2016年11月30日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(フェリーで戻る)・・・7

2016.11.30水 曇り 午後16:09
 コロンス島からフェリーで戻るようになるが、島の後から戻るのは結構足を使うこと
になる。島に上がる時は海を左手に見るが、戻る時も左手に海を見て戻る。このように
言えば島は丸い形をしたお椀型をしていることが分かる。周囲は4km無いような島であ
るが要塞に使えば万全の守りができる島である。大陸側から攻めても海があり、上手く
上陸しても山頂から野砲を撃つことができる島である。ここに鄭成功は南シナ海の制海権
の拠点を構えた。但し、現代においては、ロマンテックで麗しい島と言える。私は上る時に
左手に見えた砂浜を散策し、厭きたら島をドンドン登り、島の後で思索に耽り、英雄の館
では休息をとり、喉が渇いたらカフェリーの売店まで降り、飲み物を口にする。適度に
時間を過ごして、帰りのフェリーに乗り、厦門の港まで帰るのが常であった。面白いのは、
帰りのフェリーは何時も一杯で座る席が殆んど無かったことである。何時も一杯なのは
観光客や島の観光設備の関係者の方々であると思う。島から陸に戻る客の顔は何かと
淋しそうである。何でだろうか、余りに美しい景色を見てきたせいだろうか、その景色と
さよならをするからであろうか、未だに答えが出ていない。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
始皇帝の陪葬墓

2016年11月26日土曜日

照沼重輝の中国彷徨記(コロンス島の後)・・・6

2016.11.26土 晴 午後16:48
 カフェリーでコロンス島に渡り、坂をドンドン上に登る。中腹にお寺と大きな吊り石が
ぶら下がっていた。更に、上に登ること1時間が経過、そうすると島の背面にでた。後ろは
は断崖絶壁、切り立った絶壁にあたる波しぶきが目に入った。絶壁の上にある小道を右の
方に歩いて行くと、大きな鳥の檻があった。その檻は巨大な鳥籠になっていた。鳥籠の中は
南方特有の鮮やかな色をした鳥が入っていた。鳥は種類ごとに群れを成して飛んでいる。
日本では見たことのない景色である。そこを横目で見ただけで、更に前に進む。今度は大き
館が目に入ってきた。中に入ると、この館は鄭成功記念館であることが分かった。日本人の
母と貿易商の中国人との間に生まれた鄭成功は、幼くして中国渡り、学問を身につけて
大人物に成長した武人である。揚子江を遡上し南京攻撃に向かったり、台湾島からオラン
ダ人を駆逐したりした。中国の南方では英雄扱いをされている人物である。その鄭成功
の記念品や歴史物語を収集してある館に入り、暫し見学をした。何といっても、日本人の
私には、鄭成功は特別な興味を抱く人物である。次回は、フェリーに乗り、厦門に戻るを
記します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  
             
中国上海の夜

2016年11月18日金曜日

照沼重輝の中国彷徨記(アモイ)・・・5

11月25日金 晴 午前5:11
 過日、水戸ロータリークラブの例会で卓話をした。タイトルは「実録・
 アメリカ大統領選挙」でした。私なりに面白く可笑しくした内容であったが
評判は疑問です。
 さて、アモイには何度も石材輸入の仕事で行きました。歴史では鄭成功
物語があります。最近では司馬遼太郎さんが書いています。綺麗な海と
小さな島の・・・島が印象に深く残っています。アモイの岸壁からフェリー
で小さな島に渡ります。石の坂道を登ると、更に坂道が急になってきます。
中腹にお寺が有り、大きな石が中吊りになっている観光名所があり、その
高台から南シナ海の一部を望めます。青い空、紺碧の海、真っ赤な太陽、
白い波シブキ、海に浮かぶヨットやクルーザー、ヤシの木、南国の音楽、
どれをとっても和やかな景色が目に入ってしまいます。一服が終われば、
更に島の上に向かって歩きます。島の後ろ側には、更に素晴らしいい
景色が見られます。次回は島の後ろ側を記します。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                                   何とも不明な食べ物

2016年11月16日水曜日

照沼重輝の中国彷徨記(深圳でゴルフ)・・・4

2016.11.16水 晴 午前4:25
 トランプショックで1週間を掲載できなかった。アメリカの政変というのか、
トランプショックというのか、形容できないでいます。
 今日は中国が開放政策を取り入れてから間もなく深圳にゴルフ場ができた
というので遊びに行った話を記します。香港から電車で深圳に入り、ゴルフ場
にタクシーで行き、プレーをしました。できたばかりのゴルフ場であったから、
スタッフたちもバタバタしていたようでした。その日のプレーは私たち四人組
だけでした。しかし、待ち構えていたキャデイたちは大勢でした。私たちは各々
キャデイを選び、貸しクラブでプレイをしました。キャデイ達もある程度の教育を
受けてはいましたが、私たちにとっては未熟なキャデイ達で、グリーン上の
プレイになるとキャデイ達は次のテイグランドに行って休み、キャデイ同士の
会話に夢中でした。大きく反れたボールなどは探さずにいました。プレイヤー
が自ら探す始末でした。そんな是也ですから私たちもスコアは大きく崩れ、
何とも満足できないゴルフとなってしまいました。スコアを他の正に出来ない
のがゴルフでもあることは分かっています。拝
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年11月10日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(敗北)・・・3

2016.11.10木 快晴 午前7:03
 アメリカ大統領選挙はドナルド・トランプの勝利となった。アメリカ情報を
まとめると、以下の理由で彼が勝った理由と結論を記します。
 1.アメリカの体制側が挙って応援したので、被体制側の人々が自己の
   意志で反対にまわったこと。
 2.キリスト協会が、民主党の性政策に反対を唱え、一斉に選挙運動員に
   なったこと。
 3.仕事がなく、何かを変えてもらいたいと思っている人々がトランプを
   応援したこと。
 以上は、政治に素人の私の結論ですが、アメリカ人情報をもとに考えた
ことです。
 明日からは、中国彷徨に戻ります。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                                マンハッタンの政変

2016年11月9日水曜日

照沼重輝の中国大陸彷徨記(広東)・・・2

2016.11.9水 天気不明 午前4:59
 初めて広東に行った時の話から、
 私は中国との海産物貿易をしている。そこで乾しアワビの取引先に表敬訪
問をしたことがあります。早春の訪問であったが、とても暑かったことを思い
出しています。流石に世界の商人が貿易に訪れる町である。乾しアワビの
製造者の2人と私の中国スタッフが混ざり合計5人で訪れました。上海から
乗り継ぎ夜遅くの飛行機で空港に着きました。迎えの使いに、五つ星のホテ
ルに案内をされ、宿泊しました。
  翌朝は、広東最大の飲食店業店を訪れ、昼食を御馳走されてびっくり
したことを思い出しています。その店の豪華さは金ぴか過ぎ、豪華なシャン
デリアや絵画が惜しみなく掲げてあり、おまけに借景が素晴らしく、ひと時ほど
現在を忘れてしまうほどでした。超高級料理をオーナーの説明と一緒に食べ
たことを思い出しています。次の日は、骨董店に行き、目の保養をしたことも
思い出しています。最後の晩は、彼の経営する空中一番という店の天辺で
の食事でした。空中がドームになっていて、突然に開くのです。この部屋での
食事は誰がするのだろうかと思いながらの食事をしました。まだまだ、おまけ
のことを記載したいのだが、早朝トレーニングに出かけますので、終わりにし
ます。
             アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2016年11月8日火曜日

照沼重輝の中国大陸彷徨記(香港)・・・1

2016.11.8火 快晴 午前6:37
職場の仲間を誘い38年前の香港に行った時の話から、
 子供の頃に海に行っては水平線の彼方を想像した。夏の海では海釣、秋の海
では散策、冬の海では運動、春の海では水平線の彼方までキラキラ輝く波を観
賞した。早く大人になって海の向こうに行ったみたい。海を見るたびに考えた。
 就職してから多少の長い休みを取れたので、職場仲間を誘い香港に行った。
飛行機に乗り、これでやっと海外に行けると興奮したことを思い出した。3時間
の空路であるが夢の時間であった。青い空、輝く太陽、日差しが窓から注ぎ、
経験したことのない明るさであった。機内食を食べたが美味しく、スチュワー
デスの笑顔が眩しかったことを思い出す。飛行機は町の赤や青のネオンの
渦の中を降りて行った。日清製粉のネオンが空港の横に輝いていた。地元の
ガイドが出迎えてくれ、たどたどしい日本語で案内を始めた。俺たちはホテル
に案内をされ、空港で買ったジョニーウオカーで乾杯をしたことを思い出した。
 翌日から観光を始め、慕情という映画になった高いところから街を眺めたり、
船の上での食事やマカオに遊んだ。小高い丘から中京の広東方面を眺め、
これが外国の匂いと食べ物だとしみじみ思いに耽った。3泊4日のジャルパッ
クので初めの頃の海外旅行でした。その後に海外旅行が病みつきになり、
250回以上のアジア・アメリカの旅に出るようになった。次回は広東省の旅を
記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


2016年11月7日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(最終回)・・・24

2016.11.7月 快晴 午前6:56
 日本に帰ってからの回想、
 今回も2週間のアメリカ彷徨を終えて無事帰れた。法律違反
やアクシデントは一切なく、山山や海を自然に愛でられたし、
大都会の人々の坩堝に飲まれることもなかった旅行でした。
 思えば、アメリカ大陸の縦断横断を始めたのは、還暦の年
であり、それから8年の間に10数回のアメリカ大陸彷徨の
旅をした。今回はヒラリーアメリカ大統領候補の選挙事務所
を訪ねた貴重な経験もできた。それにマンハッタン5番
街の駐車場に車を乗り入れたことで、マンハッタンの物価
の価値を身をもって知った。歴代アメリカ大統領が履く靴を
売り続ける靴店にも行けた。私はケチな性格ではないが、
1泊のホテル料金は平均で6万であるが、このホテル代を
3万弱で泊まる技も身についた。おまけに、ハーバード大学
とイエール大学にも行けた。これで、二つの同大卒のエリー
と学問以外の話を身近にできる。笑笑笑。ペンシルバニア
の農産物と超縮小ゴルフの発見はビジネスに繋がるかも
しれないと企画中である。国内飛行機の乗り継ぎ技も発見
できた。長丁場の海外旅行で何もなくても楽しめる技もつい
でに身に着いた旅行でした。
 旅行数の多さ広さは思考領域の枠を広げる最良の道具で
あると思えた。次回から、中国大陸彷徨を記します。
       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカの宿舎でウイスキー・ビール・ツマミを並べて寛ぐ
 

2016年11月6日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(再見、USA)・・・23

2016.11.6日 快晴 午前5:00
 ニューヨーク、ボストン、ニューヘブン、ペンステート、ハリスバーグ、ダラス
を廻り帰国した、まとめての話。
 10月4日にアメリカに向かい、帰国は10月18日の2週間の旅をしてきた。
ニューヨークではアメリカ大統領候補者のヒラリー選挙事務所に陣中見舞い、
その後に5番街を遊泳、北に向いボストンのハーバード大学を参観、NYに
戻る途中でイエール大学も参観、NYマンハッタンで歴代大統領ご用達の
靴屋で土産の靴4足購入、ニュージャージーに飛んで宿泊を繰り返し、山野
に遊び、NYに戻り5番街で夕食、大統領テレビ討論会はホテルのテレビで
見た。帰国する友人をJFKに送り、ペンシルバニアに農業産品の発掘に
向い、ハリスバーグで新ゴルフゲームを発見観察、NYに戻りラガーデイア
空港からダラスに移動、ダラスでは企業パートナーのオフィス兼宿舎で焼肉
パーティ、裕福層の住む町の近くででゴルフに興じ、連夜の歓迎パーティで
胃袋が疲弊、その後に3日過ごした宿舎を後にしての帰国でした。
  思うに、アメリカの人々の生活感はリッチで人生の楽しみを心得ている
ようでした。社会の物的施設は十分に近く備わっていて、アジア人から見れ
ば何不自由があるのかと思うような生活ぶりでした。不自由と言えば精神
的満足感であるのでないかと考えてしまいました。また来るとアメリカ大陸に
言い、日本に戻ってきました。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年11月5日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ダラス空港発)・・・22

2016.11.5土 曇り 午前6:39
 ダラス空港から帰国の時、
 空港に二時間前に着いたので、ゆっくり搭乗手続きができる。車から荷物
を下ろし、カートに積んでカウンターに向かった。JALカウンターに受付嬢が
待ち構えているので安心しながら前に立った。パス―ポートを出して、キョロ
キョロしていたら、何だか様子がおかしい。受付嬢がさかんにキーを打って
いる。どうやら私の名前が出てこないようである。JALの申し込み表を出して
くださいと言われたので、カバンからファイルを出し、その中のJALから貰った
記録表を出した。受付嬢に「違う」と言われてしまった。慌てたが、時間がある
ので安心感を戻し、「どこ?」と聞くと、カウンターが三つ離れた場所を指され
たのでそこに向かい、搭乗手続きをやり直した。ここで分かった、JALとアメリ
カン航空の共同運航便であるから、アメリカに向かう時はJAL機で日本に向
かう時はアメリカン機となる。受付嬢の手際のよい業務で簡単に搭乗券が
出た。出国ゲートの検査もスムーズにとおり、待合室に入ったが、搭乗ゲート
が多数あるので探すのに苦労をしてしまった。ダラス空港は巨大なので、
一階や二階、それに3階等の搭乗ゲートがあるから、迷子になりがちである。
アメリカン機のゲートは三階のトレインで二つ三つ離れた搭乗口に向かう
のである。私はダラス空港は何度か訪れているが、いつもパッパとはいかな
い空港の一つである。無事、機内に入り座席に座り、一時間遅れの出発と
なったが、帰国便は日本に向けて飛び立ったのである。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
日本に向けて飛び立つ準備のアメリカン機


 

2016年11月4日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴルフと帰途)・・・21

2016.11.4金 快晴風冷たし 午前6:51
 ダラスのゴルフ場での話、
 アメリカ白人三人組を相手にしてワンプレーが終わった。カートをカート置き
場に戻し、係員にサンキューを発し、スタート前広場に戻ったら、三人組がい
てサヨナラの握手を求めてきた。私は1人一人に礼を述べながら丁重にサヨ
ナラを言った。最長老のボスが丁重に握手をしてくれた。思うに、彼のボール
を何度かバンカーから出したり、バンカーを撫でたりの礼を尽くしたことに対す
る礼だと思えた。ゲーム終了間際に「グッドボーイ」と言われたことを思い出し
た。私は三人組が立ち去り、車で戻るまで礼を何度もして見送った。丁重すぎ
たかもしれないが、清々しいゲームの終了を楽しんでいたのである。勘定は
受付の段階で終わっているので、郁君の迎えの車に乗り、事務所兼住宅に
戻った。その夜は、私の奢りで中華料理店で企業パートナー達との宴会を
楽しんだ。明日はダラス空港から一人帰国と思うとふと淋しさがただよった。
 宿舎に戻り、明日の荷物の整理をしていたら、更に淋しさがつのってしま
い、予定変更してあと二三日を過ごそうかとも考えたが、それもできない
身分であることも、更に淋しさをつのらせたのであった。翌日は早朝の5時
に起床、宿舎発7:00、空港へ8:00に到着、離陸9:45、誠に日本人的
思考となったなと考えていたら、眠りについてしまった。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年11月3日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(残りハーフ)・・・20

2016.11.3木 晴れ 午前5:52
 毎日毎日寒さが押し寄せる深い秋の朝です。今日は祭日だが仕事が
あるので緊張感をもって起きた。ダラスの楽しき日々を思い出して記し
ます。
 午前のハーフは1人でプレイをした。午後になり後ろの白人三人組が一
緒にやろうと言ってきたので合流した。三人組の1人がボスであり、年は
97歳という、後輩役は私と同じくらいの年で2m近い人であり、もう一名は
97歳のボスが乗るカートを運転しながら、替え添え役をしている人であっ
た。三人組が私に先に打てという。素直にテイ―グランドに立って、一打目
を打った。ボールはファインショットで三人組から「グーショット」のお褒めを
いただいた。次にご老体がテーグランドに立ち、ゆったりとした、いかにも
隠居株の打ち方で一打目を打った。私は迷った、他の2人がグーショットを
言わないのである。確かにグーショットを言うか言わないかの瀬戸際の
ボールである。残る二人が交互に打った、私は「グーショット」の連発を
した。私より数十ヤードは先に飛んでいる。2m近しの男は、どうだと言わ
んばかりに私を見た。私は親指を立てて彼の目に入ったのを確認して
から手を下ろした。正に日米対抗のゴルフ大会となってしまった。孤軍の
日本軍対連合軍のアメリカ軍の第二次世界大戦のようだと言いたかった
が、そこまでの英語の単語が出ないので口を結んだ。97歳のボスを
面倒見る後輩と遠慮なく面倒を見てもらっているボスの先輩後輩の
情は素晴らしく輝いていた。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年11月2日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(テキサスでゴルフ)・・・19

2016.11.2水 晴 午前5:32
 私はテキサスのダラスで日曜日に快適な朝を迎えた。いの一番に今日
は何をするかを考えたら、ゴルフが一番だとの結論に至り、どこが良いか
をベッドの中で考えた。宿舎の近くにゴルフ場があるので朝の散歩がてら
に行ってみようと思い、郁君の車で行ってみた。ところが高級クラブでメン
バー制断られてしまった。カウンターで聞いたら、近くにパブリック制の
ゴルフ場が有るという。ではそこに行こう考え向かった。立派なメンバー制
クラブに負けないようなゴルフ場であった。1人でカウンターに向い、受付
をしてから、カートに自分でクラブを積んだ。一番ミドルコースのテーグラン
ドに立った。分譲地の空き地を使ったゴルフ場であるが広々としている。
記念にビデオを写しながらプレイをした。日本のゴルフ場と比べても遜色
ないコースである。
   左側幅十分、右側スライスを注意すれば大丈夫、左肩を十分入れて
顎を引いて、ゆっくりしたスイングで力を抜き、つま先重心で打った。ボ
―ルは見事に弾道が普通のコースでグリーンの真ん中に飛んでいった。
カートに戻りボールの方向にアクセル一杯で向かった。グリーンの良い
場所にボールがあったので、空かさず第二打目をグリーンに向かって
スプーンで打った。これも良い弾道で真っ直ぐに飛んだが、落ちる瞬間に
右の方に反れた。パーオンならずでピッチングで三打目でのせた。パター
を取り出し、カートをカート道においてパターを持ってグリーンのボールに
向かった。左フックのラインを読んでパターを打った。20cm残して入らな
い、最後はチョコンと打って入れた。ボギーで上がった。先ず先ずである。
  そして、2番ホールのロングにカートを走らせた。気分上々、体が軽
い、空は青空、口笛でも吹きたい気分になってきた。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
住宅地内に普通のコースが備えてあるテキサスのゴルフ場

2016年11月1日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(テキサス入り)・・・18

2016.11.1 火 雨 午前6:11
 ニューヨークラガデイア空港からテキサスに向かった。飛行
時間が3時間というから約2000kmである。安売りチケット
なのでお茶も水も出なかったが、安定飛行でダラスのエアー
フォート空港に着陸をした。中国系アメリカ人の友人の出迎え
を受けて私たちの事務所兼宿泊地に辿りついた。その日は
日本人では贅沢感のあるような待遇を受け、その夜は痛飲を
してしまった。大きなスペースの家で、良く整備された庭に
プールが有り、満々と清潔な水が満たされていた。夕方にな
ると一斉に庭木にイルミネーションが灯り、幻想的なテキサ
スダラスの夜を過ごした。案内をされた私の部屋は二階の
来客用の清潔感のある部屋であった。その日は早めに
休み朝までぐっすりとなった。ベッド上で日本から今までの
移動距離は飛行機が10000km、アメリカ国内の運転で
1800km、国内の飛行機が2000km、合計15300km
を移動したことになる。無事故、無違反、過労等のアクシデ
ントは一切無かったことを神様一切に感謝して眠りについた。
       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝