つけ鍵を開け、車内に
入り、キーを差し込む。新しい車の匂いである。何となくホッとしてキーを回す
ことを忘れてしまう。エンジンをかけないでワイパー等を操作してしまう。それ
でも思い直し、エンジンを始動する。日本にいるような気分になり、直ぐ走り
たくなるが、我慢をしていろいろな操作をして、アメリカの車に徐々に慣れて
いく。俺は左の運転席を降りて、車の周囲を廻り、トランクを開けて、スぺヤ
タイヤの位置などを確認して、ホット一息を入れるのである。トランクをトランク
に入れて、運転席に戻り、ナビシステムをセットして、やっとゆったりとした
スピードで出口に向かう。出口ゲートで書類を係員に渡して、ゲートを開けて
貰い、潜り抜けて外に出られるのである。外はビュンビュン走っている車だら
けであり、即座にそのスピードに入るのは大変であるから、先ず頭を切り替
えておくのもコツである。外に出たら、そこは大都会の戦場となる。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝