馬尾江(水路)・・・170km南平・・・武夷山(陸路)・・・江山(陸路)・・・建徳(陸路)・・・480km冨陽(水路)・・・50km杭州(陸路)の行路で行ったらしい。それは山岳道を上ったり下りたりして、悪戦苦闘しながら、自ら励まして突破したはずである。この山中で空海は携行用の非常食として、高野豆腐を教えられたという伝説がある。空海たちは日に夜を継いで歩いたのである。歩けなくなる役人、随行員が続出したはずであるが、空海の鍛え方は並みでなく、平然としていたはずである。
やっと杭州に着き、空海たちはここで休息をとったと思われる。杭州では西湖に行き、五感を
養生した。近くの開元寺や近くの古刹にを訪ね歩いたのでないか。休養の後、空海たちは北汽洋
湖にある運河の発着場から船で蘇州に向かい、そこから京杭大運河を利用する道をとって西安を
目指したとあります。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝
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