2014.9.7日 大雨 午前6:40
上海の有名通りの南京路から東西南北を望んでみます。東方面には大地の子で有名な製鉄
所の宝山があります。その奥には南通市ですが、更に遠くの東シナ海の奥に日本があります。日本までは約2000kmくらいでしょう。南方面は杭州湾ですが、湾を渡ると寧波市や台州市があり、海の向こうには台湾があり、経済活動がとても活発な南方面です。台湾まで約1000kmと思われます。西方面には蘇州市、その奥に南京市があります。更に奥には西域があり、シルクロードはその奥ですが、私は行ったことはありません。シルクロードの入口の西安までは約1200kmと思います。北の方面は北京があります。その距離は約1000kmくらいと思います。各距離数を図ったわけでありませんが、飛行機の飛行時間で計算をしてみました。このように大陸は、日本人に考えられない距離感があります。私は中国の東西南北の全部に上海から出張していました。とても良い
思い出が残っています。今月の13日に仕事で中国に出ますが、行くところは茨城・・・上海・・・無錫・・・アモイ・・・上海・・・茨城と廻ってきます。何か面白いブログネタ仕入れてきます。
明日は東に行った経験談を記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月7日日曜日
2014年9月6日土曜日
2914年までの中国(上海人との絆)・・・171
2014.9.6 土 曇り 午前 6:30
上海人は待ち時間に几帳面でなかった。20年前に仕事で部下と待ち合わせをしたら、1時間遅れてきた。交通機関の遅れで、俺のせいでないよと、平然としている。私は呆れたが、顔に出さずに、そのようなことがあるなら、1時間早く出るべきだと部下に行った。部下が言う「そんなことしていたら一生の間で、相当な時間のロストがある、時間は貴重なものだ」私は唖然とし、口をきけなかった。そんなことがあった後、今度はその部下と数人の友人で、国内の飛行機を使用する出張になった。待ち合わせ時間に15分遅れている、飛行機は待ってくれない、私は敢然と搭乗手続き口に向かった、身体検査が終わり待合室まで進み、座って寛いでいた。彼らは遅れて汗をかきながらやってきた。部下曰く、「なんで待っていない、日本人は気が短かい」とのたまわった。この会話は互いに信頼感があるから喧嘩にならないが、普通ならば、喧嘩になり、その場で関係が終わりになってしまう。私たちは無事に飛行に乗り、その出張では良い仕事が出来た。中国人との付き合いは、何でも言える関係を構築するのが一番かなと思う。今の日本と中国は何でも言える関係を築いている政治家は少ないから、問題の核心を掴めず、右往左往しているのかな?分からないね。明日は上海の東、日本の西の出来事を記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
上海人は待ち時間に几帳面でなかった。20年前に仕事で部下と待ち合わせをしたら、1時間遅れてきた。交通機関の遅れで、俺のせいでないよと、平然としている。私は呆れたが、顔に出さずに、そのようなことがあるなら、1時間早く出るべきだと部下に行った。部下が言う「そんなことしていたら一生の間で、相当な時間のロストがある、時間は貴重なものだ」私は唖然とし、口をきけなかった。そんなことがあった後、今度はその部下と数人の友人で、国内の飛行機を使用する出張になった。待ち合わせ時間に15分遅れている、飛行機は待ってくれない、私は敢然と搭乗手続き口に向かった、身体検査が終わり待合室まで進み、座って寛いでいた。彼らは遅れて汗をかきながらやってきた。部下曰く、「なんで待っていない、日本人は気が短かい」とのたまわった。この会話は互いに信頼感があるから喧嘩にならないが、普通ならば、喧嘩になり、その場で関係が終わりになってしまう。私たちは無事に飛行に乗り、その出張では良い仕事が出来た。中国人との付き合いは、何でも言える関係を構築するのが一番かなと思う。今の日本と中国は何でも言える関係を築いている政治家は少ないから、問題の核心を掴めず、右往左往しているのかな?分からないね。明日は上海の東、日本の西の出来事を記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月5日金曜日
2014年までの中国(上海のあれこれ)・・・170
2014.9.5金 曇り 午後4:50
上海人の気質について記してみます。良く言われるのが、北京人は東京人で上海人は大阪人
と言われます。本当の役人を見たければ北京に行け、本当の金持ちを見たければ上海に行けと
言われます。上海人の金に対する考えは、日本人も極めて勉強になります。どんな店でも安ければ、何処までも行き、高ければ親戚の店でも友人の店でも二度と行かない。但し、そこは中国で親戚値段と友人値段があるようです。この柔軟性ある考え方は、正に上海人と思います。安くて美味しい店は行列が出来ます。日本だと、もう一つの綺麗で人が入りますが、上海は違います。数十年も続いている行列が出来る店(ショウロンポウ)は正にそのようでした。火鍋の人気ある店も、何時間んも待たされますが、私は社員の有志に先に行って待ってて貰い、時間が来たら、そこに駆けつけて食べます。但し、その有志には小遣いを渡すようになりますので、値段は安くあがりません。
上海人は風と称すると滞在歴の長い日本人に言われたことを思い出しています。
明日は、中国人の待ち時間について記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
上海人の気質について記してみます。良く言われるのが、北京人は東京人で上海人は大阪人
と言われます。本当の役人を見たければ北京に行け、本当の金持ちを見たければ上海に行けと
言われます。上海人の金に対する考えは、日本人も極めて勉強になります。どんな店でも安ければ、何処までも行き、高ければ親戚の店でも友人の店でも二度と行かない。但し、そこは中国で親戚値段と友人値段があるようです。この柔軟性ある考え方は、正に上海人と思います。安くて美味しい店は行列が出来ます。日本だと、もう一つの綺麗で人が入りますが、上海は違います。数十年も続いている行列が出来る店(ショウロンポウ)は正にそのようでした。火鍋の人気ある店も、何時間んも待たされますが、私は社員の有志に先に行って待ってて貰い、時間が来たら、そこに駆けつけて食べます。但し、その有志には小遣いを渡すようになりますので、値段は安くあがりません。
上海人は風と称すると滞在歴の長い日本人に言われたことを思い出しています。
明日は、中国人の待ち時間について記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月4日木曜日
2014年までの中国(上海の24時)・・・169
2014.9.4 木 曇天 午前6:00
杭州湾を跨いで上海に入った私は、いつも定宿の銀河飯店に宿をとる。顔馴染みのカウンターの女性が微笑んでくれる。荷物を部屋において、カーテンを開けて28回階から下界をぼんやりと眺める。至福の時間である。下界は交通ラッシュとクラクションの海であるが、所々の緑の公園が
眩しい。暗闇が追ってくると、身だしなみを整え1階のフロアーに降りる。運転士の郁君が待ち受ける。直ちに外に出て、ビュイック黒型の車の後部に乗り込む。先ず、中華料理の美味しい「和記」
に行き、上海富裕層若手と食事をする。そこでの話題は、ビジネス話題が中心ですが、私への質問は、日本の政治経済の動向である。私は専門家でないが、実務家であるので大変参考になるのだという。そこで、さりげなく日本の不動産とM&Aの話題を投げる。私は若手経営者の日本への投資意欲を探るのだ。この地震前は意欲があったが、地震後は距離をおいて、日本への投資を
見ているようである。食事が終わると、気の合う富裕層若者と連れ立って、二三人でカラオケクラブに行く時が多いが、場が出来ない時は長年常連になってるスコッチクラブに赴く。その店は「イエスタデイー」という店である。ママと軽い話し相手になってくれる女性二三人がいるだけであるが。
日本のホテルオークラが経営する花園飯店から数分の所にあり、いつも世界の商社員が溜まっている。テーブル席4卓、カウンター7席の店であり、満員の時が多い。その理由は、安く飲めて、ママの長身と美人顔を拝めるからだろう。私はママの主人と長い20年以上の付き合いがあり、その彼の顔を立てて行くのである。この店の周りは日本の六本木である。眠らない町上海の代表的な
地区である。明日はこの店を中心に上海の夜を記していきます。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
杭州湾を跨いで上海に入った私は、いつも定宿の銀河飯店に宿をとる。顔馴染みのカウンターの女性が微笑んでくれる。荷物を部屋において、カーテンを開けて28回階から下界をぼんやりと眺める。至福の時間である。下界は交通ラッシュとクラクションの海であるが、所々の緑の公園が
眩しい。暗闇が追ってくると、身だしなみを整え1階のフロアーに降りる。運転士の郁君が待ち受ける。直ちに外に出て、ビュイック黒型の車の後部に乗り込む。先ず、中華料理の美味しい「和記」
に行き、上海富裕層若手と食事をする。そこでの話題は、ビジネス話題が中心ですが、私への質問は、日本の政治経済の動向である。私は専門家でないが、実務家であるので大変参考になるのだという。そこで、さりげなく日本の不動産とM&Aの話題を投げる。私は若手経営者の日本への投資意欲を探るのだ。この地震前は意欲があったが、地震後は距離をおいて、日本への投資を
見ているようである。食事が終わると、気の合う富裕層若者と連れ立って、二三人でカラオケクラブに行く時が多いが、場が出来ない時は長年常連になってるスコッチクラブに赴く。その店は「イエスタデイー」という店である。ママと軽い話し相手になってくれる女性二三人がいるだけであるが。
日本のホテルオークラが経営する花園飯店から数分の所にあり、いつも世界の商社員が溜まっている。テーブル席4卓、カウンター7席の店であり、満員の時が多い。その理由は、安く飲めて、ママの長身と美人顔を拝めるからだろう。私はママの主人と長い20年以上の付き合いがあり、その彼の顔を立てて行くのである。この店の周りは日本の六本木である。眠らない町上海の代表的な
地区である。明日はこの店を中心に上海の夜を記していきます。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年9月3日水曜日
2014年までのアメリカ(アメリカの最南端キーウエストに)・・・168
2014.9.3水 晴 午前6:10
キーウエストの町を表現するならば、ヘミングウエーの「老人と海」や「武器よさらば」と縁が深い
町、椰子の木が高くそびえて青空に届きそうな町、キューバーの匂いが漂ってくる町、美しいサンセットの町等数多であるが、何といっても、この一言に尽きるようです。それは「海原の町」では
ないでしょか。とにかく、最南端に行くまでは、海の上の一本道を走っているような、錯覚におそわれる感じがして、そこについて、後ろを振り返ると一本道が見えなくなる。帰れるのかなと錯覚を
起こします。海原に浮いている町ですが、道路は微かな岩礁の上に作られたのでしょう。波と
道路が一体化しているようです。ハリケーンの時などは、島人は避難道路がなくなり、大いに不安になるだろうと思います。
さて、夕方の落日の瞬間を見るために最も最南端に行きました。世界で一番美しい夕日です。
既に観光客が大勢集まっていました。時間お金を持て余しているアメリカの富豪達が集まった感が
あります。夕陽を見る岸壁の周辺には、一見して豪華な別荘風なホテルが立っています。3階建ての部屋を貸し切った男女の白人達が酒を飲んで騒いでいます。
夕日が差し掛かった海原を見ると、大型ヨットが西から南に航行中、夕日を追いかけているようです。そこに、小型クルザーが横切っていきました。夕日は中断から水平線に近付きいた。
その瞬間、観光客がどよめいた。太陽が消えてしまったと言ってるようでした。私も岸壁を後にしようと動き始めた瞬間、豪華別荘ホテルの三階の富豪たちが、「私たちが落日を最後に見ている」と
叫び、得意がっていました。私はそれを瞬間的に羨ましがっただけでした。暗くなりかけたキーウエストの一等地の最南端を後にし、値段が高い安モーテルに戻る北の道を探しました。お腹が空いてきたので、今夜は食料を買ってモーテルで食べようと思っています。明日からの一週間は中国の上海周辺を記します。
リカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカ最南端の 落日の瞬間
キーウエストの町を表現するならば、ヘミングウエーの「老人と海」や「武器よさらば」と縁が深い
町、椰子の木が高くそびえて青空に届きそうな町、キューバーの匂いが漂ってくる町、美しいサンセットの町等数多であるが、何といっても、この一言に尽きるようです。それは「海原の町」では
ないでしょか。とにかく、最南端に行くまでは、海の上の一本道を走っているような、錯覚におそわれる感じがして、そこについて、後ろを振り返ると一本道が見えなくなる。帰れるのかなと錯覚を
起こします。海原に浮いている町ですが、道路は微かな岩礁の上に作られたのでしょう。波と
道路が一体化しているようです。ハリケーンの時などは、島人は避難道路がなくなり、大いに不安になるだろうと思います。
さて、夕方の落日の瞬間を見るために最も最南端に行きました。世界で一番美しい夕日です。
既に観光客が大勢集まっていました。時間お金を持て余しているアメリカの富豪達が集まった感が
あります。夕陽を見る岸壁の周辺には、一見して豪華な別荘風なホテルが立っています。3階建ての部屋を貸し切った男女の白人達が酒を飲んで騒いでいます。
夕日が差し掛かった海原を見ると、大型ヨットが西から南に航行中、夕日を追いかけているようです。そこに、小型クルザーが横切っていきました。夕日は中断から水平線に近付きいた。
その瞬間、観光客がどよめいた。太陽が消えてしまったと言ってるようでした。私も岸壁を後にしようと動き始めた瞬間、豪華別荘ホテルの三階の富豪たちが、「私たちが落日を最後に見ている」と
叫び、得意がっていました。私はそれを瞬間的に羨ましがっただけでした。暗くなりかけたキーウエストの一等地の最南端を後にし、値段が高い安モーテルに戻る北の道を探しました。お腹が空いてきたので、今夜は食料を買ってモーテルで食べようと思っています。明日からの一週間は中国の上海周辺を記します。
リカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカ最南端の 落日の瞬間
2014年9月2日火曜日
2014年までのアメリカ(キューバが近いキーウエストへ)・・・167
2014.9.2 火 晴 午前6:40
フロリダは何も見ないで通過した。鰐がいそうなブッシュを過ぎると、突然に大海原が見えてきた。
これは写真を撮ろうと車を止めると、何と、まだキーウエストの入口辺りであったので、更に、車をとばした。2時間ほど走ると、遠くに蜃気楼のように海原に上に建物群が見えてきた。あれが、ヘミングウエイーが住んでいたキーウエストの町だ、と自分に言い聞かせ、疲労を回復させた。
運転中の車の中から左右前方を見る。大型クルザー、、大中小のヨット、青空、ヤシの木、ハイビスカス、ブルーすぎる海水、豪華な別荘、周囲にマッチしたモーテル等、そこは仕事を忘れる南国
であった。途中のウォルマートにより、帽子と海水着やサンダルを買った。ついでに、食品売り場や
雑貨売り場を覘いて車に戻った。
更に、先に車を進ませる。モーテル群が立ち並ぶ通りに出たので、部屋を取ろうとモーテルに入った。カウンターで料金を聞くと、ワンルーム・ワンベッドは2百ドルと言う。びっくりして、負けてくださいと頼む。150ドルまで下がった。キーウエストの町の最南端の名所から5㎞くらい離れた
所でこの料金ですから、もっと先に行くともっと高くなる。時間的に贅沢なアメリカ縦断をしているので、遠く離れたモーテルで我慢をすることにした。部屋は綺麗でベッドメークも満足できたモーテルであった。暗闇が追っていたので、嫌な予感を抱いて、夕食の買出しに出かけた。嫌な予感が
当たった夕食になった夜は明日記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
暗闇が追る
フロリダは何も見ないで通過した。鰐がいそうなブッシュを過ぎると、突然に大海原が見えてきた。
これは写真を撮ろうと車を止めると、何と、まだキーウエストの入口辺りであったので、更に、車をとばした。2時間ほど走ると、遠くに蜃気楼のように海原に上に建物群が見えてきた。あれが、ヘミングウエイーが住んでいたキーウエストの町だ、と自分に言い聞かせ、疲労を回復させた。
運転中の車の中から左右前方を見る。大型クルザー、、大中小のヨット、青空、ヤシの木、ハイビスカス、ブルーすぎる海水、豪華な別荘、周囲にマッチしたモーテル等、そこは仕事を忘れる南国
であった。途中のウォルマートにより、帽子と海水着やサンダルを買った。ついでに、食品売り場や
雑貨売り場を覘いて車に戻った。
更に、先に車を進ませる。モーテル群が立ち並ぶ通りに出たので、部屋を取ろうとモーテルに入った。カウンターで料金を聞くと、ワンルーム・ワンベッドは2百ドルと言う。びっくりして、負けてくださいと頼む。150ドルまで下がった。キーウエストの町の最南端の名所から5㎞くらい離れた
所でこの料金ですから、もっと先に行くともっと高くなる。時間的に贅沢なアメリカ縦断をしているので、遠く離れたモーテルで我慢をすることにした。部屋は綺麗でベッドメークも満足できたモーテルであった。暗闇が追っていたので、嫌な予感を抱いて、夕食の買出しに出かけた。嫌な予感が
当たった夕食になった夜は明日記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
暗闇が追る
2014年9月1日月曜日
2014年までのアメリカ(フロリダを通過しキーウエスト)・・・166
2014.9.1月 雨 午前6:20
フロリダに寄り、ビーチで遊ぶ時間は無かったので、真っすぐにキーウエストに向かった。フロリダの外環のような高速道路を過ぎると、やがて、湿地地帯のようなところを走るようになった。その湿地地帯が長く感じた。早く、青空と青い海原を見たくているからである。2時間程走ると、ポツリ
ポツリとブッシュの合間から青い海が見えてきた。キーウエストはフロリダから300kmの先にある
岩礁の島である。ヘミングウエーが「武器をさらば」を書いた場所であり「老人と海」のモデルとなった地である。キューバまで数百kmtの地点であり、南米の入口のような所というと分かりやすい。
椰子の木、ハイビスカス、真っ青の海が道路の左右に広がってきた。所々に見える小さなハーバーには、無数の大小のヨットやクルーザーが係留している。目を遠くにやると、水平線の彼方にもレジャー船がうごめいていた。キーウエストまであと100kmほどの地点まで来た。遠くの水平線の先に一寸した高い建物が見えてきた。まるで海に浮かんでいるような建物群である。私は更に
アクセルを踏み込んだ。
明日はアメリカの最南端のキーウエストの様相を記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
キーウエストの夕日
フロリダに寄り、ビーチで遊ぶ時間は無かったので、真っすぐにキーウエストに向かった。フロリダの外環のような高速道路を過ぎると、やがて、湿地地帯のようなところを走るようになった。その湿地地帯が長く感じた。早く、青空と青い海原を見たくているからである。2時間程走ると、ポツリ
ポツリとブッシュの合間から青い海が見えてきた。キーウエストはフロリダから300kmの先にある
岩礁の島である。ヘミングウエーが「武器をさらば」を書いた場所であり「老人と海」のモデルとなった地である。キューバまで数百kmtの地点であり、南米の入口のような所というと分かりやすい。
椰子の木、ハイビスカス、真っ青の海が道路の左右に広がってきた。所々に見える小さなハーバーには、無数の大小のヨットやクルーザーが係留している。目を遠くにやると、水平線の彼方にもレジャー船がうごめいていた。キーウエストまであと100kmほどの地点まで来た。遠くの水平線の先に一寸した高い建物が見えてきた。まるで海に浮かんでいるような建物群である。私は更に
アクセルを踏み込んだ。
明日はアメリカの最南端のキーウエストの様相を記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
キーウエストの夕日
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