2014年1月1日水曜日

1997年から2013年のアメリカ(元旦)・・・34

2014.1.1水 快晴 午前8:00
 あけましておめでとうございます。今朝の寒さは厳しかったが、散歩運動に出かけました。一旦、家に戻り、今から照沼家の山の頂上にある氏神(先祖が江戸時代に伊勢神宮に参拝した時を記念して建立した社)さまに年賀の参拝に出かけます。自宅から500m離れた安白山に祭られた
江戸時代の社ですが、畑を横切り、水田も横切り、海抜50mくらいの頂上に祭られています。奉納するものは、ミカン、モチ、日本酒だけです。お願いをすることは、部落の安全と平和、私の家の
家内安全と事業成功、友人知人等全ての関係者の安全と平和です。正月ごとに参拝をしているのですが、かなり願い事を聞いていただけます。部落にも私個人にも平和を何十年も下げてくれています。今か出かけて帰宅したらその状況を掲載します。
 私が汗をかいて登った山の天辺の氏神に奉納したミカンとモチは、一瞬のよそ見をした瞬間、何者かに持ちされてしまった。カラスかハクビシンか、人間か、信じられなかった。サイレンントの持ち去りでした。空を見てカラスを目で追ったが、確認できない。木々の周辺とその藪の奥を見たが確認できない。高い木の上から烏が狙ったか、獣や動物が藪の奥から狙っていたか、それとも乞食さんが木々の奥から狙っていたか、私は不安、不信、不可思議の気持ちで社を後にした。30m、50mの地点で振返ったが、誰も出てこないし、物音一つしない。思わずゾーッと背中に冷たいものを感じ、急いで山を降りる破目になりました。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝






2013年12月31日火曜日

1997年から2013年のアアメリカ(田舎道)・・・33

2013.12.31火 快晴 午前6:50
 ネバダ州の物凄い田舎町に侵入してしまった。隣のカルフォルニア州の境まで8時間は要する。オレゴン州までなら5時間を見なくてはならない。太陽を西において進んだはずだが、何時しか後方に太陽がきている。このままだと北東方面に進んでいるようだと判断した。相変わらず田舎の一本道で出会う車はない。四ッ足を天井にしたバッファローの死骸が時々見受けられた。車のスピードは田舎道といっても80マイル以上でているので、停まってバッファローの安否を確かめる余裕がない。砂漠を脱出という目的だけで、そのままのスピードで疾走を重ねる。しばらく走ると、険しい山道に入り、草木が無くなり、赤い岩肌だけの景色になってっきた。山の上は風が強く、5月であったがとにかく寒かった。山の尾根に雪避けの柵が方々に見受けられた。ニューヨーク等の大都会の景色と対照的な人間を寄せ付けない、その景色をアメリカのローッキー山脈で見ることになりました。ローッキーの麓ヘ行こうとしたドライブは、ロッキーのどこかの山の頂上に辿りついてしまいました。戻るか、進むか、思案ろっぽうの心理が続いています。戻るのはしゃくだが、危険を感じたら戻るのが定則、危険を感じなければ進む、悩みました。野営もいた仕方がないが、野営をするならば
適した場所を探すほかない。
 前回のアメリカ西側縦断中に野営をしたので、その経験から考えると、暗い場所か明るい場所かにするかは、寝易い暗い場所が適しています。しかし、暗い場所は不気味です。不安や怖いことを予測したら寝られません。こんなことを考えているうちに、約100マイル7(160km)を進んでしまいました。ローッキーの山道は暗くなるのが早く、太陽が山の頂に隠れそうになってきました。太陽は相変わらず、私たちの後方に頼りない光を発して沈みそうです。小用をたしたく、車を止めて砂漠の地に足を下ろしました。茂みに入り用を足していると、遠くに犬かコヨーテか、不安になる、あの鳴き声を耳にしました。「ウオーン、ウオーン」と悲しそうな又はお腹がすいたような友を集める、鳴き声でした。私は男らしくも無く、恐怖感に囚われ、即座に車に戻り、夜通しでも走って、現在の場所から脱出する決意をしました。しかし、油の残量がその目的に敵いません。その時の油の残量から100マイル程度しか走れなくなっていました。車は相変わらずローッキーの頂き周辺を走っています。            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月30日月曜日

1997年から2013年のアメリカ(田舎道)・・・32

2013.12.30月 快晴 午前7:15
 アメリカの横断中にリオという町から北に反れて砂漠に入った時の話です。遠くのロッキーが美しく、その山裾に行ってみたくなりました。ナビをつけた車でしたが、肝心のナビの操作が完全でなく、私の方向勘だけを頼りにして、強引にその方向に進路をとりました。
 
インターステイト80のリオの出口を出て、リオの町を後方向にして、北に進路をとり、太陽を左手に
見ながら進むと、必ずロッキーの麓に到達するはずであると判断をして、意気揚々と出発をしました。リオの町のスーパーで小ギャンブルを楽しんだ後の出発です。スーパーで日本の海苔巻すしを食べて元気が出てからの出発でした。
 日本でいえば一車線の市道のような道路ですが、ブッシュと赤い色の砂漠の中の道で、荒涼とした、果てし無く延々と長く続く、ナイル川の流れのように大きく蛇行したりしているような道に入りました。そして、常に太陽を左に見て進みましたが、午前中は一台の車にも出遭いませんでした。道路に慣れてくると、太陽を見ることになおざりになりました。いつしか、車はとんでもない進路に入り、行けども、行けども、ブッシュと赤い砂漠から脱出できないようなゾーンに入ってしまったのです。太陽は左から右に大きくそれてしまいました。ガソリンは少なくなり、腹は減り、人家無く、空に
鳥も無く、砂漠の迷路に入った気分になり、私の頭は混乱し口が渇いてきました。私は焦りました、
今日は砂漠で野宿か、エンストした車を置いて徒歩で助けを求めるか、悪い予感ばかりが頭を過ってくるようになりました。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月29日日曜日

1997年から2013年のアメリカ(街道筋の食事)・・・31

2013年12月29日(日)快晴 午前7:00
 アメリカでハイウエー上での食事は数十回ほどあります。ハンバーグからナイフとフォークを用いた食事を経験しました。但し、日本と違ったのは、ハンデイーキャッパーが多く働いていました。
聞くところによると、アメリカでは法律により一定のルールでハンデイキャッパーを採用することになっているそうです。
 さて、ハイウエー上の食事で一番おいしくなかったのは、タコスで次はメキシコ料理、そして次は
マックでした。美味しかったのは、フロリダからキーウエストに向かう途中のポテトを中心とした料理でした。その支払いは重さで計算をされました。アメリカの南国の悠長な生活ぶりを感じさせられました。次に、美味しかったのは、ワシントンからテネシーを経て、ダラスに入る一歩手前の町で食べた農場料理店でした。とにかく新鮮な野菜が沢山あり、野菜だけでなく全て並んでいる食物が
新鮮でした。牛乳、肉、野菜、アイスクリーム、豆、トウモロコシ等等、思い出すだけで唾液が出てきます。醤油味が恋しくなったら、中華料理の食べ放題店でもよく食べました。米や魚や餃子を食べて、東洋の味で里心を癒りもしました。
              アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月27日金曜日

1997年から2013年のアメリカでの発見・・・30

2013.12.27金 雨 午前7:30
 昨年から今年にかけてアメリカを縦断と横断、そしてV字横断の旅を4回ほど馬鹿みたいに重ねました。1回目はニューヨークに入り、フロリダ、キーウエストを周り、ダラスを経て、飛行機に乗りサンフランシスコから帰国、2回目はビューヨークから入り、シカゴに行き、シカゴから飛行機の乗り、
サンフランシスコから帰国、3回目はサンフランシスコから入り、カルフォルニア州内をアメリカゴルフ発見と輸出入商品の開発の旅、4回目はニューヨークから入り、ワシントン、テネシー、ダラス、
アルバカーキー、ロス、サンタモニカ、サンフランシスコから帰国しました。これらの旅の殆どを
レンタカーで廻りましたので色々な発見をしました。その発見を思い出しながら記して、明日からの正月休みを過ごすつもりでいます。皆さんが旅に出たり、仕事で出張したりする場合に、何かの役に立てば良いと思います。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ハイウエー上でスピード出しすぎで、悪魔を見てハッと思った瞬間

2013年12月22日日曜日

1997年から2013年のアメリカ(ハイウエイー状況)・・・29

2013.12.22(日)快晴 午前8:00
  相変わらず4kmの早朝散歩を8年間続けています。そのおかげでアメリカの大陸横断と縦断を身体の故障なくやれています。頑健な体をいただいた父母や先祖に大感謝をしています。
 さて、アメリカのハイウエイーはドライバーにとって、極めて爽快です。理由は、どのような運転手の車でも、運転マナーが抜群に良いのです。例えば、コンボーイトレラーの後ろに車がついたとします。直ぐにコンボーイは、右車線にトレラーを避けてくれます。そして、大きなクラクションを鳴り響かせ、「避けるのが遅くて悪いな、又は、気をつけて行けよ」のような感じのシグナルを送ってくれます。私もついついクラクションを「パパーン」と鳴らします。追い抜きざまにトレラーの運転席を見上げると、親指を立ててのシグナルをくれます。ハイウエイーの車線の数は、ニューヨーク等の町近くに入ると片道4車線、郊外に出ると3車線が普通のハイウエイーの状況でした。ハイウエーからの
降り口は、普通は右側にあるので、そろそろ降り口が近づいたら右側車線に近ずく必要があります。全くの田舎のハイウエイーでも3車線が普通でした。スピードは80マイル程度で走っていれば、パトカーのご厄介にならなくてすみます。ハイウエーパトカーにお世話になる外国人は、結構
多いようです。理由は、アメリカのハイウエーは広く、スピードが出せて、楽しくなってしまうからだと思います。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

                 

  テキサスのインデアン居住区を抜けるハイウエイー・左ラインが追い越し車線・右が避難帯




 

2013年12月21日土曜日

1997年から2013年のアメリカ(横断までの準備)・・・28

2013.12.21土 曇天 午前7:30
 アメリカに行く場合に飛行機会社の選定を誰も悩むでしょう。値段で決定するか、乗客に日本人が多いほうが良いか、安全第一か、航空会社の国籍か等を悩みます。私の場合は日系の会社で安い運賃の会社を選びます。理由は、アメリカは長旅になりますから、隣の席ができるだけ日本人が座る率の高い日系会社になります。そして、半年前に申し込むとかなり安いチケットが入手できます。今までにアメリカ行きで乗った会社はANAが大半でした。別にこの会社と全く縁はありませんが、かなり安いチケットでアメリカ行きをしています。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝



サンタモニカの秋の海岸 R66の終点