2015年8月31日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(目的地変更)・・・新15

2105.8.31月 ☁ 午前6:40
 フロリダを離れ、ひたすらキーウエストに向かおうと思ったが、ディズニー等の色々な
施設がオーランドにあることを思い出し、寄り道のうえ1泊して見学をすることにした。
ユニバーサル・オーランド・リゾート、ユニバーサル・スタジオ・フロリダ、アイランズ・オブ・
アドベンチャー、ウオルト・デズニー・ワールド等があるから、後学のため楽しんでみようと
考えた結果、寄り道策を取った。1泊2日で行けるのは、ユニバーサルとディズニーだと
思い、先ずディズニー、次にユニバーサルと決めて、ディズニーに向かうことにした。
 モーテルに宿を取り、夕食を取ろうと町にでたら、チケットの安売り屋(ダフ屋)が闇で
暗躍していたのを見たので、声をかけてみた。俺「ディズニー、OK」と声をかけたら、
ダフ屋「明日、8時に来い」という。俺「いくらだ」と聞くと、ダフ屋「30%引だ」という。
俺の名前を適当に言ってメモを書いて渡した。俺の名前を日本語で「寿司」と言ったら、
怪訝な表情をしたが、名前を漢字で書いたので分からないようだった。ダフ屋は「OK」
と言いながら、次の相手に対応していったので、俺は夕食探しにそこを辞した。大丈夫か
な思いながら、夕暮れのオーランドの町を夕食を求めて彷徨した。食べ放題の中華料理
と日本食屋があったのでそこに入った。働いているウーエトレスは中南米の女性のようだ、
客筋はアメリカの平均所得層の有色人種が殆どに見えたので、値段は高くないなと
判断できたが、飲み物にアルコール類は無かったので、淋しい夕食になると思った。
 明日はアルコール持ち込み対策です。
                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカの都市風景

2015年8月30日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(フロリダを横目にして)・・・新14

2015.8.30日 ☁ 午前7:40
 サウスカロライナを過ぎるとフロリダに入る。暫く走ってから気が付いた。何となく熱くなり、
湿原が多くみられるようになったので分かった。ワニが出そうな湿原を数時間走って気が
ついたのである。夕日がに西の空に傾き、太陽は赤色に輝いて鳥が群れで巣に向かう様相
を見て、やっと夕方まで走っていたのかと気が付いた。遠くにフロリダのビル群が見えてきた。
フロリダの町で一杯やるのも悪くないなと考えながら、車ラッシュの群れに混じった。俺は
車を西南方面に向け、夕方の事故を起こさないように気を付け郊外に向かった。アメリカの
高速での進路変更には特に気を付けなければならない。日本人と違う運転心理があるので
慎重に走った。フロリダの町が背中に見えるようになってきた。アーこれでフロリダ中心地で
の晩酌は無くなった、と思いながらハンドルを更に西南に向けた。ビル群がどんどん背中に
なった。ミラー越しにフロリダビル群が小さくなり、やがて点となり、ビル群は失せ、何かを
失くしたような気分になった。
 フロリダ中心地の晩酌は諦めたが、次に郊外の洒落たレストランでの夕食も悪くないなと
考えたが、それも言語の問題で諦めた。次に定番のモーテルでの鍋料理に決めることに
し、近くのスーパーに車を入れて食品を買った。フロリダの町の散策は出来ずに残念と
思いながら、モーテル探しを始めた。郊外に安めのモーテル8があったので泊まること
にした。モーテル6やモーテル8は安いが無難なモーテルであるので無条件で入ることに
している。ニューヨークを出てから4日目であった。明日はフロリダからアメリカ最南端の
キーウエストに行きます。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・照沼重輝

2015年8月27日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サウスカロライナの昼食)・・・新13

2015.8.27木 ☁ 午前7:40
 真っ直ぐな高速を4時間走った。走行距離は約500kmで、昼食時なので腹が減ってきた。
休憩所に車を入れて食事をすることにした。バイキングのような食べ方であり、前の人になら
び大皿を手にした。値段は何とか書いてあったが、あまり見ないでやたらと美味しそうなもの
を次々に皿に盛り、前に進んだら、会計カウンターの前に来た。何とか書いてあるので、良く
眺めたら、重さで料金をとるシステムである。しめて日本円で1,500円くらいを払ったような
記憶があります。要するに、重さで料金を取られるシステムでした。好きなものをドンドン
取ればそれだけ高くなります。それでも、アメリカハイウエーでの昼食を楽しめました。
 明日はフロリダ周辺を記します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                     メキシコ湾の漁港に赤魚を探す

2015年8月22日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(南部へ)・・・新12

2015.8.22土 曇り 午前6:45
 俺はワシントンを出てただ南部に向かった。その前にガスを入れたが、やり方を黒人に
教わった。ところ変われば品変わるでないが、給油方法と代金支払い方法が変わるので
ある。その時は、隣で給油をしている人か、支払カウンターで教えてもらうのが一番である。
 さて、車はIN95号線に乗り、南へ南へ向かうことにした。アメリカ南部の土地と自然や
人々の営みを覗こうと興味津々なので疲れは全くない。思い出したが、モーテルの無料
朝食は良かった。御馳走ではないがアメリカ朝食を味わえたにである。オレンジジュース
、ミルク、コーヒー、果物数種、パン数種、コーン、ゆで卵、生野菜、ベーコン、ハム等を
好きなものを、好きなだけ、食べられるのであった。さすがアメリカ上級モーテルであった。
この瞬間からモーテルの値段はあまり気にしなくなってしまったのであった。
 車は時速80マイル(日本ならば120km)で南に向かっている。9時に出たので3時間
走ったから360kmはワシントンンを離れたはずであると考え、休憩所に寄った。そこは
ノースカロライナの休憩所であった。南らしくトイレの周辺の緑は素晴らしく、花も咲き
木々が生き生きとしていた。看板が立っていたので目をやると、毒蛇が多いから気を付け
ろと書いてあり、毒蛇の種類も記されていた。日本では無い看板であり、写真を写し記念
とした。早々とトイレを済まし、往来する人々を観察した。アメリカは車での移動が多い、
あらゆる人種が移動している。働く人、引退した人、レジャーに向かう人、気色満面の
若者アベック、憂いを秘めた美人等を観察できた。
  明日はサウスカロライナの休憩所で昼食となります。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月21日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(高いモーテルと食事)・・・新11

2015.8.21金 曇り 午前6:20
 俺はあてもなくワシントンの夜を疾走していた。目的は安モーテルを探している。この
街は綺麗であった。アジアに見られるごった煮のような街はどこにも無かった。俺には
合わないので、躍起になってモーテルを探したが、所詮無理で徒労になりそうになって
いる。夜半になり、とうとう一流ホテルチエーンのモーテルになってしまった。車を停め
てカウンターに向かい、値段を聞いた。今夜は安くするよと言われたが、しめて190ド
ルを取られる羽目になった。日本ならば地方都市の一流ホテルの値段である。車に寝
るより良いかと思い、カードを出してサインをして、カード鍵をもらい部屋に向かった。
空調や水、それにテレビ等の電気を使い放題にして割り安感を調整するほかないと
考えたが、浅ましい考えなので止めた。それならば、夜景を楽しもうと窓を開けたが、
それらしい夜景は見えず、どこまでもついていない夜になってしまいそうになった。
 部屋で持参したビールを氷の中に入れて急速冷蔵にして冷やしたが、とても急に
冷えるものでもなく、温かめのビールを飲んで神経を癒すほかなかった。日本の町で
は考えられないが、アメリカでは数歩で飲食店には行けないである。良くてもワンブロ
ック先や車で数分先になり、食べる欲か休む欲かが喧嘩をしてしまうのである。俺の
場合は休む欲が勝って、持参したもので我慢をして寝てしまうのであった。でも時には
食べる欲が勝つ場合があり、車で飲食店探しに躍起になることがあったが、動物が
餌探しで彷徨しているようであり、食べた後でも満足感が湧かなかった。この夜は
休む欲が勝ち、モーテル代は高かったなと考えながら、持参したもので我慢をした。
  明日はワシントンを出てアメリカ南部へを記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月20日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(物価高)・・・新10

2015.8.20 木 曇り 午前6:40
 ワシントン市内を彷徨ってみた。さすがにきれいな街である。道路や住宅がやたらと
整備されている。働いている役人もさすがに洗練されているようである。アメリカは
ジョッギングしている人が多い。夕刻になり役人の帰宅時になったので、大きな繁華街
に車を止めて散策をした。地方からの観光客も多く、繁華街は人人であった。お土産
屋さんや飲食店がひしめき合い、夕方の飲食客で一杯である。俺は真っ直ぐな道路の
歩道をアメリカ人と一緒に歩いた。何となく商店や飲食店までが整備されているようで
あった。商店街はポトマック河に沿ってあるようである。夕日がポトマック河を照らし、
帰宅者の足を急がせ、鳥は自分の巣に戻る時刻である。何かを焼いている匂いが
俺の腹をより空かせたので、モーテル探しを始めるために車に戻った。ポトマック河
を渡り、ホテル街に向かったが、高級ホテルばかりであり、泊まる気になれない。
どの道か分からない道を南に進んだら、モーテルが林立してきた。ヒルトンやウエス
チン等の有名モーテルばかりである。二人なら200ドルでも安く感じるが、一人で
は高く感じる。またもや泊まるところが無くなるかもしれない不安が生じてきた。経験
からこんな夜は高くつくのであった。ワシントンでの車泊はいただけないので、眼を
開いてモーテルの看板を探した。終いに30kmもワシントンを離れてしまった。
明日はモーテルがやっと見つかったが、高いモーテルを記します。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月19日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ホワイトハウス)・・・新9

2015.8.19水 曇り 午前7:00
 水戸弁で・・・昨夜は大洗であづまりだったぺ、会場は山口楼だったよ、グッドだった。
 真っ直ぐにホワイトハウスに向かった。広大な良く見える敷地内にホワイトハウスは
立っていた。周りをSSサービスが固め、絶対無比な安全警備の様相を帯びている
ように見える。俺は格子の塀から中を覗き込んでみた。今にもオバマ大統領が手を
挙げて出てきそうである。俺は暫く無言で覗き込んでいたが、周りを観察してみた。
田舎から出てきたような老夫婦、若い子供連れの夫婦それから学生グループ等の
様々な人々が羨望の眼でホワイトハウスを眺めている。俺はオバマ氏が大統領に
なるまでの軌跡を頭でなぞった。恵まれた環境というよりも、恵まれない環境で
育った彼は、柔らかいスプリングのような精神力と体力で弁護士になり、政治家にな
り、大統領まで昇りつめたのである。お見事しか言いようが無い、見本や目標になり
過ぎる人物である。俺は天が世界の平和の為にくれた人物であると結論づけるほか
無かった。ホワイトハウスから力を注入された俺はそこをさりげなく後にしたが、心の
中には物凄い巨大な前進力をホワイトハウスから頂いたのであった。
  近くに日本政府が寄贈した桜並木があり、周囲を散策していたら国会議事堂
を見学できたので、更に足を伸ばし、国会議事堂の職員と写真を取り合うチャンスに
も恵まれた。そろそろ飽きてきたので、ここを去ることにしたが、思い直し、ワシントン
市内を一巡することにした。今夜はワシントン市内に泊まることにし、安めのモーテル
を探し始めた。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月17日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ワシントンへ)・・・新8

2015.8.17月 雨 午前6:10
 水戸弁で・・・小雨だったぺが歩いできたっぺ、湿度が多くて気持ち悪い散歩だー。
 ニューヨークの友人と奥さんと子供に別れを告げて一人旅に出た。子供にナビを
セットしてもらい、皆さんに別れを告げて家を後にし、坂を下った。俺は1人になる
と思うと緊張感が全身に走った。とにかく南に行けと友人に言われていたので、
言われるまま走った。ハドソン川の橋を渡り、ニュージャージ州に入り、IN95に乗り
アクセルを踏み込んだ。ワシントン迄まで約350kmはあるから、使用時間は5時間
とみた。出発時間は午前10時だから、午後2時半頃に着くと思い、スピードを緩めて
走った。高速道から見える景色は、森有り畑有り、工場なども見える。ニューヨーク
郊外を抜けると、一面の大平野であった。おかしいなと感じたのは、横断の景色と
縦断の景色がどこか違うのだ。横断は太平洋に向かい、縦断は大西洋を左に抱え
走るのである。縦断は走っていると大西洋の汐の匂いを感じるが、横断は海と離れ
ているので、汐の匂いは全く感じないのだ。どことなく海の匂いを感じながら走るの
は縦断で山の匂いを感じて走るのが横断かなと思う。縦断は海際の町をいくつも
走りぬける。3時間も走ると、ワシントンに近くなるので、どこかが毅然としている
雰囲気である。ホワイトハウスと国会議事堂を訪れて、世界の政治の中心を見て
やろうと考えながら走っていた。遠くにビル群が見えてきた。オバマやヒラリーが
世界の為に働いている町かなと思うと、俺も一種の勇気が湧いてくるのであった。
 下衆の俺は、 今夜はどこで一杯やろうかなと考え、車をホワイトハウス周辺に
向けた。明日はホワイトハウスと議事堂と下衆の宿泊地を記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月14日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(染髪剤と枕カバー)・・・新7

2015.8.14 金 午前5:00
   水戸弁で・・・昨日はジョイ本から家まで歩いて帰ってきたっぺ、1時間40分かかった。
朝起きたら、窓から見えるニューヨーク湾の朝日が美しく見とれていた。昨夜汗をかいた
ので粗相が無いかベッドを見渡したら、枕カバーが黒い洗髪剤で染まってしまった。
これは困った、よわったであった。安い洗髪料なのか、洗髪剤を吟味しなかったのを
反省した。真っ白い木綿の素敵な枕カバーが見事に俺の汗で黒茶色に染まっていた。
    処置は洗面所で直ぐ洗うか、クリーニング店に持ち込むか、友人に素直に詫びるか、
日本に持ち帰り日本の技術に頼るか、いろいろなことを考えたが、一つを残し、すべて
現実的でなかった。ここはニューヨークの大富豪宅に泊まっているのだ。枕カバーの一
枚や二枚はケチらないだろうが、思い出の品か特別記念品だったら、いくら謝っても
元には帰らない、どうしようの感で俺は極まった。俺は人生を長くやってきた身だ、
日本人でもある、枕カバーを裏返したり、下にしたりしても、この事実は隠せない。
こんな時は謝るほかない。その手しかない場面だと考えたら、早めに謝るの一番
と決めた。俺は身支度を整え、主人の朝食を取る部屋に行った。「すみません、
俺の白髪染で枕カバーを汚してしまった、日本で買って返します」と言うのが
背一杯であった。主人と奥さんは思いのほか執着せず、「ノー、プロブレム」と言った。
大陸人の本心を見たようであった。島国人の狭い礼儀と大陸国の広い礼儀が接触
した場面であった。そのあとの食事の会話でも、おれの羞恥心は解除できなかった。
大陸人の広い友愛心を見習うべき日本人と思えた朝であった。明日はワシントンに
向かうを記します。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月13日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタンで散歩)・・・新6

2015.8.13木 雨 午前6:20
  水戸弁で・・・雨が強いなー、散歩はでねーべ、暫くの雨降りを楽しむべ・・・・。
   車を置いたまま、エンパイヤーステートビルに行き、実物を見て、次にロックフェラー
センターの若者のスケートを見て、明日からの旅に備えて帰宅を彼に申し出た。実は
俺は既にマンハッタンは3回の訪問歴があるので、再度の見学はしたくなかったので
ある。それよりも、ニューヨーク湾が一望に見える彼の家のデッキで下界を眺めた方
が良かったのである。マンハッタンの夜の風情を後にしてキャデラックミニバンは
彼の家に向かった。窓から見えるマンハッタンの夜景が、友よ早く帰るなよと言ってい
るようであった。家に着くと、自宅内の案内をしてくれた。玄関、駐車場、プール、食堂、
応接間、客間、寝室、子供用寝室、トイレは5個、調理室は2個、寝室は全部で10個
あった。呆れてお世辞を言う気は無くなり、俺は笑顔だけでお世辞を言った。一通りの
案内が終わると、奥さんがワインを皿にのせて持ってきたので、再びデッキに出て、
ニューヨーク湾とマンハッタンの夜景を見ながら、彼と英語、中国語、日本語のミックス
会話を楽しんだ。日本には無い時間の過ごし方をした。心地よい春の風が私たちを
時には取り巻くき、しばらくするとマンハッタン方面に去っていったような気がした。
    時差の関係で眠気が押し寄せてきたので、彼に失礼を詫びながら、自分の寝室に
戻り、お姫様風のベッドに潜り込んだ。次の朝に大変なことが起きているなんて想像が
出来なかった。
                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月12日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタンでのデナ~)・・・新5

2015.8.12水 曇り 午前6:40
   水戸弁で・・・朝から曇りだー、調子が出ねべー、天気には負けちゃなー。
    キャデラックミニバンでマンハッタンに行った。彼も慣れたもので駐車場はすぐ見つか
った。俺と奥さんと子供は人気がある日本料理、中華料理、西洋料理のバイキング出来
る店に入った。中は超満員であり、人が食べる時に出る声で満帆になっていた。彼が
戻り、好きなものを取って来いと言う。俺は寿司店に行き中皿をもらい、寿司を鋏み
皿に入れ、次に生野菜を盛り、ポテトサラダを最後に盛った。箸を取り席に戻り、奥さん
が取りに行くのと交代をした。彼女の娘は慣れたもので好きな物ばかり皿に盛っていた。
奥さんと彼が戻り、バイキング料理を食べ始めた。彼らの取ってきたものを見ると、
中華料理が主人、和食料理と中華料理は奥さん、娘さんはアメリカ料理が中心であった。
俺は和食とアメリカ料理を中心に皿に盛っている。俺は周りから食べたり話したり、笑った
り興奮したりするアメリカ式食べ方を観察できた。人は何様でも食べる時は喜ぶのだなと
思った。外国人とは食べながらの商談も有効であると思ったので、アメリカにいる間に
食べながら商談をやってみようと思った。今回は華僑の彼と商談が入る旅でもあるから、
明日からが楽しみになると思った。食事が終わるころを未計り俺はやにわに伝票を
持ってチックカウンターで支払いを済ませてしまった。彼らは慌てて俺を制止しようと
したが、俺は分からない言葉を使い勘定を済ませた。分からない言葉とは「ジャパニー
ズ・スタイル」と言ったのである。俺は日本式接待と言いたかったのであった。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月11日火曜日

2015年のアメリカ彷徨記(見たものは)・・・新4

  2015.8.11火快晴 午前6:30
    水戸弁で・・・墓掃除を午前5時からやってきた、誰もいない墓で先祖に今を報告をした。
    ニューヨーク富豪の華僑の家に泊まった。数多い部屋のゲスト室をあてがわれたので、
部屋のつくりを観察をした。ドアのノブと水道の蛇口は金で覆われており、壁と床はイタリー
の豪華な大理石を使用されていた。ベッドは今までに見たことの無い装飾が着いていて、
ふんわり感が十分に伝わるものだ。おまけにお姫様か王女様が寝ても不思議でない装飾
がもういいと言うほど着いていた。豪華な綿で出来ているベッドカバーと枕カバーの白さが
目に痛い、俺はこの部屋が豪華すぎてたじろいでしまう。金が余っている家はこのようなの
かとあらためて感じた。それでも不思議とプレッシャーは感じなかった。アジア人同士なの
かもしれないが、親近感が湧いてくる家なのだ。金の蛇口を回し、水を出して顔を洗い
主人の待つ部屋に行った。
    ピアノを始め、家族のための楽器が取り揃えてある部屋で主人はくつろいいでいた。
青色系の大理石を使った部屋だが、廻りのカーテンの色や茶器の色までが大理石の
青色とマッチしている。家族生活を楽しんだことの無い俺は多少の反省の心がうづいた。
思うに、アメリカの家族での行動は日本と違う目的や価値があるのでなかろうかと
瞬間的に思った。俺は出された茶器の豪華な器で茶をさりげなく飲んだが、
壊れたら大変と思い、強い力で茶器を握っていたのであった。主人とアジアの
貿易の話と日本の政府の価値観について語り合った。主人は浙江大学からアメリカの
大学に留学し、中国に帰らずにアメリカで貿易業を立ち上げた男であり話は面白い。
     しばらくの語り合いの後に、マンハッタンへ食事に出る。明日はマンハッタでの食事を
記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月10日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューヨークの大邸宅)・・・新3

2015.8.10月 曇り 午前8:00
   水戸弁で・・・だいぶ涼しくなっている、俺は4Kmの旅をしてきたっぺよ、元気を意地で維持。
大邸宅に招き入れられた俺は恐縮して家に入った。フロアがイタリーの見たことの無い模様
の大理石で被われていた。ニューヨーク湾が眼下に見える廊下を通り、友人の待つ応接室
に入った。見たことのない世界が目に入った。30人が座れる応接室で調理室もついていた。
俺はゆっくり部屋を見渡したら、小さな子供がにっこりし、こちらを向いていた。俺は軽く右手
を上げ、目と目を交わして笑顔でそれに応じた。この瞬間で無言ながら彼女とは友人になれ
た。友人がこちらを向いて「夜はマンハッタンに繰り出そう」と言われたので「OK,サンキュー」
の短い英語で返事を返した。それから彼は、この家を買った時期と理由をせつめいしてくれが、
早い英語なので理解が良くできなかったが、要するに、輸出入ビジネスで成功をしたので
買ったそうだ。高台の崖っぷちの家なので、その崖を利用してニューヨーク眺望デッキを
作り、プールを大改造したうえで住んだと言う。俺の部屋に荷物を運び入れするように言われ
たので、荷物を持ち奥さんの案内に従った。部屋は3階の客室であり、俺の好奇心の固まりの
胸がドキドキしてきた。客室はホテルの部屋に負けないと言われていたので、ドアを開けるの
がもどかしかった。部屋を開けた、そこに見たものは明日から記します。
                                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月9日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(V字横断)・・・新2

2015.8.9日 曇天 午前7:00
   水戸弁で・・・昨日は自宅の目の前で村の花火大会だったっぺ、家にいられなかった。
俺は大陸を彷徨する快感に憑りつかれたのか。前回のニューヨークからサンフランシス
コへの横断時に、横横断が終わったのだから、次回は縦横断をしようとゴールデンゲート
上で考えた。今回はその旅の思い出から記します。
    春遅い三月に飛び立ちました。着いたところはまたしてもニューヨークとなり、慣れた
レンタカー会社でキャデラックミニバンを調達し、ニューヨーク華僑が待っているマンハ
ッタンに向かった。ところが道を誤り、JFKケネデイ空港の裏側に行ってしまい、右往左往
を繰り返しながら、待ち合わせの場所に行き、彼と合流ができた。彼は浙江省出身の
ニューヨーク華僑で、奥さんは中国の革命作家郁達夫の直系であり、気品溢れる奥様
である。彼のビジネスは輸出入業である。カザフスタンとその周辺国家の鉱物資源を
中国内陸に輸入したり、中国の糸編製品をアメリカまで輸入したりする会社を経営して
いる。その彼が、アメリカの富豪の一員であるセンチュリー21という不動産会社の会長の
自宅を譲り受けた家に住んでいるという。そこに私を今回は招待してくれたのである。
    しばらくぶりの再会の眩しさを強い握手でかわし、お互いの無事と発展を喜びあい、
彼の先導で高級住宅に向かった。くねくねと曲がった道を上り、数分でマンハッタンとは
およそかけ離れた空気の美味しい高台に彼の住宅があった。マンハッタンが一望できる
最良の場所にその邸宅はあった。奥様や子供さんが俺を迎えてくれている。凄い門、
数百人いても目だた無い広い庭、大きいプール、家族や友人と寛ぐ庭のスーペース等、
日本の家とはかけ離れた雰囲気である。アメリカも日本も成功者が演じる家庭の雰囲気
がそこにあった。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月8日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(新大陸縦断の旅)・・・新1

2015.8.8土  快晴 午前6:10
    水戸弁で・・・そろそろ島が飽きたな、どこの大陸に行くべか悩んでいるんだ。
 初めての大陸横断から2年が経った年であった。ニューヨーク富豪の友人宅に泊まらない
かと華僑に誘われ、のこのこニューヨークに出かけた。その富豪はアメリカの不動産界の雄
とのことであり、知る人ぞ知る家である。俺の目論見はニューヨークを振り出しに、ワシント
ン、リッチモンド、チャールストン、オーランド、マイアミ、キーウエスト、ニューオリンズ、ダラス
を廻り、時間があれば、アルバカーキ、フラッグスタッフ、セドナ、ロサンジェルス、サンタモニ
カ、ぺブルビーチ、サンフランシスコまで到達するアメリカ大陸V字ドライブ旅行を考えていた。
よって、ニューヨークの富豪宅の一泊は付録みたいに考えていた。
    春遅い三月、日本からの全日空機はニューヨークJFKケネデイ空港に午前10時に着陸し
ところから、始めますので楽しみにしていてください。今回はアメリカV字縦断の旅となります。

                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月7日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(終着点で乾杯)・・・82

2015.8.7金 快晴 午前6:20
   水戸弁で・・・10年の朝の散歩で会う人は同じだな・・・、新しい発見を望んでだよ。
   ニューヨークを出て、10日目でゴールデンブリッジの上に達した。俺の心は満足感と
達成感で一杯になった。今まで来た東の方面を望み、目礼をして東の果ての神に感謝
した。日本の方面に目をやると太平洋が微笑んでくれた。この感動は60歳の時であっ
た。俺は自分の体の節々を検査してみた。頭異常なし、目異常なし、鼻異常なし、口
異常なし、首異常なし、肺異常なし、関節異常なし、筋肉異常なし、これ以上の検証
は面倒くさいほどであった。信じられないほどの異常なしであった。日本を出る時に
東海村の大神宮で旅の安全と武運長久の参拝祈願をした結果である。
     橋の上で日本から持って行った焼酎で一人高らかに乾杯をした。隣のアメリカ人が
不思議そうに俺を見ていたが、お構いなしの日本語で「乾杯」と叫んだ。大神宮様と
空と海と大地に感謝の意を唱えた。
     思えば2週間の休暇を取って出た旅であった。未知から始まった旅だだったが、旅の
途中で旅のコツを知り、後半は楽旅となった。そこに入るとそこの現地人になれた。食べ
物やそこの空気と水にはすぐ慣れた。だから疲れなかった。疲れなければ、次の旅を
計画したくなる。早くも次の旅は、ここだと決めていた。明日からは、次の旅を記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月6日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴールデンゲートの上)・・・81

2015.8.6木 快晴 午前6:30
   水戸弁で・・・散歩から帰り、自宅周辺の雑草剤散布をした、もっと燃えよと天にほざいた。
間もなく10分でゴールデンゲート上になる地点にいた。サンフランシスコ湾の西側の道路
から上がるのだ。カポネが収容されていたアルカトラズ刑務所が右に見えた。これでサン
フランシスコ湾は5回目であったので、迷いなくゴールデンゲートに行ける。意外と細い道路
沿いを進む。危なっかしい道路であるから、注意深く進んだ。見えてきた、巨大な赤い色の
橋が右前方上空に見える。橋の後ろの山は結構高い,その上に青空が悠然と見える。
    俺はアクセルを踏んで橋の入口に入った。前後左右にアクセスした車がびっしり並んだ。
料金所が無かったので、調子が狂う。思うに、アメリカの道路や橋などで料金を摂られたこ
とが無い。日本や中国と違う社会事情だ。橋の奥まった所に休憩所があるので、更に前に
進んだ。広い休憩所の駐車場に車を入れた。ぐるぐる回って見晴らしの良い場所に駐車し
た。そこは休憩所と見晴地のようになっていて、数十台の車が止まっていた。車を降りて
トイレに行ってから、見晴地の外柵の縁に手を下ろし、フィシャーマンやアルカトラズを
見下ろした。ヨットやレジャー船が悠々と湾内を遊覧していた。出来れば、遊覧船に乗って
湾内に遊んでみたいと考えた。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月4日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(次の町はサンフランシスコ)・・・80

2015.8.4火 快晴 午前6:〇〇
   水戸弁で・・・早く起きっちまったぺ、午前4:30に散歩に出た、汗が出て気持ちがいい。
   朝はサクラメントで迎えた。午前8:〇〇で太陽が既に高く昇っている。透き通るような
青空を見上げ、車に乗り込んだ。サンフランシスコまで約200Kmあり、午前10時過ぎに
は金門橋に到達するはずである。アメリカ大陸横断の旅で既に10日以上走っている
ので、頭の中で到達時間が計算できるようになっていた。到達したら金門橋の上で、日本
の焼酎で大乾杯をする予定である。心がはやる、このような時が危ないのだ。今日も慎重
に行こうと決め、エンジンをかけた。モーテルの出口からIN80の入口に入り、高速に乗っ
た。加速をしながら、周囲を見渡した。ニューヨークを出たばかりの景色は、トウモロコシ畑
と林が続き、シカゴ周辺では工場やポテト畑が多く、ロッキーの麓は牧場であったが、ネバ
だでは砂地が多く、カルフォルニアに入ったら背の高い山林が多くなった。左が崖、右が
高い丘に挟まれた高速を走り、サンフランシスコに向かった。太陽を背に受けて走ったの
で景色がよく見える。潮の匂いがしてきたので、海が近くなったことが分かった。何処かの
岬が靄にかすんで見えてきた。思えば、ニューヨーク州を出て、ペンシルバニア州、オハイ
オ州、イリノイ州、アイオワ州、ネブラスカ州、ワイオミング州、ユタ州、ネバダ州、カルフォル
ニア州、カルフォルニア州まで来たのである。無事故無違反で今日まで来られたが、運が
良いと言うほかない俺の運転である。自分ながら強運だと思えた。この運を大事にしなくて
はならない。アメリカからそーっと持って帰る一番大事な土産と確信をした。
   まもなく金門橋に上がれるはずだ、俺はアクセルを軽く踏み込み、遠くに見える金門橋に
まっしぐらに向かった。
                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝

2015年8月3日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サクラメントの安宿)・・・79

2015.8.3月 快晴 午前5:15
   水戸弁で・・・昨日の行動は、午前5:00庭草の焼却2時間、散歩30分、床屋1時間、
 村松浜で海水浴2時間、昼食をはさみ、自宅の戻り庭木剪定1時間、庭木伐採1時間
結構な運動になった。朝までぐっすり、体を絞れたので満足の日曜日であった。笑
    安宿、安宿と唱えながら車を走らせた。高いモーテルは特徴がある。庭木の手入れ
が良く、プールも綺麗であり、建物の色も爽やか風である。一方の安宿の特徴は、庭木
は殆ど無く、殺風景であり、プールは防火用かしか思えなく建物の色も悪い。そんな
安モーテルに入った。カウンターはインド人かアジア人が多く、俺が入ったのはインド
人のカウンターであった。パスーポートとカードを出して鍵をもらい、自分で荷物を持ち
部屋に向かう。部屋に入ると何かが匂う、途端にキャンセルをしたくなるが、俺はこれが
アメリカ大地の匂いと思い、諦めてブログと夕食の準備をする。PCのラインを繋ぎ、
ヤフージャパンを取り出し、日本のニュースを見る。日本文字を眺めながら、簡単な
つまみを取り出し、ゴミ箱のような容器に氷をいっぱいもらい、ビールの冷えるのを待つ。
その間にシャワーを浴びるが、安宿はシャワー室もいただけないのだ。大きな音の
ファン、小さすぎる石鹸、シャンプーだかリンスだか分からない容器の洗剤、色あせた
タオルセット等、初めての旅行者なら愕然とするだろうが、俺は全然平気なのだから
始末が悪い。時々、旅の同行者は思い出として、いつまでもそれを世間に言う時がある。
それで俺は世間的に何でも構わない人になっているが、実はそうでもないのだ。
結構、神経質でもあるのだと言うと友人は腹を抱えて笑う。この話は終わりとするが、
旅はまた続いているから、面白かった事件を記す。
                                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年8月1日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サクラメント)・・・78

2015.8.1土 快晴 午前6:40
  水戸弁で・・・今朝は5時に出発、畑を通過、山を下り、畦道を抜け、山裾を通り、階段を
昇り、三社に参り、阿漕ヶ浦を横目に見て、ベンチで腹筋運動を兼ね青空に微笑み、
水飲み場でヒンズースクワット、桜並木で友人と挨拶、自宅に戻り、アイスコーヒーを
片手にブログ掲載中です。散歩時間は約一時間で忙しく一週間ぶりの散歩だった。
良かった、体力は落ちていなかったよ。来週も水戸市で頑張れるな。先週は飲み会が
四回ほどあり、胃腸が疲れていたのが分かったよ。昨夜は飲みたくなく、本屋で時間つぶ
しをしていた。
   さて、アメリカの話に戻るが、車はIN80号線をサクラメントに向かっている。カルフォル
ニアの首都であるから、町は大きく人口も多い。市庁舎はホワイトハウスと同じような
建物であった。町中を人通り回ってみたが、昔に栄えた町の様相である。とにかく、町
作りの広さが、日本に比べて大きく、スケールが違うのである。いつも考えるのだが、
土地が大きい所に住んでいる人は歩幅が大きく、小さな所に住んでいる人の歩幅は
小さいのである。我々日本人も歩幅が小さく、何をしてもワンパターンになりやすいので
あるから、常に心掛けて歩幅に気を付けるべきであると思っています。
    町の中心地の商店街で少々遊んでみた。パンダエクスプレスで昼食を摂り、商店街を
ブラブラした。マーシイデパートで5,000円くらいの半袖シャッツを買い、夕方まで遊ん
だ。そろそろ彷徨が飽きてきたので、今夜の宿探しに向かったが、町の中は値段が高い
ので市街地に出ようと思い、車を西に向けた。
    明日は首都近郊の宿を記します。
                              アメリカ ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝