2016年12月15日木曜日

照沼重輝の中国彷徨記(毛沢東の西湖別荘泊)・・・16

2016.12.15 木 快晴 午後3:44
 西湖河畔の毛沢東の別荘に中国外交官のお世話で泊まった。中国地図にも杭州市
地図にも載っていない。タクシーの運転士では連れて行って貰えない。なぜ地図に載っ
ていないかの理由は、毛沢東は絶えず狙われるので、中国政府が載せなかったと言う
のである。俺はこの宿舎に日本車の自家用車で入った。案の定、正門に中国軍人の
制服を着た歩哨が、宿泊する人を誰何するのである。おまけに歩哨兵が2時間おきに
巡察もしている。正宿舎に行って宿帳の記帳をしてから、小さい小屋に行き、勘定と
正式記録をする。そこで部屋を割り振られることになる。ホテル風の建屋かコテージを
割り当てらるが、希望すればそこの部屋に行けると言うわけでもない。ホテルの部屋か、
毛沢東が愛用したコテージ風建物かは、運次第となる。俺は運良くコテージに数回ほど
泊まれた。コテージの広さは60㎡の広さがあり、ベッドは超キングサイズ、バスルーム
は25㎡くらいの広さで、スポーツ器具も取り揃えてある。ベッドのシーツは申し分なしの
清潔さ、但し、ベッドの高さが欧米人向きの高さ、日本人の俺には少々不便であった。
夜半に起きて窓から外を眺めた時があったが、歩哨兵6名が銃を肩にしてイーアール
サンスーと掛け声を揚げて通り過ぎる場面に出会った時があった。西湖の湖畔まで
10mの距離に立っているコテージであったので、窓の先に歩哨兵と美しい夏の水面が
妙なコントラストであったことを思い出す。この宿舎は中央高級役人と地方高級役人だけ
が利用できる宿舎のようである。俺は中央の伝手でこの宿舎に日本人を何度か泊めた
ことがあったが、皆さん全員が感激をしてくれた。夜半に目を覚まし、寝つけづ、背の高
い窓から西湖の最高の景色を一人ボンヤリ眺め、中国の歴史と詩人の偉大な漢詩を声
を出して、朗読したことがあった。「烏鳴いて霜天に満つ、江風漁火、・・・・の寒山寺、
夜半の・・・・・に至る」俺も同じ気分になり、寝つけなくなってしまったことを思い出した。
中国の旅が何時も淋しくなるのは何でだろうか? 長い長い重い歴史を背負っている
からであろうか。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

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