2015年3月8日日曜日

2105年の中国計画(昔の長安は国際都市)・・・68

2015.3.8 日 曇天 午前6:30
  昔の長安は国際都市であった。唐に朝貢した国の国使・随員の数は 4千人を超えたという。唐と
国交を結んだ国は、唐の朝廷にひとたび吉凶があると各国から慶賀・弔問の使者が長安に集まった。
  さらに、当時の最高学府である国子監には、高麗、新羅、百済、高昌、吐蕃、渤海、日本などから留学生が来ていた。中国の君子は一切の異民族を差別なく扱う仁徳が要請されている。そのせいで、阿部仲麻呂や藤原清河が唐の朝廷に重用されたのもそのせいであったといえる。
                                                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年3月7日土曜日

2015年の中国計画(長安城内に入る)・・・67

2015.3.7(土)雨 午前5:40
  空海たちは長安城の東面の城壁中央の「春明門」から城内に入った。長安城は東西9km、南北
8km、幅6kmの城壁に囲まれている。朱雀大街という大通りの道幅は80mであったという。この朱雀大街によって左街と右街にとに区分されていた。時は第11代の憲宗の時代であり、政治的には
衰退の時代であるが、玄宗皇帝の時代に頂点に達した唐文化はまだ衰えていなかった。空海はそのことを喜んだに違いなかったはずである。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年3月6日金曜日

2015年の中国計画(唐時代)・・・66

2015.3.6金 快晴 午前7:15
  今日も朝の散歩は忙しくて休む。明日は必ず出る。
空海が入った唐は7世紀の初めに建国された国である。在位が45年に及んだ第6代玄宗皇帝の
前半の時代に絶頂期を迎えた。西は中央アジアのシルクロード諸国(高昌、吐藩、亀茲、突ケツ等)を従えるほどの強大な国家を形成した。しかし、後半は玄宗が楊貴妃に溺れて政権をおろそかにした。安史の乱は9年にわたり国内は揺れた。
                                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年3月5日木曜日

2015年の中国計画(長安城に入る)・・・65

2015.3.5木 晴れ 午前6:30 
   散歩不可能、忙しく時間なし。それでも空海を書き込む。
空海たちは長楽坂に二日滞在した。お互いに長旅の労をねぎらった。空海もさすがに心に高揚感
を抱いたはずだ。12月2日、内使の用意した駿馬23頭に一人ひとり跨り列を正して長安城には
いった。
    長安は、紀元前3世紀から、西周、秦、西漢、新莽、西晋、前趙、西魏、北周、隋、唐と12の王朝がここに都を置き、中国の古都の一つとして300年の歴史を刻んできた城郭都市である。唐は
7世紀の初め、隋の太原総督だった李淵が煬帝の留守中に建国をした都である。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年3月4日水曜日

2015年の中国大陸(潼関を過ぎる)・・・64

2015.3.4水 雨 午前6:45
  潼関は唐の時代は首都長安と直結しているため重要視された地である。箱根はこれに似ているという。この潼関からがいわゆる関中の地で、道も広くおだやかな平坦地となる。三日ほどのところに、かつて玄宗が楊貴妃と冬を過ごした華清宮がある。空海たちは玄宗と楊貴妃の故事を語りながらここで休息したと思われる。そろそろ長安が近いことが肌で感じられたことであろう。
   ここから長安まで30kmを急いだはずである。そして、徐々に長安が見えてきたはずである。
12月21日延暦23年も終わろうとしている年の暮、空海の一行は長安の入口の長楽坂を下り、
やっと長楽駅に着いた。京を出てから半年を要したであろう。
    都に入り、歓喜に満ちたのか、涙を流したのか、空海の沈着冷静な精神力でも、歓喜か涙か、のどちらかを心が右往左往したであろう。
                                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
中国の峻険な地の宿・ここに初夏に泊まれた

  

2015年3月3日火曜日

2015年の中国大陸計画(今日は休み)・・・63

2015.3.3火 晴 午前7:00
   とにかく忙しいこの頃である。朝に一仕事、昼に仕事、夜に会合等々、通勤時間と寝るだけの日々を送っています。高校生のアルバイトを含めると50年間は働き続けている。最近、アメリカに
行ってきたので、彼らの生活の形態を見るチャンスがあった。白人は土曜日、日曜日にはあまり
働かないようだ。土日は家族で自然相手の遊びを楽しみ、月から金までを頑張って働く。一方
有色人種は、白人がやりたがらない部門で働いている。例えば、モーテルの24時間勤務で
夕方から朝にかけての勤務などである。早朝の町の掃除や土木工事は夕食人種の十八番に
なっていた。一方、白人は夕方の晩餐を家族で楽しんだり、子供の教育に勤しむのである。ここに
不平等感と教育水準の違いが出て来ているのかなと思ったアメリカであった。しかし、アメリカ政府は不平等感を無くそうとして頑張っている国である。私たち日本人のアメリカでの地位はアジア人の地位と均等と思われたことを、今思い出している。
                                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年3月2日月曜日

2015年の中国大陸計画(函谷関)・・・62

2015.3.2月 快晴 午前6:15
   今日は朝の運動をさぼりたくなり休む。理由はおのれの気まぐれです。お陰で疲れなしの朝だ。
空海たちは函谷関に向かった。この関は中国最大の関である。函谷関は三か所あった。洛陽側から漢時代に作られたもの、魏時代に作られたもの、そして秦時代に作られたもの、である。近年まで外国人は入れなかった。函谷関は空海たちにとって、最後で最大の難所である。約100kmの道中に3ケ所、厳しいアップダウンを超えなくてはならない。進めども進めどもなお着かない唐土のスケールの大きさに挑んでいかなくてはならなかった。大使や随員は公用が済めばまたこの道を
戻るのである。
    この難所を超えると約二日ほどで潼関に入る。ここは天然の要塞のような険峻の地である。古くから軍事上の要衝の地である。空海たちが通る50年前、安禄山の変でここが天下分け目の戦場になった地である。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝