2015.3.12木 快晴 午前7:00
空海は担当官史の案内で寄宿先の西明寺に入った。空海が案内された部屋はなんと永忠が30年前に使った部屋であった。西明寺の西北の角を交差して渡ると「西市」があり、ここはシルクロードを通ってくる西域の様々な文物が陳列されている大バザールであった。雑多な人種と言葉と宗教
と服飾と生活文化が同時に入りこんでいた。当時の長安には90を超える寺や15ほどの道教院その他に2つのキリスト教寺院、4つのイスラム教の寺などがあったという。中国独自の道教はさほど振るわず、外来の宗教が道教を圧倒していたと思われるが、朝廷をはじめ中国人は依然政治や生活の根底で道教を信奉していた。
空海は、水を得た魚のように毎日諸寺を訪ね歩いていたはずである。玄奨三蔵の要請で
建てられた大雁塔も仰ぎ見たりしていたと思う。私もこの大雁塔を仰ぎ見たことがある。空海とは
地べたと大空の違いがあるが、恐れ多くもこの塔を仰ぎ見てしまった。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
0 件のコメント:
コメントを投稿