2013年12月18日水曜日

1997年から2013年のアメリカ(始めての横断6000km)・・・27

2013.12.18水 曇天 午前7:00
 やや長く中国を掲載していたのでアメリカ編にします。ニューヨーク行きを2度ほど重ねたので、
今度はニューヨークからサンフランシスコの横断をしてやろうと2008年の頃に考えました。片道の距離は約6,000km、使用車両はRV者、予定日数は12日、一日の走行予定は500km、泊まるところはモーテル、野宿も視野、食事は粗食、概算費用は50万円、高い費用は一切NO・GOODの方針、基本は一人旅、残していく家庭の心配はあえてしない、アメリカの家庭や田舎暮らしの環境、流行っているビジネス、庶民の暮らし等をつぶさに見ようの好奇心、季節は秋等の方針を密かに決めました。毎日5時に起きて体力作りを始め、運動後の朝の時間をアメリカの事前調査に充てました。好奇心が先頭に立ち、心配ごとは全く考えない計画でした。
 第一番目の計画になるのは飛行機会社を選ぶことです。どこの飛行機会社が有利か安いかを
色々調べました。明日からは飛行機会社の選定を掲載します。
                  

アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月17日火曜日

1991年から2013年の華中(杭州の幽谷深山)・・・26

2013.12.17火 快晴 午前7:00
 杭州の幽谷深山のなかで考えたことは、中国大陸は広い、日本の25倍の面積を持っているのだ。だから、歴史上の有名人が輩出するのだろうと思いました。山にある木々や石を日本と比べても、雲泥の差があります。谷川を覗くと大石の大きさが日本の比でなく、相当に大きいのだ。木々を見ても太くはないが、背が高いのである。やはり、広い土地には大きなものが相応しく、出来てくるのだと考えました。
 単純な発想であるが、大陸を歩くときは日本の25倍の物差しを用意して歩くべきです。距離感や
発想が全て大きい中国大陸です。もちろん大きな人物も沢山いるので、私はその勉強ができるから、絶えず中国やアメリカ大陸に旅行してしまうのです。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
杭州山荘の大きな河原石と轟音を轟かせる渓流

2013年12月16日月曜日

1991年から2013年の華中(風雅な山中の遊び)・・・25

2013.12.16月 快晴 午前7:20
 上海から杭州に至り、そして高い山奥に入り、更に深山幽谷での風雅な遊びと奇妙な経験をした時を記しています。
 初夏、蝉がまだ出ない山中の山荘に泊まりました。山荘の前に日本では見られないような谷川が流れていました。一寸雨が降るとドロローン、ドロローンと奇妙な音を立てて、大水が眼下にある里に流れて行きます。山水は天から流れてくるように見える谷川です。その谷を跨ぐようにせり出ている食堂で夕食を取らされました。谷の下からはドローローンと流音が聞こえてきます。フッと悪い予測をしたら、その田舎中華料理は進まなくなってしまいます。窓から山中の天を仰いで食べるようにしました。正に「頭を上げて食し、頭を垂れて地獄を思う」の感でした。この食堂の写真を掲載します。明日は食事中の俗界を離れた思考を深く記してみます。
                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                  
 
杭州深山の谷川を跨いだ恐怖食堂

2013年12月14日土曜日

1991年から2013年の華中(周辺の小旅行)・・・24

2013.12.14土 快晴 午前5:20
 昨日からの続きですが、突然に温かい雨が降り、山荘前の谷川の水嵩が増え、奇妙な音を立て大量の雨水が流れてきました。私は山荘の庭先を、その奇妙な音を立てる原因を見極めたく、獣道みたいな桟道を恐る恐る登って行きました。あたりは真っ暗闇のうえ、崖ぷっちの桟道ですから、強い目的意識を持って登らないと、辿りつけません。五体どころか脳味噌にまで力を入れて、勇気までおまけをつけて登って行きました。奇妙な原因の音は、日本では考えられないような谷川の大きな石の塊りと、極端に曲がる川の流れ、滝壺の多さやその深さの複合的原因のようでした。山荘の庭先まではLED電燈に照らされた街灯でしたから、周りは見えたのですが、桟道から先は遠くなる山荘の明かりが頼り、辺りがだんだん暗くなり不安感が先に立った桟道の冒険となりました。悪いことを考えると悪いことが起きるので、その桟道を登っている時の私は、今までに見たことのない桃源郷が現れるのでないかと、期待に胸を膨らませて登りました。何時も中国を旅しているときは、悪い予感をしません。とんでもない良い期待を持って旅をしています。おかげで、とんでもない悪いことは、今までに起きていません。私はとんでもない目にあったことが無いのです。天の神様に感謝しーます。
 明日は崖ぷっちの食堂を掲載します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

杭州・深山幽谷の天から降りてくる桟道沿いの谷川 2010年初夏

2013年12月13日金曜日

1991年から2013年の華中(周辺の小旅行)・・・23

2013.12.13金 快晴 午前7:00
 数年前の初夏に華中の周辺へ不思議な旅行をしました。場所は杭州の山奥の清流が流れる山荘に泊まり、深山の中での不思議な経験と、一か所だけにあるカラオケハウスで戯れた時の話です。杭州の山奥の細道をどんどん上がり、天まで届く一歩手前の山を背にした山荘に着き、旅装を解いたころに夕闇が寄ってきます。同時にLEDの眩い光が、複数の木々の天から降ってきました。山荘の女性が滝の上にある東屋に夕食をと案内をしてくれました。案内をされるままに東屋に入ると、何と東屋の下は崖で、崖下を見ながらの食事は、不思議な気分、口に運んだ料理は絶品の中華料理の筈ですが、何を食べたかは覚えてないほどの崖ぷっちの場所でした。中国の建築法を信じていないわけではないですが、とてもゆっくりした場所での食事とは言えませんでした。次に、夏の夜の山中はよく雨が降るようです。ザーと大雨が降り、同時に谷川を滑る雨水の音が無気味に聞こえると、同時にドロローン、ドロローンと青白き光の向こうから白装束の何かが出てくるような雰囲気に見舞われてしまいました。この続きはあす以降にします。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝



 
人恋しい深山の山荘と崖の上での夕食場所

2013年12月11日水曜日

1991年から2013年までの中国(上海周辺)・・・22

2013.12.11水 快晴 午前7:20
 揚子江沿いの町で南通と無錫、それに蘇州周辺を周ってきました。凄かったのはスモッグで何処にも現れていました。100mから先が見えにくく、自動車の運転は大変でしたが、郁君の運転で無事に商談をこなしてきました。端的にこのスモッグを表現すると、目から涙、喉はひりひりでした。
思うに、中国は何故毎年ながら改善をしないのだろうか。このスモッグを無くす産業が、中国の来年のキーワードかなと思いました。揚子江に架かっている全ての橋の上から見る揚子江の川面
は全く見えません。深い谷底の眺めのようでした。その国の発展と環境汚染は、地球の深刻な問題です。
上海に戻り、美味しい和食を食べたが、昼間に体験したスモッグを思い出したら、「炭小屋の中で味わったような和食の味」でした。興ざめした和食で夕食を済ませ、外に出るといくらかの風で
スモッグは東の日本方面に飛んで行ったようです。中国の友人が「照沼は日本までスモッグを追いかけて行くようだ」と冷やかされました。ブラックジョークは、心に傷を負ってしまいます。次回は
明るい話にしましょうか。
               アメリカ・アジア大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 
                スモッグに泣く太陽と青空と木々・・・南通市

2013年12月6日金曜日

1991年から2013年までの南通市と無錫市の様相・・・21

2013.12.6金 曇り 午前7:30
 11月30日~12月3日間で上海市、南通市、無錫市、蘇州市を商用で廻ってきました。商用の内容はソーラー装置の取引商談です。1991年に行った南通市は一転し工場群になっていました。
無錫市も同じで大きな工業団地があっちこっちにあり、蘇州市も同じしたが、上海市等の工場群は減少傾向のようでした。華中のPM2.5の被害は深刻です。この目で見てきましたが、視界不良、
太陽光は射さず、微粒子が空を泳いでいるのが街灯の光で判別できる状況でした。そのような空の下での人間に元気力はあるわけありません。早くその環境を中国政府は取り除いて欲しいと思います。アジアの空に青空を取り戻しましょう。
             アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝