2013年12月13日金曜日

1991年から2013年の華中(周辺の小旅行)・・・23

2013.12.13金 快晴 午前7:00
 数年前の初夏に華中の周辺へ不思議な旅行をしました。場所は杭州の山奥の清流が流れる山荘に泊まり、深山の中での不思議な経験と、一か所だけにあるカラオケハウスで戯れた時の話です。杭州の山奥の細道をどんどん上がり、天まで届く一歩手前の山を背にした山荘に着き、旅装を解いたころに夕闇が寄ってきます。同時にLEDの眩い光が、複数の木々の天から降ってきました。山荘の女性が滝の上にある東屋に夕食をと案内をしてくれました。案内をされるままに東屋に入ると、何と東屋の下は崖で、崖下を見ながらの食事は、不思議な気分、口に運んだ料理は絶品の中華料理の筈ですが、何を食べたかは覚えてないほどの崖ぷっちの場所でした。中国の建築法を信じていないわけではないですが、とてもゆっくりした場所での食事とは言えませんでした。次に、夏の夜の山中はよく雨が降るようです。ザーと大雨が降り、同時に谷川を滑る雨水の音が無気味に聞こえると、同時にドロローン、ドロローンと青白き光の向こうから白装束の何かが出てくるような雰囲気に見舞われてしまいました。この続きはあす以降にします。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝



 
人恋しい深山の山荘と崖の上での夕食場所

2013年12月11日水曜日

1991年から2013年までの中国(上海周辺)・・・22

2013.12.11水 快晴 午前7:20
 揚子江沿いの町で南通と無錫、それに蘇州周辺を周ってきました。凄かったのはスモッグで何処にも現れていました。100mから先が見えにくく、自動車の運転は大変でしたが、郁君の運転で無事に商談をこなしてきました。端的にこのスモッグを表現すると、目から涙、喉はひりひりでした。
思うに、中国は何故毎年ながら改善をしないのだろうか。このスモッグを無くす産業が、中国の来年のキーワードかなと思いました。揚子江に架かっている全ての橋の上から見る揚子江の川面
は全く見えません。深い谷底の眺めのようでした。その国の発展と環境汚染は、地球の深刻な問題です。
上海に戻り、美味しい和食を食べたが、昼間に体験したスモッグを思い出したら、「炭小屋の中で味わったような和食の味」でした。興ざめした和食で夕食を済ませ、外に出るといくらかの風で
スモッグは東の日本方面に飛んで行ったようです。中国の友人が「照沼は日本までスモッグを追いかけて行くようだ」と冷やかされました。ブラックジョークは、心に傷を負ってしまいます。次回は
明るい話にしましょうか。
               アメリカ・アジア大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 
                スモッグに泣く太陽と青空と木々・・・南通市

2013年12月6日金曜日

1991年から2013年までの南通市と無錫市の様相・・・21

2013.12.6金 曇り 午前7:30
 11月30日~12月3日間で上海市、南通市、無錫市、蘇州市を商用で廻ってきました。商用の内容はソーラー装置の取引商談です。1991年に行った南通市は一転し工場群になっていました。
無錫市も同じで大きな工業団地があっちこっちにあり、蘇州市も同じしたが、上海市等の工場群は減少傾向のようでした。華中のPM2.5の被害は深刻です。この目で見てきましたが、視界不良、
太陽光は射さず、微粒子が空を泳いでいるのが街灯の光で判別できる状況でした。そのような空の下での人間に元気力はあるわけありません。早くその環境を中国政府は取り除いて欲しいと思います。アジアの空に青空を取り戻しましょう。
             アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2013年11月30日土曜日

1991年の中国(蘇州・杭州)・・・20

2013.11.30 土 快晴 午前6:20
 今から22年前の中国の蘇州は純然たる観光地であった。外国人が行ける場所も制限されていて、何やら怖い感覚が湧きおこったものです。
 さて、今日からその蘇州市に出張しますが、今の蘇州杭州は観光地+一大産業地に変わっています。ビジネス街には、ベンツやBMW等の高級車が犇めきあい、颯爽とした中国ビジネスマンが闊歩しています。蘇州の揚子江を渡った南通市と揚子江を遡った無錫市に行きます。上海に一泊、無錫に一泊、その時による町に一泊する予定です。日中両国の良いビジネスになるように願っています。今の日本と中国は何やらギスギスしていますが、歴史的に見ればほんの一寸した摩擦程度でないでしょうか。
毛沢東も言ったでしょう。ケンカすれば仲良くなると。大陸のその言葉を信じて、私は中国に行きます。ブログは数日間の休みを取ります。
            アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2013年11月29日金曜日

1997年のアメリカ(ニューヨークの夜)・・・19

2013.11.29金 快晴 午前7:00
 その当時のニューヨークの夜は賑やか過ぎて、田舎出身の私には面白いと思いませんでした
ので、夜遊びはあまりしませんでした。と言っても、冒険好きな私ですから、マンハッタンの夜をグルグル歩き、多少の刺激を受けようとしたものです。ネオン瞬くというものではなく、ネオンの豪雨と言えば分かりやすいとい思います。そのネオンの豪雨の中を、右往左往しながら夜更けまで彷徨いました。わけのわからない人物から声をかけれます。「・・・だが」「今夜どう・・・」「酔っ払えるよ」「天国があるよ」「・・・は好きかい」「良いバーを知ってるよ」等々です。・・・の部分の理解はお任せします。
 彷徨った後は、ホテルに戻り深夜のテレビを点けて、何時しか眠りに入ります。突然、夜中に目が覚めます。時計を見ると午前2時とか同じく3時の時間帯です。そうすると日本の事とか、父母
のこと、旧友のこと等がボンヤリとした頭に浮かんできます。不思議に家のことは浮かんできませんでした。多分理由は、平平凡凡の家庭だからでしょう。私の家には際立った者がいないので
夢にも出てこないのだと思います。
 私のニューヨークの夜は、アメリカの友人の家でパーテイに参加したり、一寸したバーに友人連れで飲みに行ったりした程度でしたと掲載しておきますが、その後のアメリカ訪問は、とても刺激的で、私の野生感が戻った旅になりました。
 私は明日から中国上海にソーラーの輸入商談で行きます。家内は今日から1週間後に中国広東省で仕事をしている長男の慰問に嫁孫と行きます。
 少々のお休みをください。
         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2013年11月25日月曜日

1997年のアメリカ(ニューヨーク周辺)・・・18

2013.11.25月 曇天 午前6:00
 前回はハドソン河の対岸から見たマンハッタンを記しましたが、今回はニューヨークの有名なところを思い出すままに記します。マンハッタンの中央にセントラルパークがありますが、マンハッタン見学時にはこの公園を中心に置くと歩くのが便利です。日本人から見ると広くて、何処まで行くと終わりがあるのとため息をつきそうになります。自由の女神はマンハッタンの南最先端から船に乗り、自由の女神まで行くようになります。東側にはイーストリバーがあり、JFKケネディ空港からマンハッタンに入るのには、この川の橋を跨ぐか地下道を潜るしかありません。マンハッタンの中での名所はエンパイヤ・ステートビル、ロックフェラーセンター、タイムズスクエア、5番街等々沢山ありますが、私は自由の女神をバッテリーパークから眺めるのが大好きです。何故かと言うと、自由の女神を海を跨いで眺められるからです。海を見ていると様々な有益の発想が湧いてくるような気がします。私の生まれた東海村には村松海岸があり、子供のころから海を見て、様々な将来を
夢見たものです。今でも海を見ていると私の少年時代の海を見ていた気持とオーバーラップしてしまいます。ニューヨークに行ったら、是非、皆さんもバッテリーパークからボンヤリと自由の女神を眺めてください。マンハッタンの最南端です。ヨーロッパの風を感じるかもしれませんから。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 
 

2013年11月23日土曜日

1991年の中国(上海の夜)・・・17

2013.11.23土 快晴 午前6:30
 イエスタデイーというパブを起点として、蘇州、杭州、南通等の地域に小旅行をしました。案内人は科学者のヨウ氏や元パイロットのチョウしでした。ヨウ氏は我々に旅の途中で危害が及ばないないように万全なガードをしてくれました。夜の案内はチョウ氏がやってくれました。二人の中国人の
案内で昼間と夜の上海を堪能できました。ありがたく感謝しています。南通市へヒルトンホテルの
ハイヤーを貸し切り行った時の話です。帰途に着き、昼食を取るために街道筋の農民の食堂に入った時の光景です。日本でいえば田ウナギですが、中国でいえばウナギというそうです。農民食堂の裏に回って、その他うなぎを料理するところを見ました。その農民の子供が一生懸命に、田ウナギを我々のために料理をしています。ピカピカ光る包丁で料理がされているのかなと思って覗いたら、何と錆びたハサミと黒っぽい俎板で田ウナギの腹を割いていました。その子供は悪びれずに黙々と田ウナギの腹を裂いています。思わず唖然としたが、ここは上海の田舎と思い、謝謝と礼を言って食堂に戻りました。数分すると、先ほど割かれていた田ウナギが湯気を立て、お皿の上に乗って運ばれてきました。都会人の友人K君は箸が進まないようでしたが、田舎者の私は、先ほどの光景を思い出しながらも、美味い、美味いと念じながら、頑張って食べました。上海の町の100km
ほど手前の無名の村での昼食時の話でした。
 田舎の農民食堂で昼食を取った後の、夕食はヒルトンホテルの最上階で口直しの高級中華料理を食べましたが、この日の旅を形容すると、エレベーターで地下から最上階までイッキに登ったような感覚になりました。
 今回は国際酔客の様態の話と思ったのですが、記しているうちにこの話をしてしまいました。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
揚子江の延長河口