2016.3.28月 曇 午前6:42
長崎では雨に迎えられ、滞在中は快晴で過ごせた。家庭の用事は一緒の家族に任せて、
俺は電車ととレンタカーを併用し平戸島に向かった。中国歴史で有名な鄭成功の生誕の地
である。知る人は知る明末清初の大陸アモイの英雄である。俺は厦門の鄭成功記念館や
日本の書物で彼を俺の尊敬する人の一人に挙げていた。その彼の生誕の地である長崎
平戸島に行けるチャンスが来たことは、今度の旅の主目的と合わせ双福といえることでも
あった。
明日へ
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2016年3月28日月曜日
照沼重輝のアメリカ・中国大陸馬賊隊(長崎着)・・・20
2016.3.18金 午後4:22 雨
長崎にいる。着いたら歌の文句ではないが雨だった。長崎人に言わせると
雨はあまり歌のように降らないようだ。長崎から上海まで約1000km、成田
までも約1000kmで大陸と日本の中間にいることになる。目の前が長崎駅
で賑やかな町と感じた。約300年前は大陸の役人や商人で相当賑わって
いたことであろう。個人の用で長崎にいるのだが、茨城県水戸市を午前6時
の特急で上野に降り、山手線を経て羽田を10時15分に離陸し、長崎に12
時00分前に着陸をした。飛行場からバスでウエスティンホテルに入ったが、
空港からホテルまでは雨で傘が無く、どうしようかなと考えた。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
長崎にいる。着いたら歌の文句ではないが雨だった。長崎人に言わせると
雨はあまり歌のように降らないようだ。長崎から上海まで約1000km、成田
までも約1000kmで大陸と日本の中間にいることになる。目の前が長崎駅
で賑やかな町と感じた。約300年前は大陸の役人や商人で相当賑わって
いたことであろう。個人の用で長崎にいるのだが、茨城県水戸市を午前6時
の特急で上野に降り、山手線を経て羽田を10時15分に離陸し、長崎に12
時00分前に着陸をした。飛行場からバスでウエスティンホテルに入ったが、
空港からホテルまでは雨で傘が無く、どうしようかなと考えた。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2016年3月18日金曜日
照沼重輝の中国彷徨記(杭州へ行ってみっか)・・・18
2016.3.18金 晴れかな 午前4:18
ヒルトンホテルでハイヤーをチャーターした。飛び切りの贅沢である。車は日産セドリック
料金は言語不足によりホテルと確認ができていない。フロント横づけになったセドリックの
運転手は学生帽子のようなものを被り、日本の昭和40年代のようなスタイルをしていたの
で多少ビビってしまった。日本でもあまり乗った経験のないハイヤースタイルである。ホテル
は五つ星、ホテル差し回しの黒塗りのハイヤーとなったら安いはずはないと思ったが、
平然と後部座席に座るほかなかった。ホテルのボーイがどこまでと聞くので「杭州」と紙に
書いて渡した。事前に調べると杭州まで250kmほどあるので、高速の道路の無い時代で
あったから3時間から5時間はかかると思った。上海の町を抜け、青哺という田舎に着いた
が公安の検問所でストップされ検問を受ける羽目になった。ケバケバしい制服を着た
警官が私にパスポートを見せろと言った。運転手と私は言われたものを出して検問を
受けた。ところが、運転手がとんでもないものを忘れてしまい、上海から僅か50kmの地点
で立ち往生をしてしまった。その忘れてしまったものは、上海市から他の町に行く場合の
越境許可証のようなものであった。日本では町から町への往行は自由であるが、中国で
は届け出が必要と初めてこの時に知った。さて、どのような羽目になったか、次回を読んで
ください。
\今日は長崎に出張ですから、掲載できるか否かが心配です。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ヒルトンホテルでハイヤーをチャーターした。飛び切りの贅沢である。車は日産セドリック
料金は言語不足によりホテルと確認ができていない。フロント横づけになったセドリックの
運転手は学生帽子のようなものを被り、日本の昭和40年代のようなスタイルをしていたの
で多少ビビってしまった。日本でもあまり乗った経験のないハイヤースタイルである。ホテル
は五つ星、ホテル差し回しの黒塗りのハイヤーとなったら安いはずはないと思ったが、
平然と後部座席に座るほかなかった。ホテルのボーイがどこまでと聞くので「杭州」と紙に
書いて渡した。事前に調べると杭州まで250kmほどあるので、高速の道路の無い時代で
あったから3時間から5時間はかかると思った。上海の町を抜け、青哺という田舎に着いた
が公安の検問所でストップされ検問を受ける羽目になった。ケバケバしい制服を着た
警官が私にパスポートを見せろと言った。運転手と私は言われたものを出して検問を
受けた。ところが、運転手がとんでもないものを忘れてしまい、上海から僅か50kmの地点
で立ち往生をしてしまった。その忘れてしまったものは、上海市から他の町に行く場合の
越境許可証のようなものであった。日本では町から町への往行は自由であるが、中国で
は届け出が必要と初めてこの時に知った。さて、どのような羽目になったか、次回を読んで
ください。
\今日は長崎に出張ですから、掲載できるか否かが心配です。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2016年3月3日木曜日
照沼重輝の中国彷徨(夜の景色)・・・17
2016.3.3水 午前7:00 晴れ
自分の部屋に戻った俺はカーテンを開けて夜の上海を38階の窓から覗いた。眩い
明かりが一斉に目に入ってきた。虹橋方面を望むと飛行機の離発着が見え、揚子江
方面を見ると遠くは暗いが、近くのビルからは夜業をしている人影が見えた。俺は窓か
ら離れ、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、日本の方面を向き合い、軽く会釈をして
ビールを一気に喉奥に流し込んだ。再度、窓から下界を眺め、明日の予定を反芻して
楽しみを倍加させる。明日は揚子江のクルーを楽しむか、思い切り田舎に行って、
農民たちと戯れるか、寺院などに行くかを考えた。最終的に決めたのは、泊まっている
ホテルはヒルトンなので、安心なハイヤーを頼んで杭州まで足を伸ばすことにした。
決めるとシャワー室に入り、真っ白なバスタブのお湯の蛇口を捻って湯船の準備を
始めた。お湯が満杯になるまで待ちきれづになり、部屋に戻りテレビをつけた。何やら
分からない番組をボーとして眺め、お湯が入るのを待つ。俺の頭は明日の楽しい予測
で一杯になったので、今度はお湯が一杯になったバスルームに向かった。しかし、
西洋風呂はなんで浅すぎるのだろう。腹が湯の中に入らない。白人はこれに疑問を持
たないだろうか。たわいもないことを考え始めてしまった。
次回は、杭州のまでの道のりの出来事を記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
自分の部屋に戻った俺はカーテンを開けて夜の上海を38階の窓から覗いた。眩い
明かりが一斉に目に入ってきた。虹橋方面を望むと飛行機の離発着が見え、揚子江
方面を見ると遠くは暗いが、近くのビルからは夜業をしている人影が見えた。俺は窓か
ら離れ、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、日本の方面を向き合い、軽く会釈をして
ビールを一気に喉奥に流し込んだ。再度、窓から下界を眺め、明日の予定を反芻して
楽しみを倍加させる。明日は揚子江のクルーを楽しむか、思い切り田舎に行って、
農民たちと戯れるか、寺院などに行くかを考えた。最終的に決めたのは、泊まっている
ホテルはヒルトンなので、安心なハイヤーを頼んで杭州まで足を伸ばすことにした。
決めるとシャワー室に入り、真っ白なバスタブのお湯の蛇口を捻って湯船の準備を
始めた。お湯が満杯になるまで待ちきれづになり、部屋に戻りテレビをつけた。何やら
分からない番組をボーとして眺め、お湯が入るのを待つ。俺の頭は明日の楽しい予測
で一杯になったので、今度はお湯が一杯になったバスルームに向かった。しかし、
西洋風呂はなんで浅すぎるのだろう。腹が湯の中に入らない。白人はこれに疑問を持
たないだろうか。たわいもないことを考え始めてしまった。
次回は、杭州のまでの道のりの出来事を記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
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