2016年4月7日木曜日

照沼重輝の中国彷徨(杭州の有名兄弟)・・・25

2016.4.7木 曇り 午前6:00
 日本人にとって杭州の有名人は何といっても郁達夫という作家である。彼は杭州の
西の富陽に生まれ、若くして兄に連れられ日本の東大で勉強し、中国に戻り、杭州一
の美人と結婚し、数奇な運命を辿った人物である。俺は末裔の郁遜氏と数十年の
交遊があり、何度も郁達夫の生家を訪問した経験がある。富陽は杭州湾の右側の
入り口にあり、そこの生家も立派な記念建物になっている。生家を左に見て杭州湾を
見下ろせる小高い山に登ると、郁三兄弟の記念碑が立っていて、毛沢東の筆による
三兄弟を崇める文章が彫ってある。三兄弟の長男は日本の東大で法律を勉強して
上海の裁判官になったが、国民党右翼に射殺をされてしまった。真ん中の兄はアメリカ
に逃れ、その末裔はハーバード大学の教授になっている。末弟の達夫は幾多の小説を
かき揚げ、日本と中国で有名な小説家になった。結婚歴も数回あり、戦争の激しい中国
から逃れ、スマトラで日本軍の憲兵隊にスパイの疑いをかけられ、最後は射殺
されてしまった。このような話を友人の郁遜氏は俺に幾度となくしてくれた。
俺の尊敬する法律家の先輩達も郁達夫に興味を持ち、富陽や杭州方面の俺の旅に
同行してくれた。この郁達夫の末裔と、20年来の太く長い交遊歴を維持している
ことは俺の最も貴重な財宝である。今では東洋人同士の固い契りとなり、日本人も
羨む友情を各所で見せることになってしまった。次は、彼は俺をどのような場面で
助けたかを記してみます。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
夜の上海高速道路

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