2014.1.10金 快晴 午前11:20
上海から南に100kmくらい離れた町で松江という町があります。多分に30年前のこの町は、
水田や畑と農家の点在する静かな村であった。春の田植えや秋の稲刈り時には、大勢の農民が家族で働き、賑やかであったと思われます。
しかし、今は大きなビルや巨大な工場が立ち並び、そこで働く労働者を大勢見かけるようになりました。走る車は高級車と大型トレラーが大半です。工場群の本社は、アメリカ、ヨーロッパ、日本等
多国籍企業です。従って、町行く人のファッションはヨーロッパ調やアメリカ調、日本調も見かけます。料亭や食堂等は、日本料理や韓国料理、中華料理が主流であり、アメリカ料理やヨーロッパ料理等は殆ど見かけません。夜の代表的な遊びであるカラオケや居酒屋等は、町の中心地には多く
存在していますので、疲れた神経を癒すのには便利です。
この町は水戸市と密接な関係がありますが、大半の水戸人は分からないと思います。何故水戸人と関係があるかというと、それは天下の副将軍水戸黄門さんが一役かっています。あのことについて次回に記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年1月10日金曜日
2014年1月9日木曜日
1991年から2013年の華中(杭州西湖)・・・39
2014.1.9木 雨 午前7:10
浙江省の杭州には数え切れないほど訪問しています。1泊や3泊をかけた訪問でした。最初は1991年の秋口だったと記憶をしています。それも日帰りの杭州観光でした。当時は高速道が無く、国道を5時間くらいかけて行ったものです。メモを見ないで記しているので、曖昧な点があるブログになってしまいますが、誤記や誤認があればお許しください。
西湖にはヒルトンホテルからハイヤーをチャーターして行きました。相当高いチャーター料を払ったかもしれませんが、忘れてしまいました。日本人2人と案内の中国友人を連れて行きました。
距離は250kmくらいあったでしょう。秋の雨降る国道を黒塗りのハイヤーで疾走したことを思い出しています。行くのに5時間、帰るのに5時間、観光は昼食をはさんで1時間でした。水戸市千波
湖のモデルと言われている西湖の湖畔で10分間程度たたずんで、最高級のシャングリラホテルで
昼食をとりました。私は最高級が好きでは無いのですが、当時は午後2時を過ぎると食事を摂れる
場所が無くなってしまうからです。やむをえなく、シャングリラホテルに向かいました。なのを食べたかは、忘れてしまいましたが、お土産にシャングリラホテルの篠の箸をしこたま買ったのを憶えています。上海のヒルトンホテルに戻った時刻は、午後8時以降と思い出されます。この華中の小冒険旅行は、上海を中心に彼方此方にいきましたので、明日から華中を中心とした小旅行を暫し掲載します。20分から30分で掲載しますので、乱雑、乱暴の掲載を笑っていただきたいと思います。
明日は思い出すままに、松江、南通、蘇州、無錫、杭州、煙台、青島、福州、アモイ、海南島、
済南、長春、大連、シンセン等を地図を見ながら記します。
アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝
浙江省の杭州には数え切れないほど訪問しています。1泊や3泊をかけた訪問でした。最初は1991年の秋口だったと記憶をしています。それも日帰りの杭州観光でした。当時は高速道が無く、国道を5時間くらいかけて行ったものです。メモを見ないで記しているので、曖昧な点があるブログになってしまいますが、誤記や誤認があればお許しください。
西湖にはヒルトンホテルからハイヤーをチャーターして行きました。相当高いチャーター料を払ったかもしれませんが、忘れてしまいました。日本人2人と案内の中国友人を連れて行きました。
距離は250kmくらいあったでしょう。秋の雨降る国道を黒塗りのハイヤーで疾走したことを思い出しています。行くのに5時間、帰るのに5時間、観光は昼食をはさんで1時間でした。水戸市千波
湖のモデルと言われている西湖の湖畔で10分間程度たたずんで、最高級のシャングリラホテルで
昼食をとりました。私は最高級が好きでは無いのですが、当時は午後2時を過ぎると食事を摂れる
場所が無くなってしまうからです。やむをえなく、シャングリラホテルに向かいました。なのを食べたかは、忘れてしまいましたが、お土産にシャングリラホテルの篠の箸をしこたま買ったのを憶えています。上海のヒルトンホテルに戻った時刻は、午後8時以降と思い出されます。この華中の小冒険旅行は、上海を中心に彼方此方にいきましたので、明日から華中を中心とした小旅行を暫し掲載します。20分から30分で掲載しますので、乱雑、乱暴の掲載を笑っていただきたいと思います。
明日は思い出すままに、松江、南通、蘇州、無錫、杭州、煙台、青島、福州、アモイ、海南島、
済南、長春、大連、シンセン等を地図を見ながら記します。
アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝
2014年1月8日水曜日
1991年から2013年の華中(紹興市と臭豆腐)・・・38
2014.1.8水 曇り 午前7:25
紹興酒と臭豆腐と聞くと、私の口の中に唾液が充満してくるのである。醤油の色のような紹興酒
がお椀に入って出てきます。そして、つまみにはインゲン豆がやはりお椀に入って出てきます。これだけでは足りないので、臭豆腐を注文します。やがて、熱い臭豆腐が出てくるのですが、それが
来た瞬間に、日本人は鼻を背けてしまいます。普通の人は思わず、「いや、臭い」という言葉が出てしまいます。本当に臭いのですが、ほんとに美味いのです。ビールや紹興酒と組み合わせた臭豆腐には、日本に戻っても未練を残してしまいます。このブログを記している時でも、口の中に唾液が出ています。昨年の12月に商談で中国に居たが、その地方でなかったので食べられませんでした。今思うととても残念でした。
皆さんにお勧めします。是非、魯迅や周恩来の故居がある紹興市で紹興酒と臭豆腐で一杯やってみてください。中国通になれます。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
紹興酒と臭豆腐と聞くと、私の口の中に唾液が充満してくるのである。醤油の色のような紹興酒
がお椀に入って出てきます。そして、つまみにはインゲン豆がやはりお椀に入って出てきます。これだけでは足りないので、臭豆腐を注文します。やがて、熱い臭豆腐が出てくるのですが、それが
来た瞬間に、日本人は鼻を背けてしまいます。普通の人は思わず、「いや、臭い」という言葉が出てしまいます。本当に臭いのですが、ほんとに美味いのです。ビールや紹興酒と組み合わせた臭豆腐には、日本に戻っても未練を残してしまいます。このブログを記している時でも、口の中に唾液が出ています。昨年の12月に商談で中国に居たが、その地方でなかったので食べられませんでした。今思うととても残念でした。
皆さんにお勧めします。是非、魯迅や周恩来の故居がある紹興市で紹興酒と臭豆腐で一杯やってみてください。中国通になれます。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年1月7日火曜日
1991年から2013年の華中(魯迅と紹興酒)・・・37
2014.1.7火 快晴 午前7:00
魯迅の故郷の紹興市に何度も訪れた。この町の風情は茨城県の潮来地方に良く似ていますが、
町の大きさや山並みの美しさは、潮来地方も及ばないと思います。古代は越の国で、臥薪嘗胆で
有名な山にも登りました 魯迅の常在した居酒屋で丼ぶりで飲むビールと紹興酒は格別の味わいでした。この町の建物の特徴は、壁白く、屋根黒く、玄関大きく、部屋広く、中庭有り、書斎や使用人等の部屋もありました。開放前の中国の地主や商店主の自宅は、とても壮大で日本では形容し難い屋敷といえます。私はこの町に何度行ったであろうか。数え切れないが、この町は私にとって、どこかで私の心の奥底を震わせるものがあります。
何故だろうか、魯迅は仙台の専門学校に留学する時に、常磐線に乗り、仙台に向かったのであるが、「水戸駅」という地名を想い出に書いてくれているので、この町に親近感が湧くのだろうか。最近、感じたのですが、越の国の人々は日本人のDNAと結びついているのでないだろうか、と思い、明日より全くの素人論として、この地方の風景、酒、食べ物等の快楽を中心に記してみます。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
鋭い山、越之国の山裾の部落(初夏)
魯迅の故郷の紹興市に何度も訪れた。この町の風情は茨城県の潮来地方に良く似ていますが、
町の大きさや山並みの美しさは、潮来地方も及ばないと思います。古代は越の国で、臥薪嘗胆で
有名な山にも登りました 魯迅の常在した居酒屋で丼ぶりで飲むビールと紹興酒は格別の味わいでした。この町の建物の特徴は、壁白く、屋根黒く、玄関大きく、部屋広く、中庭有り、書斎や使用人等の部屋もありました。開放前の中国の地主や商店主の自宅は、とても壮大で日本では形容し難い屋敷といえます。私はこの町に何度行ったであろうか。数え切れないが、この町は私にとって、どこかで私の心の奥底を震わせるものがあります。
何故だろうか、魯迅は仙台の専門学校に留学する時に、常磐線に乗り、仙台に向かったのであるが、「水戸駅」という地名を想い出に書いてくれているので、この町に親近感が湧くのだろうか。最近、感じたのですが、越の国の人々は日本人のDNAと結びついているのでないだろうか、と思い、明日より全くの素人論として、この地方の風景、酒、食べ物等の快楽を中心に記してみます。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
鋭い山、越之国の山裾の部落(初夏)
2014年1月5日日曜日
1997年から2013年のアメリカ(砂漠から抜け出たら次は・・・)・・・36
2014.1.5日 快晴 午前7:30
砂漠の中に入った私は、ガソリンの残量から水の残量までのチェックをしました。水や食糧は
一日二日分は十分ありますが、一番大事なガソリンが50km程度を走れる残量しかなくなってしまったのである。日は暮れた、ロッキーが見えなくなってしまった。車内で野営か、進むか、バックは
もはや困難である。
私の頭を過ったのは、そうだ、このことを貴重な体験にしようとの考えであった。ロッキーの山の中で、ガソリンを失い、一晩を車内で過ごせたら、素晴らしい朝日を拝む体験ができる。と考えてから、次の困難は何がおきるか、胸がワクワクしてきたのである。私の目と頭は闘争的ながらも、余裕のある目と頭に変わった。それによって、遠くの暗闇の先が見えるようになってきた。今はロッキーのどこかの頂きにいるはずだ。近くに牧場らしきものがあるようだ。道路の標識等も町の近くのように整備されている。路肩に空き缶やチョコ等の袋も落ちている。町は近いと判断をした。30kmを進もう。人家が無ければ野営でやむを得ないと判断をした。
周囲の観察をしながら30kmを進むと、やがて暗闇の中に牛の牧場らしきものが見えてきた。窓を開けると家畜の匂いが漂ってくる。更に目を凝らすと、大木の下に数百頭の牛が寝ている。牧場があれば集落もあるはずだと思い、曲がりくねった道に車をどんどん前に進めた。月が出てきて、辺りを明るくしてくれた。やがて、一軒の商店の明かりが目に入り、小規模のモーテルの看板も見えた。淋しげなモーテルであったが、入口の前に車を止め、カウンターの前に立ち、西部の大男に
「部屋はあるかい」と日本語で言い、調子と迫力を出してから英語で「Can I get a room」と迫力が感じられない英語で問いました。この瞬間で、野営はしなくてよくなり、砂漠も出たが、人並みに屋根の下で寝る夜になってしまいました。明日以後は中国に戻ります。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
砂漠の中に入った私は、ガソリンの残量から水の残量までのチェックをしました。水や食糧は
一日二日分は十分ありますが、一番大事なガソリンが50km程度を走れる残量しかなくなってしまったのである。日は暮れた、ロッキーが見えなくなってしまった。車内で野営か、進むか、バックは
もはや困難である。
私の頭を過ったのは、そうだ、このことを貴重な体験にしようとの考えであった。ロッキーの山の中で、ガソリンを失い、一晩を車内で過ごせたら、素晴らしい朝日を拝む体験ができる。と考えてから、次の困難は何がおきるか、胸がワクワクしてきたのである。私の目と頭は闘争的ながらも、余裕のある目と頭に変わった。それによって、遠くの暗闇の先が見えるようになってきた。今はロッキーのどこかの頂きにいるはずだ。近くに牧場らしきものがあるようだ。道路の標識等も町の近くのように整備されている。路肩に空き缶やチョコ等の袋も落ちている。町は近いと判断をした。30kmを進もう。人家が無ければ野営でやむを得ないと判断をした。
周囲の観察をしながら30kmを進むと、やがて暗闇の中に牛の牧場らしきものが見えてきた。窓を開けると家畜の匂いが漂ってくる。更に目を凝らすと、大木の下に数百頭の牛が寝ている。牧場があれば集落もあるはずだと思い、曲がりくねった道に車をどんどん前に進めた。月が出てきて、辺りを明るくしてくれた。やがて、一軒の商店の明かりが目に入り、小規模のモーテルの看板も見えた。淋しげなモーテルであったが、入口の前に車を止め、カウンターの前に立ち、西部の大男に
「部屋はあるかい」と日本語で言い、調子と迫力を出してから英語で「Can I get a room」と迫力が感じられない英語で問いました。この瞬間で、野営はしなくてよくなり、砂漠も出たが、人並みに屋根の下で寝る夜になってしまいました。明日以後は中国に戻ります。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年1月4日土曜日
1997年から2013年のアメリカ(夕暮れとガソリンの残量)・・・35
2014.1.4土 快晴 午前6:40
二日ほどブログを休んでしまいました。元旦のブログには、正月一日のことを掲載しましたが、二日と三日の出来ごとで、子供たちはきたのですが、特に記載することは無いので怠けてしまいました。今日も朝から天気の良い正月です。
さて、前々回の続きですが、アメリカのリオの町から北東に反れて砂漠の町に入りましたが、道に迷った私たちは、夕暮れになり、ガソリンも少なくなり、トボトボとロッキーの砂漠の中を彷徨っていました。進むか、退くか、野営か、三つに一つとなりました。夕暮れ時は、人々の心は淋しくなるのものです。砂漠に舞う風で、木立の低い草木が風に揺れ、砂埃も立ってきた、心なしか昼間に元気の良かったサボテンまでが肩を下しているように見えます。太陽は山陰に隠れ、月が今からは俺の番だと待っているような夕暮れのムードとなってきてしまいました。
ガソリンの残量で走れる距離は、約100kmと判断をして前に進むことにしました。出来るだけ経済速度で走り、坂道ではニュートラルにして車を前に前に運ぶ運転をしました。いくつかの坂を登り、いくつかの盆地を過ぎて、いよいよ走れる距離は50kmくらいにまでになりました。ふと思いました。携帯電話の電池の残量、飲料水の残量、携帯食の残量、全てのチエック作業は、残量の確認です。今日の現時点は淋しいアメリカ縦断になっています。出発前はあれもやろう、ここにも行こう等と欲深かな考えで胸を膨らませていましたが、今はとんでもない状況になってしまいました。
そして、真っ暗闇のロッキーの天辺で、土壇場に落ちいった私の頭は次の考えに進んで行きました。
二日ほどブログを休んでしまいました。元旦のブログには、正月一日のことを掲載しましたが、二日と三日の出来ごとで、子供たちはきたのですが、特に記載することは無いので怠けてしまいました。今日も朝から天気の良い正月です。
さて、前々回の続きですが、アメリカのリオの町から北東に反れて砂漠の町に入りましたが、道に迷った私たちは、夕暮れになり、ガソリンも少なくなり、トボトボとロッキーの砂漠の中を彷徨っていました。進むか、退くか、野営か、三つに一つとなりました。夕暮れ時は、人々の心は淋しくなるのものです。砂漠に舞う風で、木立の低い草木が風に揺れ、砂埃も立ってきた、心なしか昼間に元気の良かったサボテンまでが肩を下しているように見えます。太陽は山陰に隠れ、月が今からは俺の番だと待っているような夕暮れのムードとなってきてしまいました。
ガソリンの残量で走れる距離は、約100kmと判断をして前に進むことにしました。出来るだけ経済速度で走り、坂道ではニュートラルにして車を前に前に運ぶ運転をしました。いくつかの坂を登り、いくつかの盆地を過ぎて、いよいよ走れる距離は50kmくらいにまでになりました。ふと思いました。携帯電話の電池の残量、飲料水の残量、携帯食の残量、全てのチエック作業は、残量の確認です。今日の現時点は淋しいアメリカ縦断になっています。出発前はあれもやろう、ここにも行こう等と欲深かな考えで胸を膨らませていましたが、今はとんでもない状況になってしまいました。
そして、真っ暗闇のロッキーの天辺で、土壇場に落ちいった私の頭は次の考えに進んで行きました。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
2014年1月1日水曜日
1997年から2013年のアメリカ(元旦)・・・34
2014.1.1水 快晴 午前8:00
あけましておめでとうございます。今朝の寒さは厳しかったが、散歩運動に出かけました。一旦、家に戻り、今から照沼家の山の頂上にある氏神(先祖が江戸時代に伊勢神宮に参拝した時を記念して建立した社)さまに年賀の参拝に出かけます。自宅から500m離れた安白山に祭られた
江戸時代の社ですが、畑を横切り、水田も横切り、海抜50mくらいの頂上に祭られています。奉納するものは、ミカン、モチ、日本酒だけです。お願いをすることは、部落の安全と平和、私の家の
家内安全と事業成功、友人知人等全ての関係者の安全と平和です。正月ごとに参拝をしているのですが、かなり願い事を聞いていただけます。部落にも私個人にも平和を何十年も下げてくれています。今か出かけて帰宅したらその状況を掲載します。
私が汗をかいて登った山の天辺の氏神に奉納したミカンとモチは、一瞬のよそ見をした瞬間、何者かに持ちされてしまった。カラスかハクビシンか、人間か、信じられなかった。サイレンントの持ち去りでした。空を見てカラスを目で追ったが、確認できない。木々の周辺とその藪の奥を見たが確認できない。高い木の上から烏が狙ったか、獣や動物が藪の奥から狙っていたか、それとも乞食さんが木々の奥から狙っていたか、私は不安、不信、不可思議の気持ちで社を後にした。30m、50mの地点で振返ったが、誰も出てこないし、物音一つしない。思わずゾーッと背中に冷たいものを感じ、急いで山を降りる破目になりました。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
あけましておめでとうございます。今朝の寒さは厳しかったが、散歩運動に出かけました。一旦、家に戻り、今から照沼家の山の頂上にある氏神(先祖が江戸時代に伊勢神宮に参拝した時を記念して建立した社)さまに年賀の参拝に出かけます。自宅から500m離れた安白山に祭られた
江戸時代の社ですが、畑を横切り、水田も横切り、海抜50mくらいの頂上に祭られています。奉納するものは、ミカン、モチ、日本酒だけです。お願いをすることは、部落の安全と平和、私の家の
家内安全と事業成功、友人知人等全ての関係者の安全と平和です。正月ごとに参拝をしているのですが、かなり願い事を聞いていただけます。部落にも私個人にも平和を何十年も下げてくれています。今か出かけて帰宅したらその状況を掲載します。
私が汗をかいて登った山の天辺の氏神に奉納したミカンとモチは、一瞬のよそ見をした瞬間、何者かに持ちされてしまった。カラスかハクビシンか、人間か、信じられなかった。サイレンントの持ち去りでした。空を見てカラスを目で追ったが、確認できない。木々の周辺とその藪の奥を見たが確認できない。高い木の上から烏が狙ったか、獣や動物が藪の奥から狙っていたか、それとも乞食さんが木々の奥から狙っていたか、私は不安、不信、不可思議の気持ちで社を後にした。30m、50mの地点で振返ったが、誰も出てこないし、物音一つしない。思わずゾーッと背中に冷たいものを感じ、急いで山を降りる破目になりました。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
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