2015年7月26日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(すがすがしい朝)・・・77

2015.7.26日 快晴 午前6:00
    水戸弁で・・・昨日は叔母の見舞いで横浜に行ったぺ、運転は俺だが疲れねーな。
    侘しい夕食であったが、腹立つこともなく眠りに入れた。翌日は清々しく起きたので、
窓を開けて周囲の景色を楽しめた。東に見えるロッキーの景色は朝日を浴びて光り
輝いていた。ロッキーの峰から朝日が昇り始め、太陽がやっと山を越して昇ってくる。
反対の西のところどころの部分が太陽の光で輝き始めた。南の温暖の景色は、
自分の出番を待つように悠々としている。北の景色は、他の方向の朝のウキウキ
気分を冷ややかに眺めているような険しい景色で俺を迎えた。俺は四方を眺め、穏や
かな気分を維持し、朝のスタートを切ろうとしていた。カウンターに行って、コーヒーを
もらい、自分の部屋に戻り、足をテーブルに投げだして、窓から見える青空を眺めて
コーヒーをちびりちびり飲んだ。いつまでも青空を眺めていたいので、コーヒーが
惜しくてのちびりちびりではなかった。雲一つない青空にジェット戦闘機が一筋の
飛行雲を作って音も無く飛んでいた。
   ふっと我に返り、アメリカ横断のお供をしてくれているシボレーミニバンを見たら、
「早くしろ」と言われているように感じ、俺は荷物を肩に担いで車に向かった。車内は
秋でも熱く、ハードではあるが楽しい一日の始まりを迎えたのである。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
    

2015年7月25日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(チョコだけの夕食)・・・76

2015.7.25土 曇  午前6:30
   水戸弁で・・・4Kmを歩いてきたっぺ、汗もかいたが気持ちも良かったな・・・。
モーテルがあった町はど田舎、牛の匂いが漂っている町だ、飯も無ければシャワーも
チョロチョロしか出ないところに泊まってしまった。先ずは、夕食をどうするか考えている
が、この街のコンビニは閉まってしまったようだし、レストランも無いようだし、鞄に残して
あるチョコとウイスキーや焼酎で夕食にするかと決めるほかなかった。
    チョコ数個、二日前に食べ残したピーナツと柿の種で夕食にすることにした。PCを立ち
上げ画面を出し、日本のニュースを見られるようにしたうえで、ウイスキーを薄く割り、
ピーナツとチョコを出して、一粒一粒をゆっくりほおばりながら、ウイスキーで胃袋に
流し込んだ。途中、胃袋に詫びを入れながら、ピーナツや柿の種、飽きるとチョコを
食べ、薄いウイスキーで流し込んだ。何時もなら胃袋にどしどし入る食べ物が、ゆっくり
入ってくるので、胃袋は満腹感を騙されたようだ。妙に腹が一杯になり、不思議な満足感
がおきてきた。
                                             リカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月24日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(やっとモーテルに入れたが)・・・75

2015.7.24金 晴 午前6:45
  水戸弁で・・・雨が止んだので運動散歩に出たっぺ、そしたら朝の散歩者が少なかったな。
   山から下りて、暗い夜道を走り、やっと数件のモーテルが見つかった。大きな町ならば
モーテルは数多くあるが、田舎の小さな町だとこじんまりしたモーテルが一二軒あるだけ
である。おまけに夜の9時ころになってしまい、食堂やバーガー屋は一軒も見えなかった。
あーあ、夕飯抜きで泊まるのかなと思ったら、途端に力が抜けて、やっとの思いでモーテル
のフロントにたどり着いた。カウンターに向かい、呼び鈴を鳴らした。その途端、背後から
忍び寄る大きな影が目に入った。しまった熊に襲われると感じ、後ろを振り返った。
その影は熊ではなく、アメリカらしい吠えないでいる大きい狩猟犬であった。
その犬を連れている人は白人の牧童のようであり、猟銃を2丁を小脇に抱え、宿泊希望者
かと思ったら、モーテルの経営者であった。私を驚かせたことを、しきりに謝っているようだ
った。宿泊手続きを終えて部屋に入り、バスタブに湯を入れ始め、夕食の取り方を考えた。
食堂レストランの類は無し、コンビニも無し、携帯食料は尽きている。腹を減ったままで朝ま
で過ごすか、隣町まで食品を買いに行くか、どちらにも決心できないままで旅行鞄をまさぐ
り始めた。
                                              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  

2015年7月21日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(山また山その奥にまた山)・・・74

2015.7.21火 快晴 午前7:00
  水戸弁で・・・休み明けの散歩運動は疲れっぺ、だが、俺は散歩に出たんだ。
   山の中のガスステーションで油を満タンにして、カードで金を払おうとしたら、現金に
しろと言われ、現金で払った。彼らはカードをやっていたので、現金が欲しかったのかな
と思ったが、どうでも良いので「サンキュー」と言って山を降り始めた。
   くねくねとした道路を降りながら、時折、駐車ペースに車を止めて、遠くの景色を眺めた。
目の前の山の後ろに山、そのまた奥に山が見えた。アメリカ大陸の高いところからの眺
めは最高だ。高いところからの眺望を見ていると、鳥になって空を飛べるような気がして
きた。思い切りジャンプ、一気に上昇気流に乗り、青空に泳げればいいなと思った。
ハッと気を取り直して元の道に戻り、山を降り進んだ。バックミラーに山の上が写る、
その景色がどんどん遠くなり、小さくなって行く。それに従って、山の裾が近くなってくる。
ガスは満タン、今度は俺の腹のガソリンが乏しくなってきた。夕暮れから夜の間に写った。
窓を開けると、と遠くから牛の鳴き声が聞こえてきた。「モー、モー」沢山の牛の鳴き声が
聞こえてくる。暗闇に目を見張ると、大木の下に沢山の牛がいる。あと少しで、宿と夕食
にありつけると思うと元気が出てきた。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月20日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(給油所の狩猟者)・・・73

2015.7.20月 快晴 午前6:00
  水戸弁で・・・朝の散歩運動は中止にした、理由は、気が進まなかっただけだよ。
  オレゴン州の片田舎の工事現場で黒人にガスステーションを教わったので、その
方向に一目散に山を下りた。ガスが無いので、アクセルは殆ど踏まないで山を下
った。40Kmは降りただろうか、ガスステーションとは言えないような店があった。
ジーゼル油とガスの計器が2台だけある店である。その店の背景は高い山で店の
前の道路は砂利道、左右の空き地は深い蛇でも出そうな草むらである。何とも頼り
にならないようなガスステーションであった。誰もいない、計器のガラス窓は割れて
いた。本当に油が入っているのだろうか。背筋がゾーッとし、悪い予感がした。
良い予感は当たらないが、悪い予感は当たることを思い出した。そのガスステーシ
ョンには店舗が後ろにあった。店舗内に入る前に大声で「ハロー、ハロー」を繰り返
した。相手に人が入ってきたことを知らせるシグナルである。
   「カムイン」とだみ声が聞こえた。安全を確かめ中に入った途端、六つの大男の青い
目がこちらを向いた。ウイスキー瓶が立ち、その傍らに熊が2匹、鹿が数匹横たわっ
ていた。彼等は狩猟を終えて、互いの獲物を見せあっているようだ。俺は獲物に近づ
いて親指を立てて、彼らの獲物に称賛を唱えた。獲物に称賛を唱えるのは、ハンター
のマナーかなと考えたからである。すかさず、狩猟者達から「サンキュー」の言葉が
返ってきたのであった。彼らの顔はウイスキーで赤くなっていたが、こちらの顔は
若干の恐怖で青くなっていたと思う。なぜなら、狩猟者、数丁の猟銃、ウイスキー瓶、
いたずらがなんぼでも出来る場面だったからである。
                                       アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月19日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(なんと遠い山)・・・72

2015.7.19日 快晴 午前6:10
  水戸弁で・・・4Kmの散歩で最初に出会った人は犬を連れていた、最後は太った奥様。
  遠くに見えた筑波山のような山に里心を出して向かったが、途中で道を迷い、その山は
どんどん遠くになってしまった。二股道路で右に行くべきを左に向かってしまったのが、
ミスでした。ここで日本的に考えて近いと思ったのが間違いであった。車はオレゴン州と
ネバダ州の州境の峰を横切り、オレゴン州の人家の無い田舎道を北上していた。遠くに
見えるは、オレゴン州の一寸した山脈、近くに見えるは人がいない原野だけである。
山間の夕暮れは早い、あっという間に太陽がおちてきた。心細くなってきた、ガソリンは
ないが食べ物はあるので極度の心配までは至らない。ガソリンの残量と走行可能距離を
計算した。あと50Kmは走れるが、ここはアメリカだ。100Kmは何もないのが普通だ
から、運が悪かったらガス欠で野宿になり、運が良かったら車に鱈腹油を食べさせられる。
くねくねの坂を登ったら、人家が一軒あったので、一寸安心した。何やら大工工事をしてい
る黒人がいた。車を降りて尋ねる。「ガスステイションはあるかね」彼は指をさして「バック
しろ」と叫んだ。「距離は」と再質問をした。「30マイル」と答えてくれた。やや安心するも
ガソリン残量と走行可能距離が等しい。「ゴールドラン」の町名を急に思い出した。
もしかすると、ラッキー又はアンラッキーどっちに出るかを試したくなった。坂を下ろう、
いま来た道を戻ろうと決心してUターンをして、坂を下り始めた。ぎりぎりの選択だから
スリルがある。それに、下りはガスをあまり使わないで走行できる。ためらいのない決心
は、鬼神も排除できる思い出した。それにしても、筑波山の山にお目にかかれないばか
りか、とんでもないオレゴン州の山に迷い込んでしまった。人家が懐かしくなり始めた
心境で坂を降り始めている。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月17日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(筑波山のような山)・・・71

2915.7.17金 快晴 午前6:50
  水戸弁で・・・台風が四国に上陸したようだっぺ、こっちにはこねーな、いつもだっぺ。
   ハンドルを左に切ったのが間違いで、右に切らなくてはならなかった。この二分の一
のミスが一日の無駄無謀な時間になってしまった。道路が舗装されていたので安心
して進んだ。とにかく真っすぐで山間に消えていく道路であったから、いつかはどこか
の町に行くんだろうと安心して進んだ。道路の周りの景色は、西部劇で見たブッシュと
砂と岩石の地面である。インディアンやバッファローが砂埃を立てて突進してきそうな
景色である。10月でも道路から陽炎が立っているので外は熱いようだ。
   半日も進んだ頃、やっと一台の郵便車と出会った。そういえば、しばらく他の車と出会
っていない、それほど過疎地域に入ってしまったのかなと気がついた。そして、俺はのん
き者だなとも気がついた。日本で半日も車と会わないと何だろうと思うが、アメリカでは
あまり不思議に思わないで、大陸的な気持ちになってしまうのだ。思わず我に返り、
ガソリンメーターを見た。残量が極めて少なくなっていた。ナビでガソリンスタンドを
探したが、アメリカのレンタカーの旧式ナビは、そんなに親切でなかった。俺は脂汗を
浮かべて、ガソリンの節約走行をしながら登り坂や下り坂を進んだ。メーターは赤ランプ
が点く直前のようだ。益々そわそわびくびく心になってきた。周囲を観察すると、右側が
登れないような崖が切り立った高い山、左が深い崖下であり、とても安らげる地点では
ない。益々淋しいところに入り込んでしまったようだ。今までにガス欠は一回だけある。
若い頃、国道6号線の石名坂でガス欠にあった。友人たちと夜遊びの帰りである。
悪いことを思い出してしまった。地図とナビと西日を照らし合わせ、位置を確かめながら
前に進むほかなかった。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月16日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(リオはギャンブルの町)・・・70

2015.7.16水 台風 午前6:15
     水戸弁で・・・台風雨の中を歩いてきたっぺ、人無く、自然鳥の天下だったな。
    IN80号線を西へ西へと走っていた。次の町はリオでギャンブルの町だ。昼食前
だったので、安めに上げようとして、スーパーに入った。昼食用の食べ物を買って、
出ようとしたら、スロットマシンが置いてあった。さすがギャンブルの町だ。スーパー
のレジの出たところにまでスロットがおいてあった。思わず、1ドルコインを投入口
に入れて、ハンドルを引いた。ガーと画面が回り、如何にも思わせぶりに、絵が
揃うような感じで三つの絵が止まった。バラバラで外れた。俺はポケットに手を入れ
再挑戦をしようとしたが、コインがないので再挑戦が出来なかった。昼用の食べ物を
抱えて駐車場に出た。昼の太陽が眩しく光り、俺を笑っているように感じられた。
うまいことはないな、とアメリカ大陸の上でも思い知った。スパーを出て太平洋側に
向かうか、遠くに見えた美しい山の方に迂回するか、筑波山と似たような山を見た
ので里心がついたのか知らないが、自然にその山の方にハンドルを切った。
それがスリルある冒険になるなんて想像だに出来なかった。太平洋に向かって
右に入り、しばらく山に向かって走ったが、道路が二手に分かれた地点で迷った。
右に行けば距離が多くなるような気がし、左に行けば短距離になるような気がした
ので、ハンドルを左に切った。そしたら・・・・・・明日に
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 

2015年7月14日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大陸の旅の醍醐味)・・・69

2015.7.14火 快晴 午前7:00
  水戸弁で・・・熱くなったぺ、これが夏だ、今日も歩いた4Kmで1時間の道だ。
  ゴールドランを後にして、IN80号線戻った。次の町はサクラメント、カルフォルニア州
の州都だ。片道4車線の反対車線が混んできた。土曜日だから、町から郊外に脱出す
る人々だ。アメリカ人は土曜日曜と家族ぐるみで大いに遊ぶ。各車両にはモーターボ
ートやバイクが牽引されている。太平洋と反対のほうに向かっているのであり、大きな
湖に遊ぶのだろうと推測をした。日本と違って大きな湖は数えきれないほどある。その
湖は海に並ぶほどダイナミックであるから、海で遊ぶように遊べる。しばらく走ると、
ハーレーの集団と出会った。映画で見たような服装のリーダーを先頭に20台ほどの
集団がダダダーと走ってきた。親指を立てて挨拶をしたら、リーダーが同じようなしぐさ
で挨拶をしてくれた。白人だから分からないが、年の頃は50代前後かもしれない。
愛嬌のある髭を蓄え、刺青を彫った腕を出して、足を大股に広げ、IN80号線を支配し
ているかのような姿勢で走ってきた。ハーレー集団が小さくなると、クラシックカーの
集団が走ってきた。ピンクや派手な色のクラシックカーが数台で走ってきた。乗っている
のは俺と同じような年齢の人である。日本にも同じような集団がいる、カーライフを楽し
んでいるグループである。
アメリカ大陸を走っていると、実に面白い集団に出くわす。それを鋭く分析をする気には
ならないのが大陸の光景である。俺も実に気ままに、いつしかなっているのである。
 気ままな旅、時間に縛られない旅、どこに泊まる予定もない旅、食べ物は手の届くとこ
ろのものを食べる旅、誰にも注意や指示をされない旅、それが大陸の旅の醍醐味で
ある。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月13日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(町名はゴールド・ラン)・・・68

2015.7.13 月 曇り 午前6:30
  水戸弁で・・・土曜日はおもしかったな、高級料亭で俺が主役で、支払いも主役だった。
ハンドルを左に切り降車ラインに入った。スピードが落ち、道路の地名標識が遠くに
見えてきた。心がドキドキしてきた。標識まで距離は約300m、もどかしかった、なか
なか見えてこない、300、200、100m、見えてきたRの頭文字が見えた、次の文字も
見えてきた、全体が読めた「GOLD RUN」と読めた。やったー、と一人叫んでしまった。
俺は勝手に意味を理解した。金が来る、もしくは金に向かうと理解をした。反対の意味は
大変だ。金が逃げていくとも理解できる。怖くて辞書を引く気になれない。二つの相反す
る意味がありそうだ。そうだ、何も今に正確な意味を調べなくてもよい、調べたうえで
悪い意味が出たら損失だ、帰りの飛行機の中まで意味を棚上げしようと考えた。俺は
良い運勢を取ったと考えるべきだと決めた。自然にウキウキしてきた、ゴールドラン
の標識の下で写真を写し、一生の宝を作った。ラッキーを誘い込みたい友人がいれば、
連れてきてもやりたくなった。標識を有り余るほど写真を撮った。標識に投げキスを送り、
高速道に戻った。標識の上の青空が何時までも脳裏に残った。その年末、水戸の
友人が年末の県議会選挙に当選をした。ゴールド・ランが来た、この地はラッキーに
なれる地と、あらためてその地に感謝をした。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月10日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(6000Kmで降りた)・・・67

2015.7.12土 快晴 午前7:00
水戸弁で・・・晴はいいな、青空が堂々と横たわっているよ、空をみっぺ、前を見れる。
60歳の時にアメリカ横断を開始したから大陸の横断中に6000Kmの地点で下りて、
その町の名前の意味で俺の人生の将来を占ってみようと考えていた。5800Kmの
地点辺りで俺はそわそわしてきた。例えば「死の谷とか、墓場」を意味する町の名前
であったら、お先が暗くなるであろうし、「発展とか財宝」とかを意味する町であったら
ウキウキ感が起きる。200Km手前から道路標識に出てくる町の名前は、瞬間的に
読んでも意味が分からないので、ドキドキすることは辞めた。200Km先までに高速
を出る出口は無数にあったので、ほど良い出口を選ぶことはできない。すべて運命に
任せるやり方で良いと考えた。150Km、100Km、50Kmと距離が近づいている。
人生60年が過ぎた先の人生の占いがバカみたいな方法で決まるのだと思うと、
多少の緊張感が出てきてしまった。途中で辞めよかなと思ったり、悪い名前が出たら
そこから良い方向に導く理屈を考えるのも悪くはないとも思ったりした。俺って全てが
このように考えたりしてしまうのだとも、反省をしながら前に進んだ。20Km地点まで
進んだ。10Km地点で、悪い名前が出ないように神に祈願するようになってしまった。
人は何の手もなくなると、神頼みしかないことに気がついた。7Km、3Km、1Km
出口が見えてきた。何と言う町があるのだろうか。弱気から強気に気持ちが変わった。
良し、良い町に突進だ、心に気合を入れてハンドルを切る準備をした。
                                                 アメリカ・大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月4日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大陸横断鉄道と併走)・・・66

2015.7.4土  雨のち曇り 午前6:45
   水戸弁で・・・霧が深く、細浦水田は山水画の雰囲気だったが、誰にも会えなかった。 小高いところに車を停めて列車を待った。ラジオを入れてアメリカ音楽を流し、ムードを 高めた。しばらくすると東の地平線から龍のように長い列車が見えてきた。俺が待って いる地点とクロスするのは5分後と予測した。カーラジオのボリュウムをいっぱいに上げ、 アクセルを確かめ、何時でもスタート出来る体制を整えた。5分間を待ち、クロスする間際 にスタートし、IN 80号線に乗った。「やった、併走できる」と俺は叫んだ。カーラジオは アメリカ音楽を最大のボリュウムで流し続けていた。「やったど、併走できた」俺は西へ 大陸横断鉄道と併走しながら、昔見た西部劇映画の場面を思い出した。列車に金髪美人 それを追う馬上の男、併走しながら列車に飛び乗り、金髪美人と再会をする。しかし、今 の俺の姿は、レンタカーで大陸を一人旅をするわけの分からない日本人だ。周囲に存在 するのは俺の影だけであり、とてもロマンッチックという場面は得られない。ハッと我に返り アクセルを踏んだ。列車はくねくねと走り、坂道になりスピードを落とし、西へなお走ってい る。列車から手を振っている人が見えたので、俺も手を振り答えた。しばらく、併走する 列車は谷間に入ったり、丘に出てきたり繰り返しながら、トンネルに入ってしまった。俺は 一寸がっかりしていたが、数分後、突然左側の谷から出てきたので再会を喜べた。     先ほどのことを数回繰り返しながら、今度は本当の別れになってしまった。車は荒れた 地から木々の多い地帯に入った。ネバダ州からカルフォルニア州に入りつつあった。 目的の6,000kmの地点は間もなくだ。運勢はどう出るかワクワクしてきた。 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年7月3日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大陸横断鉄道と昼寝)・・・65

2015.7.3金 小雨 午前6:30
    水戸弁で・・・無し
    IN80号をしばらく走り、眠くなったので下に降りて田舎道の昼寝場所を探した。手頃
な大木が見えたので、その下に太陽を背にして車を停めた。私有地か分からなかったが
眠くてしようが無いので、そこを昼寝の場所にした。大木も無く、周りに手頃な場所が無か
ったのでしようがなかった。靴と靴下を脱いで、リクライニングを倒し横たわった。フロント
ガラスからネバダ州の青空が目に飛び込んできた。大きな青空で白雲はどこにもない
空であったが、眺めていると寝られないので目を閉じた。瞼の後ろに懐かしい日本の
景色が浮かんできた。田舎の畦道の脇の小川でアメリカザリガニを取っている風景だ。
突然、蛇が出てきた。少年の頃に経験した場面である。蛇は錦模様を持ったヤマカカシ
であった。目が覚めた、戦闘態勢の蛇と対峙した少年の頃の唯一の場面であった。蛇は
インドコプラみたいに立ちあがる場面であった。鮮烈に憶えている場面である。俺は蛇の
夢を見ると、すこぶる良いことがあるので、どこで寝ても蛇の夢を期待している。
    目を覚まし、リクライニングを戻し、フロントから前方をぼんやり眺めた。俺は丘陵地に
寝ていたのか再確認をした。下の方にIN80号が見え、さらにその下に、大陸横断鉄道
が走っていたことに気が付いた。テレビや映画で見た鉄道である。豪壮で勇ましい形を
した鉄道であり、鉄道マニヤの憧れである。俺は運が良いと思った。上手くすれば、
しばらく併走できるチャンスがあるかもと思った。何しろ、俺は面白いもの、珍しい物、
初経験を目指して大陸を横断しているのだから、大陸横断鉄道と併走が出来たら、
何よりの経験になる。と考え列車が着たら何時でも飛び出せるように小高い陣地に
車を停めて待機した。
                                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


2015年7月2日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(交通標識の銃痕)・・・64

2015.7.2木 曇天 午前7:00
   水戸弁で・・・晴れると思ったが晴れねーな、気持ちは快晴にすっぺよ、おめーらな。
   帰りはソルトレイクのアメリカ軍爆弾演習地を通り、一直線にIN80号線に戻った。そ
の途中の殆どの道路標識には、大中小の銃弾の貫通穴があった。大げさであるが、
アメリカ人の銃に対する感覚はマヒしているかもしれない。あらためてアメリカ社会は
超身近に銃があるのだと思えた。考えた、俺の車の中には自分を守る武器は何もない。
殆どのアメリカ人の車には銃が保管されている筈だ。横断中にもめ事があったら、銃を
撃たれるかもしれないのだ。その時の俺はどうやって身を守るか考えてみたら、何も
持っていない俺は背筋が寒くなったが、問題未然に防ぐほか無いと腹をくくるほかなか
った。
   そんなことは忘れて交通事故を起こさないように神経を戻し、青空の彼方に消え
るハイウエーを西に目指した。ハイウエーの一直線の先は一筋の糸のようにどこまで
も伸び、やがて青空と一体になり、消えて行ってしまった。あとサンフランシスコまで
1000kmもある地点であった。
  明日は大陸横断鉄道と併走したを記します。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝