2015年3月16日月曜日

2105年の中国計画(恵果は空海への教えを急ぐ)・・・75

2015.3.16月 快晴 午前6:45
  恵果は余命幾ばくも無かったので、空海への教えを急いだ。潅頂の秘儀を空海は恵果に従い、滞りなく、印を結び真言を唱え、いくつもの作法所作を違えることなかった。6月上旬から8月上旬
までの練習のおかげであった。
    空海は、一介の私費留学生から一躍阿闍梨の師位を得て、真言付法の第八組遍照金剛となった。空海がこれまで積み重ねてきた全てが一気に結実したのである。しかし、恵果の下で何年も
修行を積み重ねていても未だ潅頂に浴しない者の多くを飛び越えての潅頂であったから、周りの
不平不満が渦巻いたであろう。恵果は周りに構わず、曼荼羅や密法具を制作を命じ、空海に与え、この法をすぐに日本に持ち帰り、それを弘めなさい、それが私えの報恩になるといわれたそうです。
   空海の帰国準備が忙しく始まった。空海は持ち帰れるあらゆるものを収集し始めた。橘逸勢
(日本留学生)は「君は国禁を犯してまですぐ帰るつもりか」と言ったであろう。幸いに日本から
判官の高階真人遠成が単独で朝貢のために入唐していた。
  空海は判官に直接の面会をし、帰国の許可を特別にもらった。如何に国家のために有益かを
必死に説いたに違いない。
    そうこうする間に、暮れの12月15日に恵果が没した。空海の長安を辞した日は不明であるが、
その年の4月には浙江にいたのが分かっているので、2月中旬から下旬には長安を発っていた
と推測できる。
                                              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

1 件のコメント:

  1. 空海みたいに能力があれば天辺まで上がれるだろう。しかし、無理ならば空海を少々勉強して、天辺に一歩でも向かいたい。
    朝ボケの俺だ。

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