2015年5月29日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストハウス侵入)・・・49

2015.5.29金 曇天 午前4:50
  水戸弁・・・風邪が治んねーだ、くしゃみが連続で出てんだ、大人しくしてっぺ。
   突入した、開いたままのドアから「ハロー、ハロー」と言って中に入った。物音一つ
しないハウスのなかは、静まり返っていた。時々風が屋根を伝わる音がするだけで
ある。ハウスの一部は店になっていたようだ。古い店の機材が散乱していた。ドアの
右手が事務所になっているので、意を決して事務所に入った。事務テーブルの上に
は、吸いかけの煙草が灰皿に横たわり、メモ用紙が散乱し、筆記具なども散らばって
いた。危ない、何かを集中して見ている後ろから、暴漢が来る場合も考えて壁を背に
して全体を見るようにした。今まで事務を執っていた形跡もあるが、誰かが住んでい
るような人の気配は無かった。シーンとした部屋から聞こえる音は無し、人の気配は
全く無し、私はそれでも警戒心を解除しないで、店の部分に移動した。古い冷蔵庫や
埃だらけのテーブル等が散乱していたが、砂漠の中で売っていた冷たいアイスクリー
ムの宣伝が、壁に書き込まれている箇所に目を奪われたのである。その壁に書かれ
たアイスクリームの文字は、熱い砂漠の中で一番の清凉感があったものでした。
思わず暑さを忘れ、更に奥に進んだ。アメリカ大陸の西部を渡る旅人の姿を連想
しながら進んだ。窓のガラスは悪戯か、風で破れたのか分からないがところどころ
が破れている。破れたガラス窓から雲一つない青空が見える。思わず、しばしの間
青空を眺めてしまった。青空に軍用ジエット機が飛行雲を描いて飛んでいた。
上空を忘れ、緊張感を戻して更に中へ進んだ。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月25日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストハウス)・・・48

2015.5.25月 快晴 午前6:45
  水戸弁・・・昨日はよー、風で午前中は寝ていたっぺが、夕方から調子が戻ったよ。
  インターステイト80をオマハからシャイアンに向かって走っていた時に砂漠の中に
一軒家が見えた。ハイウエーは高所だったので、そのゴーストハウスは低所に見え
た。私は次の降り口まで車を走らせて、Uターンして反対側の路線にのり、一区間
を戻った。ゴーストハウスが遠くに見える降り口を降りて、その一軒家に向かった。
そこに行く道路は壊れていたので、注意深く小道あるいはブッシュを進んだ。遠巻き
に這うようにしてそこにたどり着き、周囲を念入りに観察しながらドアに向かった。
馬を繋ぐ馬先棒が庭先に立っている。周囲の庭を動物の糞が無いかを見た。建物
はところどころガラスが割れ、入口のドアは開いたまま、時々風で動いている。
庭の草木は何年も手を入れてない、それは砂漠の中のいわくつきの異様な建物に
見え始めた。砂漠の中なので凶悪犯罪に襲われたか、砂漠のなかで病気になり
逃げ出したか、色々な想像力を援用たが、当然にゴーストハウスになった意味は
分からない。
   私の冒険心も高まり、中に入ることを決意した。予想できる危険は住人がいて
侵入者ということで撃たれるか、砂漠の毒蛇の巣になっていて蛇が押し寄せるか、
既にゴーストハウスに死者が横たわっているか、伝染病の菌が蔓延しているか
等々を考えてみた。それでも侵入することにした。生まれて初めて見たゴースト
ハウスを体験したくなったのである。恐怖より興味が優先した私の心理は、ワク
ワク感が入道雲のように満ち溢れてきた。進め、進めと言い聞かせてドアを
押した。明日はそこで見たものを記します。
                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月24日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストタウン)・・・47

2015.5.24日 曇天 午前7:00
  水戸弁・・・風邪をひいてんだよ、散歩もブログものっていねんだよ、もう止めべ。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月23日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ガソリンの入れ方)・・・46

2015.5.23土 快晴 午前6:00
  水戸弁で・・・寝すぎてしまったな、散歩には出ないでコーヒーでも飲んでべ。
  アメリカでガソリンを入れるにも何かと日本と違う。スタンドの給油口に車を停め
てから、スタンド事務所に向かう。この時は鍵をかけることを忘れないこと。とんでも
無い事が起きることがある。事務所のレジ前に立つが、レジ係の殆どが女性かアフリカ系
アメリカ人であった。まれに白人がいたが、高齢の人が多かった。レジ前に立ち、自分の
給油口の番号を言う。そして、カードを出し満タンか数量か入れる金額を言う。外国の
カードだと50ドルまでしか入れてくれない場合が多かった。レジ係の女性がカードに
サインを求めてくるので、サインが終わったら車に戻り、給油機を外して、車の給油口
に差し込む。この時に給油機が外れない場合があり、難儀をしたことがある。力を出して
引っ張ても外れないのだ。有りだけの力を出してもダメだった。ソーッと給油をしている
他人のやり方を見てみたりしたがダメだったので、レジ係のメキシコ女性に応援を求めた。
彼女が給油機の給油ノズルが置いてある下の台座を上に上げると、ガスがスルスルと
流れ、ガスタンクが満タンになった。
   私はペコペコしながら10ドル札を出してしまったのであった。チップとしては多すぎたが、
彼女は涼しい顔をしてポケットに10ドル札をしまい込んだ。後で思ったが高かったのか
安かったのか半然と出来なかった事件でした。この10ドルのお陰でそれからのアメリカ
での給油はどこでもスマートにやれたのである。それに、二度とガソリンスタンドでの
チップは払わないで済んでいます。
   明日は砂漠で見つけたゴーストタウンを記します。
                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝
   

2015年5月22日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(モーテルを出たら)・・・45

2015.5.22金 快晴 午前7:10
  水戸弁で・・・今朝の散歩は調子が良いから長距離コースにしたら爽快だよ。
  モーテルを出たらガソリンの心配をする。毎日目一杯走るから夕方にはガス
が無くなる。朝に満タンにしたガスは午後の3時ごろに無くなり、ランプが点く
ようになる。アメリカでは50マイルごとにガソリンスタンドがあるから、心配は
無用だが、給油しておいたほうが無難である。IN80号線をサンフランシスコに
向けて走っている時に、右遠方に筑波山のような山が見えたので迂回をしなが
らすそ野を廻ろうとしてブッシュ平原にハンドルを向けた。砂漠の中を半日走っ
たが一台の車も会わないで午後になった時があった。起伏の激しいコンクリート
道路を走った。山あり谷あり池あり森林ありのコースとなった。先ず山は日本で
は見られない雄大で峻険な山であった。それを超えてホッとした間もなく、深い
下が見えないというような谷を見ながらの走行をしていると思ったら、大きな池
というより湖の淵を三時間くらい走ったりして、清々しい森林にたどり着いたと
いう走行であった。この時であるガソリンが無くなりメーターと睨めっこしながら
の旅をした。冷や汗と何とも言えない不安感を抱いて数時間走った。太陽は
山間に沈み、鳥は帰巣を急ぎ、山野の動物までが夕暮れを知らせてくる、
不安感の真っただ中になった。頭が混乱してくると、冷静な判断は出来なく
なってくる。この時のガス欠感を二度と繰り返さないようにモーテルを出たら
先ずガスを入れ続けているアメリカ大陸ドライブ旅行である。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月21日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(食後のあれこれ)・・・44

2015.5.21木 雷雨 午前6:20
  水戸弁・・・雷だな、天が人間を怒っているのかな、雷鳴が地上を震わせたっぺ。
  およそ後片付けで面白いものはない。一人でアメリカ横断中の食後は後片付け
を避けて通れない。粗食にすれば後片付けは簡単で豪華にすれば反対である。
私の旅行中は粗食でもなく、豪華でも無いのであったが、後片付けは大変でした。
それはコップを洗面所に運び飲み残したものを流すから始まり、次に食べ残した
ものをゴミ箱に入れるが、生ごみも一緒にどんどん捨てる。部屋の注意書きには
書いてないのでアメリカ式は楽であった。モーテルの管理人は嫌がったか、怒った
と思うが捨てる他ないやり方であった。それまでに私はゴミの収集車の中身を
街頭で観察をしていたので罪悪感はあまり起きないで済んだ。朝になっても部屋
の中は昨夜のアルコールの匂いが充満している。窓を開けて外気を入れる。
一斉にアメリカの大地の空気が部屋に雪崩れ込んでくる。昨夜に見た夜の景色
と朝の景色の違いを確認する。遥か遠くに雪を抱いたロッキーがあり、近くには
砂漠独特の砂の光が眩しく目に入る。外に出てその景色を再確認して体を簡単
に動かしてみる。都会で疲れた体でない何かが、もっと動かせと指令を出すので
更に外に出て体を動かすのであった。つまり、大陸横断中は後片付けが済んだら
体の疲れの整理もやる他ないのであった。私は部屋のゴミ箱に残した食べ物の
ゴミのことを案じながら、何かを係員に言われる前にそそくさにモーテルを出る
ようにしてた。
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月20日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(一番の晩酌)・・・43

2015.5.20水 雲り 午前6:20
  水戸弁・・・歩るいだ、緑の下を、散歩者は少ないほうだっぺな、空気を独り占めしたよ。
   一番の晩酌はアジア系スーパーで野菜、肉、蒟蒻、油揚げ、その他の寄せ鍋材料と冷え
たビール、氷のブロックを買い、二人用の電熱式鍋で寄せ鍋をやることであった。だだし、
アジア系スーパーは大都市にしか無く、小さな町には無いので代用寄せ鍋材料使用の
鍋となる。部屋の戻ったら、コンセントの近くにテーブル椅子を引き寄せ、テレビも見える
範囲内に鍋陣地を作る。コンセントを繋げ、鍋に水を入れて載せる。洗面所で材料一式
を洗い、サランラップか紙皿に盛り、鍋陣地に運ぶ。そして、日本から持参のポン酢を
紙器に入れ、鍋に放り込んだ材料が煮えるのを待つ。冷蔵庫に入れたビールをいつでも
取り出せる体制にしておく。次はブロックアイスを適当に砕き、ウイスキーに転じた時に
すぐさまコップに入れられるようにする準備をして鍋を待つ。鍋が煮えたら、七味唐辛子
か豆板醤というのかわからないが、アジア系の辛い唐辛子を用意する。それから割りばし
も用意する。割りばしでないと鍋のムードが高まらないのだ。既に口の中は垂涎で一杯
であり、目も垂れ目になり、気色満面の表情になっているはずである。今度はこの瞬間を
鏡で見て、写真を取ってみようと思っている。喜色満面の表情を写せるはずだ。
   さて、鍋を突っつき、ビールをあおり、ウイスキーを飲むころになると、頭の中は今日の
反省と明日の期待が交錯してくる。アジア文明と英米文明の違いを探し始めるのも、
酔いが回り始めるこの頃である。明日は晩酌のやりたくない後片付けを記します。
                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
クリントン大統領の実家の玄関にくつろぐ

2015年5月19日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(アメリカ式晩酌)・・・42

2015.5.19火 雨 午前7:30
  水戸弁で・・・昨夜は宴会があったぺよ、代行で帰ったんだ、でも早く帰れたんだ。
  アメリカ式晩酌は、スーパーで買いこんだ物によって違う。簡単晩酌の1は袋詰め
のつまみにならないものをつまみとして冷えていないビールかアメリカウイスキー
をペットボトルの水で割って飲る。2はスーパーのカラフルなサラダと暖かい何の肉
分からない肉類と半冷えのビールと半冷えのペットボトルの水でウイスキーを割っ
て飲る。3は町で中華弁当を何種類か買って冷えたビールとウイスキーを冷えた
水で割って飲る。4は持ちこんだ電熱式鍋に買いこんだ野菜や肉類を投げ込んで
フーフー言いながら冷たいビールと日本のウイスキーに氷を入れて飲る。思い
でとしては4の方法が一番であった。一番楽しくなかった晩酌を明日記します。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月18日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(モーテルの部屋で)・・・41

2015.5.18月 快晴 午前6:00
   水戸弁・・・早朝ベンチに寝て青空を観だら、青空に抱かれた白雲がオホーツクへ・・・。
モーテルの部屋に入ったら、部屋の機能を確かめてから椅子に座りゆっくりする。バスに
湯を溜めて入浴の準備をする。その間に、旅行スーツケースから着替えを取り出し、入浴
後の準備をする。窓を開けて周囲を観察する。強盗が来るとしたらこの窓から、火事にな
ったら二か所の退避口を定める。更に、ドアの鍵の堅牢性を確かめ、強盗に襲われたら差
し出す囮の財布とキャッシュ、カード等を見えるところに置き、実際の物を隠す場所を探し、
一先ずの安心をする。ジーっと耳を澄まし、ここは都会音や田舎音かを見極める。外の
音により、睡眠不足になるか否かを予測できる。経験であるが、ダラス近郊に泊った時
に、深夜に列車音が一定の区切りで聞こえ寝不足になった時があった。列車音が聞こえ
たために、列車を想像したり、乗客を考えたり、列車の行先まで考えていたら寝られなく
なった時があったので、深夜音に神経質になったのである。都会音は寝易く、田舎音は
妙に心が詩的になり寝られなくなるのである。
    バスルームに入り、一日の疲れを癒し、明日の計画を湯船で考える。毎日毎日汚れる
わけでないので、お湯に浸るのが目的の入浴であるから、入念に洗わずにバスルーム
は退却する。その後はふき取りもそそくさに晩酌の準備をすることになる。
   明日はアメリカ式晩酌の作法を記します。
                                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月17日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(彷徨者の夕食)・・・40

2105.5.17日 曇天 午前4:45
   水戸弁・・・おがしいな、風が治んねーだ、花粉症でねーかと言われてんだ。
アメリカでの彷徨中は殆ど美味しいものは食べてない。昨日の記したのは2種類
と書いた。その一はスーパー等で買い込んだ食料を一寸加工した食べ方と、近くの
弁当屋で買ってきたもの食べる方法である。
   スーパでの買い方は、ウオル・マートが買い易く、品揃えが多くて便利でした。
駐車場に車を入れて、玄関口からカートを押して入ります。左回り型と右回り型
があったような気がしますが、食料品や衣服まで揃えた大型店がですから、身の
回り品は何でも揃います。私は果物から始まってつまみ類、ビール、主食品等を
カートに投げ込み、そそくさにモーテルに戻り、夕飯の準備をします。冷たいビー
ルを早く飲みたくて、缶を開け乍らの夕食準備が多かったです。飲みに入ると
主食を食べたくなくなり、翌朝に残してしまうのが多かったです。
   一方、近くの弁当屋で買った夕食は中華弁当が多かったです。中華は醤油
味ですから、疲れたり日本食が恋しかったりした時に頼もしくもあり、美味しかっ
たです。やはり、日本から持参した焼酎をアメリカのど真ん中の所で飲むのは、
大陸彷徨の醍醐味です。「我、西部の砂漠で焼酎を飲っている、明日はどこで
飲るかを想像しながら」の心境は行かなければ分からないです。
    「中高年のみなさん、旅に出ようよ、日本を変えることになるかも」は私の
テーマです。
                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月16日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(部屋に入ったら)・・・39

2015.5.16土 雨 午前6:30
   水戸弁で・・・昨日のゴルフはごじゃっぺ、ドライバー良く、アイアンがだめっ。
モーテルのカウンターでキーを渡されたら、先ず部屋の位置を確認することが大事
である。理由は広ーいので歩いたら大変になる場合があった。端から端まで200m
四方の敷地内であったこともある。車で自分の部屋まで移動となったこともある。
   それで部屋に入った時に先ず何をするかを記します。ドアを開けて荷物を持ち込
みひとまず部屋を観察します。タオル枚数、洗面具、空調システムとオンの場合の
機械音、テレビ、コンセント、トイレの水の出具合、トイレットペーパー、冷蔵庫、
床の清潔感、荷物を置く場所(イザ言う時のため)、テーブルとその移動の可能性、
内鍵の安全性、貴重品を隠す場所、天井の隅々に動物穴が出来ているか、部屋
全体の安らぎ感、ビールを緊急に冷やす器、ゴミ箱の数、煙草の匂いはどうか、
簡単な食器類、スプーンとフォーク、その他を思い付きでチックします。一先ずの
チックが終わったら、テーブルに座り一息を入れます。今日の旅の思い出を頭で
描きながらニヤニヤします。このニヤニヤが疲れをとり、ビールを美味しく飲ん
だり、寝つきやすくするためのコツとなります。この間の検証作業時間は約10分
くらいでやります。
    次に、夕食の準備をすることになります。夕食には二通りがありますので、
明日に記します。
                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
入念に観察しても正体不明の寿司と鯖みりん干し

2015年5月15日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(宿泊記帳)・・・38

2015.5.15金 快晴 午前6:00
    水戸弁で・・・今日はゴルフだっぺ、早朝ウォーキングを40分で終わりにしたよ。
    高速上からお気に入りのモーテルを見つけ、一般道に降りる。右側通行なので
注意深く進む。右に右に進むと、モーテルの入り口にぶつかる。モーテルは数店舗
がまとまってある。一般道からモーテルの玄関口に車を横付けする。荷物を降ろさ
ないで中に入り、部屋が有るかを問う。今までに無いと言われたことがなかったが、
一度だけ、満員でサンタモニカで断られらことがあった。つまり、午後の明るいうち
に入れば部屋があるということである。カウンターでの私の英語では「キャン、ナイ、
ゲット、ア、ルーム、トナイト」となる。ほとんどのアメリカ人は分かってくれた。
相手は頷くか「イエス」又は「OK」と答えてくれる。パスポートとカードを出し、無言
でいると、相手は何やら話をしてくる。私は「ソッリー、アイ、カント、イングリシュ」
と言う。相手はまた「OK」と言う。相手はパスポートをコピーし、支払いのカードに
サインを求めてくる。私は「ハウ、マッチ」と聞く、相手は「・・・・」と値段を言ってくる。
分からない場合は、数字を書いて貰う。これで一応の宿泊記帳が終われる。
次に、相手は部屋番号を示し、キーを渡してくれる。当然だが、荷物は運んでくれ
ない。モーテルと言ってもエレベーターまである場合もあるので、荷物運びは楽であ
るが、自分の部屋まで行く距離が長いのが多いので大変だったことがあった。
   明日は部屋に入ったら、することを記します。
                                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月14日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(モーテルイン)・・・37

2015.5.14木 快晴 午前7:00
   水戸弁・・・咳が出て止まんねーだー、咳が一か月ぐらいでーでんだ。
   高速を走り夕方になると、西の空が茜色に輝いてくる。鳥たちもねぐらに帰り
始めてくる。夕日の中に鳥の飛ぶ姿がシルエットになって落ちてくる。私はそわ
そわしてモーテルの看板を探し始める。高級、中級、その下と値段が違うので
中級以下の看板を見つけようと、目を皿のようにして見つけ始めた。
   森の木より高い看板が見えた。モーテル8、モーテル6、クオリテイ・イン、思い
出すだけでも色々なモーテルに泊った。全て中級以下であったが、素晴らしく
綺麗で心地良かった。思うに、アメリカのモーテルの歴史は長いので洗練され
たのであろうと考えた。今日はモーテルの見つけ方と泊り方について記します。
    高速道から見てモーテルが林立していれば大きな町とクロスしている道路が
有り、林立していなければ小さな町と細い道路しかないのである。大きな町の
モーテルは値段が高く、小さな町のモーテルは値段が安いのが通常である。
私はあまり大きな町には泊らない。理由は高い部屋料金を取られるからである。
だが、大きな町には安くて美味しい食べ物が有るが、小さな町では不味くて
程々の値段を取られる食べ物になる場合がある。私は中級の町に良く泊まった
ので、明日は高速を降りてモーテルの宿泊記帳をするまでを記します。
                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月13日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(農耕地と夕日)・・・36

2015.5.13水 曇り 午前5:40
  水戸弁・・・台風はどこに行ったっぺか、風無し、雨無し、鉛色雲低いが凪になった。
アメリカではどこかの町の外に出ると、先ず目に入る光景は、林か農耕地であった。
農耕地にはジャガイモかトウモロコシが植えられていたのが多かった。畑と地平線
はお揃いであり、地平線の彼方には夕焼けが似合う。東から西へ向かう場合には
夕日を見るようになり、反対に向かう場合は朝日を見ることになります。大平原を
西に西に向かった時であるが、行けども、行けども農耕地の景色と出会った。窓を
閉めて走っているが、窓から土の匂いと作物の匂いが入り込んできた。植物を観察
すると、トウモロコシのようである。長方形の土地にビッシリとトウモロコシが植えつけ
られていた。背丈の低いトウモロコシであるが、幹が太く、実も育っていた。不思議に
これを狙うカラスが見えなかった。日本ならば実の柔らかい時は、鳥類の最高の餌
になるはずであるが、アメリカのカラスには、トウモロコシは大した餌にならないの
だろうと思った。朝9時に出て、午後の3時ごろまでトウモロコシを見続けた。出来る
なら、畑に降りて茎や実を手にとって見たいが、高速を120Km以上のスピードで
走っているので無理だった。緑の水平線を終日走ってから、夕方に宿に入る。気が
付くと、私は鳥と似ている生活を大陸横断中は送るのであった。明日はモーテルに
入るを記します。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                                   夕暮れ時

2015年5月11日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(旅の途中で)・・・35

2015.5.11月 快晴 午前6:20
  水戸弁・・・いい天気だあー、誰もが、いつも朝のように天記や心が晴れていたらなー。
  駐車場で目が覚めたら、顔を洗い、一寸運動をして、またハンドルを握る。東から西に
向かっているので、太陽はやや背に受ける。フロントガラスから見えるアメリカの景色は
朝日に輝いて、とても爽やかだ。午前9時発、ガソリンは満タン、1リッターで約7Km
は走る車だ。午後5時ごろまでにガスは無くなり、モーテル探しをするようになる予想
を立てる。エンジン始動、ギヤを入れる、アクセルをふかし乍ら、左を見る。車は来な
い、スーッと本線に入る。徐々にスピードをあげていく。程なくして、トウモロコシ畑を
眺め続けるようになった。大きな農家の庭先にトレラー、ブルドーザー、ユンボ等
建設会社のような機械が揃っている農家がポツンぽつんと見えた。日本の農家と
規模が違うので見ていても農家独特の淋しさと悲壮感が見えない。土地は資本で
あり、その土地から財物を取りだせば良いのだ。これがアメリカ式農業である。大き
倉庫も備わっているらしい。北海道版農業を更に大型化したような規模である。
畑家の隅を見ると、日本式と違うのは、隅等に構っていられない農業であった。
隅は機械が進入するための土地であり、大型機械に向かない矮小の部分の土地は
見捨てられていた。
   旅の途中で感じたことを記していますが、明日はトウモロコシ畑から放牧地の事を
記します。
                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
緑の巨大財宝

2015年5月9日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(車内で目が覚めたら)・・・34

2015.5.9金 曇り 午前7:30
   水戸弁・・・習志野周辺の街に泊ったんだよ。敬愛する先輩の通夜に来てんだ。
車内で目が覚めた。午前5時頃だった。いち早くフロントガラスから外を観察した。
昨夜はあった車が無くなっていた。それも、既に数台しか残っていなかった。公共
水道で洗面をしている人がいる。大きい黒人であり、私が車を降りて行ったら、
ジロッと睨みつけられた。私は目線をずらし、横に立って朝の挨拶を丁重にした。
図太い声が返ってきた。素早い英語で何かを言っている。私は「ごめんなさい、
英語ができません」と答えた。黒人は優位に立った姿勢で「オーケー」と言ったよう
だ。洗面所で顔を洗い、目を覚まし、五感を戻した。目が覚めてから、数十分過ぎた。
さらに、辺りを観察した。遠くにロッキーが見え、頂上に雪を抱いていた。超フレッシュ
な空気を胸一杯吸い込んだ。遠いロッキーの頂の空気を吸い込めるほどの力で
吸い込んだ。美味い、美味い、まだ口の中にロッキーの空気が残っているようだっ
た。軽く歩きながら、小散策をしながら休憩所の裏に周ってみた。ゴミは散らかって
いないので、心地よい散歩ができる。また遠くを眺めると、ロッキーの反対側なの
で東方面であった。広ーい平原らしき台地が望めた。東からは野草の匂いが漂って
くる。西のロッキーからは雪の匂いが漂ってきたのである。雪の匂いとは、ひんやり
とした何ものも寄せ付けてもらいえない厳しい匂いと形容しておきます。
   朝起きたら、小散歩をして、その土地の感動を心に刻み、感受性を鍛えたり養生し
たりしての彷徨い旅は更に続きます。明日は旅の途中でを記します。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月8日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(眠るまで)・・・33

2015.5.8金 快晴 午前6:00
  水戸弁・・・桜がどこかに行っちゃったが、あたり一面に新緑がやってきったっぺな。
  高速道の駐車場の隅で車内泊となり、リクライニングを倒して靴下を脱ぎ、私の疲れを
取るスタイルで横たわった。すぐには寝付けないので、そーっとあたりを見渡した。旅の
彷徨者のような車が反対側にそーっと停まり、大木の下にはミニバンがカーテンンを閉め
て停まり、駐車場の暗闇のあちこちにそーっと停まっている車が数台いた。どの車にも
人間の顔が見えないので、寝ていると思えた。車での野宿にもアメリカ的な個人主義
の形が覗えた。私は仰向けになって、フロントガラスから満天の星空を眺めた。磁石を
取り出し、日本の方向を定めて関係各位の平和を願い軽く寝たままで拝礼をした。
   この夜空の彼方の果てに日本がある。今頃日本では稲刈りかと考えた。遠い祖国を
思い出した時に、真っ先に稲刈りを考えるなんて農耕民族の血が流れているのだと
再認識をさせられてしまった。フロントガラスから夜空を眺めていると、あまり良いこと
は考えずに、淋しいことを考えるようになった。これはイケナイと思い、明日の楽しい
ことを考えるようにしているうちに眠くなってきた。明日はどうなっているのだろうか、
何か良いことが待っているかもしれない、星空に柄にもなくおセンチになるなと言われ
たかな、と考えているうちにと寝むりについてしまった。
   明日は車内泊で目を覚ました時にを記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
風の強い日であった高速道


  

2015年5月7日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(駐車場の隅)・・・32

2015.5.7木 曇り 午前6:40
  水戸弁・・・連休は終わっちまったぺ。早く誰も体調と気力を戻すべよ。地球に貢献すっぺ。
  どこに野営をするかを悩みながら200Kmを走ってきた。高い木下が暗くて良いと考えるも
雷が危ないと考え止めた。暗くて良い茂みの中も考えたが、虫が入ってきそうで止めた。
明るくては寝難いので、公共施設の付近は野営に向かないと思った。田舎道を北極星
を目標に走ってきた。疲れが出てイライラしながらの運転を続けていた。そろそろ、どこ
車内泊の場所はどこでも良くなってきた。近くを高速道がはしっていたので、高速道なら
良い場所が見つかると思って、高速道に戻った。
    50Kmくらいを走ると休憩所があった。午前1時なので何も考えないで駐車場に入った。
車内泊しているみすぼらしい車が数台あった。各々が離れて泊っている。各自が寝ている
証拠だ。この場所に危険性があるか否かを観察した。近くに高い木があるか否か、避雷針
が建物にあるか否か、トイレはあるか否か、緊急電話の場所、高速本道の車の流れとの
距離、四方八方が見渡せるか否か、大雨に強い場所か否か、次の給油所は近いか、
車内の荷物を全部トランクに移し、旅行者に見られないようにした。すぐ取り出せるように
携帯を手の近くに置き、警察にすぐ電話ができるようにセットした。実際にはかけないでも
悪人が近寄ったら、警察にかけているように見せると悪人は近寄らないか逃げる。
駐車場に太陽が昇る反対側の隅に、車の頭を入れて車内をロックした。寝る体制が出来
たので、リクライニングを倒し、靴を脱いで体を横たえた。明日は寝るまでの心理を記し
ます。
                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月6日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(車内泊の経験)・・・31

2015.5.6水 快晴 午前5:40
   水戸弁・・・連休明けの一歩手前の日だ。何をやっぺか、何かを忘れていねーが。
太平洋側を縦断している時の話ですが、サンジェイゴからロスに至り、サンタモニカ海岸
を眺め、サンフランシスコに戻る途中でホテル探しが出来ず車内泊となった理由は、先に
もっと入りやすく宿泊地費も安いところがあるだろうという希望的観測となったことである。
サンタモニカを過ぎて、太平洋沿いの田舎道を北上していた時の話である。その当時は
車にナビが無く、地図を頼りにサンフランシスコに帰ろうとした。サンタモニカあたりで夕暮
れになり、青空から星空になった。道路は田舎道になり、くねくねと続き、前方が見えない
ような車外景色が続く。外の満天の星空がフロントガラスからも見える。この道で大丈夫か
と不安を持ち始めた。
    最初に考えたことは、太平洋沿いを走っているのだから、どこまでも行けばサンフランシ
スコに着くはずだ。サンフランシスコまで距離からすれば約1000Km、2日で行けるはず
だ。次に、考えたことはどこかに泊ろうと思ったが、ホテルが無いので、車内泊でもいいか
と考えた。それから、車内泊の場所探しが始まった。安全に長い時間、車を停められるか、
出来るだけ暗い場所、誰にも覗けない場所、夜半の雷でも大丈夫な場所、強盗や獣など
に襲われない場所、大雨でも水浸しにならない場所、大風と竜巻が起きても安全な場所、
何事かあっても歩いて助けを求めに行ける場所等々を考えたらどこにもないことが分
かった。そのような考えに至り、道路沿いの空き地に泊ろうと考えたのである。明日は
どこに泊れたかを記します。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月5日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(夕暮れ前に)・・・30

2015.5.5火 曇り 午前6:00
    水戸弁・・・昨日は前半47、後半54 トータル101 1ホール12打 記録最悪、気分最悪。
高速を走り夕暮れになると何となく淋しくなる。空を飛ぶ鳥もねぐらを探す飛び方になり、
遠くの地平線が赤く染まり、太陽もねぐらに入る直前は、旅人にとっては今夜の宿を見つ
けようと心がザワザワしだすのである。ニューヨークを出て約8時間した頃に、このような
心理となった記憶から記しています。その地区はインターステイト80のサンフランシスコ
に向かう最初の宿泊地であった。アメリカ横断の最初の記念すべき宿泊地である。出来
れば小奇麗なモーテルに泊り、祝いの酒を呷り、持参した寄せ鍋セットのごった煮で
大陸の夜の気分を味わおうと考えていたことを実行したい気分で走ってきた。
ウキウキ感と不安感が交錯している状況下であった時のモーテル探しである。暗くなり、
そのような考えは遠のいてしまった。辛い寝ないでの運転時を思い出してしまった。
それは、サンタモニカからサンフランシスコに向かう道のりであった。夕暮れになり、今日
中にサンフランシスコに返りたくなり、帰ろうとした時の出来事であった。
                                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月4日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(高速上の人々)・・・29

2015.5.4月 曇り 午前5:20
   水戸弁・・・今日はゴルフだ、天気は曇りだっぺ、ついてねーな、でもいいべよ。
ミニバンに子供と母親だけで乗ってる人、髭もじゃの一人旅の男、老夫婦で互いに
労りあって旅行しているペア、作業服で忙しそうに移動している人、家をトレラーで
運ぶ業者、キャンピングカーに小型車をあるいはバイクをくっつけて走る人、女性
一人で移動している人、ミニバンに男親と子供が乗ってる人、家財道具を丸ごと
乗せる箱をつけて移動している人、どう見てもみすぼらしい車で移動しているみす
ぼらしい男、キャデラックに正装をした紳士、ベンツに乗った紳士然とした人、思い
思いにピカピカした革ジャンのハーレー集団、ボートを索引したレジャー家族の車、
イライラした様子で運転している女性でしきりにタバコを吸っている人、人種もあら
ゆる国の人がいる。太平洋側を走った時は、白人、黒人、メキシコ、アジアを多く
見かけた。大西洋側を走った時は、白人、黒人、メキシコ、カリブ海系の人を見た。
中西部を走った時はインデアン系を多く見た。最近は中国系の人を多く見かける
ようになったアメリカである。
   アメリカの高速上を移動している人々で、ネクタイをして移動している人は、あまり
見かけなかった。何だろうと思って考えると、ネクタイをしている人はビルの中やその
周辺に棲息をしているので無いか。日本人みたいに友人がネクタイならば、
私もネクタイ、みんなと同系色の服がいいなと考える国民性ではないのがアメリカ
人なのだ。よって、高速上はアメリカ人の特徴を学べる最高の場所の一部である。
皆さんも、チャンスがあればアメリカに行って、アメリカ人の特徴を観察するのも
悪くないなと考えて下さい。井の中の蛙大海を知らず、から脱出できます。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月3日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(細心大胆)・・・28

2015.5.3日 快晴 午前6:40
   水戸弁・・・咳が出て止まんねーだ。風邪と思うんだがやべーがら様子を見っぺよ。
真っすぐ地平線の彼方に見えなくなる高速道路は交通違反をしてしまう道路である。
パトカーが木立の茂みやブッシュの谷間に良く潜んでいます。真っすぐに前だけを
見ているドライバーは良く捕まり、切符を切られるようです。私は何故かアメリカでは
交通違反で切符を切られたことが無い。運が良いのか、性格によるものだろうか、
考えたことがあるので、ここに記してみたい。
   私は交通違反は良くする方だが、無茶苦茶に違反をするわけでない。違反には
うっかり違反と暴走違反がある。日本で捕まる時は両者の折衷違反のようだ。スピ
ード違反は真っすぐな道路でうっかりスピードを出してしまった時が多い。右折左折
も同じようだ。見晴らしの良いところで起こる一旦停止違反は、積極的違反の時で
あるといえる。このように日本での違反には、多少各情景を分かり切った違反であ
るが、アメリカでは知らなかった違反が多いように感じる。アメリカで交通違反で
切符を切られ、ポリスにお世話になった回数はたった1回である。ニューヨークマン
ハッタンでの駐車違反の一回である。切符交付間際は3回あった。このように違反
履歴を挙げると、極めて運転マナーの良いドライバーといえます。アメリカでは絶え
ず交通法規を守って運転しているのかといえばそうでもなかったとなる。
    多分、アメリカ旅行時の私は相対的に注意深いかもしれないし、大まかでもない
ようだ。良く言えば、細心大胆と言えるかもしれない。私のアメリカ旅行は細心大胆
旅行と命名します。
    明日は高速上の景色と人物風景を記してみます。
                                                アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月2日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(咎められない)・・・27

2015.5.2土  快晴 午前5:40
  水戸弁・・・連休が来るけど風邪が治んねーだ。中国の空気を吸ってきたからだねーが。
  ペンシルバニア州のパトカーの警官は、先ほどからブツブツ言っていた。様子を見ると
迷っているらしい。想像すると、英語の分からない日本人をパクッてしまったが、意味が
分からないサインをさせても裁判でひっくり返される恐れがあるかも知れない。
どうしようかな?いちいち道路交違反に通訳を引っ張て来るわけにいかない。
交通違反裁判には不利となり、自分の赤恥と警察署上役に迷惑をかけるかもしれない。
この無駄な作業はパトカーのタコメーターにも記録されてしまう。なんだ、こんなつまらな
い時間つぶしはごめんだ、と思ったのかもしれない。友人の免許証を進行右側の窓口か
ら左側運転席に投げ込み、私たちに早く行けというサインを出した。警官は早めにパトカ
ーに戻り、窓から手を出して、先に出ろと手で再度の表示をした。私は友人にまだ出ない
ほうが良いと言った。じっと出ないでいた。警官のルールでは、危険なので捕まえた車を
先に出すのがルールかもしれない。やや間を置いても私たちは出ないでいた。出ないで
いた理由は、日本式の役人や偉い人を先に送るという礼儀と何か違反を警官にでっち
あげられたらせっかく勘弁してもらったのに大変だという用心深さのゆえであった。
ジーッと待った。
    警官のパトカーが動いた。いきなりダッシュともいえるスピードでこの場を去ってくれた。
私たちはホッとして、車をゆっくり走らせ本線に戻った。二人は大笑いとなった。
それからは、二人の楽しい会話となり、アメリカとパトカーと警官のお陰で眠くなる時間を
防げたという事件でした。この事件は結果から言えば、交通事故を未然に防いだという
ことにもなるのではないか。有難い交通違反であった。明日はペンシルバニアから
アイオワに向かうを記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年5月1日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(パトカー、白バイ相手に)・・・26

2015.5.1金 快晴 午前6:10
   水戸弁・・・昨日の夜は大工町だっぺ。三人で茨城県で一番の料亭山口楼で飲んでだ。
無事高速上に戻ったら、次に警戒するのはパトカーと白バイです。違反をしてしまうのは、
スピード違反と追越車線走行違反が多いのでないかと思います。スピード違反は気がつ
かないで違反してしまう場合が多くあり、追い越し車線走行違反も気がつかないうちに
違反してしまうのが多い。つまり、気が付かない違反が多くあるので、事前に多少の勉強
が必要であると思います。
   私がニューヨークからシカゴに向かう途中の話であるが、友人が運転し、私は助手席で
くつろいでいたら、友人がパトカーがついてくると言う。違反していないはずであるが、
何だろう思いながら、そのまま運転していたら、ストップと言われたので、道路右側に
車を寄せて停めた。白人警官が免許証を出せという。友人は免許証を出し、次の対応に
備えた。私はある話を思い出し、先ず「アイ・・・ キャン・・・ ノット・・・スピーク・・・イングリシ
ュ」と間延びした英語で英会話が困難だと見せかけた。警官は怒りっぽくなった。怒った
顔つきで、追い越し車線を長々と走ることは違反だと言ってるようだ。私はまたしても
間延び英語で「アイ・・・アム・・・ソリー」と何回も言った。友人の国際免許証と日本の免許
証を見ていた警官は、言語通じない私たちを捕まえて失敗したように顔つきに変わって
いた。そして、咎めずのサインを出したのであった。なぜかは明日以降に記します。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ご注意白バイ.パトカー