2015年4月29日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(高速上に戻る)・・・25

2015.4.30木 快晴 午前6:30
   水戸弁・・・昨日よう早めにタイトルだけを入れておいたんだっぺよ。風気味で調子は不。
休憩所で体を休めたり伸ばしたりしたら、又高速に戻ることになる。緊張が切れた心理で
高速に出るのは危険だ。私は先ず駐車場から高速を走っている車のスピードを眺める。
そして、自分の体内スピード感を元に戻してから高速に乗るようにしている。駐車場内の
ゆったりしたスピードからいきなり高速のスピードに戻るのは危険である。そこで、この
ような準備運動ないしスピード修復運動をやりました。お陰で事故なしで済んでいます。
   右の車線をゆっくり走り、左側を見て本線に出ます。ここは一番無理してはいけないと
ころです。後続車両が来ている場合は、より無理をしないでゆっくり走り車線を譲るべき
です。後続車両が追い越せるまでゆっくり走ります。続いて車が来ても無理をしないで
ゆっくり走り、後続車両が無くなるまで待ちましょう。後続車用から見て、本線に入る車
があれば、後続車両は車線変更をしてくれます。思うに、日本より運転マナーは洗練さ
れていますから、アメリカ人の運転を優先しましょう。それがアメリカでは安心して運転
できるコツかもしれません。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

走行中の電話は超危い

照沼重輝のアメリカ彷徨記(休憩所の中)・・・24

2015.4.29水 晴れ 午前10:00
   水戸弁・・・朝6時半からトラクターで畑を除草の掻きまわしたのでストレス全解消だ。
休憩所に 入った。トイレに別れていく夫婦、売店内に入り何かを探すコンボイ野郎、レ
ストラでソフトクリームを注文するボーイとギャル、床を掃除する有色人種、客を呼び込
む店のスタッフ、そのような光景を見ながら中に進む。先ずトイレに入ってみる。膝から
下が見えるトイレの膝を見ながら、小便用便器の前に立った。便器は綺麗に掃除が行
き届いていた。大男のアメリカの便器は私には合わないので、子供用の前に立った。
成人用の前に立つと私はつま先立ちで用を足すようになりますから、必ず子供用を使い
ます。トイレで手を洗い、ドライヤーで乾かすか、ペーパーで拭くかはアメリカでは様々で
した。次は売店に入ってみると、日本のコンビニ形式で物を売っています。たばこやアイ
スクリーム、おやつや小道具品等を売っています。特徴は車で使う修理部品を売っている
ことでした。アメリカのハイウエーでは修理工場が近くにあるということは稀ですから、自分
で修理をしなくてはならないのでしょう。レストランで面白かったのは、重さで料金を支払う
システムでした。私はサラダを取り、牛肉を取り、欲張ってデザートまでたっぷりとって食
べようとしたら、カウンターで20ドル程度を払いました。通常は2,000円の昼食は日本
では食べたことはありません。面白い食べ方だなと深く興味を持ちました。場所はキーウ
エストに行く途中のフロリダの休憩所でした。話は戻りますが、休憩所から外に出て芝生
庭園周辺を散歩してみます。犬を遊ばせるご婦人、芝生に寝転がり青空を眺める人、煙
草を吸う人は少ないので紫煙はあまり立ち上っていない。休憩所の周辺はのんびりムー
ドで包まれています。私も長閑な気分で疲れを取り、体力チャージをしました。次は、
休憩所から高速に戻るタイミングと高速上の注意を記します。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
友人の自宅でくつろぐ


2015年4月28日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(高速の休憩所)・・・23

2015.4.28火 快晴 午前6:45
  水戸弁・・・散歩の途中でベンチに寝で青空に聞いだ。空の向こうに何があんだよと。
      マンハッタンを出てから2時間を無我夢中で走った。考えたことは、先ず事故を防ぐ、
  違反をしない、ラジオスイッチを入れないであった。途中の景色はあまり目に入らず、
  前方だけを直視して走った。1時間もすると、他の車のリズムをのみこめ、スピード
  感覚も慣れ、左右の景色を眺める余裕が出てきた。パトカーや白バイに注意を払い
  ながら走った。州間高速道路は街の入口や出口は6車線もあったような気がする。
  一寸目を離して運転すると、目的方向に行けなくなってしまう。急に車線変更は一番
  危ない。ここはアメリカで日本のリズムの運転者はいないのだ。ヒヤーとしたり、他の
  運転者から睨みつけられたり、大口で怒鳴られたり、中指を立てられ喚かれたりした。
  それでも2時間を走ったので随分慣れてきた。休憩所に寄って観察をしたくなった。
  右側通行から休憩所に入ることになるが、標識を見たら車線を変更して進入するだけ
  だから、あまり難しくない。これは日本でのリズムとあまり変わらない。徐々に右により
  休憩所に入った。駐車場は広く、アメリカの車社会の先端が見えた。それは大型駐車
  場区域、普通車区域、身体障害者区域、ペット連れ区域、その地域の案内板、椅子
  テーブルが設置された区域等、旅人の休憩と癒しに必要なものが設置されていた。
  車を頭から停め、休憩所の売店とトイレに入った。
                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
休憩所のポスター
 

2015年4月27日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタンから大陸横断へ)・・・22

2015.4.27月 快晴 午前6:50
  水戸弁・・・まだ朝は一寸寒いべ、いいかみんな風邪ひくなよ、体を鍛えてくれよな。
    ニューヨークから外に出たくなった。太平洋まで行ってみるかなと考えた。大西洋側から
太平洋側まで4500Kmを走ることになる。相当な準備と気構えをしなくてはならないこと
になるが、その準備はほとんどしないでニューヨーク立ちをした。マンハッタンのハドソン河
沿いを北上し、ジョージワシントン橋を渡ることになる。この橋は下を鉄道が走っている豪壮
な橋である。サウスフェリーを起点に河岸を北上すると、渡河する橋が左手に見えてくる。
右回りでその橋に乗り、一気に河を渡る。橋を渡り一泊目の地に向かうが、どこどこの地
とは決めていないから、太平洋側までを最終地と決めて夜になったら泊るところを探して
泊るだけである。西へ西へと向かい、ガソリンが無くなったり、夜遅くなったりしたら泊る地
を探して泊るという極めて自由な旅をすることになる。
   橋を渡り、IN80に乗り、西に向かう旅が始まった。初日はマンハッタンから近い町に泊っ
たので、早朝にモーテルを出てマンハッタン向かい、グランドゼロに哀悼の意を捧げ、安全
祈願をしてから出発をした。朝の6時に出発をした旅が始まった。これから14日をかけて
サンウランシスコまで向かうことになる。私の目は見開き、体力は充実し、五感はピリピリ
となった。まるで大西部の幌馬車隊の隊長になったような形相になり、ギヤをDにして、
アクセルを踏み込んだのは、グランドゼロ前であった。ローハイドの隊長のように「出発」
と心の中で叫んだ。ローレン、ローレンの音楽が欲しかった。今日はどこまで行けるかな。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
出発IN80

2015年4月25日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(セントラルパーク)・・・21

2015.4.25土 快晴 午前5:00
  水戸弁・・・この時間に新聞がくんだ。新聞を見たら朝のトレーニング散歩にでっぺど思う。
  セントラルパークはアッパーウエストサイドとアッパーイーストサイドに挟まれた真ん中に
  あった。彷徨っているうちに偶然にセントラルパークに行けた。広い、広い、どこに何が
  あったのか分からなかったが、芝生に寝転んで青空を見ている人、中のロードを駆け歩
  く人、音楽演奏をやっている人等が思い思いに何かをやっていた。全体の広さが分から
  ないので歩くだけで疲れた。世界で一番広い公園と言われているだけのことはあった。
  一回くらいのニューヨーク滞在では全然理解ができなかったが、5回目くらいにやっと
  ニューヨークの概要が分かり始めた。ニューヨーカーは洗練された都市人である。
  月曜から金曜まで朝早く、夜遅く働く、深夜のビルの明かりは部屋掃除をしているため
  の明かりという。アメリカ全土や世界から観光に来ている人で一年中賑わっている。
  ニューヨークの人口は約1千万人、標高125m、州のニックネームはエンパイヤステイト、
  時代に先駆ける芸術やエンターテイメントから、グローバル経済を揺さぶる金融活動
  まで、世界に向けての発信源でもあり続けるこの町には、人種や国籍を超えて一流の
  頭脳と才能が集まっている。旅行者がよそ者扱いをされず、放っておかれる町は他に
  無いだろう。そこに強く惹かれる私は何度でも行きたくなるのである。この部分を書いて
  るだけで旅支度をして、すぐにでもまだ行きたくなる気持ちが、入道雲のように湧いて
  来てしまったので、本日は終わりにします。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月23日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ハドソン河)・・・20

2015.4.23木 快晴 午前6:00
  水戸弁・・・今日は一寸寒いな・・・、今日は何やんだっけな?桜は散ったぺな。
  ロウアーマンハッタンから時計回りに回るとハドソン河が左手になります。グリニッジ
  ビレッジ、チェルシー、ミッドタウン、アッパーウエストサイド、更に上るとモーニング
  サイドハイツとなります。
      私はハドソン川に浮かぶアメリカ空母に上り、遊んだことがありました。そこでは引退
  した軍 人さんたちが、奥さんを連れて艦内見学やグループでダンスに興じていたことを
  思い出しました。アメリカの陽気な音楽が艦内に流れ、第二次世界大戦を生き抜いた
  空母にも和やかな空気が流れていました。私も飛び出して踊りたくなりましたが、冷やかし
  みたいなムードになってしまうことを心配して、逸る気持ちを押さえました。戦争を戦った
  人たちだから、陽気なダンスが絵になるのだろうと思いました。敵国であった日本人の
  私が飛び出て、白けムードを出してしまったらば申し訳ないと思いやめました。
      さらに時計回りで上っていくと、ジョージワシントン橋が左手に見えます。この橋を
 渡ると、太平洋側にでるIN80大陸横断道路になりますが、渡らないで右手のセントラル
 パーク周辺を彷徨いましたので、明日に記します。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月22日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(自由の女神と駐車場)・・・19

2015.4.22水 快晴 午前6:40
  水戸弁・・・中国から帰ったが体の調子が戻んねーので朝の散歩はやめていんだぺよ。
  自由の女神を見るのは車をどこかに停めなくてはならないのだが、都会の最突端の地区
であるから大変な状況となります。ロウアーマンハッタンの地区に駐車場は少ないので、
路上駐車違反をしなくてはならなくなる。駐停車違反の地区はびっしりある。車を止めた
瞬間にポリスが駆け寄ってくることになり、切符を切られて50ドルくらいの罰金を取られて
しまう。私はロウアーマンハッタンのハドソン河沿いのR1からワンブロック中に入ったところ
に小規模の住宅地がある所の空地に停めます。人の庭先に近い場所なので心は痛みます
が自由の女神を友達に見せたいのでそちらを優先してしまいます。そこから自由の女神を
望めるハドソン川沿いまで約200mはあります。歩いて自由の女神を見られるので非常
に贅沢な観光といえるでしょう。その他の有料駐車場も利用できますが、待たないと停める
のは非常に難しい地区ですから、慣れない人は遠くの駐車場に停めて公共乗り物を使う
ほうが楽になると思います。
   私のニューヨークでの駐車違反の警告は2回、違反をして罰金を払ったのは1回ありま
す。罰金の額は大したことは無いのですが、警官に説明を求められたり、されたりする
その時間が惜しいので、交通違反に最大限の注意を払って運転をしています。
   マンハッタンでレンタカーを用いて自由の女神をゆっくり鑑賞するのは結構贅沢な観光
ですが工夫をすればそれも可能です。アメリカでの交通違反は罰金を取られるだけで
点数は減りませんからご安心ください。
                                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月21日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロングアイランドを出る)・・・18

2015.4.21火 曇り 午前8:40
  水戸弁・・・毎日水戸弁で書ぐことは大変だ。今日は雨っぷりだな・・・。気合がはいんねーべ。
ロングアイランド内を彷徨った。島の北の果てに行ったり、大富豪の自宅を覗き込んだりした。
特に、日本で商売になるのは無いかなと探したりもした。大西洋の潮風を受けて車を走らせた
が、だんだん飽きてきた。この島を脱出したくなった。どんなキレイなものでも、どんなに美味し
くとも、どんなに楽しくとも飽きるのだと思えた。贅沢な悩みが湧出してきた。この島にさよなら
だと決心した。
   気が付くと、マンハッタンの中心にいた。ロングアイランドから3時間を経てマンハッタンの
中心地にいた。モグラが地中に出てキョロキョロしているように周りを見渡した。南に行くと
自由の女神で北の行くとセントラルパーク、西に出るとハドソン河、東はJFK ケネデイ空港
である。私は迷わず自由の女神に向かった。船に乗って女神の上に登れるが、そこまで
する必要はないので、女神が良く見える岬にした。当然に駐車場はない。しばし、見える
場所で何かを思いたい。どうしたか?明日に記します。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月20日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨(出張中でした)・・・17

2015.4.20月 曇り 午前7:00
  水戸弁・・・俺は出張中でいながったのでブログは休んでいだっぺよ。今がら再開すっぺ。
  4月12日から4月19日まで中国出張でした。中国でグーグルは使えず休みました。明日
から再開します。大変すみません。
                                               アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月12日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(安宿ではなかった)・・・16

2015.4.12日 快晴 午前6:00
  水戸弁・・・今日から中国出張だっぺー。上海から甘粛省と江蘇省無錫を回ってくんだ。
  アメリカでの宿探しは慣れていないと宿賃が高かったり安すぎたりする。私はアメリカ
で泊った五つ星ホテルは3日だけしかない。一泊が3万円以上するホテルは勿体なくて
泊まれない。高くても1万前後で宿賃を抑えたい。そのためにはモーテルが一番良いと
思っている。そういうわけでロングアイランドのホテルはモーテルのホリデイインンとなっ
たのであった。最初の頃は1万円で安いと思っていたが、アメリカに行く回数が多くなる
とともに、今のモーテルはもっと安い7千円前後の部屋になっているので、最初の頃は
一流モーテルに泊っていたことになる。マンハッタン郊外のモーテルは数多くあるが
マリオット、ヒルトン等が高級モーテル、ホリデイインン等は上級モーテルであり、
スーパー6やスーパー8モーテル等は大衆モーテルである。値段は2万円前後から
6千円前後まであるようだ。ホリデイインモーテルは上級らしく、クリーニング店から
レストランまであった。カウンターでは簡単に手続きができた。パスポート出して、シン
グルかツインを希望すると、希望に合う部屋のカギを渡してくれます。余計な英語での
会話は必要なく、あとはクレジットカードで決済をすれば、部屋に行くだけである。
車は自分お部屋に近い広すぎる駐車場に自由に停める。
    部屋に行くと、日本の一流ホテルにも負けない清潔感がある。キングサイズベッド
、コーヒ器具、冷蔵庫、電子レンジ、アイロン等の旅にとりあえず必要な物が備わって
いる。アメリカの宿泊料金は一流を好まなければ安いが、一流を条件にして旅をする
場合は宿泊料金は高くつくことになります。
                                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月11日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロングアイランド最北端に達す)・・・15

2015.4.11土 雨 午前6:45
  水戸弁・・・雨が降ってだ、桜はまだ頑張ってんだな、俺も頑張るほかねーな。
  マンハッタンからフリーポートを抜けてシャリーに達し、サウサンプトに達した。もう
先には道は無い。最北端に達したが、何もなかった。私は海原の先を眺め、一入で
悦に入った。空にはカモメ、地べたは白砂、水平線には大型船、波打ち際には貝殻
の景色であった。カモメの鳴き声で我に返り、車に戻りエンジンをかけた。窓からも
しばらく水平線を眺めていた。波の音とカモメの鳴き声だけが聞こえるだけの一人
旅であった。このままここで一生が過ごせたら、どのような人生が送れるだろうか、
ふと考えていた。カモメの鳴き声が我に返させた。返りは南に向かう旅である。
今度はところどころの右側に内海を見ながら帰るのである。マンハッタンに戻るのは
単純であり、ロングアイランドのどこかに泊ろうと思った。全米屈指の富豪の家が
数多くあるという。この家を何軒か見て帰ろうと思い立った。回れ右だが、アメリカで
は回れ左になるわけだ。車を返し、夕日を浴びて帰途に着いた。返りの旅は景色を
良く見ないで運転した。行きの景色の感動と返りの景色の感動は反比例だと思った。
あっという間に100Kmを走り、マンハッタン圏内に入った。富豪らしい家は見られ
なかった。考えてみると、どんな大邸宅でも手の届く家ならば好奇心が出るが、手の
届かない家を見ても無駄だと思った。現実的な私であった。今度はモーテル探しを
始めた。ホリデイインがあった。便利である、目の前にスーパー等の大型店がある。
ここにしようと思い、車を駐車場に入れカウンターに向かった。ホリデイインモーテル
はマーマーの値段であることは知らなかったのである。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月10日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ロングアイランド)・・・14

2015.4.10金  曇天  午前5:00
   水戸弁・・・まだも曇りか、桜見の天気じゃないな、今年の桜見は全部だめになったぺ。
マンハッタンから北へ270Kmのドライブに出た。最初に車を停めたのはジョーンズ
ビーチであった。サメの映画で有名になった浜である。私は浜に降りて、映画の場面を
思い出していた。ジョーズのヒレが海面の海に出て、あの音楽が聞こえてきた気がした。
海は凪ぎていたので、その場面を思い出すのに絶好な日であった。ふと水平線に目をや
ると、彼方に貨物船が大西洋に出ていく姿、空に目をやると5月の五月晴れの真っ青な
空があった。日本から12000km離れた浜で日本、水戸、東海村のことを思い出して
いた。胸の中で里心と冒険心が交錯した。
   浜を上がり、更に最北に進んだ。二車線の道路の脇の小さな砂丘に、浜特有の低い
植物がびっしりと生えている。村松浜と同じような光景をしばらく進んだ。右側は大西洋
で左側が内海である。日本の海岸線とスケールの違いがあった。ごみは散らばってい
ないし、砂もきれいな白砂である。お腹がすいてきたので、ドライブインに寄った。トイレ
で用を足し、何かを食べようと中に入ったが、シーズンオフで営業をしていない。マリー
ナーのオフィスに入るも休みであった。更に、空腹を覚え持参したナビスコで腹を癒し
た。水とナビスコは緊急食あり、アメリカではいつも持参していた。
    一寸の休憩後、更に前に進んだ。目指すは最北端の岬である。出会う車が無くなっ
た。私の後をカモメがガーガー泣きながらついてきたような気がした。先ほどナビスコ
をあげたからである。これで一人旅で無くなった。太陽と私、私の影と車、カモメが仲間
に入ったので5人旅になった。淋しくない旅を何時まで続けられるか。
                                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月9日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューヨークから出る)・・・13

2015.4.9木 快晴 午前6:40
   水戸弁・・・寝すぎてしまったぺ、慌てて起きたらよ午前6:40だ・・・、散歩にはいがねーよ。
マンハッタンの中を彷徨っていると飽きてくる。遠方に出たくなり、地図を眺めると、北に行け
ばボストン、ポートランドに行ける。西に向かえばサンフランシスコだ。東は大西洋の海原で
南に行けばマイアミである。私の第一回目のニューヨークから出る旅をしてみようと思い北
に向かった。友人のロングアイランドに向かえと言うアドバイスを受けたからである。
   友人に日帰りで帰れる道のりだと言われ安心して北に向かった。マンハッタンから往復
370mの距離である。R678に乗り、右に大西洋を見て左に内海を見ながら北に向かう
のである。見慣れない左右上下の全ての景色の中を、走ることになった緊張感がたまら
ず良かった。アメリカにいる人から見ると、なんてことのない行程だが、私は一人旅だか
ら頼りは私だけになる。少ない頭脳で考えてみても、あらゆる危険は予想できないのだと
往生した。小学生か中学生の頃、卒業の言葉ということで何かで知った言葉「世の中を度胸
7分、腕3分で渡る」と勇ましい言葉を思い出しながら向かった。
  初めてのことばかりであった。左ハンドル、右側通行、給油方法、ロータリー回転、車内の
計器類操作等々、大変でしたが、しばらくすると周りを見渡す余裕が出てきた。一時間を過ぎ
たあたりでの地名に「ジョーンズビーチ」があった。三度見た映画のジョーズを思い出した。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


2015年4月8日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタン出来事20話)・・・12

2015.4.8水 雨 午前6:00
   水戸弁・・・朝から雨だっぺ、うだから外に出ねいでいんだーよ。桜もかわいそうだっぺな。
マンハッタン島内での面白く可笑しい出来事を羅列してみます。①セントラル公園が広すぎ
て飽きたこと②貿易センタービルの下の車内で弁当を食べていたらポリスに駐車違反で追
い立てられた③車内に鍵を入れロックし大騒ぎしたこと④忘れた車のドアをニューヨーク市
警に開けてもらったこと⑤ロングアイランドのジョンーズビーチでジョーズに会えなかったこと
⑥最初のニューヨークで言語不自由により立ちソバで夕食をしたこと⑦貿易ビルの最上階で
親類が働いていたことを知らないでいたこと⑧右も左も分からず終日彷徨っていたこと⑨
初めてのレンタカー運転でアメリカ人から怒鳴られたこと⑩得体のしれない日本人から
カモにされそうになったこと⑪白人弁護士から照沼銀行と言われたこと⑫モーテルので
クリーニングをダメにされたこと⑬白人資本家グループのギャンブル仲間に入れなかった
こと⑭モーテルに善人として泊ったこと⑮上鮨を食べていたら隣席で餃子を食べていた
カップルがいたこと⑯マンハッタン島から出られないで終日彷徨ったこと⑰大富豪が住んで
いたゴールド色内の家に居候したこと⑱スーパーの駐車場で練習運転をしたこと⑲居酒屋
で食べた鰺開きがデカかいこと⑳大西洋の海水を舐めてみようと思ったこと㉑明日から再
度記します。
   何時も色々あったが結構無事に帰れたことが最高のお土産でした。体に傷は負ったこと
は無く、財物も奪われたこともなく、腹痛も頭通も無く、情けや天候で行く先を変えたことも
無く、何時も楽しく平和な旅をアメリカ中国大陸でやっています。本当にラッキーな私と思い
ます。ラッキー維持の原因は天照大神だと思っています。その神は伊勢神宮ですが、茨城
のあるところに鎮座していますので、神頼みのストリーの時にお披露目します。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


2015年4月7日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタンの方向探知)・・・11

2015.4.7火 雨 午前5:00
   水戸弁・・・朝からよー雨が降ってから早朝散歩はでぎねーべと思ったぺーよ。
   最初にニューヨークに行った時にひどく疲れた。なぜかと疑問を抱き続け旅を続けていた。
ハッと閃いた原因は、ニューヨークの東西南北が全く分からないで彷徨っていたので、疲れ
るのでないかと考えた。北をひと先ず探せば全方向が分かると思い、船乗りに聞いた話の
動かない北極星を見つけようと、ビルの谷間から見渡したが、ネオンの海に埋もれた谷間
からは探せなかった。後で考えると、見えるわけがなかった。次に、南十字星を探したがこの
星も見えるわけがなかった。次の日に磁石を買い北を定めてからニューヨークを彷徨った。
全然楽になった感覚で、あちこちを歩いた。ロングアイランドのジョーンズビーチに行き、更に
奥のアメリカの作家が多く住んでいる突先までドライブができた。ジョーンズビーチでは浜に
降りて砂遊びを楽しんだ。目線水平まで飛んでくるカモメを見て鳥になりたくなった。日本の
思い出が頭を過った。磁石のおかげでヤンキースタジウムや友人の家に容易に行けるよう
になった。磁石は中国で発見されたものである。広大な大陸で戦争をする場合は、自分の
位置や敵の方向を探るのに使用されたらしい。磁気を帯びた石を器の中に浮かべ、東西南
北を定めたようだ。
   後に中国大陸を彷徨っている時に自分なりの方法を見つけた。中国の揚子江沿いに仕事
に行っている時に、訪ねる相手方の方角が分からないで困った時があった。人家の窓から
ヒントを得た。人間の家はどこでも太陽を南西に取り付けるのでないかと考え、人家の窓の
方向から東西南北を推測した。一つの方法から次々に方角を定める方法を楽しく研究する
ことが出来た。窓、太陽、月、風の方向、木々の枝の向き、人の影等、旅先での楽しみが
増えた。
   大陸での方向探知は楽しい。砂漠での夜空、終日車と会えない原野、太陽がきつい湿地、
疲れないで彷徨う方法の何種類かを今までの旅で発見しました。今後のブログでお披露目
して行こうと思っています。
   明日はマンハッタン周辺での出来事を記します。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


2015年4月5日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタンの駐車場と駐車違反)・・・10

2015.4.6月 曇天 午前6:50
   水戸弁・・・今日は俺の誕生日だっぺが桜の下を更にかと思い散歩をしたど。今日から
最初の一行は水戸弁で記します
    マンハッタン内は駐車場があまりないと思っていたので、いつも駐車違反をして観光に
望んでいた。最近になってそうでもないことが分かった。それは次の出来事を経験した
からである。ニューヨークマンハッタン内の運転歴は通算で6回になります。最初は緊張
感がトップレベルまできたほどの運転をしていたので、Pの標識があまり目に入らなかっ
たのであるが、慣れるに従って観察眼に余裕が出てきたのである。50歳の初回の運転は
何が何でも事故を起こさない心境、2回目は周りの景色が見えたこと、3回目はラジオ
を聞き景色が楽しめたこと、4回目になると同乗者に冗談が言えたこと等、運転技術は
進歩したので、周りの景色や標識を見る余裕が出来たことから記します。マンハッタン
の駐車料金は不思議だが銀座と同じくらいであった。駐車場所は道路沿いにある公的
機関が経営するものや私的企業が経営するもの等がある。出費を気にしなければどこ
で求められると思うが、出費が嫌だとするならば同乗者が交代で観光をすることになる。
私は一人の場合は、有料駐車場に停めますが、同乗者がいた場合は交代で観光を
しました。巡回のポリスがきた場合は留守番が車を動かし、携帯で連絡を取り合い、
落ち合う場所を確定して同乗者を拾い合流します。マンハッタンは碁盤の目のような街
だから合流は比較的楽にできました。私のアメリカでの経験は駐車違反が1回、ポリス
の注意が1回、駐車違反寸前指導が1回、キーを車内に忘れポリスに開けてもらう、
追い越し車線違反注意が1回だけで極めて優秀な運転成績を誇ります。笑笑笑
    明日はマンハッタン内からの方向探知編を経験上から記します。
                                        アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月4日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(マンハッタン内を彷徨)・・・9

2015.4.4土 曇天 午前7:00
   桜の木々が微風に揺れ鉛色の空が厚く被った朝の散歩道は意気揚々とは歩けなかった。
マンハッタン島は山手線内ほどの広さで南前方に自由の女神があり、右側の河はハドソンリ
バーで左側の河はイーストリバーである。原則的には南北を走るのはアベニューで東西を
走るのはストリートである。この決まりを知っておくとマンハッタンンで迷子にはならない。
    アップタウンはアフリカ系とスパニッシュ系アメリカ人多い。セントラルパークやメトロポリ
タン美術館などがある。ミッドタウンは劇場やレストランが軒を連ね、ホテルも多い。
ダウンタウンは閑静な住宅街や高級ブッテック等があり、全米で最大の中華街や悲惨な
事故にあったワールドトレードセンターもある。
    ニューヨークから他の州に行くには、長距離バスがあり36ラインモあるので空港や近隣
都市に行くにはとても便利である。、鉄道はマデソンスクエアガーデンの地下にあり、駅名
はペンシルバニア駅という。アムトラック、NJトランジェット、ロングアイランド鉄道が乗り入れ
、一日60万人が利用する駅である。市内の交通手段には地下鉄やバスを使うと便利である。
タクシーを使うには多少の英語を知っておいたほうが便利である。チップや料金などの
煩わしさを日本人は感じるので、急ぎの時だけ使うようにしたほうが良いでしょう。
   レンタカーでマンハッタンに入った経験は5回ほどあるので、マンハッタン内での食事や
観光の時の駐車場の見つけ方や停め方を次回に記します。
                                           アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月3日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(車でマンハッタンに向かう)・・・8

2015.4.3金  曇り 午前4:00
   夜明け前に咳が出て目を覚ましてコーヒーを友に眠れないままに世俗を考えています。
レンタカーの器具操作をひとどおり終わると逸る気持ちから外に出たくなります。最後に
もう一度、運転に関するあらゆることを反すうして、エンジンをスタートさせます。日本と
全く反対になることを頭に念じながら発車します。レンタカー会社の駐車場から出るときに
も係員が、レンタ契約書と国際免許証の検査をもとめますので、いつでも出せるように
運転席の横に出しておいてください。そうしておかないと提示が遅くて後続車のクラクショ
ン催促を受けてしまう場合があります。駐車場の係員の確認が終わると、気持ちよく係員
が笑顔で送り出してくれます。係員のこれらの気持ち良い動作は会社の教育でしょう。
とにかくハーツレンタカーの応対は日本人の我々に自然体で気持ち良かったです。
   日本とアメリカの運転の違いは、すべてが反対になることですから、常に頭に入れて
運転をしなければなりません。一般道に出た時の30分は緊張の連続になります。真っすぐ
前を見て、同乗者と話などせず、車線変更の場合は五感全部を使用して走ります。スピー
ドは絶対に出さずに走ります。一定時間が過ぎると慣れてきますが、油断大敵の気持ちを
もって走らなくてはなりません。マンハッタンに入る方法は、セットしたナビを頼りに入る方法
と遠くに見える摩天楼を目標にして入る方法がありますが、私はいつも両方を頼りにして
走ります。時には街の中心に出たり、北側から入ったりしています。些事構うべからずの
方針で旅をしないと、私は疲れてしまうからです。走り出して小一時間を過ぎると、マンハッ
タンが車内の窓から間近に見えるようになります。忙しく歩くビジネスマンや世界からの
観光客のそぞろ歩きを見ながらの運転は気を使わなくてなりません。事故に注意を払って
更に島内を彷徨います。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年4月1日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(レンタカーの事前操作)・・・7

2015.4.2 木 晴れ 午前7:00
    昨夜の雨で花が落ちたか心配であったが早咲きが出来ないでいた桜に影響はなかった。
明日はゴルフに10時までに参集しなければならないので早め(前日の夜」に記します。
    レンタカー会社のカウンターで手続きは終わると鍵を渡たされ、その時に駐車場所の
NOを言われます。私は最初の時に言われた四桁の数字は車のNOだと早とちりをし、
車の場所になかなか行けなかったことがあります。駐車場内を右往左往して10分後にレ
ントした車に出会えました。アメリカでの英語不足の典型的なミスです。カウンターから言
われたら車のNOでなく、駐車場の番号ですから気をつけましょう。そのナンバーは地面に
書いてあることが普通です。
   自分が借りた車の場所に行けたら次に何をすべきか説明をしてみます。先ず当然で
すがドアを開けます。中に座りギヤの位置Pを確かめ、サイドブレーキを掛け、エンジン
をかけ、ハンドルを握り、方向器、ライト関係、ウオシャー、バックミラーの位置、ルーム
ミラーを見やすく移動し、その他出来るだけの計器の検証を行います。これらの作業に
20分前後を要しますが、必ず時間を気にしないで行うのが、逸る気持ちを抑えることに
なり、事故防止につながります。ここで日本と違うのは、左ハンドル、方向機も左手操作
となり、すべてが反対になるのだということです。右側通行、右折、左折、踏切のルール
等の交通ルールブックを読んでおくことは絶対必要といえるでしょう。間違うと大きな
事故になってしまい、旅の楽しさを失うことになります。例えば、直進の細い道で相手
の車とぶつかりそうになったら、日本人はハンドルを左に切り避けようとします。アメリカ
人はハンドルを右に切り避けようとします。相手は右でこちらは左ですから、当然に
正面衝突です。このようにアメリカでの運転は基本的に大事故になる恐れがありますの
で、事前の勉強が必要です。
                                              アメ リカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 
アメリカでの事故は怖い

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ケネデイ空港を出る)・・・6

2015.4.1水 曇り 午前6:40
  梅が頑張って咲きコブシも真っ白く咲き桜の番だとジワリジワリ咲き始めた朝の散歩
道でした。ケネデイ空港を出るとマンハッタンまで27Kmである。タクシーかレンタカー
又はバスなどでマンハッタンに行ける。後々便利なので私の場合はハーツかダラーレ
ンタカーを利用します。そのレンタカー会社に行く方法は、高架にある無料の空港の
電車に乗ります。手荷物を持ってエレベーターで三階に上がり、数分おきに来る右回
りの電車で三つ目くらいの駅に降りるとレンタカー会社群があります。電車の窓から
遠方にレンタカー会社の看板も見えるのでオタオタする必要はありません。乗りすぎ
てもぐるぐる回っているので、同じところに来ますから、落ち着いていれば行けなくは
なりません。レンタカー会社のカウンターでは列を作り並びます。ここで出来ればいき
なり行くのでなく、日本からネットで予約をしておくのが便利です。予約をしておけば、
書類作成の手間が随分省けます。このカウンターでの時間を節約することは旅の出
足に大きく影響をします。何事もスムースになるとツキを呼び込むことになります。日
本から車種と期間、それに保険、ベビーチェア、返却場所など細かしいいことまで注
文できますので、必ず行く前に日本での予約が良いと思います。
   明日はレンタカーを発車するまでを記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
クリントン大統領の生家の玄関で