2014年2月24日月曜日

1991年から2014年の華中(杭州西湖)・・・64

2014.2.24月 曇天 午前7:10
 日本人は始めて中国に行くと杭州と蘇州に立ち寄る傾向が多い。理由は、中国の2大天国といわれているからである。私は数え切れないほど両方の町に行った。比べれば、杭州の方が多かったであろう。私は蘇州を表現すれば、「臥薪嘗胆の故郷で西施のいた蘇州」となります。一方、西湖を表現すれば、「水戸市の千波湖のモデルといわれるが、手の入れ方の違いと広さは比べもの
にならない」といえます。私は蘇州より西湖の方が好きです。一時的に歴史の中心となった時もある南宋の都でした。西湖の湖畔に歴史上の有名な人物の像や岳飛を記念した堂も立っています
が、湖畔の昔ながらの食堂に入ると、日本のタクアンに似た漬物や、ラーメンの原形であったと思われる麺等は大変美味です。昔の毛沢東と林彪の別荘がありますが、今はホテルになっていて、
政府高官の保養地となっています。このようにかずかずの名所旧跡がありますが、西のほうに
天目山があり、陶器を持ち込んだ僧の修行寺の遺跡もたたずんでいます。明日は更に杭州周辺を
記します。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年2月22日土曜日

1997年から2014年のアメリカ(ハイウエー上の昼食)・・・63

2014.2.22土 快晴 午前7:00
 今日は午前5:30早朝散歩のスタート時間でした。真っ白な霜の道を1時間ほど歩く途中で、柔軟体操とヒンズースクワット、加えて腹筋運動30回ほどをこなして帰りました。散歩の途中でアメリカの想い出を考えて歩きました。とにかく、大陸は人間にパワーをくれます。
 今回はハイウエー上での昼食の形態を記します。アメリカのハイウエーは、大陸上を縦横に巡らしています。全く食事処のないハイウエーもあれば、見事なレストランが揃っているハイウエーもあります。更に厳密に分ければ、一度降りて食べる食事処や降りないで食べられるハイウエーもあります。降りて食べる食事処は、民間経営が殆どです。降りないで食べる食事処は、何らかの形で
公的経営と思います。経験からすれば、味は一長一短でその日のツキが、その日の味の一長一短になります。私の場合は、あまりこれやあれやと考えるタイプでないので、とにかく目に入ったら
その食堂に入るようにしています。考えないで入る、そして、そのツキを楽しみます。美味しかったら、更にツキを伸ばし、まずかったらその日の活動は控え目にする。私のハイウエー上のツキは
フィフティーフィフティーでしたが、思うに人生のツキもそのようなのかと見極めていますので、
私は何時もハッピーです。このハッピー感から全てを処理していますので、まずいものに出会っても、不幸感は湧きでてきません。笑笑笑  明日からは中国になります。
                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                
世にも不思議な生活をしている人の山中の家
また行った見たい空間

2014年2月16日日曜日

1997年から2014年のアメリカ(アメリカ早朝ウォーキング)・・・62

2014.2.16日 快晴 午前7:00
 冬の嵐が立ち去り、お天とうさまがキラキラと昇り始めています。青空はこんなに綺麗だったかと
思っています。今日は従兄の長男の結婚式に参加します。多分長老としての立場での参加です。
何やら自分の年齢を淋しくも思い、冬の寒さを幾重にも感じています。
 
 さて、アメリカの早朝散歩はララミー市で実行したことは、前回に記しましたが、住宅街に入ったところで時間が無く終わりになりましたので続きを記します。
 アメリカの住宅街は整然と足並みがそろった住宅が多いです。敷地に塀が無く、芝は連帯責任みたいに刈りこまれ、庭の木々も同じくらいの高さとなり、屋根の色や壁の色も近所隣りと同じくそろっていました。気がついたことは、分譲された住居群は同じようになっていますが、昔からある住宅はそうではありません。自分の先祖の出身地の家を模倣して作っているようです。イギリスやオランダ、イタリヤ等に先祖を持つ昔からの家は、そのような感じで作られているようでした。住宅群の
日本との違いは、玄関周りがひっそっりとしていることです。プライバシーを犯さず、守ることは白人種のDNAなのかと思いました。頑としてプラィバーシの侵害は受け付けません。頑なにドアが千錠されていますし、庭先で遊ぶ子供もあまり見かけませんでした。あらゆる危険から身を守るセンスを持つアメリカ人のその原因は、アメリカ開拓史にあるのかなと思いました。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ホワイトハウス周辺に遊んだ早春

2014年2月12日水曜日

1997年から2014年のアメリカ(アメリカ早朝のウオーキング)・・・61

2014.2.12水 曇り 午前7:30
 アメリカでの早朝散歩はララミー市で実行しました。暗いうちに起き、1時間の散歩に出かけました。散歩の服装は通常のスポーツスタイルでしたが、念のため護身用具を持ちました。広い大きな住宅街の公道をまっすぐに歩き続けましたところ、何やら前方から大きな人が歩いてきます。どうやら目を凝らして見ると、相手も早朝の散歩のようです。私は朝の挨拶でもしようと真っ直ぐに歩いて行きましたが、相手は私を避けて右にそれて行きましたので、挨拶はできませんでした。思うに、暗いうちの歩行者には、酔っ払いか、アウトローしかいませんから、君子危うきに近寄らずは、アメリカもかなと思いました。住宅街を抜けて歩いて行くと、その町の繁華街に出ました。繁華街の明け方の残骸を観察しながら歩きました。繁華街のゴミはすごく出ているのかと思いましたが、そうでもなく、綺麗になっていました。日本みたいに居酒屋とか寿司屋みたいな生ゴミは出ないのでしよう。その代わりに、ウイスキー瓶やワイン瓶が雑多に出されていました。帰り道に住宅街を歩いた時にアメリカ人の家庭事情を垣間見ましたが、時間無く、明日に続きます。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年2月9日日曜日

1997年から2014年のアメリカ(早朝のウォーキング)・・・60

2014.2.9日 快晴 午後4:00

 昨夜から降り続いた雪が止み、辺り一面は銀世界の朝でした。楽しみにしていた早朝のウオーキングに出た。誰も踏んでいない雪の上に私の足跡を着けるのが、雪が降った時の念願でした。過去数年間で、一度もこの経験ができないでいた。一昨年は早朝の5時に家を出て足跡を着けようと
田圃の畔道を歩いたが、早い人がいて念願成就にならなかった。去年も同じく着けられなかった。
今年こそはと思い、厳重に防寒具を着けて出た。先ず、自宅から200mの道路には足跡があったが、山道を下り畦道に辿りつくと、何と足跡の無い畦道(3m幅のアスファルト舗装)が私を待っていてくれたのである。山道を下った地点から200m程に足跡のない畦道が太陽に輝いて、「どうぞ」と言わんばかりで、キラキラと輝いていた。約20cmの雪積を長靴をはいた足でドタン、ドタンと歩いた。途中で振返ると、二つの足跡は私を追跡しているように、こっちを見て着いていた。数年間の想いを達し、やったと単純に喜べたが、足跡の無い200mの畦道を横切り、小高い山の下の農道に出たら、やっぱり、いつもの足跡があったのである。人間1人と犬の足跡であり、何時も私の夢を
絶つ足跡であった。小寒でも大寒でも、夏の暑さでも歩いている人の足跡の人は、犬を連れている
健康そうな老けこむ一歩手前の人です。元気にあいさつをくれる人なので、私は今度は次を頼んでみようと感がえています。「頼みますから、雪の早朝に私より早く歩かないで」と、本気に考えています。大雪のためアメリカの早朝ウォーキング経験は明日に掲載します。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年2月8日土曜日

1997年から2014年のアメリカ(モーテルでの夕食)・・・59

2014.2.8土 大雪一向に止まず 午前7:00
 早朝に降った雪は止まないで降り続けています。窓から外の大雪見ながらブログを記しています。さて昨日はモーテルの部屋の利用の仕方を、記せませんでしたから本日ここに記します。
モーテルの設備は最低限でコーヒーポット、コーヒ粉、アイロン台、カップくらいは備えてあります。
私はアメリカ行きの時は、いつも電気式土鍋を持っていきます。モーテルに入る前に、近くのスーパーでハムや野菜などを仕入れて、部屋に入ります。早速、水を入れた電気式土鍋をコンセントに繋いて、野菜やハムを放り込みます。タレは味ポンで十分ですが、薬味は何時も不自由をしてしまいます。そこで、薬味に玉ねぎやネギらしい匂いを持った野菜で代用をしてしまいます。少しすると
煮えてきますので、ゆっくり料理を楽しむなんてできません。鍋料理は忙しく食べるのが、美味しいような気がします。
 私の鍋料理は、ニューヨーク・ニュージャージ・フロリダ・キーウエスト・テキサス・カルフォルニア・全米の6割の土地で食べたような記憶がありますが、腹痛や下痢などのアクシデントはありませんでした。それどころか、アメリカの名の無い田舎のモーテルで鍋の匂いをプンプンさせて食べる日本料理は、とにかく元気になれました。飲み物はアメリカビールやウイスキーですが、酔えば同じ夢を見て寝ることができます。暢気な私は、今までにアメリカでの食事で、アクシデントはありませんでした。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年2月7日金曜日

1997年から2014年のアメリカ(モーテル事情)・・・58

2014.2.7 金 快晴冷え込む 午前7:00
 アメリカに行く度にモーテル宿泊となった。ホテル泊は2回か3回くらいであり、この10年間以上は、アメリカ各州のモーテル泊を続けています。
 宿泊料は様々でヒルトンモーテルとか一流ホテル系列のモーテルは高く、モーテルチエーン店
のモーテルは安いです。5千円以上からの宿泊料がモーテルですが、広い駐車場と多数の部屋数を準備しています。モーテルの経営者は、昔は白人が多かったですが、今はインド人や韓国人の
経営に移ったようです。理由ですが、モーテル経営は休暇のないビジネスでから、家族を犠牲にするので人気のない業種となりました。
 モーテルの利用の仕方は、英語ができなくても簡単に泊まれます。大型モーテルでも受け付けは一つで、駐車場に車を入れないで、オフィスの前で車を止めて、オフィスに入り、カウンターに向かうと、受付員が出てきます。パスポートとカードを出すと、相手は値段を言います。値段は公正価格
ですから、安心してカードを出し、サインをすれば鍵を渡してくれます。言われた部屋の前に車で移動をするか、徒歩で向かうかの方法で部屋に行きます。モーテルは1階建てか2階建てなので、
重い荷物を持っているときは、1階をお願いすると楽できます。
明日はモーテルの部屋の利用の仕方を記します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年2月4日火曜日

1997年から2014年のアメリカ(サンフランシスコの宿泊事情)・・・57

2014.2.4火 曇天 午前7:15
 今朝の空は今にも雪が降りそうな空である。今年は雪を見ないので、一寸は降ってほしい。いざ降ると様々な支障がでて困惑することは分かっているが、雪景色はロマンチックであるから、やはり、雪が降ってほしい。
 本題に戻り、サンフランシスコの宿泊事情を記します。ホテルとモーテルを分けて経験したことを
記します。私は先ずホテルの経験が少なく、モーテルの経験が圧倒的に多かったです。アメリカでのホテルに泊まった数は、想い出しても3回だけで、モーテルの数は50回くらい以上あるはずです。料金面から記すと、ホテルの宿泊料は2万円以上でモーテルの料金は4,000円以上でした。
マンハッタンのホテル料金は5万円なんていうのはザラで、2万円等というのは少なかったです。
私は田舎者で、ただ寝るだけで5万円を払うのは惜しみます。私のアメリカ滞在は約2週間が多いのでモーテル派です。
 時間無く、モーテルの良い点と悪い点を記すのは明日にします。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカの有名な大衆モーテル(ルート6)で日本円5千円くらい

2014年2月2日日曜日

1997年から2014年のアメリカ(サンフランシスコの鮨)・・・56

2014.2.2日 曇り 午前7:00
 サンフランシスコに日本人町があります。その町に日本食で一杯やりたくて出かけました。見事なほどに日本食屋がありました。焼き鳥や、おでんや、定食や、寿司屋等々です。日本人街の真っただ中にいきなり入り、日本食の代表的な寿司屋に入り、値段をみてみると、やはり思ったとおり高い値段がついていました。鮨の上で40ドルからの値段が付いていましたが、ここまで来たので食べてみようと思い、特上鮨とビール1本と日本酒3合を飲んだら100ドル近く取られました。味はマーマーでしたが、何しろ外国で食べる鮨ですから、我慢をして食べました。小さいながらの店でしたが、日本のちょうちん等の小道具を飾って、日本カラーを醸し出していた店でした。握りの職人は
主人で、店内は奥さんとアジア人の女性が働らいている店でした。サンフランシスコに日本人が
何人いるか分かりませんが、あまり忙しくないような店でした。やはり、アメリカも食べ物が大型化
していて、小さい店はその大型店に呑み込まれています。色々な商売の大型化と小型化の差異は
何であろうかとフーッと考えました。
 寿司屋にいたお客は私だけでしたので、そこの主人とお話ができましたが、あまりパッとした人でなく、私の話に乗ってきませんでした。話に乗ってくれれば、その店の売り上げ協力を多少出来たのにと思いました。寿司屋の話は、これ以上のことはありませんでした。
 明日はサンフランシスコの宿泊事情を掲載します。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アフリカドバイで1000万円の値がついた干し鮑
アメリカの富裕層の自慢品