2014.9.30 火 晴 午前6:30
中国大陸紀行を7日間掲載をしていましたので、アメリカ紀行7日に戻ります。
キーウエストからダラスに向かった私は、ニューオリンズの町を気ままに覘こうと進路を南西に定め、アクセルを踏み込んだ。湿地平原の中を車は進んだ。途中の川の色は真茶色で、鰐が出そうな雰囲気である。半日ほど車を走らせたところ、地平線の彼方に楼閣が見えてきた。友よ、あれがニューオリンズだ、とハンドルに言い聞かせた。数年前のハリケーンの跡が痛々しく残っている郊外を過ぎると、音楽だらけの街の中に入った。どこからともなく聞こえる全ての音が、ニューオリンズのジャズ音楽であった。駐車場はメーンストリートの後ろになんぼでもあった。但し、カード決済
なので苦労したが、駐車場の係員に決済をやって貰い、歩いてメーンストリートに向かった。
そこはジャズのるつぼ、楽器が蠢く、アフリカ系アメリカ人と中南米系アメリカ人が圧倒的に多く、
アジア人は見かけなかった。300mくらいの距離の蝉噪地帯に入った。警官が10mの幅で立っていた。電気銃と拳銃を持っている警官であった。いかに危険地帯か一目瞭然で、ぼやーと歩いていると、連れ込まれることがある路である。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月30日火曜日
2014年9月27日土曜日
2014年までの中国(上海様相)・・・186
2014.9.27土 晴れ 午前7:00
杭州から急いで上海に戻った。急ぐ理由は、何度も何度も通った高速道であったからである。いつもの道路は退屈を生む道路となっていた。前方左右、上下目新しいものは全て無くなっていた。
上海の銀河飯店に宿を取ろうと思ったら、そのホテルは無くなっていた。無くなったと言うより、
用途替えをしていたのである。ホテルから貸し事務所ビルになっていた。このように上海の町は
凄まじく変わっているのである。しょうがないので、ロイヤルトンホテルに宿を変えたがそのホテルの、隣のスーパーも無くなっていたのである。上海は全ての家賃が沸騰しているので、採算が合わなくなっていて、退去したらしい。今の上海は古いものが去り、新しいものが生まれているのである。全ての新しいものが芽を出したり、穂が出たりしている町となっていた。
夜、上海で最も流行っている日本料理店に行った。アジア人の溜まり場になっていた。中国、日本、韓国人の男女が、日本料理を食べて日本酒の徳利を傾けていた。但し、日本酒は中国内で作られた日本酒であった。大繁盛をしているこの店の主は、元日本への留学生とのことであった。
私の老朋友の中国人達は、今や上海の富裕層になり、高級住宅に住み、高級車を乗り廻し、
肩で風を切って、街中を徘徊している身分になった。そして、私の貿易を前後左右からガードをしていてくれるようになった。まさしく、人育てをしたことになって、嬉しく思えます。次回から、アメリに戻ります。続きは、ニューオリンズの夜からです。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
杭州から急いで上海に戻った。急ぐ理由は、何度も何度も通った高速道であったからである。いつもの道路は退屈を生む道路となっていた。前方左右、上下目新しいものは全て無くなっていた。
上海の銀河飯店に宿を取ろうと思ったら、そのホテルは無くなっていた。無くなったと言うより、
用途替えをしていたのである。ホテルから貸し事務所ビルになっていた。このように上海の町は
凄まじく変わっているのである。しょうがないので、ロイヤルトンホテルに宿を変えたがそのホテルの、隣のスーパーも無くなっていたのである。上海は全ての家賃が沸騰しているので、採算が合わなくなっていて、退去したらしい。今の上海は古いものが去り、新しいものが生まれているのである。全ての新しいものが芽を出したり、穂が出たりしている町となっていた。
夜、上海で最も流行っている日本料理店に行った。アジア人の溜まり場になっていた。中国、日本、韓国人の男女が、日本料理を食べて日本酒の徳利を傾けていた。但し、日本酒は中国内で作られた日本酒であった。大繁盛をしているこの店の主は、元日本への留学生とのことであった。
私の老朋友の中国人達は、今や上海の富裕層になり、高級住宅に住み、高級車を乗り廻し、
肩で風を切って、街中を徘徊している身分になった。そして、私の貿易を前後左右からガードをしていてくれるようになった。まさしく、人育てをしたことになって、嬉しく思えます。次回から、アメリに戻ります。続きは、ニューオリンズの夜からです。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月26日金曜日
2014年までの中国(杭州から上海へ)・・・185
2014.9.26金 曇天 午前7:00
杭州から上海まで約200kmと思う。時間で2時間30分かかる。途中に皮の町や桐の町等がある。特に面白い町等は見当たらないが、南湖という共産党が組織を作った時の場所となった町が
ある。そこを訪問して、その場所を見学した経験がありますが、質素に写真などが展示されていただけでした。この杭州と上海間間のルートはまっしぐらに上海に戻るだけの平凡な道ですから、
途中でどこかに寄った経験は二三度しかありません。その寄った町は、皮の産地の町くらいで
した。そういうことで特筆できる出来事は少なく、本文を終わりにします。明日は日本に戻る直前の上海の様相を掲載します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
杭州から上海まで約200kmと思う。時間で2時間30分かかる。途中に皮の町や桐の町等がある。特に面白い町等は見当たらないが、南湖という共産党が組織を作った時の場所となった町が
ある。そこを訪問して、その場所を見学した経験がありますが、質素に写真などが展示されていただけでした。この杭州と上海間間のルートはまっしぐらに上海に戻るだけの平凡な道ですから、
途中でどこかに寄った経験は二三度しかありません。その寄った町は、皮の産地の町くらいで
した。そういうことで特筆できる出来事は少なく、本文を終わりにします。明日は日本に戻る直前の上海の様相を掲載します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月23日火曜日
2014年までの中国(杭州の郁達夫)・・・184
2014.9.24火 晴れ 午前6:00
仕事を終えて、郁達夫文人の家に行った。何でも郁達夫が杭州一の美人を娶り、新居を自分の設計で作ったものらしい。確かに、東京大学に留学していたので、屋根だけしか見えなかったが、扉の隙間から除くと日本的な家であった。郁達夫は浙江省の人で、兄と一緒に東京大学に留学し、文人になった人である。魯迅とは日本のどかで一緒だったらしい。その家を見て回ったが、
中に入れるようには、なっていなかったので、あきらめてそこを辞した。
杭州の町はまだ夏が去っていないようで、空にはギラギラの太陽と入道雲が居座っていました。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
仕事を終えて、郁達夫文人の家に行った。何でも郁達夫が杭州一の美人を娶り、新居を自分の設計で作ったものらしい。確かに、東京大学に留学していたので、屋根だけしか見えなかったが、扉の隙間から除くと日本的な家であった。郁達夫は浙江省の人で、兄と一緒に東京大学に留学し、文人になった人である。魯迅とは日本のどかで一緒だったらしい。その家を見て回ったが、
中に入れるようには、なっていなかったので、あきらめてそこを辞した。
杭州の町はまだ夏が去っていないようで、空にはギラギラの太陽と入道雲が居座っていました。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月22日月曜日
2014年までの中国(無錫から杭州に陸路で)・・・183
2014.9.22月 快晴 午前8:45
無錫で工場の接待を受けて、その町に泊まってしまった。田舎料理であったが美味しかったので痛飲をした。田舎社長の飲み方は男らしく、グングンいった。私も同じ調子でグングン飲んだ。そのおかげで、朝は少々辛かった。
無錫からハイウエーで300kmを3時間で走り、杭州に着いた。杭州では郁君の従弟と2年ぶりに
食事をした。彼ら夫婦はヨーロッパ旅行から帰ったばかりで、その話で花が咲いた。その話の中で夫君が妻に現地で「逃げようか」と囁いだらしい。彼女は「言葉が分からない、やめよう」と言ったらしい。杭州料理のなかで、日本のたくあんに似た漬物がおいしく、口にほおり込みバリバリと食べた。私の腹心の郁君の祖先に郁達夫という中国の文豪がいるので、その話に及んだ。彼の旧宅
が杭州に記念館として保存されているとのことである。訪れてみようかと、ふと考えた。宴会が終わり、外に出ると杭州は暑い夜がまだ続いていた。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
無錫で工場の接待を受けて、その町に泊まってしまった。田舎料理であったが美味しかったので痛飲をした。田舎社長の飲み方は男らしく、グングンいった。私も同じ調子でグングン飲んだ。そのおかげで、朝は少々辛かった。
無錫からハイウエーで300kmを3時間で走り、杭州に着いた。杭州では郁君の従弟と2年ぶりに
食事をした。彼ら夫婦はヨーロッパ旅行から帰ったばかりで、その話で花が咲いた。その話の中で夫君が妻に現地で「逃げようか」と囁いだらしい。彼女は「言葉が分からない、やめよう」と言ったらしい。杭州料理のなかで、日本のたくあんに似た漬物がおいしく、口にほおり込みバリバリと食べた。私の腹心の郁君の祖先に郁達夫という中国の文豪がいるので、その話に及んだ。彼の旧宅
が杭州に記念館として保存されているとのことである。訪れてみようかと、ふと考えた。宴会が終わり、外に出ると杭州は暑い夜がまだ続いていた。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月20日土曜日
2014年までの中国(厦門から無錫へ)・・・182
2014.9.20土 曇り 午前7:00
無錫を出た私は空路で無錫に向かった。1時間遅れた飛行機は、スムーズに青空の領域に入
り、1時間半の空の旅であるが昼食が出た。簡単弁当であり、腹がふさげれば良いという代物である。
時間無く、ここで終わります。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
無錫を出た私は空路で無錫に向かった。1時間遅れた飛行機は、スムーズに青空の領域に入
り、1時間半の空の旅であるが昼食が出た。簡単弁当であり、腹がふさげれば良いという代物である。
時間無く、ここで終わります。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月19日金曜日
2014年までの中国(厦門の石工場と道教院)・・・181
2014.9.19金 快晴 午前6:30
朝迎えに来た顔女史の車で石材工場に行った。行ったところ、あんなに立派だった工場が半壊している。思わず、聞くと、政府が高速道路のために取り上げたと言う。補償額は数億円を貰ったとのことである。移設中の工場は稼働をしていないので、系列会社で受注をこなしていると言う。
半壊の工場の事務所で制作打ち合わせをした後に、隣の道教院で制作品のヒントを探しに行った。私の勘がぴったり当たった。中国の道教でも安産の神に犬が使われていた。お賽銭箱の4本の支柱の直下に犬が彫られていた。これを取り入れた産品を作ろうと決定をした。
打ち合わせ後の昼食は、漁村又は農村食堂を所望した。漁村食堂に行って、地場ものを使った
海鮮料理に食いついたが、たいしたことは無かった。そこで、夕食は顔女史の夫君を誘い、漁村
の経営するドライブインみたいな大型食堂に行った。ここでの海鮮料理もたいしたことは無かった。
今の中国の食は、庶民はまだ質より量の食事が優位となっていた。
彼夫婦は、私を厦門を逆から見る場所に連れて行ってくれた。来るたびに南シナ海側から見ていたが、今回は後ろから厦門を見ることができた。結果、厦門の全体像が初めて理解できました。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
朝迎えに来た顔女史の車で石材工場に行った。行ったところ、あんなに立派だった工場が半壊している。思わず、聞くと、政府が高速道路のために取り上げたと言う。補償額は数億円を貰ったとのことである。移設中の工場は稼働をしていないので、系列会社で受注をこなしていると言う。
半壊の工場の事務所で制作打ち合わせをした後に、隣の道教院で制作品のヒントを探しに行った。私の勘がぴったり当たった。中国の道教でも安産の神に犬が使われていた。お賽銭箱の4本の支柱の直下に犬が彫られていた。これを取り入れた産品を作ろうと決定をした。
打ち合わせ後の昼食は、漁村又は農村食堂を所望した。漁村食堂に行って、地場ものを使った
海鮮料理に食いついたが、たいしたことは無かった。そこで、夕食は顔女史の夫君を誘い、漁村
の経営するドライブインみたいな大型食堂に行った。ここでの海鮮料理もたいしたことは無かった。
今の中国の食は、庶民はまだ質より量の食事が優位となっていた。
彼夫婦は、私を厦門を逆から見る場所に連れて行ってくれた。来るたびに南シナ海側から見ていたが、今回は後ろから厦門を見ることができた。結果、厦門の全体像が初めて理解できました。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
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