2014年3月31日月曜日

1997年から2014年のアメリカ(JFK空港の外に)・・・71

2014.3.31月 曇天 午前6:00
 今年度も今日で終わりです。朝の運動をサボりゆっくりしていますが、空は曇りで、気分はパットしません。今日も世界は騒がしいようですが、気分を変えて以下を記します。
 さて、JFK空港の外に出ると、空港を一周するモノレールが環状的に走っていますので、それに乗って目的地に行けます。私は何時もハーツレンタカーのカウンターまで一目散に往きます。
空港を出た乗客で、早足で歩いて行く人は煙草の吸い場まで行って煙を上げます。ゆったりと歩いて行く人は、競争の無いモノレールまで行きます。長旅の人は荷物を多く抱え、小旅行の人の荷物は少ないようです。インド人やアジア人等は長旅ですから、多くの荷物を持っています。それに家族も多数で移動しています。今までのこのモノレールが混雑したことを見たことがありません。多分
にアメリカ人は車移動が主流ですから、空港に車が待っているか、置いて移動をしているのかもしれません。JFK空港の外に出ても、大空は見えませんが、モノレールに乗ると綺麗な青空を高いところから見ることができます。凄く機能的に出来ているのが、世界に誇るJFKケネディ空港のようです。それは、人々の機械類が海や山、大空とマッチされた空港と言えるのでないでしょうか。
 明日はマンハッタンを目指して行きます。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

 
 
                  機能的なアメリカの町に入る

2014年3月28日金曜日

1997年から2014年のアメリカ(空港の外に)・・・70

2014.3.29金 快晴 午前6:50
 横づけされた飛行機の中では、様々な人々が早く外に出たくてざわめき出しました。アジア人や
アメリカ人達がバッグを提げて通路に出ています。機内の中で耳を立てると、英語、日本語、中国語で賑やかです。「やっと着いた」「長かった」「疲れた」等々です。窓から外を見るとJFKケネディ空港はアメリカを代表する景色でした。ゴルフ場や芝生の公園、それと周囲は海と池に囲まれた空港です。遙か先に目をやると摩天楼が幽かに見えます。大西洋を背にして60km先の摩天楼が西に見えました。海から出た太陽は、人間か作った摩天楼の山に入るのが、ニューヨークの地形です。
 逸る気持ちを押さえて、通路に立っている私の心境は、パドックに入った馬みたいにつま先立ちで飛行機の出口を見えすいています。乗客が動き出し、同時にニューヨークの匂いとアメリカ人の匂いを感じました。それはアメリカ大陸の匂いです。都会的や野性的な匂いが混じっています。
 飛行機から出て、入国管理局のゲートで審査を受け、手荷物を受け取り、税関カウンターを
横切り、外に出ます。次は明日にします。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年3月17日月曜日

1997年から2014年のアメリカ(最初のアメリカ)・・・69

2014年3月17日 月 快晴 午前7:30
 毎週の月曜日は毎回的にアメリカと中国の旅したことを交互に掲載します。今日から今週の日曜日まではアメリカ大陸編を掲載します。今までに10回ほどのアメリカ大陸を彷徨った経験を記しています。未知のアメリカに始めて行ったのは1997年の5月の連休でした。見るもの聞くものが
始めての旅でした。アメリカに行くのに乗った飛行機はノースウエスト航空の飛行機です。スチューアデスはアメリカ人、周りの乗客もアメリカ人が多く、飛行時間の14時間を過ごすのに長く感じました。機内食を2回食べ、睡眠を2時間程度、映画を2回見た頃、ボーイング機はシカゴ近郊を飛んでいました。現地時間は明け方の午前7時ころでしょうか、眼下の町が薄す明るくボンヤリと見えてきました。五大湖周辺の上空を飛んでいるもようです。間もなくニューヨークと思うが、到着時間
から計算をすると、到着時間の残りは3時間ほどあります。3時間×ボーイングの速度800km/1Hとすると、目的地まで2400km程ありますから、アメリカ大陸の中間地点のオマハ辺りです。
五大湖と思ったのは、他の湖で勘違いであることが分かりました。オマハの上空を飛んでいるわけでなく、カナダ上空を飛んでいました。地球儀で飛行コースを見ると、ニューヨークに行く場合は、飛行機はお椀を逆さにしたようなコースで地球の上を飛んでいきます。もう一度頭の中で飛行コースを考えると、成田から北海道の太平洋側を経て、アリーシャン列島沿いに飛び、アラスカ沖合から
アメリカ大陸に入ります。カナダ上空を経て、ナイヤガラの滝の上空辺りからニューヨーク湾の上空に出てから、JFK空港に着陸するようです。空港の上空からニューヨークの町を眺めると、正に摩天楼の町で、その郊外は整然と綺麗な住宅街があり、周辺には私の好きなゴルフ場がいくつか
見えます。下界を見ているうちに無事陸した飛行機は、母の懐に入るようにエアーターミナルに
横付けされました。明日は入国管理局を経て、手荷物を受け取り、税関をを抜けて、エアーターミナルの外に出て、空港のシャトル電車に乗り、レンタカーの受付口に至り、レンターカー契約を済ませ、空港区域の外に出るまでを掲載します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年3月15日土曜日

1997年から2014年の華中(寧波と舟山列島)・・・68

2014.3.15土 快晴 午前7:00
 太陽が元気よく出てきた朝で、気持ちよくしています。
舟山列島に船から上陸した私は宿屋に向かいました。途中の出来事と自然の環境は昨日掲載しました。島で見晴らしの良い地点まで行って海を眺めると、真っ黄色の海面と真っ黄色の白波が
を目にしました。日本では無い景色ですが、華中周辺では当たり前の海辺の景色です。次に
日本に行く僧が修行をしたという古寺に行き、参拝と見学をしました。中国の仏教文化の歴史の
厚さは日本の比でないことを感じますが、僧の修行の厳しさも比でないように思えます。断崖の
絶壁の頂きの岩にお釈迦さまや観音さまを刻みながら修業した形跡を見ました。大陸のスケールの大きさを垣間見た瞬間でした。
 宿屋について部屋に通されました。10畳一間の洋式風の部屋でしたが、部屋はカビ臭く、長らく
宿泊者がいなかったような部屋です。おまけに湿気も含んでいますが、海が近いせいもあるようです。但し、窓から見える景色は、南国風のなんて言ってよいか分からない景色でした。無理に言えば、窓から手を出すと南国特有の柔らかそうな葉に触れられたり、名前が分からない木々の味を
掴むこともできました。明日は夕食の事を記します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年3月14日金曜日

1997年から2014年の華中(舟山列島と寧波)・・・67

2014.3.14(金)雨 午前7:00
 事情ありとにかく忙しいが、想い出しながら舟山列島に上陸したころを思い出しながら記します。
寧波から船であっという間につく舟山である。岸壁から徒歩で宿屋に行った。途中の道は急斜面の坂であった。坂の途中で昼飯を料理している。その料理方法に驚いた。少年が生きている魚を盥から出して鷲掴みにして、路面にたたきつけたのである。私は日本でいう生き締めかなと思い、立ち止まって眺めた。魚がぴくぴく震えている。魚は痛いだろうなと思いながらも、ずーっと見ていたら、少年はその魚を料理番の待つ家の方に持ち運んで行った。何やら聞こえた、元気良い女親のような声であった。その魚を生き締めにする方法は、乱暴で残虐であったが、私は大発展中の中国の生活ぶりを表した料理法と見た。岸壁から宿屋に行くまでに見た光景は、ユンボやブルトーザーが、険しく、激しく、スピーデイに動いている光景であったjから、そのように見えたのである。周囲の海は焦げ茶色で、波打つ波も焦げ茶色、由緒あるような池の色も焦げ茶色であったが、見上げる空だけが紺碧に澄み渡っていた。目を移すと周囲の木々の葉は緑で、空と木々だけが昔からの原色を成し、遠くに見えるとてつもなく大きな入道雲が鮮やかでした。明日は列島内を歩いて探訪した経験を記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年3月11日火曜日

1997年から2014年の華中(舟山から寧波周辺)・・・66

2014年3月11日火 快晴 午前6:50
 私にとって三月はとにかく忙しい時期です。諸々の団体活動や地元の友人などと戯れるのが忙しい時期です。それでもこのブログを欠かすと、何か忘れたような気分や、怠けたような気分に襲われてしまうのである。慌てて掲載をすると大雑把なブログになってしまったり、以前に掲載したことをダブルで掲載してしまうことなどもありますので、気分がゆったりしている時に掲載をしたいものです。
さて、今日は舟山列島や寧波について記してみます。私がこの地を訪れた回数は、多分ですが15回程度であろうと思います。最初に行った理由は、舟山は昔の倭寇の巣であったり、日本と中国を
行き帰していた昔の中国の海商や僧や留学生等の立ち寄り地と聞いたからである。最初に行ったのは1995年の頃と記憶をしています。上海から車で寧波に行き、港から船で島に渡ったのである。次は明日に掲載します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年3月10日月曜日

1997年から2014年の華中(寧波・舟山列島)・・・65

2014.3.10月 曇天 午前6:45
 寧波、舟山列島の地名は倭寇の名前と繋がるが、日本人の旅人は少ない。上海から南に約250k程度であろうか、私は緻密に記録を出来ない性格であるので約で表現をさせていただきます。再度調べれば簡単であるが、その時間が惜しいのである。寧波に行くのは、上海からは杭州湾を跨ぐか、杭州を大きく迂回して寧波に辿りつくか、飛行機で30分の旅に出るかの方法しかなかったが、最近は杭州湾を跨ぐ大きな橋ができて便利になりました。日帰り等のコースも無理でなくなりました。私が行ったのは約15年前~ですが、飛行機で行ったり、車で行ったり、それから汽車で行ったりしていました。その町は日本人の子孫がいるのでないかと思われるような匂いのする町です。何故かと言えば、歴史の本で読みましたが、宋貿易や明貿易の拠点として、日本人が上陸を重ねた町です。この続きは明日から記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝