2016年1月16日土曜日

照沼重輝の中国彷徨(松江の公園)・・・8

2016.1.16土 天気不明 午前5:16
 水戸弁で・・・俺は早朝散歩に出たくてうづうづしながら、その真っ暗闇を時々覗く。
車はホテルの黒塗りハイヤーで松江に向かった。松江の公園は整備中であったが、
綺麗になっていたので中に入ってみた。入り口で入場料を払い、公園内の道に沿って
奥に歩いた。社らしきものがあったので中を眺めた。思わぬものを目にしたので、社の
中に入り、それをしげしげと眺めたら、何とそれは水戸光圀公の若き頃の画像であった。
昔の本で読んだが、水戸光圀公が中国の亡命学者の朱舜水を水戸藩の指導学者と
して迎え入れた時代があったようだ。俺は水戸で働いているので、時おり朱舜水の
ことが話題になり、耳にしていたので知っていた。
 しかし、中国内では朱舜水はそれほど有名ではなかった。出会った知識的中国人に
彼の話をしてみてもチンプンカンプンであった。そのような時は、漢詩の寒山寺を紙に
書いてみると、中国人は必ず親指を立てて喜んでくれた。さて、社の中には売店が
あり、中国的な何かを売っていた。覗くと扇子や筆類や記念切手、それに絵葉書など
を売っていた。売り子が退屈そうに、売り物の上に両手を被せて楽な体形で私を
眺めていた。その彼女に笑顔で近づき臨時に教わった「ニーハオー」と挨拶をした。
その彼女は発音の悪さに驚いたのか、それとも外国人風の俺に驚いたのか、分から
ないが、複雑な表情を帰ってきた。俺は目をそらさず、彼女をジーッと見て「ウオー
シーリーペンレン」と名乗ったら、彼女は頷いてくれた。服装を観察すると、日本の
昭和30年代の服装をしていた。俺は更に光圀公の画像を眺めながら、周囲の観察を
した。この社は100年近く立ち続けるているような古めかしさを持っていた。色々な
中国の歴史の立会人でもあるのだなとふと思った。俺も更に中国の歴史に触れて
みたい欲が出てきてしまった。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
寧波の港・昔の旅仕度と思われる像





0 件のコメント:

コメントを投稿